62 Heady Wine
夕食を終えたザックとクレアはソファでのんびりとお喋りを楽しんでいた。低いテーブルにあるワインはもう僅かだ。
クレアはザックの部屋着を借りた後、ほどよく酔っていた。追加のチーズを持ってきたザックがしれっと隣に腰を下ろすが気にした様子もなく「このチーズ、すごく美味しい!」とご機嫌だ。
「テリーと飲む時もこんな感じ?」
クレアが整えられた爪先でチーズをもう一片摘む。
「ううん。こんな風にのんびり飲むことってそうそうない」
テリーは度数の高い酒を一気に飲んで、一気に潰れることが多い。そんな相手ではほろ酔いの会話を楽しむことが出来ない。
「じゃあ、この間の孤児院みたいな?」
ズワルト孤児院でテリーとマーサを含めて飲んだのは、まだ冬が厳しくなる前だった。ついこの間とも思える記憶に、ザックが苦笑する。
「あの喧嘩は忘れてくれない? 俺も大人気なかったしさ」
ザックと同じく記憶を掘り起こしたクレアがグラスを回して中のワインを揺らす。
「あの時は本当にびっくりしちゃった。ザックが怪我するんじゃないかって心配したんだから! ――ああ、でも、傭兵だったならそんな心配必要なかったかな」
クレアの口から零れたのは、ザック自身が話したことのない内容だった。彼はそれを聞き漏らさず、彼女の殆ど空になったグラスへワインを注ぐ。
「そんな昔話、したことあった?」
「え、あれ? ――ああっ! あの日、マーサちゃんから聞いてたんだった……。聞かなかったことにしてって言われてたのに。やだ! マーサちゃん、ごめん!」
失言に気付いたクレアがこの場にいないマーサへ謝り始め、ザックはくすくすと笑う。
「別に秘密にしてることでもないんだ、気にしないで。テリーが話したのかと思って」
ザックはテリーがそんなことを口にしないとを分かっていて、適当に話を濁す。彼女が意図的に身辺を探った情報でなさそうなので、ワインとため息を飲み込む。
「マーサちゃんもうっかり言っちゃったみたいで。……駄目だなあ、お酒が入るとつい口が緩んじゃう。――それにしても傭兵だったなんて、意外だなあ」
「そんなに気になる?」
別段、秘密の話ではないと分かったからか、クレアは「分かっちゃった?」とはにかんで毛先を撫でた。
「ねえ、酔ったついでに聞いたら、教えてくれる?」
クレアが首を傾げる。
ザックはソファの背もたれに腕を回して彼女の方に上体を向け、真似するように首を傾けて微笑む。
「サービスしてくれたら話すかも」
ザックが空いた手でテーブルの上を指差した。その先にはチーズがあり、クレアは笑いながらそれを摘む。
「取ってほしいってこと? ふふ、ザックも酔ってるの? こんなこと言うなんて」
クレアの指先が、長方形に切られたチーズが、ザックに向いた。彼はそのままチーズを受け取らず、彼女の手首を優しく掴んだ。そのまま手首を引いて彼女の指から直接チーズを食べる。
眼鏡の奥にある瞳をまん丸にしたクレアに、ザックは意地悪くにっこりと笑い直す。
「酔ってる。――だから、気を付けて?」
「え?」
ザックは赤くなった顔で目を泳がせるクレアから手を離し、ソファに預けていた腕を戻した。その落ち着いた様子を見ていた彼女は「か、からかったでしょ!」とその腕をぺちんと叩く。
「あなたって平気な顔してそんなことするの! ああもう、サービスしてあげたんだから話してよね!」
「テリーじゃあるまいし、平気じゃないさ。――傭兵って言っても一瞬だけなんだ。訓練だけは学校を卒業してから受けて、一通り。だけど、仕事にするには合わなくてさ」
ザックは狙撃銃を構える格好をし「銃の扱いは褒められた。だけど、他はからっきし」と苦味で笑みを渋らせた。そして、スコープで覗いていたチーズを自分で摘む。
どこまでを話すべきか、思考とチーズを奥歯で噛みしめる。
