107 Lose It
「アル!」
ノーマンは感情的に声を上げ、ザックへ右手を伸ばしていた。檻に集中していた影の一部をほどき、それをナイフへ向かわせる。怒りの影に力では敵わないが、どうにか無効化させようと喜びの影を花咲かせてナイフをぱくりと飲み込んだ。それに一拍遅れる形で怒りの影がナイフを手放した。
ザックとノーマンの目が合う。
「――騙されてくれてありがとう。俺に自害出来るような度胸はないんだ」
次の瞬間、ザックは影の全てを使って檻を引き裂いた。ノーマンが再生させようとすぐさま影を注ぎ込んでくるが、片っ端から叩き潰していく。
ザックは灰色の瞳の中に、黒の炎を踊らせてノーマンを睨みつける。
「君は昔から俺の泣き顔に弱かった。今もそうであってくれて、ありがとう」
影のスピードはノーマンの方が速く、檻は再びじわじわと編み上がっている。その様子を見ながら、ザックは影の一部をノーマンへ向かわせた。
ノーマンの表情が強張る。苛立ちに、哀しみに、それに――。
「アル! どうしてそこまでしてテレンスを選ぶ!」
まるで涙を吸ったように湿気た声で、ノーマンが声を荒らげた。
「両親を戦争に奪われ、この国を変えたいと俺と望んだお前はどこへ行ったんだ!」
ザックは燃えさかる影の中心で立ち上がり、ノーマンをすいと指差した。ノーマンに向かって影が群がり、彼は檻を作る間がなくなって身を守るために影を編み込んでいく。
その様子から目を離さず、ザックは拳の内側に爪を立てた。
「その俺から、テリーやクレアを奪おうとしているのは、君だ!」
ゆっくりと物音一つ立てずに降る雪が薄く薄く厚みを重ねていた。
土に混じった、それでも白の方が多い地面に赤黒い足跡がつく。雪と血を混ぜる音をたて、テリーは離れた場所に座ったままのマーセイディズへ近づいていく。
「オトモダチは寝ちまったぜ。お前はぼーっとお空を眺めてんのがお仕事かァ?」
雪にも負けない白さを吐きながら、テリーは腹に出来た傷を押さえた。深い傷ではないが、じくじくとした痛みが意識の邪魔をしてくる。
マーセイディズはようやく声をかけられたのだと気付き、ゆっくりとテリーの方へ顔を向けた。肩に雪が積もっていることも知らないのか、払う素振りもなく立ち上がった。
「……いいえ。私の仕事はここを通さないことですわ」
ぼんやりとしたマーセイディズの瞳にテリーが映る。
「邪魔すんなら容赦しねェぞ、くそったれ」
マーセイディズは瞳の中からテリーを追い出すように目を閉じた。
「ですが、命の危険性がある場合はルースさんを連れて逃げなければなりませんの」
敵意が一切感じられないマーセイディズにテリーは顔を歪めた。相対したことないタイプに緊張が解けない。
マーセイディズは影を使って何をしてくるわけでもなく、目を閉じたまま首を傾げた。
「ですが、ルースさんに手出しをするなとも言われていますわ……。いつまで手を出さなければいいのか、よく分かりませんの」
ルースは血溜まりに沈んでぴくりとも動かない。
テリーは背中に悪寒が走って、誤魔化すように拳に力をこめた。彼女の落ち着きは死体を見慣れているからでも、作り慣れているからでもない。単純に理解が出来ないのだと気付いて、テリーは目を細める。
感情を亡くして、壊れた様。
小さな感情一つを殺して壊れる人間はそういない。他の感情を代用して生きていけるからだ。
しかし、大きすぎる感情を殺した結果は、考えるまでもない。
ザックも同じように壊れているのだろうかと、脳の端でちりと火花が散る。崩れかけの瓦礫の上に辛うじて立って笑っているのだろうかと、心臓の奥でごうと炎が上がる。そして、規模は違えど自身も瓦礫を作りだした身であることに、遅すぎる恐れを覚えた。
「……うるっせェ。好きにしろよ、ボケ」
テリーが己の恐怖とマーセイディズを睨みつけると、彼女は目を開いた。生きているのに死んだような目をした彼女はふんわりと礼儀正しく辞儀をし、手袋を外す。肘下から手の甲にかけてある描かれたゲートから影を落とし、ルースを球体で包み込んだ。
