44 Hide-and-seek
テリーは人気のない路地を選んで全力で駆け抜ける。
途中で気配を感じて振り返ると、まさにルースが自身に向かって飛び込んで来るところだった。カウンターの一撃を放つが、彼女の影がそれを阻む。びくともしない硬質な影にぎっと奥歯に力を込めた。
ルースの影は両足のゲートから零れたようだ。彼女が履いていたニーハイソックスが足首まで下ろされており、四角が散らばった模様が膝下にびっしりと刻まれている。
「ヒューウ! すっごいネ! ここまで影に反応出来るノーマルがいるなんて!」
テリーは彼女の褒め言葉に顔をしかめ、足元の砂利混じりの雪を蹴り上げた。影の壁を動かしている最中だった彼女の顔面にそれがヒットする。
「ぶっ! 冷たッ!」
ルースが両目を閉じて茶色の雪をばさばさと払う。そして、彼女が目を開け泥混じりの唾を吐いた頃にはテリーはすでに角を曲がっていた。
その間にテリーは初見では迷いがちな裏道を脇目も振らず走っていく。
雪を蹴り上げた時の反応から、想像していたより影の速度が遅いことは分かった。影が追いつけない速度で走り抜ければ影に先回りされて捕まることもないはずだ。
暫く走ったテリーはようやく立ち止まって上へ顔を向けた。背中からも上からも追われている気配がなく、彼は僅かに安堵して額の汗を拭う。
と、彼の真横にあった扉が開いた。
「誰がどたばたしてんのかと思ったらテレンスか」
「ロッド兄?」
扉から腕を伸ばして来たのは先日セミチェルキオの屋敷でテリーを案内したロドニーだった。彼はテリーを掴んで室内に引っ張り込み、銃を手渡す。
ロドニーの拠点はセミチェルキオのテリトリーに点在する武器庫の一つだ。テリーは昔とは場所が変わった武器庫の場所を記憶しながら、受け取った散弾銃を見る。
「あんたがそこまで息切らせてるなんて、只事じゃねえだろ。何があった」
「……ちょォっと過激な追いかけっこォ。悪ィ、すぐに出て行く」
「昔のよしみだ。手助けぐらいしてやる。弾は六発、数え間違えんじゃねえぞ」
テリーは慣れない銃を片手にぶら下げ、顔を歪めた。銃を持つのはかなり久々である。
「使わず逃げ切りてェな……」
呻いたテリーはやけに静かな外へ耳を澄ませる。ルースが自分を探しているはずで、下手に出れば再び見つかりかねない。
「――ッ!」
テリーがはっと何かに気付いた。即座にロドニーを掴んで引き寄せる。
先程までロドニーが立っていた位置には真っ黒な影が立ち上がっていた。分厚い影がもういない彼を潰すように地面へ倒れ込む。
「アハハハハ! 見ーつけたア! 隠れん坊は終わりだヨ、テレンス! アハハ、俺様の影はとろくて索敵に向いてないんだカラ、手間かけさせないでヨネ!」
扉を蹴破ってきたルースにテリーは躊躇わず銃口を向けた。一拍も空けず引き金を引
くが、ルースはそれを影で防いでいる。
舌打ちをしたテリーが二階の気配に顔をしかめた。
「ロッド兄! 悪ィ、修繕費は配達屋につけとけ!」
「あんたがえらく焦ってると思ったらハートルーザーか!」
テリーがルースに向かって足を踏み込んだ。突然増えたロドニーを見ていた彼女の意識が一瞬でテリーへ集中する。
「しかもとびっきりにやべェやつ! 巻き込まれる前に逃げねェと知らねェぜ!」
「そうみてえだな! ――ティカエ! 上から全員逃がせ!」
ロドニーが二階へ声を張り上げ、自身も銃を握る。
ルースの影は彼女自身がとろいと評した通り、素早くて手に負えないほどではない。テリーは影の内側に入り込み、ルースの腹へブーツの底を埋めた。彼女の華奢な体がくの字に曲がり、壊れた扉の外へ蹴り出される。
初めてまともに入った一撃にテリーが鼻を鳴らし、左手に銃を持ったまま右の拳を握り直した。