「辞めるきっかけっていうのかな。最後に受けた仕事が大きくてさ。――キスタドールって覚えてる? 何年か前に話題になった」
クレアはザックの視線から逃げるように腰を少し浮かし、最後の一枚がずっと取り残されていたクラッカーへ手を伸ばす。
「一応、ハートルーザー関係の取材をしてるし、ある程度はね。国家転覆を狙った人たちでしょ。ただ、大きな活動になるより先に、国軍がその存在に気付いて壊滅させようとした――」
クラッカーの砕けた食感を、ワインで流し込む。
「そうそう、それ。それが俺の最後の仕事。国軍が戦力増強にって傭兵をたくさん雇ったことは知ってる?」
クレアがグラスを空けると、ザックは瓶に残った僅かなワインをそこへ全て注いだ。
「……うん。キスタドールはハートルーザーの集団だったから、少しでも戦える人を集めたんだっけ。国軍がハートルーザーを抱え込んでるのに、ノーマルの傭兵に頼るなんて余程なんだなあって思ったのを覚えてる」
キスタドールは数年前、戦争の多いこの軍事国家スキャドゥに対して立ち上がった過激派の組織だ。メンバーは全員、違法に儀式を行ったハートルーザーで、特に首謀者とされる四人はそれぞれ四大感情を亡くした強力なハートルーザーである。
その首謀者四人は混乱に乗じて逃亡。現在も行方不明だ。
「……あそこにザックがいたんだ」
クレアの小さな言葉に、ザックは背もたれに深く沈んであくび混じりに頷く。
「うん。あれで怖くなって即引退。ノーマルがハートルーザーになんて、俺には――」
ザックがちらりと横へ視線を向けると、クレアがグラスを傾けていた。酔った流れで聞くには話が重かったか、上がっていた口角も横一文字に結ばれている。
「ごめん、変な話になった。――怖くて辞めたなんて情けない話だろ。だから、あんまり人に話さないんだ」
「情けないだなんて思わないよ。……怖くて、当然だと思う」
ザックは自身のグラスを空にして立ち上がる。
「ありがと。そんな俺がこんな物騒な仕事をしてるんだ、人生は何が起こるか分からない。――そういえば、キスタドールの逃げた四人って誰だったっけ。もう捕まった?」
ノーマン、ルース、マーセイディズ、そしてアラン。
ザックは自ら尋ねた四人の名前を順番に胸中で唱える。捕まっていないことも知っているのに小首を傾げた。
クレアはそんなザックを、アルコールで熱くなった視線で見上げた。
「名前は――すぐには出てこないけど、捕まってないんじゃなかったかな……。気になるなら調べてあげようか? 手持ちの資料に名前くらいあった気がする」
「ううん、話の流れで聞いてみただけ。聞いてもすぐ忘れちゃいそうだし。――さあて、そろそろお開きにしようか。水を持ってくる。大丈夫?」
「うん、大丈夫」
そう言いながらもクレアの瞳はとろんとしている。ザックはそこに笑顔を向けてから、酔いの欠片も見せない足取りで階段を降りていった。
「クレア、もう少し気を付けて」
ぼんやりとした頭で、クレアは瞬きを繰り返す。飲みすぎたワインのせいか、頭が働かない。
「男の前でそんなに酔うのも、その男のベッドで寝るのも、無防備過ぎない?」
大きく骨の固さがある手に髪を撫でられ、目を細める。
「ねえ、クレア。聞いてもいいかな。――アランを探してるのは、誰?」
ふわふわと浮かぶような意識の中、彼女は薄く口を開いた。
「んー……。ノーマン、さん……」
「そう。――彼は、キスタドールの?」
今度は頬を触られ、暖かさに目を閉じる。浮かぶ思考がゆったりと闇色に沈んでいく。
「うーん……。ノーマンさん、私の、上司で……」
「そう、分かった。――ありがとう。おやすみ」
額に触れた柔らかい感触に、彼女はもぞりと布団に潜り込んだ。
「それと、ごめん。これからは男にもっと気を付けて。――こうやって、水に薬を混ぜる男だっているんだしさ」
【ワインに酔って】




