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Heart Loser  作者: Nicola
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115 Post-fin

「では、ゼカリア。これでセミチェルキオとリネアから提示する条件は以上だ。何か言いたいことがあれば聞こう」

 ザックはため息を我慢し、まっすぐに背中を伸ばした。

「何もありません。全ての条件を飲みます」

 ズワルト孤児院の奥の一室、大きなテーブルを挟んだ向こう側に二大ギャングのボスが座っている。

 セミチェルキオとリネアがここで会合を開くことは知っていたが、実際にその現場へ立つのは始めてである。ボスであるドゥーガルとライラ、そして側近がそれぞれ二人ずつ、四人の視線が自分に向いている状況に心が一つも休まらない。

 テーブルの上には何枚かの契約書が置かれ、署名欄は早くサインを寄越せと言わんばかりに空白を主張していた。

「あぁら、躊躇いもしないか。賢い選択だねぇ、ザック。テリーから何か言われていたのかしら?」

 ライラが細く長い足を組み直す。彼女が指先を動かすと、後ろに控えていたジェフリーが動き出した。細いペンに小さなナイフを添え、テーブルの反対側へいるザックの方へそれを差し出す。

「配達屋の総意で問題ないならば、そこにサインと血判を願おう」

 ザックはペンとナイフを受け取る。

 総意も何ももう一人はここにいない、と思いつつも腹をくくった。

「問題ありません」

 受け取ったペンの先でくるりと動かしてから、テーブルに手を突く。

 そして、契約書に名前を書き込んだ。



「そういうことか。抗争だ抗争だっていう割に静かなもんだと思ってたんだよ」

 シルヴェスターのバーのカウンターに頬杖を突いているのはザックだった。ウィスキーをちびちびと傾けながらため息をつく。

「キスタドールもちょっとおいたが過ぎたんじゃない? テリーにも手を出そうとしたのが気に食わなかったみたい。テリーがライラさんのお気に入りで助かった」

 グラスをテーブルに置いたザックが氷の山頂を人差し指で押さえてくるりと回す。今回の件はどこまで話して大丈夫なのかと、こんがらがり始めた糸をほどいていく。

「まあ、詳細は口止めされてるから言えなくて」

「口止めねえ。ほんとなら今の話も全部言っちゃいけないんじゃねえのかよう」

 シルヴェスターがレタスを豪快に千切っていくのを見ながら、ザックは冷たくなった人差し指をそうと自分の唇に当てた。

「スライさんには世話になっただろ。だから、内緒話。ただ、俺に死んでほしくないなら他には漏らさないでくれる?」

「そりゃあ口止め量にたくさん呑んでもらわなくちゃいけねえなあ」

 まだ他に客のいない早い時間だからこそ出来る話に、二人がくつくつと笑う。

「にしても、犬猿の仲が手を組んでたとはなあ」

 あの日、セミチェルキオとリネアの間では抗争が起きていた。リネアがセミチェルキオのテリトリーの端を奪おうと手を出したのがきっかけだ。しかし、その抗争は始まる前に漂っていた緊迫感とは裏腹に、随分とあっさりと決着がついた。

「ファミリーを何人も持って行かれてたし、よっぽど気に食わなかったんじゃない? セミチェルキオに協力を願う方がましなくらいに」

 キスタドールは表向きにはリネアとの約束――セミチェルキオと配達屋を落とすこと――を果たすために配達屋の足止めを買って出て、他のハートルーザーをリネアに貸すことを許した。そして、ライラはキスタドールに伝えた予定通り抗争を起こしたが、その抗争内容はすぐにセミチェルキオに連絡を回して八百長に仕立て上げていた。

「ボスの性格を考えりゃあ納得もいくねえ。キスタドールなんてよそ者に町を荒らされるのは気に食わねえだろうしよう」

 一時的に敵を同じにしたセミチェルキオとリネアの動きは無駄がなかった。

 ガーディアンに手を回し、キスタドールという大物を捕らえる手柄を譲ることを餌に通報や見回りでザックたちの位置を把握させたのだ。ガーディアンからの連絡を受け、悠々と現場に乗り込んだドゥーガルやライラたちは先日の通りだ。

