21 Mind Gate
「ああ……困った。やっぱり巻き込まれた」
ザックは高い頭をなるべく低くしながら、人一人がようやっと通れる細さの路地へ身を隠した。
リネアの女ボス、ライラから頼まれた荷は彼が危惧していた通りジョイントだった。
ジョイントはラージュだけでなく、周囲の町でも一番流行っているドラッグだ。リネアはそれを売り捌いて活動資金を荒稼ぎしており、こうやって運び屋として配達屋を使うことも稀にある。仕事には違いないのでザックも割り切って依頼を受けるが、問題はセミチェルキオである。
セミチェルキオはジョイントだけでなくドラッグ全般がテリトリーで流行ることを嫌う。今回のように怪しい荷がテリトリーの近くや、境界線が曖昧な場所に運ばれると分かった時点でウォリアーを放ってくるのだ。結果、荷物の受け取り地点で抗争が起きることも珍しくない。
そして、ザックはまさしく抗争に巻き込まれていた。ベレッタのマガジンを替え、僅かに顔を通りに覗かせた。一つ向こうの通りで撃ち合いをしていて、激しい銃撃音が体を揺さぶっている。
早くこの場から離れなければならない。危険な場所に留まるメリットはないし、安全な場所まで出てテリーに無事だと連絡を入れたいところだ。
「……このままじゃテリーが迎えに来そうだ」
出て来ないよう言ってあるが、こうなってしまえば彼がそれを守るかどうかは微妙なところだった。普段なら大人しく家で待っているだろうが、銃声を聞いて大人しくしてられるはずがない。
ザックはとりあえず銃撃戦がこちらに移動して来そうにないと判断し、路地から体を出そうとした。しかし、後頭部に硬いものが押し付けられ、ぎくりと体を硬直させる。
「そりゃあ困るなァ! 脅威が来る前に片付けちまわねえと!」
ベレッタを握ったまま両手を頭の横へ持ち上げ、ゆっくりと顔だけで後ろを振り返った。男が一人だけ、他に誰かがいる様子はない。
これならどうにか捌けるか、とザックは緊張で唾を呑んだ。
「今はリネアの仕事をしてるんだ。いわば協力者だろ」
「関係ねえぜ! 脅威には手え出せねえが飼い主だけでも殺りゃあボスも大喜びってもんよ!」
男が引き金を引く。
その指の動きを注視していたザックは寸前でしゃがみ込み、下に手を突いた。頭の上を銃弾が走り抜ける。それに安堵する間もなく、彼は手で地面を押すようにして立ち上がった。素早く体を翻して男を正面に捉える。
慌てた男が二発目の狙いをつけるが、ザックはその腕に銃弾を撃ち込んだ。男から悲鳴と銃が落ちる。
「その脅威を飼い慣らすには、何が必要か知ってる?」
よろめいた男が壁に肩をぶつけて動きを止めた。
ザックは男の眉間に銃口を押し当てる。そして、にっこりと微笑んだ。
「それを知ってる俺に、君が勝てると思う?」
返り血がべったりと付いたシャツを見下ろし、ザックは顔をしかめた。こういうことがあってもあまり目立たないように暗い色のシャツを仕事着にしているのだが、表通りを通るには流石に目を引く。
仕方なく表通りにほど近い裏道を歩いていると、頭上から影が落ちてきた。
上からザックを探していたのか、窓枠や雨樋を使って屋根から飛び下りたテリーは、両手をポケットに突っ込んで平然と立っている。
「無事か、ボケ。遅ェから迎えに来たぜ」
テリーがずれたワークキャップの位置を正し、頬に走る傷跡を親指でなぞった。
「その血」
「俺の血じゃない。――クレアに君が出て来ないよう見ていてって頼んであったのは?」
「バァカ。あんな馬鹿女のオネガイなんて聞かねェぞ、くそったれ」
唾を吐いたテリーがバンテージを雑に巻いた拳をザックに向けた。
「どこまで終わらせた」
「……あとはライラさんに報告するだけ」
ザックは苦笑を浮かべて、テリーの拳に軽くとんと拳をぶつけた。
テリーは普段着のまま飛び出してきていて靴も白と青のスニーカーだ。今から向かう場所には場違いな格好ではあるが、彼は気にせず大きく首肯した。
「分かった。――僕がエスコートしてやるぜ、可愛い可愛い相棒ちゃん」
右耳を押さえたテリーは、右頬を吊り上げて笑った。
