69 Before The Storm
「それじゃ、これからもご贔屓に! また来ます!」
ハロルドが軽く頭を下げて小さな店から出た。
店の使いを終えて帰路につき、その先に見知った背中があることに気付いた。自然と「兄さん」と口から出かけたがなんとか飲み込む。
「トビー!」
改めて名前を呼ぶと、トバイアスが振り返った。
灰色の癖っ毛の下は緑の瞳で、右腕を吊ってもいないし、体つきは華奢で、背も低くない。テリーとよく似ているが全く異なる弟であると見る度に思う。
「……あ、ええと」
「ハロルド。あれ、覚えてない? 学年は違うけど、何回か同じグループになったことあるんだけどなー」
軽快なハロルドの挨拶にトバイアスが「ご、ごめん。覚えてなくって……」と目を泳がせ、肩に掛けていた鞄を胸の前で抱え込む。
「気にしないで。ほんの何回かだし、俺って人の顔と名前覚えるのが得意でさ」
ハロルドはお得意の営業スマイルを浮かべ、トバイアスの鞄からはみ出ているものに目ざとく気付いた。そちらにちらと視線を送りながら、歩調を合わせて隣に並ぶ。
写真? 兄さんと、あれはマーサ? あとは?
「マーサから聞いたけど、孤児院にパン届けてるんだって? 今日も配達?」
「いや、そのォ……。今日は定休日だから」
「ああ、そうなんだ。俺なんて定休日はないも同然だよ。親父がお人好しで、休みでも関係なしに頼み事聞いちゃうもんでさ」
ハロルドがどうでもいいことをぺらぺらと話している間も、トバイアスは彼の存在に戸惑ったように困った笑みを浮かべている。
「そのせいで今日は仕事でこっちに出てたんだよ。トビーはこの辺りによく来る?」
トバイアスが普段ならこのあたりを彷徨かないことをハロルドは知っている。
「……時々、かなァ。――あの、テレンスに、僕んこと言わないでくれる?」
「うん? トビーがそう言うなら。――それじゃ、俺はこっち。また見かけたら声かけてよ」
「あ、うん……。それじゃァ」
ハロルドがひらひらと手を振ると、トバイアスは先程までの下がっていた眉が嘘のように微笑した。その表情を見送って角を曲がり、足を止めて振り返った。トバイアスはまっすぐ進んで行ったので視界にはもういない。がさがさと髪をかき混ぜる。
「――俺と兄さんが繋がってることは知ってる、と」
首を傾げたハロルドは違和感を覚えながらもその場を立ち去った。
「うーん」
ザックが立ち止まって、テリーも数歩先で足を止めて振り返った。
「どォした」
ザックはベレッタを両手で持ち、いろんな方向に傾けては首を傾げている。
「さっき撃った時に変な感じがしてさ。――一応、ハルのところに寄ってくれる?」
眉を下げて笑ったザックがベレッタを腰のホルスターに戻して歩き出すと、テリーが隣に並んだ。
「きちんとしとけよォ、バァカ」
「一切手入れをしない君には言われたくない」
テリーは部屋のどこにあるかも分からない銃のシルエットを思い出し、肩をすくめた。
「これで大丈夫だと思いますけど……。俺じゃなくて親父に見てもらったほうがいいと思いますし、この機会に何日かかけてがっつり点検しておきません?」
ハロルドが組み直した銃を揺らすと、ザックは腕を組んで小さく唸った。
「うーん、確かにそろそろかな。――それじゃ、お願い出来る?」
「いいですよ。代わりにどれか連れて帰ります? もう一丁は信号用にしてるんですよね。実弾用にこれとかどうです? 新しく入ったんですけど」
ザックが差し出された真新しい銃を受け取る。空の状態で何度か引き金を引いてから小さく頷く。
「……じゃあ借りていこうか。ありがとう」
「どうも。裏で試し撃ちでもしますか。耳栓とか適当に使ってくれていいんで」
「分かった。テリー、少し待ってて」
店の奥へ足早に消えるザックを二人が見送り、テリーがカウンターに頬杖を突いた。
「兄さんのグロックもそろそろ点検しましょうよ。置物にしちゃあ可哀想ですし」
「うるっせェ。気が向けばな」
テリーがやる気なさげに顔を背けるので、ハロルドは苦笑いを返す。テリー用の銃グロックはザックが時々手入れをしているようだが、それでも埃を被っている時間が長い。
「もーう。兄さん、持ってくるつもりないでしょ。――ああ、そういえば、昨日、トビーを見かけましたよ。場所はこの辺りです」
ハロルドが地図を引っ張ってきてテリーの前に広げた。セミチェルキオのテリトリーの一角を指差し「この道をこの方向に」と、トバイアスが通った場所をなぞる。
「見間違いじゃねェの。あいつがこんなところ彷徨くかァ?」
テリーはそう言いながらも、ザックがトバイアスと接触していることを思い出していた。あの時も、セミチェルキオからの帰りに出会っていたはずだ。
「声かけましたし、間違いなくトビーです。――俺と兄さんが繋がってることも知ってるみたいです。会ったことを兄さんには話さないでほしいって」
ザックが裏の射撃場で試打している音がかすかに聞こえてくる。安っぽい防音設備では完全に銃声をかき消すことは出来ない。
「はッ! 話してるじゃねェかよ」
「そりゃあ俺と兄さんの仲ですからね。――兄さんがうちに出入りしてんのを偶然知ってただけならいいんですけど。トビーの活動範囲も広がってるのって気になりません?」
テリーが頬杖を突いたまま店の奥へ目を向けた。銃声を数えながら、背筋がぞわぞわと気色が悪いのを我慢する。
「んァー……。ま、いつも通りで構わねェぜ。お前が下手に突っ込むな」
「……はい。分かりました」
サングラスの奥で目を細めたテリーが丸めていた背中を伸ばした。それとほぼ同時にザックが奥から姿を現す。
「どうでした? いいでしょ、そのまま買い取りません?」
「うん、すごく撃ちやすい。だけど、購入はまた今度」
「あはは。その今度にはもっといいのを仕入れておきます。――で、最近どうです? 兄さんもそんなだし、いろいろ心配でしょ。こっちはだいぶ落ち着いてますけど……」
ザックがテリーの隣に並び、彼の背中を何度か撫でた。
「こんな腕でも喧嘩を買おうとするし、ひやひやしっぱなし。それより落ち着いてるって?」
「ああ、知りませんか。兄さんが入院したくらいから、ハートルーザーが殺される事件が起きてないんですよ。急にぴたっと。嵐の前って感じで俺は怖いんですけど、とりあえずこっちは静かですよ」
つい昨日、シルヴェスターとリネアの似たような話をしたことを思い出し、ザックとテリーは自然と顔を見合わせた。
「嵐、か。何もなければいいのに」
【嵐の前の静けさ】




