17 Precaution
クレアは後悔していた。
ラージュへ行けと上司に言われて安請け合いしたことも、この町を下調べした際に感じた嫌な予感を無視したことも、配達屋にいるテリーがいかに嫌なやつかを調べるのを怠ったことも。
他にもここ最近で起きたいろいろなことに対して後悔を募らせていた。
「いや、あのですね。……ちょっと曲がる場所を間違えちゃったみたいで……」
そして、本日最大の後悔がまさに今である。
クレアは袋小路を背に、唯一の通り道を男たちに塞がれていた。なんとか笑顔で切り抜けようとするが、彼女の頬は引きつっている。
「近くのお花屋さんに用事があって。あはは、道、間違えちゃったかなあ……なんて」
際どいエリアだとは理解していた。だが、安全なエリアぎりぎりにある花屋へどうしても行きたかったのだ。ザックから貰った地図を何度も確認し、無色のエリアを通っていたはずだったが、今いるのは高い壁に囲まれた立派な袋小路である。
どこで道を間違えたのか曖昧なまま、クレアは「通してくれませんか……」と弱気に懇願する。しかし、耳を貸してくれるのなら笑顔を引きつらせる必要はない。下卑た笑みを浮かべた男たちの壁を見上げ、クレアは唇をきゅっと締める。
クレアは斜めがけにしたバッグがしっかりと閉じていることを確認する。足の速さには多少の自信があった。タイミング良く横を抜けることが出来れば上手くいくかもしれない。
一か八かの気分で、クレアは眼鏡のつるをそっと手で押さえた。
ナンパとは系統の異なる誘い文句を聞きながら、クレアは乾いた喉へ唾液を流し込む。
真ん中に立つ男が一歩詰めながら「なあに、そんな目えして。怖えじゃん」と汚れた爪先を彼女へ伸ばした。
今だ、とクレアはバッグの肩紐を握った。男が動いて隙間が出来た今なら。
「あ、ようやく見つけた!」
クレアが動こうとした瞬間、可愛らしい声が男たちの頭を越えてきた。
「探しました。もう、メアリーさんったらすぐに迷子になっちゃうんですから。こっちですよ」
目つきの悪い男たちの横を「ちょっとどいてくださいね」と無理矢理押し通ったのはクレアよりも年下に見える小柄な女だった。彼女はこの状況で笑みを崩さず、明るい声で「さ、行きましょう。メアリーさん」と言ってウインクを添える。
クレアは彼女が話を合わせろと伝えようとしていることに気付き「そ、そうだね! ごめんね、道を間違えちゃって!」と慌てて頷く。
「早く行かないと、あそこのパウンドケーキすぐ売り切れちゃうんですから」
女は適当なことをさらさらと言いながら、クレアの手を取って引っ張った。そのまま男たちを無視して道を通ろうとするが、そうは簡単にいかない。男たちの壁が再び形成されている。
「なあに、お友達? お友達も可愛いじゃん? ちょっと遊んで行こうぜえ?」
「こんなところに自分から飛び込んで来ちゃうなんてなあ」
下品な笑いを見上げても彼女は微笑んでいる。
「あら、わたしと遊んでくれるんですか?」
「はっはあ! そりゃあ楽しませてやるよ!」
「いいねえ、お友達は乗り気だあ?」
男たちから手が伸びてくる。クレアは焦った表情で斜め前に立つ彼女の横顔を見た。
彼女は表情を一切変えないまま、ことんと首を傾げた。
「――手を出すならどうぞ。ですけど、痛い目に合うのはそちらですよ」
明るい声から優しさの響きだけが抜け落ちた。まっすぐに真ん中の男を見つめた彼女に、男たちの嘲笑が降る。
「かーっ! 格好いいこと言うねえ!」
「痛い目え? どんなのかなあ」
クレアは冷や汗が滲むのを感じずにはいられなかった。彼女がどうやってここをすり抜けるつもりなのかが検討もつかない。彼女の華奢な体では男たちに掴まれれば為す術もないはずだ。
ただ、彼女は至極冷静だった。嘲笑もクレアの焦りも受け流し、笑みを消す。
「――わたし、テリーの女ですよ」
滑り込むような彼女の高く凛とした声に、男たちが降らせるものがざわめきに変わる。
クレアも思わず彼女を見ると、彼女は安心してとでも言うように握る手に優しく力を込めた。
「ズワルト孤児院の者だとも加えましょうか? ――わたしに手を出したら、院長にも彼にも全て伝えますよ」
