105 Prison
ザックは目の奥の熱を感じながら、檻の内側でずるずるとしゃがみこんだ。
テリーとモニカが戦った結果は容易に想像がつくし、先程から聞こえ始めたルースの笑い声がその勝敗を決定的にしている。
「……君は、心を亡くして変わってしまった。キスタドールだって、こんなことをするために作ったわけじゃなかっただろ」
先のテリーとルースの勝負ではテリーが大怪我を負っている。それもルースに油断があった状態でだ。あの時よりも慎重に動くであろうルースに、果たして彼はいつまでもつのかとザックは恐ろしさに目を細める。
「何が変わった? 俺の理想も目的もなんら変わっていない。――アル、何がそんなに不満なんだ」
「ゼカリア」
ザックの素早い指摘に、ノーマンの眉間に皺が寄って眉尻が下がった。
「……その名前は好かないな。本の登場人物からでも持ってきたのか」
「テリーがくれた名前にけちつけないで。俺は気に入ってる」
ノーマンがしゃがみこんだザックを圧縮するように檻を一回り小さく絞った。植物の蔓のように編み込まれた檻の隙間が埋まり、密度がぐっと高くなる。
ザックは小さな隙間からまっすぐにノーマンを見上げた。
「力を力で解決するなんて、君の理想じゃなかった。だから、俺は昔の君について行ったんだ。どこまでもついていけると思ったんだ。――今の君は、そんな、俺が知ってる君とは遠すぎる」
力が目的や理想になるなんて君らしくない、とザックが拳を強く握り、そして広げる。
ノーマンはそこから目を逸らさず、気軽に肩を上下させただけだった。
「何を言われたって、俺はキスタドールに戻らない。例え、君が以前のように戻っても、俺はここを離れない」
檻の中、ザックの背中から這い出た影がぱちぱちと蠢いた。火花を散らすよう揺れる影を見ながら、ノーマンは「そうか」と僅かに頷く。
「俺が変わっても、俺が幾ら元に戻ろうとしても、お前は戻ってくるつもりがないんだな。――分かった。アルが蘇らないなら仕方がない」
恐ろしいほどにすんなりとした納得に、ザックは警戒しながら首を傾げる。
「……分かってくれて何よりだ。このまま俺を殺してさよならでもする?」
そう言いながらも、ただで殺されるつもりなどないとザックは肺を大きく膨らませた。ノーマンが本気で殺しにきた場合にどう対処するかは何度も考え、頭で繰り返してきた。しかし、それを実行するとなると、考えてきた幾つもの手段が緊張でまとまらない。
なんとか落ち着こうと深い息を何度も繰り返していると、ノーマンが檻の真ん前でしゃがみこんだ。喜びの感情を殺して以来、あまり笑わなくなった彼が口元を僅かに緩めているのがよく見えた。
「さよならだって? そんなことするものか。……お前が俺の側に戻ってこなくても、お前が名前を捨てたとしても、今、俺の目の前にいるのはお前だ。お前を殺したりするものか」
優しい、よく知った、身に染み込む声だった。
ザックは声の侵食を振り払うように、冷たい笑みを浮かべてみせる。
「へえ? 君が裏切り者にそんなことを言うとは思ってなかった。――君が欲しいのは俺じゃなくて怒りのハートルーザーだろ。四大感情の儀式はリスクがでかすぎて、他になかなか作れない。だから、俺に戻れって言ってる」
ノーマンが檻に手を突き、ぐいと押し込んだ。それに合わせて内側のスペースが更に狭くなる。ザックは自身の影で檻を押し返すが、立ち上がるスペースはなくなった。
殆ど自由がなくなったザックの目の前にずるりと穴があく。その隙間からノーマンが手を伸ばし、ひたりとザックの首に触れた。
「違う。お前以外に怒りのハートルーザーを作ろうと思ったことなんて一度もないし、これから儀式を行うつもりもない。……お前だから、戻ってきてほしかった」
