108 Conflict Of Heart
「――ルースとマーシーはどうした」
ノーマンの目が驚愕に開いていた。まん丸になった瞳に映ったテリーは眉間に皺を寄せ、鼻で笑った。
「僕がここにいる理由がそう幾つもあるかよ、バァカ」
テリーが頬の古傷を親指でなぞると、赤黒いものがこすれて伸びた。
「ま、さか……そんなことが」
ノーマンが喉元に引っかかった言葉を無理矢理引っ張り上げる。
その隙にザックはノーマンの影を壊して脱出し、テリーの方へ駆けつけた。
「テリー! 大丈夫? 折れてない? 刺されてない?」
「いちいち騒ぐんじゃねェよ、ボケ」
テリーは落ち着いた様子で腹の傷を指差し「これが一番でけェけど、動けねェほどじゃねェ」と申告したが、視線はノーマンに縫いつけられている。
彼の隣に立ったザックはとっさに反応出来るよう側に影を置いたまま、怪我だらけのテリーを心配そうに覗き込んだ。
ノーマンはそうしている二人を呆然と見ていたが、少しずつ、目に力が戻っていく。
「……アル。先の交渉は、お前の勝ちだったな」
はっとしたザックがテリーを庇うように前へ出た。テリーも文句は言わず、背中を見上げる。
「うん。そうみたいだ。俺も檻から出られたし、テリーも無事だ。――これでも手を引く、とはならない?」
あくまで平和的な解決を望むザックに、テリーは痛みを混ぜるように口元を歪め、それを隠すように俯く。ワークキャップを下げ「ったく生優しいな」と言葉を噛み潰した。
ノーマンもザックの影をどうにか引き剥がし、握られていた腕をそっとさする。
「――テレンスが、邪魔なんだろう」
「うん……?」
つい先程まで力が抜けていたとは思えない、鋭い眼光がザックを貫いた。ザックの表情がひくりと引きつる。ノーマンの影が再び動き出すより先に、ザックは目の前を守る影に意識を集中させた。ほぼ同時にノーマンの影が膨れ上がるように押し寄せてくる。
「わ、うわっ」
ノーマンが動き出すのは予想していたものの、想像以上の勢いだったのかザックが気の抜ける声を出す。蔓の集団を焼き潰し、他に何か来ないか探して視線を動かしていた。
影と影がぶつかり、小屋をがたがたと揺らす。
埃を落とす天井をテリーが見上げた。
「おい、ザック。崩れるぜ」
他人事のような忠告に、ザックが「え?」と天井を仰ぐ。
「ああ、もう……。ノーマンがキレると手がつけられない。――一旦外へ逃げよう」
ザックが半身だけ振り返って、テリーの腕を掴んだ。しかし、テリーはそれを振り払い、視線をノーマンがいる方へ向けた。影が幾重にも重なり蠢いていて、彼の姿は見えない。それでも、テリーはまっすぐにノーマンを見ていた。伏せ気味の眼光はどこまでも鋭く、錆がない。
「あいつがキレてんのに、てめェがにこにこ優しくお話してやる必要なんてねェよ、ボケ」
テリーの右頬がぎゅっと上がり、歪んだ笑みが浮かび上がる。彼は右腕をまっすぐに持ち上げ、人差し指と中指を揃えて銃を模した。
銃口は影の向こう。ノーマンにびたりと狙いをつける。
すいと指を曲げ、中指と親指を力強く合わせた。
「一発殴って正気に戻すのもオトモダチの役目じゃねェの。――ぶっ飛ばそうぜェ、相棒ちゃァん」
指がこすれる。
パチン、パチン。
二度、テリーの指から放たれた音にザックはくすりとした。
「それ、さっき自分でやったのに」
そして、笑みを消し去る。
「やっぱり君にやってもらわないと、気分が乗り切らない」
ザックの瞳が照準を合わせる。
勢いを増したザックの影がノーマンの影をねじ切っていく。
