57 Discharge
「っはーァ、やっぱ外は寒ィなァ」
厚い雲に覆われた空からは雪が降ってきていた。
「俺とハルのプレゼントが役に立っただろ」
その雪の下にはザックとテリーが立っている。
テリーの右腕は首から吊られた状態だが、ようやく退院となった彼の機嫌は上々のようだ。被ったニット帽を見上げるように瞳を持ち上げ、左手ではマフラーの端を摘む。
「趣味悪ィんだよ、てめェら」
「俺とハルを一緒にしないでくれる? 俺のマフラーは普通だろ」
道の脇に積まれた雪は溶けず、何日も何日も残ったままだ。今も雪は二人が作り出す足跡を消し去ってしまおうとせっせと降っている。
「僕がこの色嫌ェなの知ってんだろ、ボケ」
「そうだっけ?」
「その顔、腹立つッ! 覚えてただろ、くそったれ!」
大きな飾りが付いたニット帽と赤のマフラーを装備したテリーは、左手でザックの背中を軽く叩く。
ザックは叩かれた背中を自らさすりながら「そこからは顔が見えないだろ」と笑った。
「退院おめでとう」
ザックは座っているテリーの真ん前にプディングを置いた。彼にスプーンを差し出すと、待ってましたと言わんばかりにすぐ受け取る。
「ご褒美があるんなら怪我も悪くねェな」
「そんなこと言うならあげない」
テリーのスプーンが空気をすくった。彼はプディングを没収したザックとスプーンの先を交互に見つめ、不機嫌そうに口をへの字に曲げる。
「冗談だろ、バァカ」
「言っていい冗談と悪い冗談がある」
ザックがテリーを真似するように唇を歪める。
そのテリーは何も乗っていないスプーンを咥え、左手で頬杖を突いた。スプーンの柄をぴょこぴょこと揺らしながら右頬を吊り上げた。
「怒ったァ? 相棒ちゃん」
「怒ってない。呆れただけさ」
ザックはテリーにプディングを改めて差し出し、わざとらしいため息をついた。
テリーは目の前のプディングを左手でぎこちなくすくう。
「ちぇ。久々に怒ってもいいぜェ? 前みてェにベレッタ突きつけてさァ」
「どうしてようやく戻ってきた君を早々に怒鳴りつけなきゃいけないのさ」
ザックが心底呆れた声を出すので、テリーはプディングをすくった状態でげらげらと笑った。手が揺れ、スプーンからつるりとプディングが落ちてしまう。
テリーはテーブルでへちゃげているプディングを左手で摘もうとしたが、指先に甘さがへばりつくだけだった。彼が再挑戦する前に、ザックが布巾でさっと拭き取り、反対の手で彼の眉間を弾く。
「落ちたものまで食べないで。プディングならたくさん作ってあるし」
テリーが「じゃァあと五つ」とにやつくが、ザックは「食べ過ぎ」と要求を却下する。
「まったくもう。……さて、君がプディングに苦戦してる間にみんなに連絡しようかな」
「ええェ? 電話なんて明日でいいだろ」
プディングを飲み込んだテリーはスプーンでコツコツとテーブルを叩いた。
「今日のてめェは行儀よく僕ん前に座ってりゃいいの。電話なんてかけて僕のこと放置するつもりかよ、あァ?」
ザックが電話に向いていた顔をテリーに戻すと、彼は満足気に笑う。
「そういうわけにも……。みんな君のことを心配して――」
「久々にお家で二人きりなんだぜェ? 無駄な時間を使うんじゃねェよ、ボケ」
「連絡は無駄じゃないだろ……」
そう言いながらもザックは周囲への連絡を明日へ回したらしい。テーブルに肘を突き、テリーが左手だけでどうにかプディングをすくっているのを眺める。
「……明日さ、クレアにも連絡していい?」
「ザックゥ、この残り食わせてェ?」
ザックはテリーから殆ど空になったカップとスプーンを受け取り、砕けたプディングの欠片をスプーンに乗せた。
「話を逸らさないで」