首筋を指ですいとなぞられ、ザックは狭い中で身をよじって手首を掴んで押し返す。細く、どちらかというと女性的ななめらかな指先が顎をかすった。
「ただ、それももう叶わないわけだ……」
ノーマンが手を揺らすので手を離すと、彼はするりと手を引っこ抜いた。その隙間をこじ開けてやろうと影を伸ばすが、ノーマンの影が塞ぎ切る方が速い。
「分かってるならここから出して!」
ルースの笑い声はまだ続いていた。あのテンションが維持されているうちはテリーの相手をしているだろうし、彼は無事に生きているはずだ。
「ノーマン! 話が終わったならここから出して! ルースを止めて!」
ザックがキスタドールへ戻ることを拒否し、ノーマンがそれに理解を示す。
それだけ言えば拍子抜けするほど平和的に話は終わったはずだ。しかし、ノーマンはザックを檻から出そうとしないし、邪魔者だからと殺すわけでもない。
立ち上がったノーマンは口を真一文字に締めて、ふるふると頭を振った。
「話は終わった。――ここからは交渉だ、ゼカリア」
黒の蔓がザックの手首を掴んだ。ベレッタをこっそり抜こうとしていた手が止められ、ザックは奥歯に力を込める。
「アルを殺して、ゼカリアという名前を与えたのがテレンスなんだったな」
ノーマンの冷たい茶色の瞳にザックは反応を返せず黙って、手首を掴んできた蔓を自身の炎で引き千切った。しかし、その間にベレッタはノーマンの影に奪われてしまう。
「お前の中でテレンスの存在が大きいのはよく分かった。お前の名前も影も知っているあいつが大事な存在になるのも理解できる」
影に運ばせたベレッタをノーマンが手に持つ。使い込まれたそれをまじまじと眺め、少し迷った手つきでそれをしっかりと握る。
「……君が分かるような簡単な理由でテリーと一緒にいるんじゃない」
この距離で撃たれたとしても、影が反応して叩き落とす。そのことはザック本人もノーマンも承知だ。撃つことが目的ではないはずだとザックは銃口の行き先を注視する。
「そうか。……だが、お前がテレンスに縛られているのは事実だろう?」
「違う。俺が彼を縛ってるんだ」
硬い唇の内側を噛んだのか、ノーマンの真一文字が崩れる。
「――ふん。どちらでも、いい」
気持ちを切り替えるようにノーマンは勢いのある息を吐き、ベレッタの先を窓へ向けた。
「お前がキスタドールに戻るなら、すぐにでもルースを止めさせる。ルースの騒ぎ方を聞く限り決着はまだのようだ。今後も彼には一切手を出さないことを約束する」
戻らなければどうなるかと問う必要もなく、ノーマンは続きを淡々と並べていく。
「だが、拒否した場合は、お前の銃で大事な相棒を撃ち殺す。どれほど強くともたかがノーマルだ。俺とルース二人でかかれば容易いだろう」
ザックが銀の懐中時計を握りしめる。深く考える必要もなく予想出来た、人質。
「なんならマーシーに任せて、お前のその手で相棒を撃ち殺すか? 相棒がお前の銃で自害する方が好きならそれでもいい」
瞳の奥の熱が零れそうになって、ザックは強引に微笑んだ。
「テリーを殺した後の俺は? 絶望に打ちひしがれる俺も、君が撃ち抜いてくれる?」
「テレンスが死ねばお前がゼカリアを名乗る必要もなくなるだろう。アルが蘇るだけだ」
つ、と涙が滑り落ちた。困ったように眉を寄せたまま笑んだ頬に、涙の跡が出来る。
「君はこんな酷い交渉なんかしないって、心のどこかで信じていたのに。もちろん可能性は、考えてはいた。だけど、きっと、君はこんなことしないって、信じてた……」
ノーマンが僅かに目を泳がせ、逃げるように顔を伏せた。
「俺がテリーを守るために、君の側にいればいいんだろ?」
止められない涙が落下しては、影の炎に飲まれていく。
「――そんなの、お断りだ。絶対に、キスタドールには戻らない」
【檻】




