66 Lemonade
ザックが暗い色をしたシャツを着、その上に冬の装備を重ねて部屋を出た。
既にテリーは用意を終え、普段着の大きなパーカーを来て廊下に突っ立っている。
ザックたちは配達屋を始めた時にセドリックから「舐められるような格好はするんじゃねえ。そういう仕事はお前さんたちを見た瞬間、相手が身構えるくれえがちょうどいい」とアドバイスされ、相手によっては格好に気を使うようにしていた。
「準備は出来た?」
ただ、今回の仕事は身構えてほしい相手ではないので、テリーの幼く見える格好にザックは何も言わない。斜めに傾いたテリーのワークキャップを直し、彼のマフラーが落ちないように首の後ろで緩く結んでやった。
「ん。これ」
テリーは色に関して散々文句を言ったわりに新しいマフラーを気に入っているのか、満足げに首元を温めている。そして、左手に持っているバンテージをザックに突き出す。
受け取ったザックがテリーの左手を締めていく。
「これでいい? 締めすぎてない?」
「緩いくれェだな、ボケ」
テリーはそう言ったものの、巻き直せとは言わなかった。そこまで悪い仕上がりではないようで、ザックは微笑してから彼のワークキャップのつばをとんとんとつついて階段を降りる。
煙草屋のリンジーへ留守中の電話番を頼んでから外へ出た。
冬には珍しい青い空だった。
ザックたちは準備中の看板がぶら下がった扉を開ける。薄暗い中から「おいおい、まだ飲むには早い時間だぜ」と男のやる気のない声がした。
薄暗い店内の奥、カウンターにだけ灯りがついている。晴れた昼間だというのに、窓には分厚いカーテンがかかっていて、太陽のやる気はここに届いていない。
「よォう、スライ。飲みに来たんじゃねェぜ」
テリーが奥へ声をかけると、カウンターの向こう側でしゃがみこんでいた男がひょいと立ち上がった。
シルヴェスター。愛称、スライ。
彼は傷の入った唇をにぃっと歪めて、手に持っていた酒瓶をカウンターに置いた。彼はリネアのテリトリーの端っこで、このバーを営んでいる。酒と同じくらい煙草が店に並ぶほど煙草好きである。若い頃はリンジーのところで煙草を買っていたそうで、今でも二人は仲がいい。
「わ、本当に怪我してやがる」
「本当にってどォいうことだよォ、くそったれ」
シルヴェスターは人好きのする笑みを浮かべてテリーの右腕を真似するように、自身の腕を吊るジェスチャーをした。
「噂にゃ聞いていたけども、尾びれでも引っ付いてんだと思ってたのさ。誰があんたの腕がこんなになると思うかよお」
そのままテリーの怪我を茶化したり互いの近況報告をしてから、会話が本題に移る。
「この時間ってことはリンジーのお使いか? まあ座ってくれよ。ザック、なんか飲んでいくかい。テリーはいつものでいいかあ?」
開店前のはずだが、シルヴェスターは後ろに並んだグラスを二つ手に取った。テリーが嬉々としてカウンター席に座ろうとするので、ザックはフードを掴んでそれを制する。
「あんだよォ!」
「飲みに来たんじゃないだろ。スライさんも他の用だって分かってるのにテリーを潰そうとしないで。連れて帰るのが大変だ」
「潰したくて潰すわけじゃねえよう。テリーが勝手に潰れんのさ。――たく、仕方ねえや。お子様たちには甘ったるいレモネードでも出すよ。急ぎじゃねえんだろう?」
酒も好きだが、甘いものも負けないくらい好きなテリーはザックの手を振り払ってカウンター席に座った。
ザックは呆れながらも、預かってきた煙草の箱をカウンターに置いて腰を下ろす。
「この煙草が切れた。余ってるなら仕入れまでの繋ぎに分けてくれないかってさ」
シルヴェスターがレモンをナイフで真っ二つにしながらそちらに目を向ける。
「そいつが切れるなんて珍しいな。女かテリーくらいしか吸わねえのによう」
「おい」
「怖い顔するなって。冗談だよ。ようし、すぐに持ってくるからこいつでも飲んで待っててくれよ」
彼は蜂蜜をたっぷりと溶かした湯にレモンを豪快に沈め、レモネードを二人の目の前に出した。そして、言葉通りにすぐにカウンター奥にある扉から姿を消す。
テリーは熱いレモネードに口を付けながら、カウンターに残された煙草へ目を向ける。吸わなくなって何年か経つそれは、特に魅力的なものには見えなかった。
「吸いたくなった?」
「吸いてェっつったら吸わせてくれんのォ?」
くつくつと笑ったテリーが煙草を指でつついた。ザックが隣で渋い表情をするのが見ずとも分かって「吸わねェよ、ボケ」とその指をカップの持ち手に絡ませる。
「オクスリみてェに楽しくハイになれるわけでもねェし」
「――おいおい、その言い方だと楽しくてハイなドラッグには手を出すみてえだぜ。ザックの顔が引きつってるよう」
シルヴェスターが笑いながら奥から戻ってきた。彼の手には煙草の箱がツーカートン重なっている。
ザックは表情を普段通りにしてから、リンジーから預かっていた紙幣を渡そうとしたが、シルヴェスターは受けとらなかった。彼は「今度、珍しいのが手に入ったら半分寄越せって言っておいてくれよう」と笑い、手近にあった紙袋に煙草を突っ込んだ。それをカウンターに置いてから、グラスを磨き始める。
「仕事はどうよ。――セミチェルキオのボスん話はあんたたちの耳にも入ってるんだろう。おかげでこっちも若い連中がそわそわしてるよ」
「まだ仕事に影響が出るほどでもないかな。抗争でも起きそう?」
ザックもそろそろとレモネードに口を付ける。
「起こってもおかしくねえかもなあ。どうも、ライラ嬢がよその組織と接触してるみたいだぜ。どっかと手を組んで、となるとこの辺りも物騒になるだろうなあ」
「よそ? どこかのグループでも吸収するつもりかな……」
熱いレモネードをちまちまと飲みながら、テリーはふんと鼻を鳴らす。
「この辺りにライラが喜ぶような強いグループは残ってねェんじゃねェの」
「どうだかなあ。まだ若い連中で酒のつまみにしてる噂さあ」
シルヴェスターがリネアの事情に詳しいのは立地の関係上、若い構成員がバーに入り浸っているということもあるが、それ以上に彼が元リネアのウォリアーだったことが大きい。昔はリネアとしてセミチェルキオのテリーとは敵対関係にあった彼だが、今ではリネア寄りに立ちつつもテリーに良くしてくれる数少ない人間だ。
「ま、そんな噂はあるものの、ファミリーの行方不明事件も起きてねえみたいで、多少なりとも落ち着いてるっちゃあ落ち着いてんじゃねえかなあ」
「ああ、そういえば最近その話を聞かないと思ってた。犯人の目星でもついた?」
ここ最近ハートルーザーが殺されたり失踪したりと、セミチェルキオとリネアでは手を焼いていた。
「いんや。ぱったりなくなっただけで、気味が悪いばっかりだよ」
シルヴェスターの声には事件が起きていない安堵と、得体の知れない不安が混ざっていた。
ザックはそれを聞きながら、レモネードの暖かさを両手に感じながら小さく微笑んだ。
「そのままなにも起きないことを願ってようかな」
【レモンと蜂蜜】