二階から逃げ出した構成員――大半がロドニーの部下でウォリアーのはずだ――がルースの前に出ないことを願いながら、テリーは銃を持ち上げて外の彼女へ向ける。
「アアアッ! 痛いナア! 油断したヨ!」
ルースが唾を吐き捨て、すぐに立ち上がる。そうしながらもすでに影は室内で動き始めていた。テリーは彼女の意識が逃げ出した構成員たちに向かないうちに、影を避けて部屋の奥へ移動する。
ロドニーはその隙に窓から手を出し、空へ向かって引き金を引いた。増援を求める信号弾が煙の尾を引いて空へ走る。そのまま何度か手を振って逃げた者へ合図を送り、顔を引っ込めた。
ルースはロドニーに気付いて舌打ちを一つ。彼女が一振り腕を動かすと、影は一階の窓を真っ黒の壁で塞いだ。そして、壊れた扉から悠々と中へ踏み込む。発砲してきたロドニーにちらと目を向け、にいっと唇を吊り上げる。
「お友達かナ? ねエ、テレンス! 教えてヨ! 自分を痛めつけられるのとお友達をぶっ殺されるのと! アハハハハハ! どっちの方が嬉しーい?」
「はッ! どっちも最高だぜェ、くそったれ!」
ルースが中へ入ってきて、テリーが大きく踏み出した。そのまま彼女目掛けて引き金を引く。離れれば離れるほど威力が落ちる散弾だが、当たらない距離ではない。しかし、ルースは既に別の影を立ち上げて自身を守っていた。
窓を覆った影に、身を守る影、テリーを妨害する影。幾つもの影が蠢く空間にロド
ニーが「こりゃあやばいやつだな」と口元を引きつらせる。首の後にあるゲートを確かめるように手の平で押さえた。
ハートルーザーが亡くした感情は種類によって産み出す影の性質が変わり、感情の亡骸の大きさに比例する。普通ならばセドリックやライラのように腕程度の影を操るのが精一杯であるはずが、このルースは比べ物にならないほど大量に操っていた。
「一体、どんだけ殺せばこうなんだ!」
ロドニーのゲートから影が吐き出され、落ちた影が本来の影に馴染むように消えた。目が合ったルースに人相の悪い笑みを返す。
「姉ちゃん、ここはセミチェルキオの場所だ。突っ込んだのを後悔してもらうぜ!」
じわじわと這うように移動していたロドニーの影がルースの足を掴んだ。ぎょっとした彼女の意識がテリーから足元へ動く。
「俺も憎しみを亡くした同類よ。お相手願うぜ、姉ちゃん」
ルースの影がロドニーの影を引き千切るために足元へ下がった瞬間だった。
低くなった影を飛び越えたテリーの銃口がルースの頭に至近距離で狙いをつける。
寸前でテリーに気付いたルースはコートの内側から両手でナイフを抜き、彼とロドニー目掛けて投げつけた。
テリーがナイフを避けるために体を反らし、狙いを失った銃弾が彼女の真横の壁を撃ち抜く。破片が彼女の頬を切るが、大した怪我にはならない。
「くっ……。俺に手え出したとなっちゃあ姉ちゃんはセミチェルキオの敵だ。徹底的に潰させてもらうぜ」
腹に刺さったナイフを押さえながらロドニーは余裕のない笑みを浮かべる。
屋外からは先に逃げた構成員や信号弾を見た構成員が集まっている声がしていた。
ルースは自由になった足ですぐさまテリーから離れた。部屋の奥へ追いやられた彼女はテリーが追ってこられないよう、自身の周囲に影を何本も伸ばす。警戒して止まったテリーを睨みつけたあと、もう一本ナイフを抜いて右手に持つ。
「アア、面倒くさいナ。テレンスと話がしたいだけなのにネ。テレンスが逃げるから悪いんだヨ。――そうだヨ。逃げるなら逃げたくないようにすればいいんだ? アハハ、そっか、そうだネ。そうしヨ」
テリーは彼女の淡々とした口調にぞっとし、塞がれていない扉を振り返る。ロドニーが呼んだ増援が入ってこようとしていた。
「来るな――ッ!」
テリーが絶叫すると同時、ルースが防御用以外の影を一つにまとめる。
そして、それは武装した若い連中を文字通り叩き潰した。
【隠れん坊】




