55 Seal With Blood
「ええェ? こんだけェ? もォ終わりかよォ」
「……怪我人がそんなに食べるって、誰が思う?」
ザックが持ってきた二切れのチョコレートケーキはあっという間にテリーの胃袋へ収まった。
大怪我をしたテリーの胃がチョコレートケーキを受け入れるのかと心配していたザックと担当医をよそに、当人は「もっと食いてェ」と文句を言っていた。
「食わなきゃ治るもんも治らねェぜ」
その食事の栄養面は考えないのか、とザックは言いたくなったが口に出すのはやめた。この手の話は平行線になるのが分かっている。
指についたチョコレートを舐めたテリーが「まるまんま持ってくるんじゃねェのかよォ」と文句を言ったが、ザックはまだ半分以上残っているケーキを思いながら無視した。
賑やかに食べる予定だったそれは冷蔵庫の中でもう少し先の腐敗を待っている。
ザックはチョコレートケーキを入れてきた容器を片付け、ベッドサイドテーブルの花瓶をどけた。置きっぱなしになっていた茶色の封筒を引き出しに仕舞ってから、その下にある紙をひらりと揺らす。
「これ、読んだ?」
「んァ? あ、読んでねェ」
テリーが存在を忘れていたそれに左手を伸ばす。
「ボスんプレゼントっつってたっけ……」
半分に折られたそれをテリーがもたつきながら開き、ぼやけた視界の中で文字をなぞった。首を傾げる。
「あァ? これ、ボスとの契約書じゃねェの? 見たことあるぜ、こういうの」
テリーは紙面の雰囲気で判断し、ザックに不思議そうな顔を向けた。彼も契約内容は頭に入っているはずだ。
「……うん。だけど、中身が違う。血判もセドリックさんしかないだろ?」
テリーが目をぱちくりさせながら下部のサインに目を落とす。
「あァ、ほんとだ。――んァー……字が細けェな。ザック、読んでェ?」
チョコレートのように甘えた声と共に、一枚の紙切れがザックの手に戻った。テリーはザックの「これくらい読めるだろ」という文句を無視してクッションへもたれかかる。
「――契約内容の、追記について」
ザックは内容について一言でそう伝えてから、中身に目を落とす。
読まずとも中身は頭に入っている。文字をなぞるまでもなく、口から言葉が溢れる。
「全員の血判が揃った時に、以下の契約を有効にすること。――誰かが死んだ場合、全員が契約を破棄すること。それまでに出された命令もその時点で終了すること。最後に……死んだ人の言葉には、縛られないこと」
感情を込めず、さらりと言い終わる。
ザックはテリーを見ないようにしていた視線を、ゆっくりと上げた。テリーのしかめっ面がそこにある。
「……なんで、てめェのサインも血判もねェんだよ」
テリーが契約に従うことを嫌うザックからすれば、この新しい追加の契約は望んでも手に入らなかったもののはずだ。誰よりもこの契約を望むはずの彼がサインも血判もしていない。
「君は押さないんだろ」
「当たり前だろ、くそったれ。死ぬなんて……そんなもん」
むすっとした表情になったテリーが窓の方へ顔を向けた。
ザックは口止めされているセドリックの事実と、テリーの機嫌の悪さに困ったように表情を歪める。手紙にはもう会えないことは書かれていても、命を断つ日のことまでは書かれていなかったようだ。テリーはセドリックが既に死んだとは思ってもいないし、例え死んだと知ってもこの契約には同意しないだろう。
セドリックと繋がっていた証を彼が捨てられるとは思えなかった。
「てめェがオネガイするなら押してやる」
「もう……、すぐにそういうこと言う。お願いなんてしないさ」
ザックは契約書を開いてベッドへ置く。ウエストポーチからハンカチとペン、そしてベルトの裏側に隠してある小さなナイフを取り出した。
破らないよう気を付け、契約書にサインを走らせる。
窓の方を見ていたテリーがザックの動きに気付いて顔を向けると、僅かな血の匂いが鼻をかすめた。
ザックの親指に血が滲んでいる。
テリーが黙って見守る中、契約書に赤が移る。
ベッドの上で押したため親指に合わせて皺が寄り、サインもぐらぐらと不安定だ。
「――君の答えを確かめてから押そうと思ってたんだ」
新鮮な赤が滲んだ契約書を、ザックは広げたままベッドサイドテーブルに置いた。風に盗まれないよう、空の花瓶で端を押さえる。
「後は君だけだ。君が押したいって本当に思った時に押して」
ザックが血が染み込んだハンカチをウエストポーチに戻す。指先からはまだ血がぷっくりと溢れているが、彼は気にせずまっすぐテリーを見ている。
「これはお願いなんかじゃない。命令だ」
ザックの言葉に、テリーが目を見開いた。
「――君は、君の意思だけで、血判を押すか否かを決めろ」
血判が乾いた契約書は手紙や懐中時計と同じ、ベッドサイドテーブルの引き出しに仕舞われた。
「てめェが命令だってはっきり言ったの、初めてだな」
帰る用意をしているザックを見ながら、テリーは顔の傷を親指で強くなぞった。
「普段は契約のことを口に出すのも嫌がるくせに」
ザックはにっこりとお手本のように笑い、テリーに手を貸してベッドへ寝かせた。布団を掛け、柔らかな胴の辺りを軽く叩いた。
「気分がいいのさ」
「はァ?」
コートを羽織ったザックは微笑んだまま椅子を折り畳んで壁に立てかける。
「今朝、君が俺のことを偽物じゃないって言ってくれた。だから、気分がいいのさ。嫌なことを言っても気にならないくらいに」
「……あ、そ。変なやつ」
テリーがサングラスを外し、枕元に置いた。目を閉じ、ひらりひらりと左手を振る。
「明日も来るんだろ」
「うん。明日は昼すぎかな。君がそんな調子じゃあ、配達屋も暫くお休みだ」
ザックがわしゃりと灰色の髪を撫でると、テリーはその手を鬱陶しそうに振り払った。
ただ、口元は緩んでいる。
「良い休暇をォ」
「君こそ。――ああ、そうだ。明日は俺とハルのプレゼントを持ってくる」
「プレゼントもいいけど、ケーキィ」
ザックが微笑みに呆れも混ぜて頷く。
「傷んでなければ持ってくる。――それじゃ、また明日。大人しく寝ていて」
「あーい」
だらけきった返事をしたテリーはもぞもぞと体を動かし、布団を口元まで被せた。
【血判】