二つの感情が荒れ狂う中、テリーは少し離れた場所に落ちていた黒い塊を視界に捉え、拾い上げる。彼はザックの愛銃を手に「当ったりィ」とにやりと唇を歪めた。そして、本格的に崩れそうな小屋を見上げ、ベレッタをザックのホルスターに差し込んだ。
天井からの埃が雪のようにぱらついている。
「面白ェよなァ」
手当たり次第ノーマンの影を壊していたザックがテリーの呟きに振り返った。テリーはその頭上から降る冷たい視線にぞくぞくしながら、彼のベルトを掴んで後ろへ少し下がらせる。そして、小屋が崩れる寸前、テリーがさらに強くザックを引っ張った。ノーマンだけを中に残して二人で外へ転がり出る。
「感情なんて曖昧なもんで弱くもなるし、――強くもなる」
完全に崩れ落ちた小屋から埃が舞い、それに反応したザックが尻もちをついたままくしゃみを一つ。そのくしゃみで見せかけの感情はすっ飛んだらしく、普段どおりの落ち着いた表情になってテリーを見上げる。
「じゃあ、君を強くする感情って何?」
「さァな」
テリーは拳を握って、小屋の方を注視している。ノーマンが崩壊に気付いている様子はなかった。ハートルーザーではなく、影を使えないノーマルだったなら屋根や壁に押し潰されてしまっていてもおかしくない。しかし、相手は四大感情の一つを亡くしたハートルーザーだ。その可能性は限りなく低い。
ザックは伸ばされたテリーの手を取って立ち上がる。
「少なくとも、キレて手が付けられねェのはあいつに限った話じゃねェだろ」
尻の雪をはたいたザックが元小屋の瓦礫に目を細めた。
「……そういうものだっけ」
小さく呟いたザックの背中をテリーが平手で強く、押し込むように叩く。
ふらつくほどの衝撃に、ザックが「ちょっと、テリー」と非難するように隣に顔を向ける。そのテリーは瓦礫を見たまま肩をすくめた。
「てめェもそういうもんだぜ。僕が保証してやる。――てめェは怒るのがちょォっと下手なだけェ。それくらい僕が幾らでも、何度でも教えてやらァ」
テリーが指を弾く真似をするので、ザックは苦笑する。
「だから、そんな顔してんじゃねェぞ、くそったれ」
「……俺の顔、見てなくない?」
ちらりともザックに視線を向けないテリーは唇を舐めて、にやりと笑う。
「見えねェでも相棒ちゃんのことは分かんのォ」
ザックは視線の鋭さとは裏腹に軽い口調で緊張をほぐそうとするテリーに胸の中で礼を言う。そして、先程までテリーが戦っていたはずの背後へ顔を向けた。
雪が積もる中、一箇所だけ以上に赤黒い場所が残っていた。一体誰の血かと分かりきったことを考えかけた時、その血溜まりから離れた場所で人影を見つけた。
「――クレア」
体の上に雪を飾った彼女は幾ら見つめても動かない。うつ伏せに倒れたまま、ぴくりとも。彼女の体の下でも赤い血が雪を溶かしているようだった。
テリーはザックが僅かとは言えないショックを受けているのを感じたが、それには一切触れずに彼の脇腹を肘で小突く。
それによって思考を再開したザックは何も問わず、テリーと同じ方向へ顔を向けた。
瓦礫が影によって丁寧にどけられ、傷一つないノーマンが立ち上がる。彼は落ち着いた様子で頭や服に被った埃を払い、白い息を一つ長く吐き出した。
「アルは怒らない。これも、お前のせいか」
感情が乗らない、まっさらな声にテリーは鼻を鳴らす。
「うるっせェ! ザックを勝手な名前で呼ぶんじゃねェ!」
ノーマンの真っ白な肌が、寒さで赤くじんわりと色を持つ。しかし、茶色の瞳はとても冷たく、白黒の世界にあるようだった。
「僕がアランを殺して、ザックを生かした! 文句があるなら僕を叩きのめして奪ってみやがれ、くそったれッ! 僕は、絶対にザックを奪わせねェ!」
【衝突】