 あの裏で起きていた抗争は抗争とは名ばかりの、キスタドールから借りたハートルーザーたちの処刑場になっていたらしい。

「ライラさんのよそ者嫌いが役立つ時が来るなんて。俺はそれに苦労してるのに」

 異物だのなんだのと散々嫌われているザックが苦笑し、肩を落とした。

「今日はそんな話を朝からみっちりされて、へとへとだ。何が嬉しくてボスを並べた前に立たなきゃいけないんだか。帰って食べる気にもならない。寂しいし」

「ははは。しっかり食わねえと、まあたテリーに痩せただのなんだのって文句言われるぜ」

 そう言いながら、シルヴェスターはぱりっとしたレタスを挟んだサンドイッチをザックの前に置いた。熱々のパンにとろっとした卵、そしてカリカリのベーコンの香りが空っぽの胃を満たす。

「あの状況に丸一日いたら食欲も失せる……」

 そう言いながらもザックはサンドイッチを一つ両手で持ち上げる。

「その心配性の相棒はどうしてる? 檻の中で大人しくしてんのかあ?」

「大人しくしてるかどうかは知らない」

 ザックが大きな一口でがぶりとサンドイッチにかぶりつく。

 キスタドールとの衝突からは数日が経っており、一時は病院で治療を受けていたテリーだが現在はガーディアンの監視に置かれて勾留中である。ザックは二大ギャングから面会禁止と言われており、テリーが大人しく取り調べを受けているのか、普段どおり生意気を言っているのかは知ることが出来ない。

「しっかし、揉み消しだのなんだのはギャングに属してりゃあいろいろあんだけども、配達屋ってなるとどうしようもねえよなあ」

 ザックが食べかけのサンドイッチを皿に置き、シルヴェスターから目を逸らした。口の端がひくりと引きつる。

「どした? そんな顔してよう。マスタードがきつかったかあ?」

「……実はセミチェルキオに属してたり、する」

「うん? 誰が?」

 シルヴェスターの気の抜けた声に、ザックもぐんにゃりと力を抜く。

「……俺」

「は?」

「明日付けで配達屋はセミチェルキオ傘下。だから、ここにこうやって飲みに来るのもこれが最後になるかも」

 カウンターの向こう側でシルヴェスターが硬直した。

 そして、たっぷり十秒は沈黙した後。

「えええええええ!」と店に響く大声を上げた。



「それで、引っ越し?」

「そう、引っ越し。ここじゃテリトリーから遠すぎるって」

 ザックの隣に立ったマーサはテリーの部屋の乱雑さを見て「想像通り……」と呆れた息をついた。

「この部屋、俺だけで片付けられる気がしなくて……。どれが捨てていいものかも分からないし」

「わたしだって分かりませんよ」

「だけど、君が処分したって言えばテリーも納得するだろ?」

 マーサはむっとした顔を作ったが、すぐに破顔した。くすくすと笑いながら長い袖をぐいと押し上げた。

「テリーに文句を言われたら、ザックに捨てるよう言われたって言いますからね」

「あはは。そうしたら二人でプディングでも作ってご機嫌取ろうか」

 狭い部屋に二段ベッド。マットレスがある上段にも物がごちゃごちゃと乗っているし、下段に収まっている棚もどこに何をどう詰めたのか分からない状態である。

 なかなかに気合が必要そうな部屋に二人が勢いのあるため息をついた。

「ハルは後からリンジーさんと来てくれて、一階の荷物をまとめてくれるって。昨日の内に俺の部屋とリビングは終わらせたし、最大の難所はここ」

 難所に相応しい散らかり具合にマーサは覚悟を決めて中に踏み入る。

「床に放り捨てられてた服はもう詰めたんだ。これだけでもかなり片付いた気がする」

「どんな状況ですか、もう。……片付けるように言わなかったの?」

「普段から言ってた結果がこれ。俺が勝手に片付けると怒るし、なかなか触れなくて」

 ザックもマーサに続いて部屋に入った。とりあえず事を始める前に窓を開ける。

「とりあえず、適当にいらなさそうな物は捨てましょうか」

「うん。賛成」

 マーサが拾い上げたいらなさそうな物第一号は、襟首が伸びきって雑巾のように足跡がついたスウェットだった。



「お前さんたちの後にどっかの誰かが住んでくれりゃあいいんだけどもね。暫く空き家になっちまうし、まったく困ったもんだよ。住んでなくとも埃は積もるし手入れが面倒で仕方ないったらありゃしないさ」

