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Heart Loser  作者: Nicola
61/125

61 Man And Woman

「あの日、何があったかって聞いちゃ駄目な話?」

 クレアがマグカップの中をスプーンでぐるりと混ぜた。砂糖が作り出していた陽炎が消えてなくなる。

「君ならとっくに調べてると思った」

 ザックが甘くない紅茶を喉の奥へ押しやってから笑う。

「……セミチェルキオで何人も亡くなったのは、新聞でもラジオでも。テリーがそれに巻き込まれたかもって想像は出来るけれど、こそこそ探りたくなかったから」

 クレアが苦い笑みを浮かべながらクッキーを摘んだ。なんとなく外へ目を向けると、先程までやんでいた雪がまた降り始めている。

 ザックは少し悩むように紅茶を見つめ、片肘を突いて微笑した。

「――本当は、セミチェルキオが巻き込まれた側」

「え? 私、てっきり……」

「テリーが誰かに追われてるってハルが言ってただろ。その誰かさんがセミチェルキオでも大暴れした結果」

 思い出してだけでもぞっとするあの日の光景に、ザックは鳥肌の立った腕をさすった。



 コツと窓に何かがぶつかる音がして、マーサはそちらへ顔を向けた。

二階の自室に何かがぶつかることは殆どない。怪訝に思いながら、半開きだったカーテンをさっと開く。

「――テリー」

 マーサは思わず呟いて、慌てて窓を開けた。日当たりの悪い裏庭から小さな石を投げたのか、テリーがぽつんと立ってこちらを見ている。上から声をかけようとして、テリーが人差し指を唇に当てていることに気付いた。

そのまま黙って様子を窺っていると、彼は彼女を追い払うように手を振る。それに従って数歩下がると、彼はどこを足場にしたのか、左腕一本で窓枠を掴んで入ってきた。

器用に、だが強引に入室を果たしたテリーは左肩をぐるりと回して「左一本じゃ流石におめェな」と自身の体に文句を言った。

「どうしてそんなところから……? お昼を食べてから来るんじゃなかったの」

 困惑を隠せないマーサの腕を、テリーが掴んで引き寄せた。そのまま胸に彼女を収め、腰に手を回して抱きしめる。

「――あァ、マティ。お前はあったけェなァ」

 マーサは大きく息を吐いて、彼の背中に手を回した。頬と頬をひっつけて目を閉じる。

「君も、あったかい」



「犯人が誰か分からないって……。怖くないの? またテリーに何があるか分からないのに……。不安じゃない?」

 ザックは包丁を持っていた手を止めた。隣で玉ねぎを剥いているクレアを見下ろす。他愛もない世間話の合間、彼女はこうやってあの日にそろりと触れてくる。特に不審なところもなく、彼女は純粋にテリーのことを案じているようだった。

「不安だし、怖いさ」

 眉尻を下げたザックが再び包丁を動かし始めた。クレアが剥いた玉ねぎを薄く透けるように切って水にさらす。

「誰なのかも、目的も分からないなんて……嫌じゃない?」

「まさかこの間みたいに調べようとしてない? ――もしそうならやめて。君に何かあったらどうするのさ。テリーが逃げきれないハートルーザーなんて普通じゃない」

 ザックがそこまで一気に言葉にし、奥歯をぎゅっと噛み締めた。透けない玉ねぎが水に沈む。

「……これ以上何も起きないなら、それでいい。テリーがあんな目に合うなんて、もうごめんだ」



 カーテンを閉め切った部屋で、簡単な昼食を取ったテリーはベッドに腰掛けていた。部屋を暗くしているため、サングラスはマーサの机の上だ。

「今度来る時は、ちゃんと門から入ってね」

「気が向けばなァ。今日はマティにしか会いたくなかったのォ」

 テリーがベッドに倒れ込んだ。ずきりと背中が痛んでも表情を変えず、右腕を庇うように上体をひねって横に向けた。垂れ下がった足を揺らす。

 彼のすぐ隣に座ったマーサはくしゃくしゃの髪に指を通した。引っ張らないよう気を付けながら、そっと何度も。

「ねえ、テリー。クレアさんの話は分かったけれど……。今日、わたしにしたい話ってそれじゃないでしょう。どうしたの」

 マーサもゆっくりと倒れ込む。テリーの背中にそうっとくっつき、彼のうなじに額を押し付けた。右腕に触れないようにしながら、胴に優しく腕を回す。

「わたしにしか言えないことだから、来たんでしょう」

 テリーは背中にかかる温かい息にくすぐったさを感じながら、瞼を半分ほど下ろす。

「マティ。……お願いがあんの」

「うん」

 小さく呟いたテリーが少し背中を丸めた。

 マーサもそれをなぞるように体を曲げる。

「僕はもっと強くならなくちゃいけねェ。このままじゃ、ザックを守れねェから」

「……うん」

 マーサの手に力がこもり、腹にじんわりと熱を移してくる。温かい腕を、テリーは左手で優しく撫でた。

「マティ。だから、僕を――」



「やだ、すごい雪」

「そんなに? ――ああ、本当だ。この天気じゃテリーは帰ってこないかも」

 小さな窓の外をザックとクレアが仲良く眺めていた。

「そんなあ……。せっかく美味しいチョコレート買ってきたのに……。プレゼント渡したかったな。――ねえ、テリーに渡してくれる? これ以上吹雪く前に帰らなくちゃ」

 クレアが窓から離れ、ザックはそれを視線で追う。彼女が大きなバッグから小さな箱が取り出す。

「……あのさ」

 ザックが背中の窓枠に手を突き、首を傾げた。

「泊まっていかない?」

「え?」

 彼の背中で揺れた髪が、そわそわと落ち着かない。

「テリーなら朝一で帰って来ると思う。手渡ししたいなら、それが一番早いかも。――それに、ええと」

 片手で体を支え、もう一方で頬をかく。

「その、テリーがいないと俺も寂しいしさ」



「……何にするか、決まってる?」

 マーサの凍った湖のように静かな声に、テリーは更に体を丸めた。

「ん。――ボスと、一緒」


【男と女】

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