60 Cleavage
ザックが裏口を開けると、それを今かと待っていたクレアが体を乗り出してきた。思わず上体を反らせる。「お、はよう」とザックが挨拶をするが、クレアはそれどころではないらしい。珍しく挨拶も返さず、彼女は彼の後ろを覗き込む。
「ザック、テリーは? 大丈夫なの? だって、ずっと入院してたのに昨日は仕事だって言うし……。何もなかった?」
昨日、テリーの退院を知らされてすぐに会えなかったからか。クレアの心配は絶頂に達しているようだった。
「昨日は特に問題もなかった。テリーも元気にしてる。……ええと、とりあえず中に入って。寒いだろ?」
ザックがわざとらしく腕をさすると、クレアがはっとして頭や肩の雪を落として中へ入った。
「ご、ごめんなさい! 私、走って来たから暑いくらいで……」
頬が赤いのは化粧以上に血色が影響しているらしい。クレアは中に入ってすぐにコートを脱いだ。
ザックは頬を上気させた彼女を連れて二階へ上がり、途中でテリーの部屋へ「出ておいで」と声をかけた。しかし、テリーからは反応がない。
「テリー、もしかしてまだ寝てる? 寝てるなら起こさなくても……」
「ううん、もう起きてる。着替えてるんだと思う」
リビングに到着したクレアが「それならいいんだけど」とそわそわと落ち着かない。
ザックは微苦笑して彼女の肩に触れた。感情がすぐに浮かぶ瞳がこちらを見る。
「心配してやってくれてありがとう。テリーにもう一回声をかけてくる。待ってて」
「あ、その、別に慌ててるわけじゃないから……!」
「そう? すぐにでも会いたいって顔してる。テリーが羨ましいな」
さらりと付け足した一言に、クレアがきょとんとした表情になった。ザックはそれから逃げるようにリビングを出て、テリーの部屋をノックなしに入る。
「テリー? クレアに顔くらい見せたら?」
「あァ? 分かってる分かってる。それよりザック。これ、前止めて」
ザックの予想通り、テリーは着替えの真っ最中だった。左手だけではパーカーの前を止められず四苦八苦していたようだ。
「……お出かけ?」
テリーが部屋着ではないことに気付き、ザックの眉間に皺が寄る。特に仕事は入っていないが、クレアが来るとは伝えてあるし、出る予定があるとも聞いていなかった。
「ん。マティんとこ。――馬鹿女と二人にしてやる。僕が馬鹿女の相手してると、てめェが気を使って白黒つけられねェだろ」
ザックがパーカーをしっかり閉じてやる。しかし、視線はそのファスナーで止まったままだ。
テリーは何も言えずにいるザックを無視してワークキャップを被る。
「……白黒云々を抜きしたって、僕がいねェ方が話しやすいだろ。――ザック、もし馬鹿女が手ェ出してきたら容赦するんじゃねェぞ。てめェが生きてるなら僕が仕返ししてやるけど、てめェが死んだら誰かさんも無駄に死ぬぜ」
テリーが胸元にぶら下がったマーサからのネックレスと壊れた銀の懐中時計を確かめるように触れた。
「それが嫌なら何があっても生きてろよ。それなら僕はてめェを守ってやる」
「……分かってる。だけど」
「分かってるならいい」
落ちていた厚手のコートを拾い上げたテリーは、俯いているザックを部屋に置いて出ていった。
ザックは一人残された部屋で、埃っぽい空気を肺いっぱいに吸い込む。
「分かってないのは、君だ」
吐き出した息は、埃をまとって重く沈んでいった。
ザックがリビングへ入ると、テリーは喋り倒すクレアにうんざりした顔をしていた。
クレアにはテリーの入院は伝えていても怪我の程度は何も知らせていなかったので、彼女は吊られた彼の右腕に目を白黒させている。
「本当に大丈夫? 他に怪我もあったんじゃ……? もう動いて平気なの?」
テリーは相槌も打たず、不機嫌そうに目線を外している。
クレアの一方的な会話とも言えない会話に苦笑したザックが手を伸ばし、テリーの首にマフラーを巻いた。二人の視線が揃ってザックに向く。
「大丈夫じゃないなら退院してないさ。……テリー、君ももう子供じゃないだろ。黙ってないで何か言ったら?」
「馬鹿女がうるっせェ」
シンプルな苦情に、クレアは質問攻めをしたことに気付いて頬をかーっと赤くした。
「ご、ごめんなさい! だって、ザックってば全然教えてくれなくて……。私、すごく心配して――」
クレアが俯いている間、テリーはサングラスの奥深くで目を細めて彼女を睨んでいた。
ザックはクレアがその鋭い視線に気付く前にと、テリーのワークキャップをつついた。
テリーが黙ったままザックへ顔を向ける。
「……マーサと約束してるんだろ。行っておいで」
ザックのあからさまな誘導に、テリーは鼻を鳴らしてから首肯した。
「テリー、出かける予定だったんだね……」
「呼んでおいてごめん。俺もさっき知ったんだ。――テリーがいないなら帰る?」
「え? あ……どうしようかな」
クレアが困ったように首を傾げたので、ザックは「お好きにどうぞ」と微笑した。いてくれると嬉しい、とは口に出さない。
「ええと、テリー。何時くらいに戻ってくる? それまで待っててもいいなら――」
リビングから出ようとしていたテリーが背中にかけられた言葉に立ち止まった。振り返りもせず、左手を上げて何本か指を立てて揺らす。
「晩飯の頃には戻るって」
「……あれで分かるの?」
おおよその時間を手で伝えてきたテリーが、ザックの言葉を肯定するように手を、ぐ、ぱ、と握っては開く。
「まあ、あれくらいなら一応。――テリー、行ってらっしゃい」
「行ってらっしゃい。……ええと、じゃあ日が沈むくらいまではここにいるから――」
彼は黙ったまま手をひらりと振り、その手でリビングの扉を乱暴に閉めて出て行った。
静けさが閉じ込められた部屋で、クレアがザックを見上げた。
「……テリーってマーサちゃんのところによく行くの?」
「ううん。前みたいに用事がない時は滅多に行かない」
ザックもテリーがマーサと何の約束をしたのか、検討もつかない。クレアから離れるのが目的で、本当に約束をしているかどうかも怪しい。
クレアは「そうなんだ」と小さく頷いた後、少し寂しそうにはにかんだ。
「遅くなっちゃったけど、誕生日プレゼント持ってきたのにな……。渡せる雰囲気じゃなかったね」
【亀裂】




