54 Love Addict
ザックはうろうろと何度か扉の前を通り過ぎ、ようやく立ち止まった。
テリーに手紙を渡した後、着替えと一緒に余ったケーキを――担当医には「食べられるならいいけれど……」と渋い顔をされたが――持ってきていた。
担当医は患者である怪我人テリーがケーキを食べたいと言ったことにも相当呆れた様子だったが、それ以上に「あの怪我であんなに動こうとする患者は初めて」と困った顔をしていた。
あまり動かないよう言っておこう、とザックはこの後に待ち構えている話題から意識を逸らしていた。担当医からの注意事項に、入院費に、配達屋の仕事に、あれやこれ。
逸らした結果、頭をよぎる内容も大して明るい話題はなく、ザックは大きなため息を扉にぶつけた。
「……何突っ立ってんだよ、ボケ」
ため息がノック代わりになったのか、テリーの冷ややかな声が中から聞こえた。
ザックはもう一度だけ小さく息をついて、扉を開く。
「さっきから行ったり来たり何やってんだよ。とっとと入りゃあいいだろ、くそったれ」
ザックが部屋を出てからずっと座っていたのか、テリーは変わらない姿勢で顔をしかめていた。その彼の布団の上には、手紙が封筒に戻された状態で置いてある。
「……まだ、読んでるかもしれないと思って」
「何回読み返せっつうんだよ、バァカ。――でェ? てめェは病室でもそォやって突っ立ってんのかァ?」
テリーが手招くので、ザックはそれに従って椅子にコートを掛け、腰を下ろした。
そのザックへ、テリーが空気を切るようにして封筒を投げつける。突然のことで、ザックが上手く受け止められず、封筒は足元へ落ちた。
開いた封筒からは手紙がはみ出している。
「ごめん」
「別にいい。読み終わった手紙なんてごみみてェなもんだろ」
感情を押し殺したテリーが顔を窓へ向けた。眩しいからと言ってカーテンを閉めても看護師がご丁寧に毎回開けていってしまうので、根負けした結果そのままだ。
「……手紙」
「うん?」
テリーは窓に映っているザックに向けて囁く。
「てめェも読んでいいぜ」
手紙を拾ったザックは丁寧に封筒に入れ直す。それをベッドサイドテーブルに置いた。
「君とセドリックさんの大事なものだろ。読まないさ」
空っぽの花瓶で手紙を押さえようとして、今朝病室を出る時に置いていった紙がそのままになっていることに気付いた。
ザックはその紙に封筒を重ねて、改めて花瓶を置く。それからテリーへ視線を戻すと、彼はいつの間にか膝を立てていた。窓へ向いていた顔を膝頭に押し付けている。
「……ボスの、病気んこと、書いてあった。もう会うつもりも、ねェって……」
「そっか」
手紙の内容をぽつりと零したテリーが膝を抱える指先に力を込めた。
「それと、セミチェルキオにいた時はよくやったって。これからも、上手くやれって」
「そう」
テリーの声が、少しずつ少しずつ小さくなっていく。
「――あと」
小柄な背中が、更に小さくなったような気がした。
「あと、……愛せなくて、ごめんって……」
「……そう」
テリーの肩が震える。
ザックは椅子から腰を上げ、ベッドの端へ座り直した。安っぽいベッドが大人二人の体重に異議を唱えて軋む。
「じゃァ、今までのって、なんだったんだよォ……」
ベッドの意見を無視したザックは腰をひねってテリーへ上体を向け、彼の細い髪にゆっくりと指を通す。
「僕、僕は……だってェ、ボスしかいねェのに……。なんでェ……」
最期に随分な爆弾を放り込んでくれた。
そんなことを思いながら、胸中のセドリックを睨みつける。手紙はもう少し回復してからの方が良かったかと思うがもう遅い。
テリーが膝を抱えていた左腕をザックに伸ばした。ぎゅっと服を掴んで引っ張り、頭を押し付けた。
「ザックゥ……ごめェん……」
呻いたテリーが何かを振り切るように頭を振った。
「てめェがいるから、大丈夫だっつったのにィ……」
「うん」
「僕、やっぱり、ボスしかいねェのォ……! 僕なんかのこと、愛してくれんのは、ボスしかいねェからァ……!」
ザックは簡単な相槌も打てなくなり、その代わりにとテリーの背中を何度も撫でる。