「殺意があるようですので、私はノーマンさんの指示を優先させていただきますわ……。ライラさんのお手伝いをさせていただく手筈ですの……」
「はァ?」
素っ頓狂なテリーの声を背景に、マーセイディズは自身も黒い球体で覆った。
テリーはぎくりと半歩下がるが、彼女は先日セミチェルキオから去った際と同じように影から足のようなものを伸ばして離脱する。
あっという間に姿を消したマーセイディズを見送り、テリーはようやく思い出す。
「あァ。抗争起きてんだっけ。……――はァ。死体と瀕死の見分けもつかねェのかよ」
赤い染みだけを残した、もういない姿を嘲笑したテリーはふっと表情を消した。
小屋が先程から騒々しい。マーセイディズと戦わずに済んだことに僅かな安堵があったが、それもすぐに消え去る。舌打ちを一つ。
「……リネアへ加勢か。あーァ、後でドグ兄に怒られそ」
「君がやってることは、こういうことだろ!」
ザックの影がノーマンを捕らえようと黒い蔓を引き千切っていく。ノーマンは自身を守るため、ザックへ影を送る余力もなく全力で蔓を編み上げていた。
「力を力でねじ伏せて、支配して! 力ずくで自分の思い通りを描いている!」
「話が通じないこの国には――力こそ正義のこの国には、こうやって見せつけるのが確実だろう! 俺は国を武力で支配するようなことはしない! あいつらとは違う!」
「おんなじだ!」
ザックが強く、一歩を踏み出した。それに呼応するように炎のような影がノーマンの影を薙ぎ払う。
パワーではザックの影が、スピードではノーマンの影が、それぞれ抜きん出ている。しかし、それ以外のバランスは大差ない。素早く組み上がるノーマンの蔓が一薙ぎで叩き潰され、そこから追撃までの間に蔓は背を伸ばす。終わらないせめぎ合いが二人の間で繰り広げられていた。
ザックはなかなか近づけないノーマンを睨みつけ、ノーマンはその熱い視線をまっすぐに受け止める。
「その目はなんだ、アル。そんな偽物の怒りで、俺が怯えるとでも思うか!」
はっきりと苛立ちを表し始めたノーマンに、ザックは口元だけで微笑む。
「偽物でも、これは紛うことなく俺の感情だ! 見せかけでも喜ぶことを忘れた君には分からないだろうさ!」
ザックは右手をまっすぐ前へ伸ばした。親指と中指を合わせ、力をこめて弾く。
パチン、パチン。
「死んだ感情は蘇らない! だから、俺はもう二度と俺の感情に負けない!」
笑みを消したザックがさらに一歩。炎は彼の通り道を開けるよう、蔓を引き千切る。
ノーマンが壁に背をつけるまで下がり、目の前に一枚岩のような影を作り出した。編み込んでいない分強度はないが、作り上げるスピードは更に上がる。
「これ以上亡くしてたまるか――!」
その真っ黒な一枚岩をザックの影が真っ二つに引き裂いた。二枚岩になったそれが一枚に戻るよりも先に、ザックは別の影を伸ばしてノーマンの肩を掴んだ。
驚愕したノーマンをそのまま壁へ押さえ込む。
「これ以上もこれ以下もあるものか! 見せかけで繕うことになんの意味がある!」
ノーマンの叫びが、影を伸ばしてザックの手を掴んだ。
互いが互いを掴んで拘束した状態で睨み合う。
そして、沈黙の糸が切れる頃、扉が勢いよく内側に倒れた。扉を蹴破ったのか、両手をポケットに突っ込んだまま足を上げたテリーがそこにいた。
「ザック! 段取り通りっつったのはてめェだろうが、ボケ! 何してんだ、バァカ!」
沈黙を引き裂いたテリーはノーマンに一瞥もくれず、苛立ったように血の混ざった唾を足元へ吐いた。ポケットから手を出し、鼻血の跡を拭う。
「遅ェぞ、くそったれ! とっととけりつけて僕を迎えに来るんじゃねェのかよ!」
勢いに乗ったテリーの登場に、ザックは力が抜けたように表情を緩めた。
「テリー」
「うるっせェ!」
小屋を渦巻く雰囲気を蹴り壊したテリーはふんと鼻を鳴らす。
「段取り通り大人しくお外で待ってたら凍っちまうぜ、相棒ちゃん!」
そして、テリーは中指をまっすぐに立て、手の甲をノーマンに向けた。にやりと笑う。
「――お待ちかね、脅威のご登場だぜェ? しっかり喜べよ、くそったれ」
【感情】




