68 Sands Of Time
「え……。動いてない、ですか」
クレアがホテルから出る手続きをしようとすると、従業員は昨夜の大雪のせいで列車が動いていないことを伝えた。
「ええ。この辺りじゃよくあることですよ。ほら、山越えがあるでしょ。あそこん雪をどけないと通れなくってですね」
今日の空は気持ちが良い青色をしているが、地面の雪はたんまりと積もっている。
クレアは心のどこかで安堵しながら「そうなんですか……」と落胆の飾りをつけた。
「いつ動くか分かりますか」
「今年は雪が少なくて運行日も多いらしいし、こんな天気が続けばすぐ動き出すと思いますけど……。その辺りは駅員に聞いた方が確かですよ」
「そうですね……。あの、駅の番号教えてもらえますか」
クレアが尋ねると従業員は了承してフロントの奥へ消えていく。奥から「オーナー! 電話帳どこですか、電話帳!」と大声が漏れてくる。奥でうとうとしていることが多いオーナーで、こんな場面はこれまでも何度か遭遇済みである。大声に驚きもせず、思わぬ雪で出来た猶予期間にやりたいことを思い浮かべた。
もし今日出立していれば、世話になった人たちに一言も伝えられないところだ。せっかくだし配達屋に礼をして、孤児院にも。ラージュで出来た友人に連絡をして、時間が許せばお気に入りのパンを買って食べよう――と、やりたいことをぽんぽんと浮かべて少し気分も上がってきたところで。
「あ」
ノーマンにまだ帰れないと連絡しなければならなと気付いて肩を落とした。
流石のノーマンも天候のせいで戻れないことでは責めず、クレアはほっと気楽な気分で外へ出た。連絡が取れた友人とお別れ会をするために近くのカフェへ向かう。
孤児院には明日挨拶に行くと伝えたが、配達屋は誰も電話を取らなかった。ザックたちが外に出ていてもリンジーが電話に出ると思ったのだがそうは上手くいかないらしい。
今日の用事が終わった帰りに煙草屋の前を通ってみようと考えながら歩いていると「――あ、あの」と弱々しく声がかけられた。聞いたことのある声だ、と振り返る。
「え? テリー……あ、違う。ごめんなさい。ええと――お兄さん、でしたっけ」
声の主はテリーとそっくりの顔をした青年だった。一度だけ写真を――しかも焼けた後のもの――見ただけの彼を、クレアは今の今まで忘れていた。
「……一応、弟で、トバイアスです」
「あっ、ごめんなさい……。ええと、私に何か……?」
クレアは初対面であるトバイアスをまじまじと見つめる。彼が声をかけてくる理由が分からず、困ったように首を傾げた。
トバイアスは小さく頷いてから、左手首の時計に目を落とした。テリーと違って視力は悪くないようで、腕と目は近づけない。
「時間、大丈夫ですか……。少し、そのォ……聞きたいことがあってェ……」
段々と尻すぼみになっていくトバイアスの声に、クレアは目をぱちくりさせた。
写真を見てテリーとは雰囲気が異なると思っていが、実物を目の前にしてもその印象は変わらなかった。テリーより背が高い彼に見下ろされながら、クレアも時計を見る。
「ええと、この後に用事があるんで、少しなら大丈夫です」
普段なら他の日を改めて提案するところだが、生憎、クレアはラージュに滞在する時間があまり残されていない。
「すみません。……違ったら、ごめんなさい。――その、テレンスの女だって聞いたから……。最近のテレンスのこと、何か知ってるかと思ったんですけどォ……」
やはり尻すぼみになるトバイアスの声に答えるより、クレアは先に質問を返した。
「ま、待って! テ、テリーの女だなんて話、ど、どうして知ってるの?」
「……有名な噂、なんで」
「噂あ!? 嘘、やだ! どれくらい広がってるの? ねえ、違うの。違うからね? 私、別にテリーとはそういう関係じゃ――!」
思わぬ衝撃にクレアが早口になると、トバイアスは興味なさ気に「そォいう関係じゃないのは知ってます」と目を伏せた。
「でも、そォやって呼ばれるくらいには仲がいいんじゃないかと思ってェ……。違うんなら、僕ん勘違いだったなら、ごめんなさい……。時間、取らせてすみません……」
トバイアスがしゅんと肩を落として背筋を丸めるので、クレアは慌てて「は、話の腰を折っちゃってごめんなさい!」と胸の前で手を振った。
「そんな話を他の人が知ってるとは思わなかったからびっくりしちゃって。その、なんだっけ。テリーのこと?」
クレアが本題に戻すと、トバイアスはこくんと頷く。
「……テレンス、最近どォですか。元気か――って聞くのも、おかしいんですけど」
トバイアスのグリーンの瞳がおろおろと左右に動くのを見上げながら「元気なのは元気だけど……」と答えた。目を合わせてこないところが少し似ているなあと、彼の兄のことを思い出す。
テリーがこの弟と直接関わらないようにしているのは、以前のハロルドとのやり取りでクレアも感じ取っていた。何があったかは知らないが、トバイアスからしても一人違う世界で生きている兄に直接会うのは勇気がいるのかもしれない、と勝手な納得をしたクレアは右腕を持ち上げて、首から吊る真似をしてみせる。
「腕はこんな状態だけど、ザックが呆れるくらいには元気にしてるよ。――心配してたこと、テリーに伝えておこうか? たぶん、明日か明後日には会うと思うし」
クレアが気を利かせると、トバイアスはとんでもないと言うように首を大きく振った。
「テレンスに、僕んことは言わないでください。お願いします」
トバイアスにまっすぐに見下され、クレアは気圧されながら首を縦に振った。先程より遥かに強い意思が見える目で、理由は聞けなかった。
「え、あ……。うん」
「……ありがとうございました。テレンスが元気なら……良かったです」
そう言って微笑んだトバイアスの表情が嘘っぽく感じられ、クレアは「どういたしまして」と言いながらも胸中で疑問符を浮かべた。
「ああ、あの電話。お前さんだったのかい。すまないね、あたしもちょうど電話中だったんで取れなかったんだよ。配達屋が戻るまでここで待ってるかい」
カフェの帰り、クレアは予定通り煙草屋の前を通った。先程電話が繋がらなかったのはタイミングが合わなかっただけのようだ。店仕舞いの準備をしているリンジーがそこにいた。
「ううん。連絡なしに来ないでって言われてるし、たまたま会えたらいいなあって思っただけだから。――あのね、リンジーさん。私、ラージュから離れることが決まったの。急なんだけど、列車が出たらすぐに戻らなくちゃいけなくて」
「おや、そうなのかい。寂しくなるねえ」
リンジーが眉尻を下げて煙草を揉み消した。
そのまま暫く窓口越しに喋って、クレアは夕方の冷たくなってきた風に身震いした。
「それじゃあね。ザックたちにはまた後で連絡してみる。リンジーさんも気を付けて帰ってね」
「ったくあの子らはどこで道草食ってんだろうね。とっとと帰ってくりゃあいいものを」
リンジーが皺くちゃの顔を歪めるので、クレアはくすくすと笑った。
「今日明日に戻るわけじゃないんだし、気にしないで。また来るね」
【残り時間】




