110 Not You
ノーマンの影はまっすぐにテリーの胸へ、心臓へ狙いをつけていた。しかし、その影は脇腹を深くかすっただけだった。
テリーが傷口を押さえて歯を食い縛る。その彼の首根っこは自身の影が引っ張っていた。
「今のを、避けるのか!」
「――ゥうあああああァッ!」
吠えたテリーが前へ踏み込む。
金色の瞳がぎらりと刃物のように光ったように見えて、ノーマンの背中に冷たいものが浮かんだ。腕に鳥肌がたち、思わず後ろへ下がる。そして、テリーに向け、今度は隙なく四方から影を立ち上げた。それでもテリーは逃げようとしない。
テリーがノーマンへ拳を当てるよりも黒い蔓が四方から彼を締め殺す方が速いはずだったが、ノーマンは彼の気迫に押されて決断が遅れた。攻撃の意思が影に伝わる前に、ザックの影がテリーを掴んでその場から離脱させる。
「馬鹿なことしないで!」
大慌てでテリーを回収したザックが叫ぶと、テリーは初期位置である隣に戻されながらも「うるっせェ! 邪魔すんじゃねェ!」と怒鳴り返す
「君が死ぬところだった!」
「てめェのために死ぬ程度、何も怖くねェんだよ、ボケ!」
影がテリーを離すと、彼は脇腹を抉った傷を左手で強く押さえた。
「やめて! そんなことしないで!」
「オネガイなんて聞かねェぞ、くそったれ!」
テリーがザックの太ももをがしっと蹴ると、彼は「蹴らないで!」と声を上げたが迫力はない。
これだけやっても合図なしじゃ怒れないか、とテリーは小さな舌打ちをして傷口から手を離す。血は止まっていないし、ルースにつけられたナイフの傷の方が浅いくらいだ。痛みがずきずきと脳に上がってきて、テリーはそれを振り払うように頭を揺らす。
「あァくそ……喧嘩は後にしようぜ、相棒ちゃん。――あの野郎、影の使い方が断トツに上手ェな。避けるので必死だぜ」
「俺とは違って研究熱心なタイプなのさ」
そう言いながらザックは影を最大限に利用し、近づいてくるノーマンの影を片っ端から潰していく。
「怪我は?」
周囲で影が荒れ狂っているのに気味悪さを感じながらもテリーは緩く頭を振る。
「良くはねェ。でも、まだ動ける。――あの野郎、僕狙いなのはぶれねェな。てめェがいっくら隙だらけでも影を使わねェ」
ザックがテリーに集中して自分の周囲が疎かになっていても、ノーマンはそちらには影を差し出さなかった。そのことに気付いていないのではなく、気付いていて尚そうしているのだとテリーは感じていた。
「何がなんでも俺に戻ってきてほしいみたい。……君がいなくなれば俺の居場所がここじゃなくなるだろうって」
「はッ、随分愛されてんじゃねェかよ」
馬鹿にしたように言いながら、テリーは顔をしかめて胸をさすった。言葉と感情が妙に噛み合わず、違和感がそこに残っている。
「……大丈夫?」
気付いたザックが眉をひそめる。
「感情なんて亡くすものじゃないだろ」
「うるっせェ」
吐き捨てたテリーがシャツを脱ぎ、ルースのナイフで出来た裂け目から引き裂く。包帯には大雑把すぎるそれをしっかりと脇腹に縛り付ける。完全な止血には程遠いが、何もしないよりはましだと、テリーは一つ頷いた。
「なんにせよ、てめェに手出ししねェのは都合がいいな。僕が集中出来る。――ようし、行くぜ」
すいとテリーが足を曲げ、重心を落とす。
「動いて大丈夫?」
「さァな」
ザックが判断つかないと顔を歪めている横で、テリーが弾丸のように飛び出した。
「ここまで反応出来る人間がいるとは思っていなかった」
ノーマンの淡々とした褒め言葉に、テリーは右頬を吊り上げた。
「目でしかものを見てねェ奴とは違ェんだよ、バァカ」
