111 Kiss The Dust
テリーの足が地面に触れ、そのまま崩れるように膝を折った。開放された首を押さえて咳き込みながら必死に肺へ酸素を送る。心臓がばくばくと脈打って体中に酸素を回そうと大慌てしていたが、テリーはすぐに顔と腰を上げる。
「ザ、ック――! げほっ、ザック!」
ザックが前に飛び込んできた辺りから記憶が白んでいてよく分からない。
目の前の背中を掴むと、ザックの体はぐらと揺れた。テリーは慌てて支えようとするが、ふらついた足では体重を抱えきれずそのまま下敷きになるように尻餅をついた。
「おい! ザック!」
「――こ、わすぎて、腰、抜けちゃった……」
テリーの大きな呼びかけに、ザックが弱々しい声を上げた。へたりこんだザックはテリーを顔だけで振り返り「死ぬかと思った……」と引きつった顔を見せた。
この一瞬で最悪のことが頭に浮かんでいたテリーは言葉も出せず、文句の代わりに彼の側頭に頭突きを食らわせた。
ザックがテリーの暴力的な文句に頭を押さえて呻いているのをよそに、テリーはその下からずるずると這い出た。腰が抜けて座り込んだザックを見下ろすと、彼の胸には穴の空いた銀の懐中時計がぶら下がっていた。その下の服が裂けて血が滲んでいるが、大した怪我ではなさそうだ。
「……はッ。お守りがちゃァんと役に立ったじゃねェの」
壊れた銀の懐中時計に出来た穴から覗く中身はただのがらくたで、中に詰まっていたはずの怒りや悲しみの感情は見えない。
テリーが鼻を鳴らし、ザックと同じく力なく座り込んだノーマンへ意識を向けた。
ノーマンは自身の手でザックを――アランを――殺しかけたことがあまりに衝撃的だったのか虚脱状態になっていた。茶色の目は先程までの攻撃的な光を失って、呆然とザックを見つめている。
「……どうして」
乾燥した息がこすれるような声だった。
「どうして、お前は……そこまで――テレンスのために」
小さくぼやくノーマンへ、テリーが一歩一歩とゆっくりと近づく。
「俺はテリーを救うって決めたんだ。……君には、分からないさ」
ノーマンはザックの小さな回答を聞き、じっくりと脳で噛み砕いて嚥下し、目の前のテリーを見上げた。
何もなかった瞳に憎しみの色が滲みだしたのを、テリーは冷ややかに見返す。
「……殺すなら」
憎しみに加えて、まるでそねむような。
「お前がアルを殺したその手で」
静かな、怒りも混ざったような混沌とした言葉に終止符を打とうと、遠くからの銃声が響く。
飛んできた銃弾はノーマンの体に狙いがつけられていた。しかし、テリーの影がそれを叩き落とす。
テリーは撃ち抜かれた言葉を拾い上げ――
「お前のオネガイなんて聞くかよ、くそったれ」
ごみ箱へ投げ捨てた。
そして、彼は銃弾が飛んできた方を振り返って手を上げた。
「――どうなった。外したんじゃないだろうね」
遠くにある人影を見ようと、ライラが目を細めた。しかし、幾ら目を凝らそうとも人影は小さく詳細は分からない。
「いいえ。影に弾かれました。あれは――」
小さなアパートの屋上、寝そべるようにして狙撃銃を構えているのはラモーナだった。
「ザックか」
「いいえ。脅威のものかと。――ボス、脅威より手信号。……手を出すな、と。いかが致しますか」
スコープを覗いたまま微動だにしないラモーナの指は引き金の横に添えられている。
「テリーの影だって?」
ライラが大きく舌打ちをし、整えられた爪を拳の中に握り込んだ。
「異物のために感情を殺したか。……あぁ、本当に異物は気に食わないねぇ。いつかぶち殺してやるよ、ザック」
ぶつぶつとぼやいたライラが拳を開いて横へ出す。爪の跡が残った手のひらに、ジェフリーが単眼鏡を置いた。
