61 Man And Woman
「あの日、何があったかって聞いちゃ駄目な話?」
クレアがマグカップの中をスプーンでぐるりと混ぜた。砂糖が作り出していた陽炎が消えてなくなる。
「君ならとっくに調べてると思った」
ザックが甘くない紅茶を喉の奥へ押しやってから笑う。
「……セミチェルキオで何人も亡くなったのは、新聞でもラジオでも。テリーがそれに巻き込まれたかもって想像は出来るけれど、こそこそ探りたくなかったから」
クレアが苦い笑みを浮かべながらクッキーを摘んだ。なんとなく外へ目を向けると、先程までやんでいた雪がまた降り始めている。
ザックは少し悩むように紅茶を見つめ、片肘を突いて微笑した。
「――本当は、セミチェルキオが巻き込まれた側」
「え? 私、てっきり……」
「テリーが誰かに追われてるってハルが言ってただろ。その誰かさんがセミチェルキオでも大暴れした結果」
思い出してだけでもぞっとするあの日の光景に、ザックは鳥肌の立った腕をさすった。
コツと窓に何かがぶつかる音がして、マーサはそちらへ顔を向けた。
二階の自室に何かがぶつかることは殆どない。怪訝に思いながら、半開きだったカーテンをさっと開く。
「――テリー」
マーサは思わず呟いて、慌てて窓を開けた。日当たりの悪い裏庭から小さな石を投げたのか、テリーがぽつんと立ってこちらを見ている。上から声をかけようとして、テリーが人差し指を唇に当てていることに気付いた。
そのまま黙って様子を窺っていると、彼は彼女を追い払うように手を振る。それに従って数歩下がると、彼はどこを足場にしたのか、左腕一本で窓枠を掴んで入ってきた。
器用に、だが強引に入室を果たしたテリーは左肩をぐるりと回して「左一本じゃ流石に重ェな」と自身の体に文句を言った。
「どうしてそんなところから……? お昼を食べてから来るんじゃなかったの」
困惑を隠せないマーサの腕を、テリーが掴んで引き寄せた。そのまま胸に彼女を収め、腰に手を回して抱きしめる。
「――あァ、マティ。お前はあったけェなァ」
マーサは大きく息を吐いて、彼の背中に手を回した。頬と頬をひっつけて目を閉じる。
「君も、あったかい」
「犯人が誰か分からないって……。怖くないの? またテリーに何があるか分からないのに……。不安じゃない?」
ザックは包丁を持っていた手を止めた。隣で玉ねぎを剥いているクレアを見下ろす。他愛もない世間話の合間、彼女はこうやってあの日にそろりと触れてくる。特に不審なところもなく、彼女は純粋にテリーのことを案じているようだった。
「不安だし、怖いさ」
眉尻を下げたザックが再び包丁を動かし始めた。クレアが剥いた玉ねぎを薄く透けるように切って水にさらす。
「誰なのかも、目的も分からないなんて……嫌じゃない?」
「まさかこの間みたいに調べようとしてない? ――もしそうならやめて。君に何かあったらどうするのさ。テリーが逃げきれないハートルーザーなんて普通じゃない」
ザックがそこまで一気に言葉にし、奥歯をぎゅっと噛み締めた。透けない玉ねぎが水に沈む。
「……これ以上何も起きないなら、それでいい。テリーがあんな目に合うなんて、もうごめんだ」
カーテンを閉め切った部屋で、簡単な昼食を取ったテリーはベッドに腰掛けていた。部屋を暗くしているため、サングラスはマーサの机の上だ。
「今度来る時は、ちゃんと門から入ってね」
「気が向けばなァ。今日はマティにしか会いたくなかったのォ」
テリーがベッドに倒れ込んだ。ずきりと背中が痛んでも表情を変えず、右腕を庇うように上体をひねって横に向けた。垂れ下がった足を揺らす。
彼のすぐ隣に座ったマーサはくしゃくしゃの髪に指を通した。引っ張らないよう気を付けながら、そっと何度も。
「ねえ、テリー。クレアさんの話は分かったけれど……。今日、わたしにしたい話ってそれじゃないでしょう。どうしたの」
マーサもゆっくりと倒れ込む。テリーの背中にそうっとくっつき、彼のうなじに額を押し付けた。右腕に触れないようにしながら、胴に優しく腕を回す。
「わたしにしか言えないことだから、来たんでしょう」
テリーは背中にかかる温かい息にくすぐったさを感じながら、瞼を半分ほど下ろす。
「マティ。……お願いがあんの」
「うん」
小さく呟いたテリーが少し背中を丸めた。
マーサもそれをなぞるように体を曲げる。
「僕はもっと強くならなくちゃいけねェ。このままじゃ、ザックを守れねェから」
「……うん」
マーサの手に力がこもり、腹にじんわりと熱を移してくる。温かい腕を、テリーは左手で優しく撫でた。
「マティ。だから、僕を――」
「やだ、すごい雪」
「そんなに? ――ああ、本当だ。この天気じゃテリーは帰ってこないかも」
小さな窓の外をザックとクレアが仲良く眺めていた。
「そんなあ……。せっかく美味しいチョコレート買ってきたのに……。プレゼント渡したかったな。――ねえ、テリーに渡してくれる? これ以上吹雪く前に帰らなくちゃ」
クレアが窓から離れ、ザックはそれを視線で追う。彼女が大きなバッグから小さな箱が取り出す。
「……あのさ」
ザックが背中の窓枠に手を突き、首を傾げた。
「泊まっていかない?」
「え?」
彼の背中で揺れた髪が、そわそわと落ち着かない。
「テリーなら朝一で帰って来ると思う。手渡ししたいなら、それが一番早いかも。――それに、ええと」
片手で体を支え、もう一方で頬をかく。
「その、テリーがいないと俺も寂しいしさ」
「……何にするか、決まってる?」
マーサの凍った湖のように静かな声に、テリーは更に体を丸めた。
「ん。――ボスと、一緒」
【男と女】




