46 Savior
「テリーが? 誰に?」
ザックとクレアが待っていたところへやって来たのはマーサとハロルドだけだった。肝心のテリーがいない訳を聞いたザックの顔色が変わる。
「それが、兄さんも分からないって。昼飯までに戻るからって言ってたんですが、方向が方向なんでどうも心配で……」
ハロルドが不安を追い払うように首を左右に振った。
リネアのテリトリーでは狙われることの多いテリーだが、セミチェルキオのテリトリーでは手を出してくる人間は殆どいない。普段ならなんてことない道で遭遇した追跡者にハロルドは不安を隠せないでいた。
「大したことないなら先に帰っててもおかしくないのに……」
マーサも不安を拭えずに「大丈夫かな……」としきりに指先を合わせている。
「……俺も心配だ。ちょっとセミチェルキオに連絡してみる。二人は好きなものでも飲んで待っていて」
ザックがキッチンを出ようとした時、二階からベルが鳴り響いた。一拍置いてから煙草屋の電話も同調して泣き喚く。
ザックはすぐに煙草屋の扉を開き、受話器を上げた。
「はい、配達屋。ご用件をどうぞ。――ああ、ドグさんですか。はい、ゼカリアです。丁度、俺も聞きたいことがあって」
恐怖を覚えるほどタイミングの良い電話に、足元の冷気が首筋まで這い上がった。
電話口のドゥーガルはザックの言葉を無視する形で先に要件を言い、それを聞いたザックは自身の尋ねたかったことが胃に落ちて溶けていくのを感じた。淡々としたドゥーガルの声にまともに相槌を打てないまま一方的に電話が切られる。
「……最悪の誕生日だ」
切れた電話にそう吐き捨てたザックが受話器を置いた。
「ザック、なんでしたか?」
マーサが恐る恐る顔を覗かせた。
「……セドリックさんから緊急の呼び出しだ。ついでに向こうの様子も窺ってくる。テリーと入れ違いになるかもしれないし、君たちは留守番を頼まれてくれる?」
「はい、分かりました。――気を付けてくださいね」
マーサが不安を隠すように微笑み、ザックもそれに応えてから二階へ駆け上がった。普段通り黒いシャツに腕を通し、鏡を確認することもなく防寒着を着込んだ。マフラーと手袋を掴み、階段を降りながら身につけていく。
セドリックの元へ行くのは久しぶりだった。ズワルト孤児院で手紙を受け取ってからは葉巻も構成員が買いに来るようになり、配達屋が間に入る隙間はなかった。あからさまにテリーを避けた対策で、今回の呼び出しも彼は連れてくるなと念を押されている。
「ザック、行ってらっしゃい。気を付けてね」
マーサから話を聞いたのか、クレアが出て行く寸前のザックへ声をかけた。
「行ってきます。テリーが先に戻ってきたら、迎えに来るなって言っておいて」
ふわりと笑ったザックが扉を開ける。
「昼飯には戻る」
ザックは愛銃ベレッタをケントに手渡し、真っ直ぐに前を見ていた。
ケント。愛称、ケン。
ドゥーガルと共にセドリックの側近を務める男で、彼はザックから受け取った銃を部屋の端にある小さな棚に置いた。真っ黒に澄んだ瞳で軽くザックに会釈し、そのまま退路を塞ぐように扉の前に立つ。短い黒髪をがさがさとかき回してから手を背中に回した。その手は後ろに組まれていても、何かあれば誰よりも早く銃を抜くことをザックは知っている。
「来たか、配達屋」
「お久しぶりです、セドリックさん」
ひっそりとした寝室。普段通される応接室や執務室とは異なって、大きなベッドが空間を埋めている。そこへ横たわっているのは、先日より遥かに痩せたセドリックだった。
「ゼカリア、どうぞそちらへ」
枕元に立っているドゥーガルがぽつんとある椅子を示すのでザックが腰を下ろす。セドリックが体を起こすが、その背中はドゥーガルが支えていた。
「久しぶりだが、テレンスはどうだ」
「あなたを心配しますし、会いたがっています」
「はっはっ、ここまで駄目になっちまえば会ってやってもいいかもしれねえな」
咳き込むように笑ったセドリックの背にドゥーガルがクッションを入れると、彼はそれに体を沈めた。
「情けねえことに最近はこの調子よ。年には敵わねえな。――ザック。お前さんを呼んだ理由はおおよそ分かってんだろう」
ザックはよく暖まった部屋でも冷えていく指先を合わせる。
「ズワルト孤児院で手紙を受け取りました。その件かと」
テリーに見られないように燃やした手紙を思い出す。内容はセドリックの病状、そして、次に呼ぶ時は死ぬ直前、契約に関する話をする時になることなどだった。
「ようく分かってるじゃねえか。――テレンスはどうだ?」
先程と同じ質問に、ザックは答えられなかった。
答えに窮したザックをセドリックが乾いた声で笑う。
「ふん、答えられねえか。――俺が死ねば契約が有耶無耶になると思ってる馬鹿じゃああるまい?」
ザックが唇の内側を噛むと、セドリックはそれを肯定と受け取る。
「ああそうだな。テレンスは俺が死のうが、忠実に、何も迷わず契約に従い続けるだろうよ。……さあて、テレンスの相棒よ。お前さんは本当にテレンスを救えるか?」
テリーをセミチェルキオから引き抜く際に交わした契約がザックの脳内に浮かぶ。ザックとテリー、そしてセドリックを結ぶ契約を忘れたことはたったの一度もない。
一度口に水を含んだセドリックが、皮肉に唇を歪めた。
「お前さんがああも言うもんだから、あの狂った頭もちったあましになるかと思ったが。ふん、期待外れだったか」
そんなセドリックの言葉を断ち切るように銃声が聞こえた。セドリック以外の視線が窓の外へ向く。離れたところで赤い煙が空へ走っていくのが見えた。
「ボス、赤です。あの辺りは……ロドニーかバイロンが管理する方向かと」
「ったく忙しねえな。――ケン、様子を見てこい。ドグ、こっちはとっとと用事を済ませるぜ。持って来い」
セドリックが指示を出すとドゥーガルとケントが「はい、ボス」と声を揃えた。すぐに二人が部屋を出て行く。彼らの代わりに背の高い青年が扉の脇に静かに立った。
ザックは雪のせいで霞んで見える赤い煙をじっと見ていた。あの赤の信号弾がテリーと関係ありませんようにとただただ願う。
「――テリーの誕生日がいつだか、知ってますか」
「あん? 誕生日だあ?」
窓から視線を外したザックは、自身の冷たい指を見つめてから微笑した。
「知らないならいいんです」
今日がその誕生日なんです。
「……あなたが言う愛という言葉を、俺は最後まで信じられないみたいです」
そんな日に、彼が一番大事にしている人は最悪の知らせをプレゼントするようです。なんて救われない話だと思いませんか。
ザックは胸の虚空に問い、目を伏せた。
【救えない】




