103 Sacrifice
発砲音が聞こえ、ザックとノーマンは同時に窓の方を向いた。窓には叩けば幾らでも埃を吐き出しそうなカーテンがかかっていて、外の様子は見ることが出来ない。
ノーマンはザックを気にするように見てから、カーテンを少しだけめくって様子を伺った。眉をひそめ、すぐにザックへ顔を戻す。
「お前の相棒は随分荒っぽいな。話には聞いていたが、予想以上だ」
「乱暴者なのは否定しない。だけど、君よりもずっといい人だ」
カーテンをきっちりと閉めたノーマンが壁にもたれかかって腕を組む。
「いい人間が親しかった女性をああも出来るものか」
外の光景を改めて思い浮かべ、ノーマンが表情を歪める。ザックはその表情を見て、体温が急激に下がっていくのを感じた。
「……まさか」
あの場にいた親しいと呼べる女はたった一人。
「クレアを、戦わせてる……?」
「クレア? ――ああ、そういう名前にしたか。本当の名前はモニカだ、ゼカリア」
嫌味に名前を呼ばれたザックはぎゅっと腹に力をこめて声を上げた。テリーの相手はルースだと思っていたところへ割り込んだモニカの存在に唇が震えた。
「どうして! どうして、彼女が……! マーシーに操らせてるんだろ、やめさせて! 彼女がテリーに敵うわけ――」
ない。
ザックは最後の言葉を飲み込む。テリーとモニカで天秤にかけ、彼女の方が重くなっていることに気付き、硬い声が腹に戻っていく。行き場をなくした言葉を押し込めるように、首から下げられた銀の懐中時計を握りしめる。
ズワルト孤児院で越えた一夜で見つけた、モニカの太ももにあるゲート。あれを見つけてから、テリーには彼女へ手を出すことを止めないと言ってある。彼女を好きにしていい、とも。そして、テリーがそれを遠慮なく実行することも、悪役を高値で買ってでも彼女を排除することも、想像に難くない。
じゃあ、今の発砲音は。もしかして、テリーが、クレアを。
ザックの背筋がぞくりと泡立つ。浮かび上がった可能性に唾を飲む。どうか無事で、とどちらにも願いながら、目の前のノーマンをまっすぐ見つめる。
「――犠牲が出る方法なんて、昔の君は絶対に取らなかった。そういうのは避けるべきだって言っていたのは、君だ」
幼い頃の記憶がザックの足を引っ張っているような気がした。
「犠牲? ああ、それなら心配ない」
悪戯をする度に呆れたように笑う兄貴分の顔と、目の前の男の冷たい表情が重なる。
「モニカはお前たち側に傾き過ぎた。どんな結末だろうと、あいつは処分の予定だ。犠牲なんてものはない」
そして気付く。
あの日を共に過ごした幼馴染である兄は、紛うことなく目の前にいることに。
ぐいと足を引かれ、落ちるような感覚を覚えながら。ザックは亡くなった感情のどこかが疼く気がして、懐中時計を握る手に力をこめた。
ルースの軽い拳を受け止め、テリーは即座に後ろへ下がった。着地地点に彼女の影が移動してきたのを感じ取り、舌打ちを一つ。それを避けるためにバランスを崩してでも外れた位置へ足を置く。その場では体を立て直さず、横へ転がるように受け身を取って勢いでするりと立ち上がった。
落ち着く間もなく、ルースが自身の影を登って上からナイフを振り下ろしてくる。テリーは背中をぐいと反らせて後ろへ跳び、地面に手を突いてバネのようにして体を跳ね上げた。一回転をして再び足で立ったテリーが脱げかけたワークキャップをぐいと押さえ、さらに彼女から距離を取るために後ろへ下がる。
迫ってくるルースをぼやけた視界と鋭い感覚で追いかけ、予想しながら、テリーはコートを脱ぎ捨てた。雪を溶かす熱い息を吐きながら、シャツのボタンも一つ開ける。
「くっそ……! 二度目は油断してくれねェな。全ッ然当たらねェ」
テリーはルースの攻撃を殆ど避けているが、それ以上に繰り出している攻撃は全て阻まれていた。
「アハハハハハ! やっぱりノーマルなんかが俺様に勝てるわけないんだヨ!」
前回でテリーの強さをたっぷり味わったルースは影をふんだんに使いながらも、自身の側には必ず防御用の影を残していた。彼女も自身の攻撃が当たっていないことは分かっていても、彼の攻撃を防げている分、前回より表情に余裕がある。逃げるテリーを追うのを一旦やめ、楽しげに笑ってその場で飛び跳ねた。
