24 Mentally Unbalanced
「うるさくしてごめん。もう落ち着いた」
ザックが血の散っていた服を着替えてから一階の煙草屋に顔を出した。リンジーとクレアが心配そうな顔を揃えているので、疲れを滲ませながらもにこりと笑う。
テリーに安定剤を無理矢理飲ませて眠らせたが、彼が落ち着くまでは叫んで暴れてと随分な荒れ方をしていた。ザックが必死に押さえ込んではいたものの、その騒ぎは一階までしっかりと響いていた。
「こんなところにいないでテリーの側にいてやりな」
「ありがとう。だけど、今日はもう起きてこないと思う。俺も疲れちゃったし」
ザックの少し落ち着いていた頬の腫れが再び酷くなっており、彼が笑うと目元が押し上げられるように歪んでいた。鼻血を拭った跡もあり、上での苦労がうかがえる。
「クレアも驚かせてごめん。もう大丈夫」
「ごめんなさい……。私が、私があんな話しちゃったから――」
クレアの声が震えるのが分かり、ザックは穏やかに首を振った。背中に垂れた長い髪がゆらりゆらりと波を打つ。
「気にしないで。噂なんだろ? 君から聞かなくたっていつかは耳に入ってた」
結果的にクレアの言葉が止めを刺したのだが、今日は遅かれ早かれテリーは荒れていただろうとザックは踏んでいた。銃声に加えてジョイントも鼻をかすめ、彼がまともに夜を越えられるとは思ええない。
リンジーは今にも泣きだしそうなクレアの背中をさすりながら、ふわりと煙を吐く。
「ただの噂だ。真に受けるんじゃないよ。坊やにはようく言って聞かせておやり。もうすぐ死ぬようなやつがあんなに葉巻を買うもんかい」
「……うん。ただ、今日はその話を聞かされるの、二回目なんだ」
ザックの苦い声にリンジーが皺を深くして目を細めた。
「坊やが不安定な時に限ってそういうもんが重なっちまうんだねえ。――今朝もお前さんに置いて行かれたってんで随分荒れていたよ。クレアも酷い目にあったしねえ」
「……また何かやらかした?」
ザックが呻くように尋ねると、クレアが慌てて「あの、その」と口を開いた。しかし、リンジーが話を切るように彼女の背中をとんとんと叩いた。
「客だよ。あとのお喋りは外でしな」
はっとしたザックとクレアが窓の外を見ると、常連客が立って「今、大丈夫かい」と困惑したように笑っていた。リンジーが「いつでも大丈夫さ。いつものかい」と接客を始め、ザックたちを追い払うように手を振る。
「……クレア、出ようか」
ザックが優しく彼女の手を引いた。
立ち上がったクレアは視線が近くなった彼をまっすぐに見上げる。
「――ごめんなさい」
眼鏡の奥の瞳が涙で溺れそうになっていて、ザックはふわりと微笑んだ。
「そんなに謝らないで。君のせいじゃないんだ」
クレアが配達屋に出入りするようになって、ザックはリビングの椅子と真っ白なマグカップを一つずつ追加した。三人揃って椅子に座って喋ることは少ないが、それでも茶を淹れればテリーも部屋から出てくるので、二人分では足りないことがあったからだ。
新しい椅子に座ったクレアは目の前のマグカップに注がれた琥珀を見つめる。
彼女の斜め隣に座ったザックは空白のテリーの席を見ながら自身のマグカップで紅茶を飲み込んだ。
「テリーのこと任せてごめん。ええと、酷い目って……?」
ぽつと窓に水滴がついた。
「ううん、もういいの。……それより、私がテリーのこと、酷く傷つけちゃって……」
クレアの細い指がマグカップの持ち手を握った。ただ、それは持ち上がらない。
「ねえ、ザック。聞いちゃいけないことだったら、ごめんね。――安定剤って? リンジーさんがよくあることだって」
ザックの視線が自身の部屋へ向いた。そこではテリーが死んだように眠っているはずだ。肘を突いた手で腫れた頬を撫で、少し考えてから口を開く。
「――下手に勘ぐられる前に話しておく。ちょっと調べれば分かることだし。……だけど、一応口外無用でお願い出来る?」
頬を撫でていた人差し指を立て、ザックは自身の唇に押し当てた。
クレアが唾を飲み、真剣な表情で大きくゆっくりと頷く。
「――リンジーさんの言うとおり、よくあることだ。だけど、ここまで酷い状態にまで陥ったのは久しぶり。……テリーは時々ああやって不安定になって、ないものが見えたり聞こえたりするんだ。安定剤っていうのはそういうのを抑える薬」
ザックが紅茶を飲み込みながら今日を振り返る。朝から彼を不安定に揺らす出来事が重なった一日だったのは確かだ。
「びっくりしただろ。昔はセドリックさんの下で動いていたしさ。余計に混乱したんだと思う」
「……私の、せいだよね」
離れた場所から届く銃声に、ジョイントの匂い。それだけでも彼が不安定になる要素はぎっちり詰められていたのに、そこへセドリックの不穏な情報。彼が不安に揺れて転覆するは時間の問題だった。クレアのせいだけではない。
ザックは慌てて「ごめん、そういうつもりじゃ」と首を振り、ふと窓が視界に入った。
やみそうにない雨が窓を濡らしている。
「確証もないのに、私があんなこと簡単に言うから……。慕ってた人のことだもんね、心配になって当然なのに。それなのに、私、テリーの前であんなこと……」
「クレア、気にしないで……。それより」
カタリと音を立ててザックが腰を浮かせた。クレアが鼻をすすってそれを見上げる。
ザックの視線は窓のままだ。
「それより、雨が。……君の服、もしかしてまだ外なんじゃ」
呆然としたザックの声に、クレアは勢い良く立ち上がった。
「私の服ッ!」
仕方なくお泊りプランに変更したクレアが夕食を作ってくれている間、ザックは自室のベッドにももたれかかって座り込んでいた。ベッドの上では落ち着いた表情のテリーが眠っている。
「眠っている間に全部忘れてしまえばいいのに」
ため息を一つ。
ザックはテリーの枕元に置いてある懐中時計を手に取った。歪なそれを手の平で包み込む。
「全部、忘れられたら」
この懐中時計に込められた感情も、記憶も、全て。
「君は、救われるのかな――」
【揺れる】