強気に言葉を選ぶテリーだが、先程までの勢いはない。ノーマンの影を避けることに手一杯なまま、片目を歪め、右手で右耳を塞いだ。
痛みからか、この長く続く張り詰めた神経の影響か。聞えるはずのない銃声が脳髄を揺らしていた。戦闘の興奮と暴力が、快感と繋がりそうで繋がらず、もどかしさが体の奥を熱くかきむしっている。かきむしられた内蔵が吐き気になって迫り上がり、テリーはごくんとそれを飲み込んだ。
鬱陶しい幻聴から逃げようと首を振り、ノーマンから距離を取ろうと後ろへ下がる。
「テリー!」
離れているザックにもテリーに現れた急激な不調は見て取れた。僅かな反応の遅れが死を呼び込むこの状態で、一番恐れていた状態だ。
奥歯に力を込めたザックがテリーを守るためにそちらへ重点的に影を送りだす。
「テリー! 俺の声だけを聞いて! 大丈夫だ!」
声を張る。
それにテリーが右手を、ぐ、ぱ、と握っては開いて応答した。了解という反応がすぐにあることに安堵する。
「大丈夫、テリー! 俺はここだ!」
どうにかノーマンを止められないか、とザックがちらとそちらへ目を向ける。すると、ノーマンは不機嫌そうに眉を寄せていて、視線がぱちりと一直線に揃う。
「……そんなにテリーが気に食わない? 怖い怖い」
ノーマンはどうしてここまで俺に執着するんだろう、と疑問が浮かぶ中で「テリー! 大丈夫だ! 銃声なんて聞こえない!」と同じ言葉を繰り返してテリーへ届けていく。
昔、ザックと――正しくはアランと――ノーマンは同じ孤児院にいた。互いに両親を亡くし、孤児院で共に過ごした幼馴染のようなものだ。周囲からは兄弟みたいだと言われるほどの仲で、何をするでも二人は一緒だった。隣り合って成長し、同じように国のあり方に不満を持つようになり、同じ志を持ち――二人は離れ離れになった。
「どうして、こうなったんだろう……」
そして、今の二人はこうして互いに睨み合っている。
居心地の悪さにザックは目を伏せ、一つだけ息をついて顔を上げた。そして、その僅かな間だけでも、目を離した自分を激しく責める。
「――テリーッ! 避けてッ!」
なかなか距離を詰められずに苦戦しているテリーの真後ろに、細い影が蛇のように鎌首をもたげていた。
ザックが叫びながら走り出す。
「ノーマン! やめてッ!」
炎の影が蛇を殺す。しかし、蛇は何本にも分裂してテリーの首へ伸びた。ザックが幾つも引き千切り、テリーが避ける。しかし、それ以上に影が増えていく。
するりと音もなくテリーの首に巻きついた影が、ぐいと気道を押しつぶす。相手が人間であればどうにかなるかもしれないが、影は掴もうがひねろうがなんの変化もない。テリーは空気の出入りがない口を開くが、追い打ちをかけるように蛇は首を締め上げたまま彼の体を持ち上げる。つま先が最後まで抵抗を見せるが、すぐに浮いて揺れるだけになった。影で足場を作ろうにも押し潰される。
「テリー!」
ノーマンが先程狙いを外した、細く鋭い影をもう一度テリーに向けた。
「やめて! ノーマン、やめてッ!」
ザックがそれを阻むためにテリーの前へ影を立ち上げる。テリーに群がる蛇をひっきりなしに引き千切ってもいるが、速さが追いつかない。
盾に割ける影も最低限になり、ノーマンはそれを蔓の束で引き倒した。
同時に、ノーマンの鋭く尖った影の先がテリーを貫かんと動いた。
「――アルッ!?」
しかし、影はびくりと震えてすぐに静止する。
テリーの前には両手を広げたザックが立ち、壁となっていた。
震えるほど息を上げたザックの胸には、鋭い影の先が埋まっていた。
【お前じゃない】