「ラモーナ。とりあえずは覗くだけにしておきな」
「分かりました、ボス」
ライラは単眼鏡を覗き、こちらが見えないはずのテリーが顔をこちらに向けているのを確認した。鼻を鳴らす。
「テリーに気付かれたなら言う通りに様子を見ててやろうかしらねぇ。――ジェフ、セミチェルキオへ知らせてきな」
「はい、ボス。すぐに伝えてきます」
ジェフリーが軽く頭を下げ、駆け足で屋上から姿を消した。
ライラは煙草を加え、控えている若い構成員の手を遮って自分で火をつけた。寒い空気の中、紫煙はあっという間に流されて消えていく。
「ふふ。ここからが面白くなるよ、テリー。あんたはどうするんだろうねぇ?」
響いた銃声にザックとノーマンは仲良く驚いていた。
テリーは何度か同じ手の動きを繰り返した後、二発目が来ないことを確信して頷く。
「テリー、今のって……」
「さァな。ドグ兄あたりが誰か寄越したのかもしれねェぜ。……となると抗争も落ち着いたのかもしれねェな。ザック。そうなら時間がねェぞ」
視線が見えない狙撃手へ向いたノーマンに注視しながら、テリーはそろそろとザックの元まで下がる。手を出しだすと、ザックがそれをしっかりと握った。
手を引かれてどうにか立ち上がったザックとノーマンとの目が合う。ザックは少し悩んでから、目を細めて微笑んだ。握っていたテリーの手を離す。
「てめェで殴りてェなら今のうちだぜ」
ぐっとテリーに背中を押され、ザックは小さく頷いて足を前へ出す。
「……殴れば目を覚ます、なんて都合のいいことは流石に思ってない。君はキスで目覚めるお姫様でもないし」
一歩、二歩。
ザックがノーマンの眼前に立つ。ノーマンの静かな瞳を見下ろす。先程まで睨み合っていた時の激しさは消えていて、それは昔から知っている目と同じだった。
「もちろん、俺だってお姫様を助けて抱き上げる王子様じゃない」
小さく一人で笑うと、つられてノーマンも困ったように表情を緩めた。
「……アル」
「俺はゼカリア。アランは殺してもらった」
ザックが手を伸ばすと、ノーマンはその手をじっと見つめた。ザックは取られない手を差し伸べたまま、深く一度だけ息を吸い込んだ。
「同じだった理想が違えてしまった時点で、俺は君の敵になったんだ。だから、君と友人だったアランではいられなかった」
「……そうか。キスタドールを抜きにしても、アランには戻らないか」
ザックは答えない。
ノーマンはその手を掴まず、自ら立ち上がった。
「俺はお前を思っていた」
少し上にある、幼馴染の顔は数年前に見た時と変わらない。写真で見た黒く長い髪もなく、余計に懐かしさがあった。
「俺も君は大切な人だって思ってた。ずっと一緒の、兄弟みたいな親友だって。――だけど……だからこそ、俺は君を裏切れた」
ザックはノーマンの表情が湿気た寂しさで歪んだことに戸惑って唾を飲む。
しっとりとした寂しさを噛み締めるように、ノーマンが目を細める。
「俺もお前が大切だった。――いや、今でも大切だ」
「そう? ありがとう」
軽い、心のこもらない礼に、ノーマンはゆるゆると頭をふる。
「だけど、意味はお前の大切とは、きっと違う」
違うと言われた意味を図りそこね、ザックが瞬きを二度。数歩離れたところにいるテリーだけが僅かに表情を変えた。
「お前がいれば、亡くしたものだって蘇る気がした」
ノーマンは苦笑して、ザックを見上げた。
「ゼカリア。――王子様のキスなんていらない。ただ、昔と同じように――友人として、俺の目を覚まさせてくれないか」
ザックは静かに右手を拳にする。
「ノーマン」
小さく名前を呼ぶと、過去の友人は瞼を下ろした。
【目覚めのキス】




