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Heart Loser  作者: Nicola
7/125

7 False Position

 ザックの目の前にいるセドリックは灰皿の葉巻を手に取り、ひねって火を消した。先に溜まっていた灰が崩れる。

「いい商売じゃあねえか、配達屋。――お前さんの提示額を用意してやる。ただ、早急に話してもらおうか。年を取ると気が短くなっちまってな。嫌あな話は悠長に聞いていられねえのよ」

 セドリックが右手の手袋を外した。

「テレンスが上がってくるまでに全て話せ。下手に時間を稼いで値段を吊り上げられちゃあ困るんでな」

 露わになった右手の甲にはタトゥのようなものが黒く刻まれていて、その黒からぼたりと黒い雫が垂れた。音もなく静かに落ちた、影のようで似て非なるそれは威嚇するようにどくどくと脈打つ。

「……愛の影。そんなものを出さなくたって、俺は話します」

「早急に、と言ったのが聞こえなかったか、配達屋。何度も言わなきゃ分からねえ馬鹿でもあるまいよ。――何をどこに運んだ。依頼者も吐いてもらうぜ」

 セドリックが皺だらけの指を動かした。人差し指でザックを差すと、脈打っていた真っ黒な影が弾けるように移動し、ザックの足にまとわりついた。それはじりじりと細く伸び上がり、ザックの腹や胸に触れては離れるを繰り返す。

「俺の影はお前さんの首なんざ一瞬で締め上げる。――さあ、吐け。喋り終わるのが早えか、テレンスが扉を開けてお前さんの首が締まるのが早えか。競争しようじゃあねえか」

 ザックは口元に力が入るのを感じながら、それでも笑みは崩さず「運んだのはジョイント。場所は――」とするすると喋り始めた。



 大きなノックが三回。そして、テリーの声。

 セドリックはゆったりとした動作で手袋をはめ直し、扉の前に立っている男に目配せした。男たちが扉を開く。

 開いた扉の向こうには行儀よく手でノックしたテリーが立っていた。ワークキャップも脱いで右手にぶら下げている。

 そのテリーが一歩踏み出し、すぐに立ち止まった。

「あれェ。ボス、葉巻の数、減らしました?」

 鼻をひくつかせたテリーが首を傾げる。

「相変わらず鼻が利くな。……俺も年だ。昔ほど吹かし続けられるもんじゃあねえのよ」

 テリーの挨拶をすっ飛ばした内容に、セドリックが呆れたように笑う。

 セドリックの斜め後ろに立っていた男が「テレンス、挨拶はどうした」と低く注意をした。テリーは「ドグ兄怖ァい」と顔をしかめ、ザックを通り過ぎてセドリックがいる机の真ん前に立った。彼とセドリックとの距離が近くなり、部屋に立つ黒服の男たちの空気がぐっと締まる。

 ちりちりと肌に触れる視線を感じながら、テリーはゆっくりと片膝を突いた。顔を伏せワークキャップを床へ置く。

「お久しぶりです、親愛なるボス。お元気でしたか」

 テリーがそのままの姿勢で丁寧に心を込めた挨拶をした。見慣れたそれにセドリックは僅かに頭を振る。

「よせ、テレンス。もう俺はお前さんのボスじゃあねえ」

 テリーが顔を上げ、溶けたバターのように笑う。柔らかく、とろとろと熱に馴染む。

「だってェ、癖でェ」

 ふにゃふにゃになったテリーが言い訳をしながら立ち上がり、そのままセドリックを正面にして後ろ向きに下がっていく。ザックのすぐ隣まで下がったテリーはふっと息を吐いて表情を普段通りに戻した。