彼女がふんわりと微笑み直す。
「――手を出せますか?」
決定打だった。
男たちは一瞬沈黙を作った後、喚きながらあっという間に散っていく。
クレアが呆然とそれを見送っていると、隣の女は手を離してにこりと笑った。
「話を合わせてくれてありがとうございました。無事で良かったです」
「あ、いえ……こちらこそありがとうございました! 助かりました」
勢い良くクレアが頭を下げると女が照れたようにはにかむ。長い二本のおさげが揺れた。
「いいえ、気にしないでください。わたし、この町にずっと住んでいて慣れっこなんです。ああいう馬鹿な人も多いので、気を付けてくださいね」
クレアの訛りの少ない言葉でラージュの住人でないと分かったのか、彼女は「慣れるまでは大通りだけを使った方がいいですよ」と小さな忠告を付け加えてくれる。
「大通りはあそこの突き当りを右に行ったらすぐです。それじゃ、わたしは仕事の途中なのでこれで」
軽く会釈をした彼女が去ろうとするので、クレアは慌ててその手を掴んだ。目をぱちくりさせた彼女が振り返る。
「あ、あの! お仕事中にごめんなさい! 私、この近くのお花屋さんに行きたいのに道が分からなくって! よければ、方向だけでも教えてくれませんか!」
教えてもらった通りに道を進んだ結果、クレアは目的の花屋に無事到着した。
そのほっとした瞬間、助けてくれた彼女が「テリーの女」という単語を使っていたことに気付いた。同じ台詞をその本人から昨日聞いたばかりである。思い出したくもない首筋の感触まで蘇り、クレアはぶんぶんと頭を振った。
「んん? お姉ちゃん、お客さんかい。そんなとこで突っ立ってねえでお入りよ」
花屋の前で固まっていたクレアに中から老爺が声をかけてきた。そこでようやくクレアは意識を目の前に戻し「あ、はい!」と元気良く返事をしてガラス戸を開けた。
「こんなところに常連さん以外がくるなんて久々だ。あんまり女一人で歩いちゃあいけねえよ」
「……次からは気を付けます」
つい先程のことが頭をよぎり、クレアは笑みに苦いものを混ぜる。そして、やはり気に食わない「テリーの女」という魔法の言葉。
まさか全く知らない女から完璧な使い方を見せられるとは思っていなかった。防御であり攻撃である言葉は、見事に男たちを退けた。便利な言葉であるのはよく分かったが、自ら口に出すのはやはり気分が悪かった。
「なんの花が欲しいんだい。あんまり種類を置いてある店じゃねえけどもな」
「ええと。あまりお花に詳しくなくて。可愛いお花が欲しいんです。小さくて、いい香りの。窓際に飾りたくって」
「うんうん。それならこれはどうだね。元気がいいし、落ち着く匂いだ。ほうら」
老爺から差し出された小さな白い花に鼻を近づけ、クレアは「あ、すごく好きな匂い」と零した。老爺は嬉しそうに皺を刻んでにっと笑う。
「じゃあこれと……あっちのでまとめようかね。花瓶はどんくらいの大きさだ? あと、予算」
クレアは白い花を何本か選んでいる老爺に条件を伝えると、彼はそれに合わせて小さな束を作っていく。そのしゃんと伸びた背中に、何気ないふうを装って声をかける。
「このアランって、お爺さんのお名前ですか? 息子さん?」
古い看板に刻まれた名前を見上げる。
「ああ、わしの名前さ。なんてったって、わしの店だからな」
得意げに笑う老爺に相槌を打ち、クレアは店の中を見渡す。一階が店で、二階が居住スペースなのか、奥にある開きっぱなしの扉から階段が見えた。奥からは他人がいる音はしない。老爺だけで切り盛りし、生活しているように見えた。
「……この辺りにお爺さんと同じ名前の人っています?」
小さな花束を作った老爺が振り返る。
「いいや、この辺りじゃあ聞いたことねえな。どうしてだ」
「この間、友達がアランっていう格好いい人がいるって言ってたのを思い出して」
クレアが適当なことを言いながら財布を取り出す。
「お爺さんのことだったのかもですね」
「そりゃあ昔はわしもちやほやされたもんだ。だけども今はなあ」
人懐こく笑う老爺が「ほうらよ、これでいいかい」とクレアに白い花束を差し出した。
【魔法の言葉】




