117 Real Intention
「そんな顔しないでください。ちょっと大げさに言っただけだから」
マーサが刺激の弱くなった炭酸水を飲み込んだ。
ザックも同じように瓶を掴んだが、それを持ち上げることは出来なかった。
「……俺、もしかして鎌にかけられた?」
マーサが放った質問は『苦しみを亡くしたなんて嘘でしょう?』だ。
会話の流れに沿わない突然の切り込みに、思わず動揺したことをザックは後悔する。普段通り笑って誤魔化すのが遅れたせいで辿り着いた結論なら、完全に鎌で真っ二つだ。
「鎌にかけなくても、わたし、本当に分かってましたよ」
「どういうこと……?」
ザックが怪訝な顔でマーサを見た。彼女はサンドイッチが入っていた紙袋を丁寧に畳みながら目を細める。
「テリーったら何も言ってなかったんだね」
マーサが苦笑し、畳んだ紙袋を瓶の横へ置く。
「わたしはハートルーザーの儀式を行えます。ずっと古くからこの地に伝わってきたもので、国が行う儀式とは少し違います。古いから手順が面倒なんですが、その分成功率は高いし――応用も効きます。テリーのタトゥに儀式の一部を埋め込んだのも、わたしです。テリーがいつでも好きな時に儀式を終えられるように」
テリーが愛を亡くした跡であるゲートは脇腹から背中にかけて入っているタトゥに重なるようにして出来た。
愛を殺す武器を与えたマーサは細めた目を寂しそうに指先に向けた。
「愛しみなんて、亡くしてほしくなかったのに」
わたしは止めなかった、とマーサは重い息をつく。
「……君が?」
「そう、わたしが。――知らないなら伝えておきます。ラージュにいるハートルーザーの多くはズワルト孤児院で生まれました。もちろん、他にも儀式をしている人たちはいますけどね」
ギャングたちの殆どはズワルト孤児院で儀式を行うのだとマーサは説明した。
一般市民やザックのような余所者、孤児院にいる子供や、一部を除いたスタッフにすらも隠されている事実なのだと。
「昔から、孤児院の院長が代々儀式の継承を行っているんです。それで、わたしは次の候補というか」
セミチェルキオとリネアがズワルト孤児院を守る裏側の理由に、ザックは戸惑いを隠せず眉を寄せた。中立だと謳って光に立つ孤児院の影は、深い長い。
「だから、わたしも院長もハートルーザーを見るとなんとなく分かるんです。心を亡くした人もたくさん見てきたし、……殺しもしてきたから。ただ、ザックほど大きな影を亡くす人ってそういないし、びっくりはしましたけどね」
「……いつから?」
ザックがようやく瓶を持ち上げ、炭酸水で喉を潤した。それでも声はまだかさかさしている。
「テリーが相棒だって言ってあなたを連れてきた時から違和感はあったよ。それからテリーとあなたが喧嘩するところを見て、負の感情を殺してることが分かって――それから少しずつ。ザックって、テリーの合図がないと怒らないでしょう? しかも、毎回怒り方がすごく安定してる」
ザックが頬杖を突き、唇をへの字に曲げた。
後手で誤魔化せそうにないことをようやく理解する。
「俺の演技、下手だった?」
「ううん、すごく上手。何の感情を亡くしたのか確信するまで時間かかりましたから」
笑ったマーサがザックが握り潰した紙袋も畳んで小さくまとめた。そして、それを持って立ち上がり、ごみ箱へ捨てる。
「――ええと、あなたがいい人だってことも、無闇矢鱈と力を行使する人じゃないこともよく知っています。それに、テリーがあんなに信頼してるしね」
はにかんだマーサが席に戻ってきた。しかし、椅子には座らず、背もたれに手を突く。
「ただ、それだけ大きな影を持ったハートルーザーがギャングの片側につくというのは、少し怖いっていうのが本音です」
