3 Fob Watch
「こんな時間に呑気にシャワーなんて配達屋も暇なもんだねえ!」
「うるっせェ! いつシャワーにしようが僕ん勝手だろ、くそババア!」
「ああ、やだやだ。これだからウォリアーあがりは! なんて言い草だい!」
ザックがシーツを洗濯機に突っ込むために二階から降りてくると、荒っぽい言い争いが聞こえてきた。玄関から入ってすぐ横の一室を開けっ放しにして、テリーがタオルを頭に掛けたまま中と怒鳴り合っている。
談笑といった雰囲気とは程遠いが、それでも普段通りの様子にザックの口の端が緩んだ。
「はッ! そんなウォリアーあがりに何回助けられたか数えてみろよ、くそババア! 両手両足で数え切れるかァ?」
「まったく、そんなもんで胸を張るんじゃあないよ! あたしの記憶じゃあ半分以上はゼカリアのおかげだったと思うんだけどもねえ!」
「相変わらずよく覚えてんなァ! そろそろボケるんじゃねェかって楽しみに待ってんのによォ!」
リンジー。
彼女はザックとテリーが住んでいるこの一軒家の持ち主である老婆で、今はザックたちに家を貸してくれている。そんな彼女は一つにまとめた白髪から出ているほつれを触る。僅かな髪束を気にしながらも、彼女の真っ黒な瞳は眼鏡越しにテリーを睨みつけ、しわくちゃの口をてきぱきと動かしていた。
「ふん! お前さんみたいなクソガキがいる間はボケたくてもボケちゃいられないね! 何をされるか分かったもんじゃあない!」
「うるっせェ! ボケたババアに何しろっつゥんだよ、バァカ! なんだァ、僕と孫を間違ってお小遣いでもくれるかァ? あァ?」
リンジーが今もこうやって元の住まいに訪れる理由は、二人がいる一階の小さな部屋にある。
彼女は昔からこの家で煙草屋を営んでいるのだ。しかし、伴侶を亡くして息子夫婦の家に移ってからは、この一室を煙草屋として利用するだけになっていた。余った居住スペースの掃除や維持が面倒だと嘆いていたところ、そのすっからかんを借りて住み始めたのがザックとテリーだ。
今でも平日の朝から夕方にかけ、リンジーはこうやって一階の小部屋で煙草屋を営み続けている。煙草屋の小さな窓口にやってくる客は今でもまだ多く、常連客と長話をして楽しんでいる様子だ。
そして、昔からぶら下がる煙草屋の看板の下に、今は配達屋の看板もぶら下がっている。
ザックは途切れる様子のないいつもの光景に巻き込まれないよう、シーツを抱えたままシャワールームへ移動した。
煙草屋のスペースがある一階には、シャワールームとキッチンがある。二階にはリビングと二人それぞれの自室が一つずつ。広々とした家ではないが、ザックとテリーが住むには十分だ。
ザックは古い洗濯機にシーツを投げ込み、テリーが脱ぎっぱなしにした服を拾い上げた。脱ぎっぱなしにしないよう、テリーに何度注意しても実行されないままである。
ズボンと一緒に降ろされた下着を摘み、洗濯機へ。次に汗でじっとりと重くなったティーシャツを放り込み、ズボンに巻き付いたままのベルトを外す。と、そのズボンのポケットから何かが落ちた。
それは床とぶつかってカツンと音をたて、ザックが目線で追った。静かに笑みを作り、ズボンを洗濯機に入れ、洗剤を適当にふりかけ、洗濯機に通じる蛇口をひねってから洗濯機のスイッチを押した。
「もう。大事なものならもう少し大切に扱えばいいのに」
ガゴガゴと怪しい音を立てながらも動く洗濯機を背にしゃがみ込み、落ちた懐中時計をようやく拾い上げる。
銀色の懐中時計は傷だらけで、文字盤を覆う蓋は歪んでいて開かない。何時を指しているのかも見えないし、耳を当てても音は鳴らない。
歪んだ銀の懐中時計。
他人から見ればごみ同然のそれを、テリーはなくさないよう普段からチェーンを通して首からぶら下げている。しかし、そのチェーンが今は通っていなかった。
「切れたのかな」