「モニカみたいに簡単に死んでくれるなヨ、テレンス! アハハ、ハハハハ!」
「うるっせェ! だァれが死ぬだってェ?」
テリーはどうやっても彼女へ当たらない攻撃に唾を吐き捨て、ズボンのポケットから雑に折り畳まれた紙を取り出した。
「ったく――お前がそれ以上そんな心配しねェよォに、面白ェもん見せてやらァ!」
紙を唇に挟んだテリーが足元に落ちていたルースのナイフを拾い上げる。
「なんだヨ! そんな薄っぺらな紙一枚で何が出来るんだヨ! 時間稼ぎなんてしたって無駄だカラナ!」
そうは言うが、ルースも息を整える時間は必要だ。言葉の割に飛びかかってこない彼女に、テリーは器用に唇を吊り上げてみせる。
「いーから見てろってェ、カワイコちゃァん。それともお前は待ても出来ねェ犬っころかァ?」
テリーは丁寧に研がれたナイフを右の親指に押し当てた。皮膚が切れ、ぷつと血液が膨れ上がった。
「――あーァ。こんなもん、死んでも押すつもりなかったのに」
口から左手に持ち直した紙は、あの日病室で手渡された真新しい契約書だった。彼はその下部にある自身の汚いサインの隣へ、親指を、血を、ぐっと押し付ける。
「契約完了ォっと。……ったく、これで誰のオネガイも聞かなくて済むぜ」
血が乾くのも待たず、テリーは契約書をぐしゃりと握り潰した。一度長い瞬きをすると、ザックとセドリックの姿が浮かんですぐに消えた。
「契約? なアんの話だヨ!」
その場でぴょこぴょこと軽く跳ねて息を落ち着かせたルースが突っ込んできた。テリーは余裕を持ってそれを避け、契約書をズボンのポケットに押し込む。
「うるっせェ! 僕は紙切れ一枚でいろんなこと制限されてんだよ、ボケ!」
そして、シャツの裾を引っ張り出す。
「頭すっからかんのお前とは違ェんだぜ、くそったれ!」
べ、と舌を出したテリーがルースの攻撃を避けながら再び距離を取っていく。
『どんなに嫌なことでも、不服なことでも、何食わねえ顔で――まるでそれが自分の意思であるかのように従ってやれ。……俺からの最後のお願いだ、テレンス』
自身を縛っていた鎖を一本ずつ解いていく。
『テリー、お願いだ。――簡単に死を選ばないで。そんなこと、言わないで……』
胸にかかったタグをぎゅっと一度だけ握りしめ、僅かに視線を伏せる。
『君は……俺みたいに負けないで』
この手に存在する鎖だけは何があっても外さない、と自らに誓いながら足元に忍び寄る影から大きく飛び退いた。
ルースは攻撃もせずただただ逃げるだけのテリーに、つまらなさそうに顔を歪めて再び足を止める。
「踊れヨ、テレンス! 俺様は追いかけっこがしたいわけじゃないんだヨネ!」
テリーはそこからさらに距離を取ってから、唇を強く噛んだ。そして、息を吸い込んで口を開く。
「――っあァ、堪え性のねェ野郎だな、くそったれ! 面白ェもんが見てェなら大人しくオスワリでもしてろ、ボケ!」
そして、左脇にあるタトゥを見せるように服をまくり、まだ血が乾いていない右の指をそこに押し付けた。ずるりと右指を滑らせる。
マーサに教えてもらった古い文字を二つ、そこへ重ねて目を閉じる。
「愛しみは死体と成って、腐り落ちる。亡骸と繋ぐ門に、生きた血の鍵を」
覚えた言葉を、意味など分かりたくないままに吐き出しながら、テリーはゆっくりと目を開いた。
ルースの驚愕の声が耳に届くが、そちらには目を向けない。
テリーの眼前には、自身の影から立ち上がった薄っぺらな人影がそこにあった。
「……ボス、ザック。ほんっとォに、ごめん」
薄っぺらな影が強く優しく微笑んだ気がして、テリーは不敵な笑みを返して両手を広げる。影の手には、大きな剣のような鋭い影が伸びていた。
こんなことを二人が望んでねェことも。
こんなことをさせるために鎖を切らせたんじゃねェことも。
ちゃァんと、分かってる。
そう囁く胸を、影の剣が貫いた。
「――だけど、これが僕の意思だから」
【亡くなってもいい】