テリーは何人かの障害物を排除し、あっさりと騒動から離れた場所まで移動した。少し落ち着いた通りを歩きながら、彼はバンテージを巻き直している。
「なァ。本当にあの女と会ったことねェ?」
道中の話題に、ザックは隣を見下ろした。紺色のワークキャップが僅かに傾いている。
「声がどうとかって言ってたっけ」
テリーは目が悪いため、人の顔を覚えるのが得意ではない。背格好や癖、歩き方などでも判別出来るようだが、彼がそこまで細かく覚えている相手はあまりいない。ただ、ある程度の相手であれば声や匂いで区別しているようだ。
「――声だけじゃねェ。ちょうどシャワー浴びて、化粧の匂いが消えて」
「うん」
「……あの匂いも、なんか、引っかかる」
そして、彼は親しくもない人間の声や匂いをわざわざ覚えることはしない。通りすがりの人間の顔を見ていちいち覚えないのと同じように。
「君が覚えてる声や匂いなんて――」
バンテージを巻き直したテリーが両拳を合わせた。
「よっぽど強ェやつか、ハートルーザーか」
テリーは必要以上に人を記憶しない。この拳一発で倒れていくような雑魚の記憶などは残さない。
ザックはその彼の記憶に引っかかっている話題の女を思い浮かべる。茶色の髪が肩で跳ねるのを気にし、淡く色づいた唇で笑う彼女を。
「白黒つかねェやつが、一番気持ち悪ィ」
「グレーもあるってこと、そろそろ覚えない?」
ザックは心の中の彼女から、視線を目の前の屋敷に移す。
「ええェ? グレーは黒と一緒でいいだろォ?」
中身の無い空っぽの笑い声を上げたテリーも、ザックと同じく屋敷を見上げた。
「どうも、配達屋です。仕事を終えました。確認をお願いします」
ザックとテリーが通された部屋の奥にいた女は、きつい赤の口紅で描いた三日月を浮かべていた。
ライラ。
リネアを率いる女ボスである彼女は、年齢を感じさせない指で漆黒の髪を優雅にかきあげた。長さがあっても毛先をぱさつかせることなく、真っ直ぐで艶やかな髪が彼女の背中に滑り落ちる。派手な指輪で装飾された細い指をひらひらと揺らし、茶色の瞳を僅かな皺と共に歪めて「ああ、テリー」と色のある声で呟く。
「会いたかったわ。さあこっちへおいで。――このあたしが直々に呼びつけた仕事だっていうのに、やって来たのはザックだけ。ああ、ああ。あたしがどれだけ落胆したか分かるかしら、可愛いテリー」
ライラの顔には羽根を模したタトゥのようなものが刻まれており、彼女と同じように笑っているようにも見えた。
肌に墨を入れたタトゥとは違う、もっと深く染み付いたような黒。
ゲート。それはハートルーザーの証だ。セドリックが手の甲から影を吐き出したように、彼女はあの左頬から影を落とす。
ハートルーザー。心を亡くした者、影を操る者と呼ばれる彼らは、それぞれ体のどこかに持つゲートを通し、亡くした心が産む影を外へ吐き出し、操る。
嬉しさのハートルーザーであるライラの手招きに、テリーが動き出す。
「……テリー」
「うるっせェ。大丈夫だっつうの」
心配するザックの声を背に、テリーはゆっくりと慎重にライラへ近づいていく。
「あんたが配達屋に堕ちた時なんて気が狂うかと思ったけれど、中立もなかなか美味しいものねぇ。――だってあんたがセミチェルキオのままだったなら、こうやってあたしの部屋に来るなんてあり得ないもの」
彼女のゲートからぼたりと影が落ちる。
テリーが横へ飛び退くと、その足を掠めるように影が立ち上がっていた。
「ああ、ああ! そうよ、テリー。影を避けられるノーマルなんて、あんたくらいだよ! こうやって遊んでやるだけでも嬉しくなりそうだ」
空間を握り潰した影が床へ沈む。
テリーは背中に滲む汗に顔をしかめ、意識を集中させた。
「ふふふ。もっと踊りな、テリー。ほうら」
影がどこへ移動したのか感じた瞬間、テリーはザックの真ん前まで跳んで下がっていた。ザックを掴もうとしていた影がテリーの首にしゅるりと巻き付く。が、それが締まる寸前にテリーは間に腕をねじ込んでいた。
「相棒に手ェ出すんじゃねェ、くそったれェ!」
腕に力を込め、気道を確保しながらテリーが吠えた。
【ゲート】