「なんで……。僕が、もう、セミチェルキオじゃねェから? ファミリーじゃねェから、愛してくれねェの? ――だってェ、愛してるって……。ご褒美も、くれたのに……」
震えた声が「ボス……。僕を、愛してよォ……」と嘆く。
テリーが額でザックの胸に体重をかけるので、ザックはそれを支える手に力を込めた。背中をさすり、服を握ったままの彼の左腕をそっと握る。
「あの時、死んででも、ルースをぶっ殺してたら……愛してくれたのォ……?」
「テリー。そんなこと言わないで」
ず、とテリーが鼻をすする。
「――なァ。ザック」
小さな小さな呼びかけに、ザックはぐっと首を下げて耳を寄せる。
「僕は……てめェのためになら死んだっていいから。てめェのために死ぬなんて、なんにも怖くねェから……」
ザックの顔がぎゅっと、震えるほど強く歪む。
「そんなこと、言わないで」
「だから、だからさァ……! 愛してよォ! 僕んこと、ボスみたいに愛してェ……! ちゃんと、ちゃんとてめェのために死ぬから――」
「違う。テリー、そうじゃない」
握っていた左腕を押して、テリーを引き離す。思わず力の入ってしまった手から力を抜き、灰色の頭を見下ろした。
「そんなの、間違ってる」
テリーが顔を上げる。
ザックが涙で水玉模様を描いたサングラスを外してやると、テリーは金色の瞳を瞼に隠した。押し出された涙が、閉じた長い睫毛にじわりと溜まり、それは頬を、古傷をなぞって落ちていく。
「だってェ……。ザック、なんでェ……」
ザックはテリーの顔を両手で包むようにして支える。
「セドリックさんは愛のハートルーザーだ。あの人の愛は亡くなって、歪になっていた」
そして、見えない瞳をまっすぐに見つめる。
「亡くした感情は、記憶からも消えていく。だから、補いたいなら他の感情でどうにかしなきゃいけない。――だけど、どうやったって出来上がるものは偽物だ。俺の感情だって、死んで、とっくに歪になってる。偽物だ」
薄く、眩しそうに、金色の瞳が覗く。
「――きっと、セドリックさんは」
テリーはぼやけて揺れる視界の中、服を掴んでいる腕にぽたぽたと水滴が降ってくることに気付いた。手を離し、左手を持ち上げ、雨を降らせる雲へ手を伸ばす。
「本当に愛せなかったことを、悔いてたんだ。本当の家族のように、君を愛せなかったことを、ずっと悔やんでいたんだ……」
「ザック……?」
暖かな雲に伝う雨を、手の平でぐっと押さえる。目元を親指で撫でると、ザックは目を閉じた。もう一滴が、滑り落ちる。
「テリー、お願いだ。――簡単に死を選ばないで。そんなこと、言わないで……」
ザックが崩れるように、テリーへ覆い被さった。
テリーはしっかりと抱きしめてくる暖かさを支えながら、左手でザックの背中をさする。黒く長い髪が指に触れ、甘えるように指に絡む。
先程とはまるで逆の状況に、テリーはほんの僅かに笑った。
「――何度も、傷つけてごめん。もう言わねェよ……。てめェがいるから、大丈夫」
すぐ横にある黒い頭に、こつりと側頭をぶつける。慣れた匂いに、目を閉じる。
「なァ、ザック。……この体勢は、さすがの僕でも痛ェよ、バァカ」
「俺が泣くはずじゃなかった」
「知ってるゥ」
落ち着いたザックが両手で顔を覆って、足に肘を突いていた。その丸まった背中を見て、テリーはからりと乾燥した笑みを向ける。
「てめェも泣き始めるなんて誰が思うかよ。びっくりして涙引っ込んだっつうの」
ザックが指の隙間から灰色の瞳を覗かせ、ベッド上のテリーを見上げた。ザックは口元を手で隠したままだが、それが複雑に歪んでいることをテリーは知っている。
「だって……考えたら俺まで辛くなってきて。他人事じゃないと思ったんだ……」
「大丈夫。てめェの感情は偽物なんかじゃねェよ」
サングラスを外したテリーは目を閉じている。涙はもう流れていないが、鼻や目にその跡を薄っすらと残していた。
「だけど」
「僕がそう言ってんだからそうなんだよ、ボケ」
力強く言い切ったテリーは右頬を吊り上げる。頬の傷が歪み、彼に同調して笑っているようにも見えた。
「……あの日、言ったこと、後悔してる?」
ザックの重く湿気た問を、テリーは鼻を鳴らして吹き飛ばす。
「バァカ! んなこと聞くんじゃねェよ、僕の可愛い相棒ちゃん」
【愛して】