ザックは顔をしかめながら、大口を開けて待機しているテリーへスプーンを突っ込む。
「……ん。てめェはあの馬鹿女のことどう思ってんだよ」
プディングの欠片たちを噛まずに飲み込んだテリーが頬杖を突いた。
「俺は……この件には、関係ないって思いたい」
自分に言い聞かせるように呻いたザックは指を組んで額を押し当てた。
「君が入院してる間はなるべく会わないようにしてた。だけど、会った時は本当に君を心配していた。……もし、彼女がキスタドールに関係するなら、俺はとっくに襲われてるんじゃない? 曲がりなりにも君のパートナーなわけだし」
「僕ん中じゃァあの馬鹿女は黒だぜ。てめェは気に入ってるみてェだけどォ」
テリーはむっとしながら、足を組んで背もたれに体重をかけた。
「匂いも声も気になるんだよなァ……。くそ、思い出せねェのが気持ち悪ィ」
「……君が覚えてる匂い、か。誰かと勘違いしてるとかは?」
彼女のよく通る高すぎない声。シャワー後で化粧も何もかもが落ちたまっさらな匂い。
それらが上手く記憶と結びつかず、テリーは低く唸る。
「簡単に思い出せるんなら勘違いかどうかもすぐ分かるんだけどな。……脱がしちまってゲートのあるなし確認するのが手っ取り早いんじゃねェの」
「やめて、本当に」
ザックの間のない拒否にテリーは鼻を鳴らす。
「ルースは遊びに来たんじゃねェんだぞ、ボケ。アランの名前が出てきた。僕がアランを知ってるって分かった状態で、だ。僕とアランのことを知ってんのはてめェと――マーサと――」
テリーの人差し指が、ザックとズワルト孤児院の方を順番に指し、最後にクレアが泊まっているホテルの方向を突き刺す。
「あの馬鹿女。――てめェとマーサがあんな話をよそに漏らすわけがねェ。じゃァ? 馬鹿女が漏らさねェなら誰が漏らすっつうんだよ、くそったれ!」
ぐわりと急激に声量を上げて怒鳴ったテリーに、ザックはびくりと肩を揺らした。サングラスの奥から届く視線が痛い。
「僕がてめェなら、あの女殺して来いっつう命令を僕に出すぞ! ボケ!」
ザックは内臓が抉られた気がして、溢れる出る腸を閉じめるように腹を押さえた。
「……俺は、そんなことしない」
腸からどうにか引きずり出した言葉は、ザックの意思と反して弱く掠れていた。
「そォだろうな」
怒鳴り声は作り物だったのか、テリーはあっさりと熱を冷ました。甘い唇を舐め、足を組み替える。
「てめェが出来ねェのも、白黒つけられねェのも分かってて言ってる」
ザックは俯いて腹から手を離して指を組む。
「……もちろん、俺も黒に近いグレーだとは思ってる。だけど、彼女がキスタドールと繋がっているなんて、思えなくて」
テリーがザックの足をテーブルの下で軽く蹴った。
「思えねェんじゃなくて、思いたくねェだけだろ、バァカ」
「そうかも。――だけど、少なくとも直接は関係してないんじゃないかと思ってて。なかなか退院しない君をずっと心配していたのは嘘じゃないと思うんだ」
ザックはテリーに何が起きたのかをクレアやハルたちに一切説明していない。そんな伏せられた状況に困惑した様子で、テリーを気にかけていた彼女の表情や言動は嘘に見えなかった。
「てめェが持ってる好意を抜きにしても?」
テリーが鼻で笑う。
ザックが顔を上げ、場違いな笑みを浮かべた。
「さあ、どうだろ」
掴めない、淡い回答。
テリーは舌打ちをしてから、ザックの笑みから顔を背けた。空の容器を揺らしてプディングのおかわりを要求しながら、右頬を吊り上げた笑みを顔に貼り付ける。
そして、壁を睨みつける。
「……好きにしてろよ、色ボケ。もし何かがあってもてめェは僕が守ってやる」
【退院】