 リンジー手作りのアップルパイに、ザックが包丁を入れた。

「俺もまさか引っ越しまで条件に入ると思ってなかった」

 ハロルドが箱詰めされる直前の皿を出してザックの横へ置く。

「あはは。俺は引っ越し大歓迎ですよ、ご近所さんになりますし。それに、セミチェルキオじゃなくてリネア傘下に入ってたらお得意さんが一人減っちまうところでしたからね。ありがたいもんです」

「もう、ハルったら! ザック、セミチェルキオに入ったからってあまり無茶しないでね。抗争にも出なきゃならないの?」

 マーサはハロルドを小突いてから、蒸し終わった紅茶をカップに注いでいく。

「さあ、どうだろ。俺なんて抗争なんかの役に立たなさそうじゃない?」

 フォークを探していたリンジーが鼻を鳴らした。

「ハートルーザーが何言ってんだい。怪我でもしてギャングなんてとっとと引退しちまいな!」

 切り分けたアップルパイを皿に乗せながら、ザックがちらりとリンジーを振り返った。フォークの位置を教えてから、苦笑いをする。

「その話、リンジーさんも知ってた?」

「知ってるも何も、知らない奴の方が少ないくらいだよ、この大馬鹿もん! まったく、揃いも揃ってここにゃあ馬鹿ばっかりさ!」

 フォークを見つけ出したリンジーがザックの背中をぱしんと一つ叩いた。ザックは背中をさすってから「いやあ、まあ」と言葉と笑みを濁す。

 二大ギャングと今後の話をした際、ザック自身の正体はドゥーガルとライラ、そしてその側近たちにだけ明かしていた。

 怒りのハートルーザーである事実が知られた状態で結ばれた契約の中には、ザックが抗争に関わらないことも明記されている。ザックがウォリアーとして戦線に出れば、セミチェルキオとリネアのバランスが崩れてしまうからだ。

 加えて、ザックの影も表向きには伏せることになった。ハートルーザーであること自体は広くに知られているため、今後は苦しみの影ということにするらしい。

 ザックはテーブルの向こう側で勝手に決まっていく話に口を挟む気も間もなく、帰ってから「苦しみがないってどういうこと?」と一晩中頭を抱えるはめになった。結論はまだ出ていない。

「とりあえず、テリーが出てくるまではのんびりまともな配達屋さ。場所が変わるだけ」

 キッチンにある作業台兼テーブルに紅茶とアップルパイが並ぶ。

「ふん。それでその馬鹿な坊やはいったいいつ戻ってくるんだい? ガーディアンになんぞなあにしてたら捕まるんだか! 本当に困った悪ガキだねえ!」

 ザックは憤慨しているリンジーに「いやあ、まあ」と再び言葉をぼかした。リンジーは歯切れの悪い相槌に顔をしかめていたが、ザックは逃げるように折り畳みの椅子に手を伸ばす。

「戻ってくるならいいんですよ、ね。ほら、リンジーさん、紅茶が冷たくなるまえに食べましょう」

「そうですよ。兄さんが帰ってくる前に食べないと、全部食べられちまいますからね」

 ハロルドが茶化すと、マーサとリンジーがそのおかしさに笑い声を揃えた。

 ザックはその和やかな時間を見つめてから、さっきまでアップルパイを切っていたキッチンを振り返った。

「……次のアパート、オーブンはあったっけ。ケーキ焼かなくちゃいけないのに」


【あれから数日】

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