ザックはマーサをじっと見つめる。先程までと話すトーンが落ちており、空気がじんわりと重みを増していく。
「わたし、テリーみたいに脅すのが上手なわけじゃないんですけど……」
「え? うん?」
突然割り込む物騒な単語に、ザックが目をぱちくりさせた。
すうと息を吸ったマーサが大きな緑の瞳でザックを捕らえた。
「わたしも院長も影の生み方を知っているなら、影の殺し方も知っています。それに、影はわたしたちに干渉出来ません。無効にする方法を知っています。ふふ、普段はそこまで気を張ってないけどね」
困ったようにマーサが微笑んでいる。
「ザック。ラージュで今まで通りに生きるのなら、お願いだから、怒りの影は使わないでくださいね。わたしたちズワルト孤児院は子どもたちを守る表の顔の裏に、ハートルーザーを監視する顔を持っています」
「テレンス、大人しくしているか」
窓がなく冷たい一室に響いた声に、テリーは投げ出していた足をベッドから下ろして立ち上がった。
「超絶お利口さんだぜ」
鉄格子で出来た扉の向こう側には、ドゥーガルとケントが並んでいた。
「暴れていないか心配していたが、必要なかったようだな」
「ええェ? ドグさんがそう言うんなら期待に沿おうかァ?」
「やめておけ」
テリーがくつくつと笑うと、ドゥーガルは僅かに口元を緩めた。
「でェ? セミチェルキオのボスがこんな湿気たところに何の用だよ」
冷たい鉄格子を握る。ドゥーガルはテリーがそこから手を伸ばしても届かない位置に突っ立ったまま、相変わらず読めない表情をしていた。
ドゥーガルは眼鏡の奥の目を細めてから、腕を組む。
「今日付けで配達屋はセミチェルキオの傘下に入った」
「ふゥん」
テリーが興味なさげに頷くと、ケントが懐かしさを味わうようにくしゃりと顔を歪めた。
「お前は本当にセドリックさんにしか興味がねえなあ。――ボスがここに来た意味が分かったろ。テレンス、また一緒に仲良く遊ぼうや」
「僕はケン兄みてェなお子様じゃねェぜ」
ふんと鼻を鳴らしたテリーが鉄格子の奥で片膝を突いた。跪き、ドゥーガルへ手の平を差し出す。
「ゼカリアの決定に異論はないんだな」
「相棒ちゃんに出される条件全部飲めっつったのは僕だぜ?」
テリーの手の平に、近づいたドゥーガルが手を重ねた。冷たい指に、冷たい指が触れた。暖かさを生まない接触に、テリーが顔を伏せる。
「親愛なるボス。僕の全てはボスと共に」
静かな言葉がたっぷりと時間をかけて消えていく。それを受け取ったドゥーガルが手を引いた。それに合わせてテリーも顔を上げ、立ち上がる。
「建前は立派だな。――テレンス、本音は?」
テリーはドゥーガルの声が少し緩んだのを聞き取りながら、自身の調子は崩さない。
「ええェ? 嫌ですよォ。ボス、怒ったら怖ェんですもん」
テリーが視線を横へ逃すので、ドゥーガルは普段どおりの張った声に戻って「良いから言ってみろ」と促した。それを聞いたテリーが後ろへ下がり、硬いマットレスが敷かれただけのベッドに腰掛けた。右頬を吊り上げて笑う。
「精々上手く脅威を使いこなせよ、ドグ兄。命令には従ってやるけど、僕はドグ兄のために命を捨てるつもりなんてねェぞ」
ある程度予想していた答えだったか、ドゥーガルが僅かに口角を上げた。
「その命はゼカリアのものか。それとも、未だ前ボスのものか?」
二つ目の問に、テリーは大口を開けて笑い飛ばした。
「あはは! 僕の命は僕のもんに決まってんでしょォ!」
ばたりとベッドに倒れ込み、ドゥーガルたちを追い払うように手を振った。
「そんなことより、とっととここから出してくださいよォ、ボス! あはははは!」
【本音】




