19 Scent-free
クレアが蛇口をきゅっとひねり、シャワーを止めた。用意されたタオルに手を伸ばし、髪から水気を取っていく。肩の下まで垂れた髪から雫が落ち、引き締まった体のラインをなぞった。
シャワールームには温かい湯気が立ち込めていたが、扉の隙間から侵入してくる冷たい空気にふるりと体を震わせる。手早く全身の水気を取った彼女はため息をつき、湿った下着を手に取った。
何故、雨でもない晴天の日に彼女が下着まで濡れてしまったのか。それはほんの少し前に遡る。
クレアが配達屋に出入りするようになって暫くが経っていた。遠くの山は真っ白な雪で化粧をし、町中の人が防寒具の装備数を日々増やしている。そんな寒い冬の晴れ間、配達屋に来たクレアを待ち構えていたのはリンジーの孫たちだった。
煙草屋でリンジーからの話を聞いていたクレアは、ちょうど居た彼らの相手をするために中庭へ出たのだ。そして、気付いた。彼らが水鉄砲を携えていることに。
「はあ……。どうしてこんな時期に水鉄砲なんて……」
子供たち曰く「お湯鉄砲にしてきた」とのことだったが、彼らが家から煙草屋に来るまでに湯はすっかり冷めていた。やんちゃ盛りな少年二人には降参という言葉も聞き入れてもらえず、彼らによってクレアは下着まで濡らす羽目になったのだ。
「うう。下着の替えなんてないし……」
そして、水浸しになったクレアはザックとリンジーによってシャワールームへ押し込まれて今に至る。ザックに渇いた服とタオルは借りたのだが、流石に下着まではない。服ほどびしょ濡れではないのがせめてもの救いだが、あまり着心地の良いものではない。
冷たい下着に足を通し、クレアは顔をしかめた。シャワーを浴びている間、タオルに挟んではいたが乾いているはずがない。
クレアは下着をつけるため背中へ手を回しながら、用意された着替えをちらりと見た。慎ましやかな胸を軽く寄せ、ため息を一つ。
彼女は女性にしては背が高めで、テリーより少し背が高い程度だ。彼の服を借りることが出来れば良かったのだが、そこに置かれているのはザックの服だった。
「仕方ない、けど……」
テリーが他人に物を使われるのを嫌うため仕方ないのだが、高身長のザックの服ではサイズを考えるまでもなく大きすぎる。
「濡れた服が乾くまでの辛抱……」
クレアはあからさまに大きな長袖のティーシャツに頭と腕を通す。これだけでもすっぽりと尻を隠していて、思わず「大きいなあ」と呟いた。カーディガンにはまだ腕を通さず、次にスウェット生地のズボンに足を突っ込み、ウエストの紐をぎゅっと縛った。普通のズボンを借りてもウエストが合わず――ザックが幾ら細身でも彼女の方が細い――ずり落ちてしまう。完全に部屋着であるズボンにクレアは唇の内側に歯を立てた。
「……すごく、ださい」
呻きながらカーディガンに腕を通し、ズボンの裾をくるくると折り上げた。そして、仕上げに購入したてのお気に入りのショートブーツへ足を突っ込む。
鏡を見るまでもなくちぐはぐで奇妙な格好になったクレアは、この場に立てこもりたくなりながら、まだ湿ったままの髪に手櫛をいれた。服が濡れないよう肩にタオルをかけて鏡を覗き込む。
「お化粧直さなきゃ――って、ポーチ、バッグの中だ……」
クレアは暫く鏡の前で項垂れていたが、意を決してシャワールームの鍵を開けた。
あまり他人には――特に男性陣――見られたくない顔と格好で、クレアがそろそろと廊下に出る。リビングまで行き、まずは化粧ポーチを手に入れなければならない。
ザックの声は一階から聞こえないので下手すれば二階のリビングで鉢合わせるかもしれないが、彼ならまだましである。一言二言といらぬことを言いそうな敵は――、
「なァにしてんだよ、馬鹿女」
テリーである。
一番聞きたくなかった声に、クレアが関節を軋ませながらぎこちなく振り返った。リンジーに言われて、彼女の孫たちを家まで強制送還してきた彼がちょうど帰ってきたらしい。相変わらずの仏頂面が廊下に立っている。
「シャ、シャワーお借りしました……」
仏頂面はクレアの格好を下から上へと見て眉を寄せたが、特に何も言わずに手に持っていた紙袋を彼女に突き出した。
「さっきんガキから。悪かったって」
「え? あ、はい。ありがとう……?」
差し出された紙袋を受け取ったクレアが中身を覗くと、綺麗なガラス玉や何かの金属片や小石と一緒に、画用紙が一枚入っていた。それを広げると色鉛筆で「ごめんなさい。たからものあげる」と書かれていて、クレアは思わず頬を緩める。
「宝物かあ……。可愛いなあ」
先程までは水浸しにされて腹も立っていたのだが、少しほっこりした気持ちになる。
「持ってきてくれてありがとう」
「どォでもいいけど、お前」
クレアの改めての礼を無視する形でテリーが口を開いた。
「え、何?」
戸惑いながらクレアが首を傾げると、彼はふんと鼻を鳴らした。
「化粧しねェと別人だな」
それは「肌が綺麗だね」だとか「化粧をしていなくても可愛いね」だとかいう褒める意味は含んでいない声で、クレアはかーっと頬を赤くした。化粧をしていないことも自分の格好も思い出し、ほっこり気分があっという間に冷める。
「い、今からするの!」
大慌てでクレアが階段へ向かおうとすると、その腕をテリーが掴んだ。そのまま強引に腕を引かれてクレアはバランスを崩して悲鳴を上げた。引き寄せられ、テリーの顔が首筋に近づいてきて、ぞぞっと背中に悪寒が走る。
テリーが「どっかで嗅いだことある匂いだな」と小さく呟き、今回は噛みつかずに突き飛ばすようにしてクレアを離した。
クレアの悲鳴を聞いて、煙草屋からリンジーの「まあた変なことしてんじゃないだろうね!」と怒鳴り声が飛んでくるが、テリーは一言だけ「してねェよ! くそババア!」と返して眉を寄せる。
「――お前、どっかで会ったことねェ?」
「え?」
危うく転けるところだったクレアが壁に手を突いて首を傾げた。
「ここに来るよりも前に、僕と会ってんじゃねェの」
重ねられたテリーの問に、クレアは視線を落とした。
「そんなことは……ないんじゃないかな……。道ですれ違ったくらいはあるかもしれないけど……私は覚えてないよ」
「ふゥん」
クレアの悲鳴とテリーやリンジーの怒声に遅れながらも反応したのか、二階から慌てた足音が降りてくる。クレアがそちらに気を取られて視線をずらしたが、テリーはそんな彼女を睨みつけていた。
「――嘘だったら、容赦しねェ。女だからって手加減しねェぞ」
「え?」
耳に滑り込んできた物騒な台詞に驚いたクレアがテリーを見た。そのテリーはそれ以上何も言わずに彼女とすれ違う。
クレアは戸惑ったまま彼を視線で追うと、彼は廊下の奥でザックと鉢合った。そのまま二人が一言二言と交わしているのを見ながら、クレアは服の上から鳥肌をそっと撫でた。
【余計な匂いはない】