「悪ィ、遅くなった」

「ううん。ちょうど一仕事終わったところ」

 お互いの確認を一瞬で済ませ、テリーはセドリックではなくその後ろへ目を向けた。大概二人並んでいる黒服も、今は一人しかいない。

「ドグ兄、さっき慌ててるケン兄と階段ですれ違ったけど。なんかあったの」

 ドゥーガル。愛称、ドグ。

 柔らかい金髪に碧眼、背も高い彼はどこにいても目立つ。今もセドリックの後ろで静かに立っているだけだというのに存在感はかなりのものだった。彼の隣に先程まで立っていた――ザックが情報を売っていた時にはまだいた――ケントと共に、若い頃からセドリックの側近を務めている右腕だ。

 そんな彼は普段通り表情をあまり動かさず、眼鏡越しにテリーを見返した。

「お前たちがリネアの奥へ運んだものを、こちらで捌けないよう先手を打つだけのことだ」

 ボスセドリックの盾であり武器であるドゥーガルとケントは頭脳としてもこのセミチェルキオで能力を発揮する。ある程度のことであれば、セドリックの代わりに指揮を取るよう命じられることもしばしばだ。

 それを知っているテリーはケントだけが急いだ様子で動き出したのを見れば、何かあったのだと簡単に想像がつく。

「それって」

 ドゥーガルの淡々とした説明を受けたテリーが隣のザックを見上げた。

 仕事の話をしたのかと言いたそうな彼にザックは悪びれた様子もなく「いい稼ぎになった」と肩をすくめた。

「そういうことだ。テレンス、とっとと帰って引っ込んでろ」

 セドリックが机に立てかけてあった杖を掴み、立ち上がった。

「配達料なら玄関で受け取れ。すぐに用意させる」

「ええェ! もォ帰れって言うんですかァ! 僕、まだ来たばっかなのにィ!」

 テリーが盛大に不満を吐き出すと、セドリックは机をぐるりと回って彼の真ん前までやってきた。杖を持ってはいるが、それには殆ど頼らずにぴっと背筋を伸ばして立っている。

 さほど身長の変わらないテリーのサングラスの奥をじっと覗き込む。

 見つめられたテリーが萎縮して背筋をくにゃりと曲げた。

「お前さんがそんな態度でいるから今になってもリネアに敵対視されるんだぞ。配達屋ならしっかり中立を守れ。とっとと俺から離れろ、坊主。――それがお前さんのためだ」

 セドリックの低く腹の底を打つような言葉をテリーが打ち返そうと口を開く。しかし、灰褐色の瞳はぎろりと金色を睨みつけた。

 反撃の余地がないと分かったテリーは視線を逸らし「はい」と小さく零す。

 大人しく引き下がったテリーに満足したか、セドリックは頷いて窓際に移動する。

 皺のない革靴が硬く音を鳴らした。

 その足音を聞いていたテリーが顔を上げ、目を細める。

「――ボス。なんだか……痩せました?」

 窓を背に、セドリックが振り返る。

「セドリック、だ。――お前さんに体重管理までされるとは思っちゃいなかったな」

 杖に体重をかけて立ったセドリックは苦笑を浮かべた。

「俺の健康に気を使う暇があるなら、お前さんは自身の心配をしろ。――ジョイントの匂いにやられているな? 目が充血しているぞ、テレンス。ガキはお家でゆっくりおねんねしてな」



 遠く離れた銃声が微かに耳に届く。

 ザックはその方向の空を見上げた。三階建てのアパートの上に覗く空は、遠く青く、雲も無い。

「……なァ、ザック」

「うん」

 二人の横を通り過ぎていく人たちにも銃声が聞こえているのか、皆が皆、目的地に早く辿り着こうと足を忙しなく動かしていた。

 音は遠い。だが、何かあって巻き込まれてからでは遅い。

 妙に暗く静かになった通りで、テリーはワークキャップのつばを僅かに持ち上げた。

「いつになったら、慣れるんだろォな」

「うん?」

 ザックは横を見下ろす。

 青空を反射したサングラスが彼を見返していた。

「中立なんか、嫌だって――」

 テリーが右手で右耳を塞いだ。

「――ボスん側にいてェって……いつになったら、思わなくなんだろォな」

 遠く。

 銃声は何度も響いていた。


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