代わりのチェーンが無いなら持ち歩かずに部屋に置いておけばいいのに、とザックは笑みに苦いものを混ぜる。拾い上げた懐中時計をぎゅっと握り、目を閉じる。そのうちテリーが「やべェ! 無い!」と大騒ぎし始めるのが分かった。
「あの時の感情を忘れないため」
いつかテリーが言った言葉をそうっと呟く。
ザックは深く息を吸い込む。湿気た空気が鼻の奥を潤す。
「――俺も、何か物にして残しておけばよかった」
そういう問題ではないことを理解しながら、ザックは自嘲気味に笑って立ち上がった。懐中時計をズボンの後ろポケットに入れ、シャワールームを出る。
「ああ、ああ! 不器用だねえ! さっきより酷いんじゃないか心配でたまらないよ。鏡を持ってきな!」
「うるっせェ! 優しい優しい僕が手伝ってやってんだぞ! 文句言わずに黙って座ってろ!」
ザックが廊下へ戻ると、テリーとリンジーがまだ怒鳴り合っていた。喧嘩腰の会話だが、二人の仲が良いことをザックはよく知っている。
煙草屋の一室を覗くと、テリーはリンジーのほつれ髪を元に戻そうと四苦八苦していて、リンジーは口調とは裏腹に口元に笑みを浮かべていた。いつも通りである。
テリーはふんと鼻を鳴らし、ザックの方へ顔を向けた。ただでさえ色の濃いサングラスは室内だと余計に暗く、彼の美しい金色の瞳を隠していた。
「ザック! なァ、上出来だろ!」
テリーは弱視だ。
視力が悪いのはもちろんのこと、彼は目に入る光の調節が上手く出来ない。なんてことない明るさでも彼にとっては眩しすぎるし、太陽が輝く昼間などはサングラスが無ければ視界が真っ白になってしまう。
ただ、その代わりとでも言うべきか、彼は他の感覚が鋭い。鼻はよく利くし、ちょっとした物音も敏感に聞き分ける。日常生活に困った様子は特になく、サングラスが手元に無い場合でも目を閉じて平気で歩き回るほどだ。
現にテリーはザックが声をかけるよりも先に彼の登場に気付いていた。
「おや、ゼカリア。この坊やが変なことをしていないか見ておくれ」
リンジーはテリーの言葉でようやくザックに気付いたらしく、後ろのテリーを指差す。ザックは笑い返し、腕を組んで扉の枠へ肩を預けた。
「大丈夫。上手くやってる」
「ほォらみろ!」
ゲラゲラと大笑いをしたテリーはリンジーの髪から手を放し、濡れたタオル越しに自身の髪をがしがしとかき混ぜた。
首周りの伸びたティーシャツに大きめのパーカーを羽織ったテリーは、左頬の傷になんとなく触れ、そのまま手を胸元に下ろす。
「あっ」
その途端、テリーはぎょっとした顔になった。慌てて両手をスウェット生地のズボンのポケットに突っ込んだ。探しているものが手元に無いと分かって、シャワールームの方へ顔を向ける。
「やべェ! 無い!」
テリーがザックを押しのけてシャワールームへ行こうとするので、ザックはそんな彼のフードをすれ違いざまに掴んだ。テリーの足が止まり、焦った様子でザックを見上げる。
「離せ! 銀時計! ズボン中! 洗濯機回ってる! 中にあんの!」
大慌てでテリーがシャワールームの方を指差すので、ザックは懐中時計をポケットから取り出した。
「はい、これ。気を付けて」
テリーの指先に懐中時計を差し出すと、彼は口をぽかんと開け、次の瞬間には乱暴に引ったくった。
「さっすがァ、相棒ちゃん!」
喜びの声を上げるテリーだったが、リンジーがぴしゃりと「テリー!」と声を上げた。
「まずはゼカリアにちゃんと礼をいいな! それに、大事なもんなら丁寧に扱うもんだよ!」
叱られたテリーが顔をしかめ、リンジーにべえっと舌を出す。
「うるっせェなァ! ――ザック助かったアリガトウアリガトウ! ほォら、これで気ィすんだが、くそババア!」
「あたしに向かって言ってどうすんだい、この大馬鹿もん!」
リンジーに腕を強く叩かれ、テリーは舌打ちをしてからザックを見上げた。彼の大きな口が不服そうに開く。
「あんがと」
サングラスの奥の瞳がきゅっと細くなったのが見え、ザックは「どういたしまして」と微笑んだ。
【銀の懐中時計】




