27 Sweet Medicine
テリーはスプーンを持ったまま動かない。
ベッドの上にはトレイが置かれ、そこにはプディングとコップにたっぷりの水が大人しくしていた。テリーはベッドの上に膝を立てて座り、じっとプディングを見下ろしている。
ザックは動かないテリーを暫く見ていたが、耐えかねてひらりと彼の視線の先で手を揺らした。ようやくテリーが反応を示し、顔を上げるので僅かに笑う。
「やっぱり食べられない?」
「……ん? あァ、ちょっと。今は……。悪ィ」
テリーがベッドの上にスプーンを落とした。その手でコップを掴み、まるで固いものを丸呑みするように水を飲み干す。
ザックはスプーンを拾い上げ、トレイと一緒にそれをベッドサイドテーブルに置いた。
とりあえず、目覚めたテリーがセドリックの元へ走り出したり再び混乱に陥ったりすることはないようで、ザックは少し安堵して自身に持ってきていた水を一口飲み込んだ。
「……なァ、ザック」
テリーから空のコップを受け取ったザックが穏やかに笑んで「どうした?」と先を促す。かたりとコップがトレイの上に戻る。
「ボス――死んじまうの、かなァ……」
砂で出来た塔のように、ザックの笑みがさらさらと崩れた。散らばった砂をかき集めようと必死になっている間に、テリーは膝を抱えて顔を伏せていく。
「僕さァ――」
「ただの噂だ」
テリーの思考を遮ろうとザックが砂を集めることを止めてテリーの顔を覗き込む。
「誰かが流した質の悪い冗談がライラさんやクレアの耳に届いただけだ。ボスの体調なんて、外部にそう簡単に漏れることじゃないのは君がよく知ってるだろ? ――朝にでも俺がセミチェルキオに連絡してみる。教えてもらえなくても、何か分かるかもしれない」
ザックと目を合わせたくないのか、テリーが完全に顔を伏せた。その肩をザックは掴み、顔を上げさせる。
「テリー、大丈夫。悪い方に考えないで。――テリー、俺を見て」
光の入らない濁った金色の月は、暗い。
沈んだ目をしているテリーが瞼を下ろし、項垂れる。
「――あの時みてェにさァ」
体をきゅっと小さくしたテリーが、額を膝に押し当てて呻く。力の入った手が彼自身の足に爪を立てていた。
「僕が、命捨てれば、助かんのかなァ……。それだったら、僕、いっくらでも、ボスんために死ぬのに……」
光の届かない深いテリーの声に、ザックが息を呑んだ。すぐに言葉を返そうとしたが、つっかえた息が邪魔をする。
そんなザックの手をテリーが俯いたまま払った。膝を伸ばし、ベッドの下へ足をつく。
「……悪ィ。部屋で寝る……。今、てめェに、酷いことしか言えねェ……」
重心が定まらないままふらりと立ち上がったテリーの手を、ザックは慌てて掴んだ。
「朝になったら絶対に俺が起こしに行く。――だから」
真っ暗な月がザックを見下ろす。
何の感情も浮かばないそれはザックを拒絶しているようにも見えて、ザックは顔を歪めた。
「だから、絶対に一人で出て行かないで。俺が行くまで待っていて。――テリー、お願いだ」
「……ん。リョーカイ」
ぎこちなく、錆ついた笑みを浮かべたテリーが小首を傾げた。
「そのオネガイ……、破った時の罰は、なァに?」
ザックは眠たい目をこすりながら、ノックもなしにテリーの部屋を開けた。
二段ベッドの上にテリーの足が見える。それに安堵してから声をかけた。
「おはよう」
「おっせェ。起こしに来るっつうならとっととこい、くそったれ」
既に目覚めていたテリーがすぐに体を起こした。ザックがベッドに近づいていく間にするりとそこから下りてくる。
「……少しは、落ち着いた?」
「そこそこォ。んァー、腹減ったァ。結局プディング食ってねェし」
テリーが服をめくって脇腹をかきながら、ザックを押しのけて部屋を出る。彼がそのまま階段を下りていくので、ザックもその後ろへ続いた。
「テリー」
「あんだよォ」
一階に到着したテリーがザックを首だけで振り返って見上げた。
ザックは一段上で止まったまま、まっすぐにテリーを見下ろす。
「昨日のこと、本気でもいい。だけど、もう言わないで」
「んァ? 昨日? ――……あァ、僕は死んでもいいのにってやつ」
「うん」
テリーが右頬を吊り上げて笑う。まだ錆が浮いていて、血の匂いがするような笑みだった。
「あはは。怒ったァ?」
ザックは手を伸ばし、テリーの額に向けて中指を弾いた。
「……怒ってない。悲しいだけさ」
クレアはようやく乾いた服に着替えることが出来た。
先程ザックがテリーを起こしに行き、そのまま二人は揃って一階へ下りたようだ。その間に帰る準備をと思っていると、リビングの扉が開いた。階段を上がってくる音に気付かなかったためぎょっとして振り返る。
「――テリー」
「オハヨ」
珍しく挨拶を発したテリーに、クレアは慌てて挨拶を返した。そして、何度も視線を泳がせた後、ちらりと顔を上げる。
「あの……私、昨日は――」
テリーはソファの近くにいたクレアの横を通り過ぎ、自身の椅子に座った。彼が持っているトレイの上にはプディングの器が幾つか乗っている。
彼はトレイをテーブルに置き、あくびを一つ。
その背中に向けてクレアが軽く頭を下げる。
「ごめんなさい。その、変な噂話しちゃって――」
「んなことどォでもいい」
スプーンを掴んだ彼は、目の前のプディングを大きくすくった。
「朝っぱらから変な話してんじゃねェぞ。プディングが不味くなんだろォが。――おら、とっとと帰れよォ、馬鹿女ァ」
クレアは彼がどんな表情でプディングを食べているのか確認もせず、黙ってもう一度、今度は深く頭を下げた。
ザックがクレアを見送り、テリーの正面に戻ってきた。
テリーは三つ目のプディングの最後の一口を口に放り込んだところだ。
「……大丈夫?」
「大丈夫なわけねェだろ、くそったれ」
テリーが首に掛けた銀の懐中時計を服の上から左手でぎゅっと強く握る。
「――今すぐにでも飛び出してェよ」
目を伏せたテリーがスプーンをテーブルに置いた。その右手も左手に添え、懐中時計をぐっと押さえる。
「配達屋になって、一番後悔してるかもな」
「……そう」
ザックはテリーの手が細かく震えているのを見ながら、空になった器やスプーンをトレイの上に重ねる。
「だって。――だって、どうしたらいいんだよ……。ボスが死んだら、僕……」
何も言えないまま、ザックも目を伏せる。テーブルの下で指を組み、力を込めた。
「僕には、ボスしかいねェのに――」
テリーの声が震え始め、ザックは唇を噛んだ。
君を引き込んだのは間違いだった?
俺じゃあ君を救えない?
ザックはそんな尋ねられない疑問を胸に押し込み、泣きそうな顔になった。苦しさや悲しさが溢れかけ、それをどうにか隠そうと眉根を寄せる。
テリーは両手で顔を覆い、テーブルに肘を突いた。
「……悪ィ。今の、忘れて……。僕、もォ少し、部屋で休むわ……」
苦しさを塊のまま吐き出したテリーがズズッと鼻をすする。
「てめェにそんな顔、させてェわけじゃねェの……」
【プディング】




