102 Goog Night
「すぐ殺すなんて面白くないヨネ! ――テレンス、オマエはどんなことをすれば顔を歪めるかナ? アハハ! 相棒を殺そうと思ってたケド、出来なくなっちゃったしネ!」
ノーマンとザックが奥の小屋に消え、ルースはからくり人形のようにかたかたと笑う。
「テレンス。オマエは何をすれば苦悶に沈むのかナ?」
ルースの影が彼女の後ろにいたモニカをひょいと摘み上げた。モニカが「ひゃあ!」と短い悲鳴を上げたが、ルースは一切気にせず彼女をテリーの前へ放る。
着地に失敗したモニカが「いたたたた……」と尻をさすりながら、戸惑った目でテリーを見上げた。
「ソイツ、オマエの女なんだってネ! 聞いたヨ! オマエはそんな相手と戦わなきゃならなくなったらどんな顔するのかナ? アハハ! モニカ、手加減するなヨ! ま、手加減したくたって出来ないだろケド! アハハハ、アハハハハハ!」
その言葉を受け、モニカは頭痛に顔をしかめながらも立ち上がった。
テリーはそれを見ながら拳を強く握る。
「はッ。趣味が悪ィな、くそったれ」
そして、右頬を吊り上げて笑った。
「アル、そんな顔をしてどうした。お前に怒りなんてないだろう」
「……アランは死んだ。俺はゼカリアだ。それに、怒ってるわけじゃない」
小屋の中、ザックとノーマンは影の檻を隔てて向かい合っていた。
ザックの足元では影が炎のように動いていたが、特に大きな動きを見せていない。
「死んだ、か。そうなった経緯を是非とも詳しく聞きたいものだな。――だが、お前がアランであることには変わらないだろう、ゼカリア」
わざとらしい名前の呼び方にザックは眉を寄せる。自身より背が低いノーマンに冷たい目線を向けるが、向けられた当人は平然としている。
「昔話をするのは好きじゃない。……言いたいことがあるならさっさと済ませて」
「さっさと済ませればテレンスを助けられる、か?」
ザックは首から下げた銀の懐中時計を服越しに掴んだ。固くしっかりした感触は間違いなくそこにある。
「それが分かってるなら早くしてくれない?」
「昔のように力ずくで出ようとしないだけ大人になったな」
ノーマンが操る喜びの影は四大感情の中で最も反応速度が速い。こうやって檻を作り上げてしまえば、ザックが幾ら壊そうとも再生する方が早く脱出が困難だ。
過去、遊びで何度となく脱出に挑戦して、その回数分失敗してきた檻である。
ザックは脱出方法が思いつかないのを隠すことなく、悔しそうに奥歯に力を込めた。
「睨み合うだけでは進まないな、話をしよう。――アル、キスタドールに戻れ。何をするでも一緒だっただろう。忘れたのか、共に不満の盃を傾けたことも、夜明けまで語り合ったあの日のことも」
「昔話は嫌いだって言わなかった?」
ザックが檻を両手で掴んだ。蔓がずるずると手の内側で蠢く感覚があるが、それがこの手を縛って動きを封じる様子はない。
「そんなものは捨て去った。アランの名前と一緒に葬った。俺は、ゼカリアだ」
ノーマンが一瞬だけ黙したが、口からはすぐにため息が吐き出された。
「アル。感情とは違って、過去も記憶も葬れない。背中を向けて逃げているだけだ」
ザックは両手を檻から離して太ももの横でぐっと握って目を閉じた。影の炎が踊る。
炎が檻を掴んでは引き千切っていくが、ノーマンの影は蔓の間からあっという間に葉を茂らせるようにして影を重ねて隙間を埋めていく。
「アル、昔のことがまだ心で燻るなら何度でも謝ろう。お前に相談しなかったことは本当に後悔している。あんなことはもうしない。――アル、俺の隣はお前でしか埋まらないんだ。戻ってこい」
燃え盛る炎の中、ザックが灰の色をした瞳を瞼の隙間から覗かせた。
「俺はキスタドールには戻らない。――俺の隣はテリーだ。俺はテリーの隣にいるって、そう決めたんだ」
「はッ! よォやく思い出したぜェ」
テリーは血の色がすれたバンテージを見、その手でワークキャップの位置を正す。
「あの日、僕とかち合ったのはお前だな」
息も乱さず、喋る余裕すら残したテリーは右拳を手の平にぱしんと打ち付けた。
「あん時は逃げたし――あァ、そォだ。靴も片一方置き去りにしちまったんだ。さいってェな初戦だったってわけだ、くそったれ」
ダメージの欠片もないテリーは足元を強く蹴る。
「狭ェで部屋で煙幕使う馬鹿が、まさかお前だったとはなァ、馬鹿女ァ」
影が進路を邪魔してきたが、それを飛び越えて拳を振り上げる。
「ったく。もっと早くに気付いてりゃとっととぶちのめしたってのに迂闊だったぜ」
拳を必死に受け止める姿に何の痛みも感じず、言葉一つ一つに力を込める。
「匂いだの」
右拳が腕を払う。
「声だの、気になってたのに」
開いた顔に左拳が向かうが、それは跳ねた茶色の髪をかする。
「化粧だの香水だので誤魔化しやがって、ちっくしょう」
右足を払う。
「お前くれェのハートルーザー」
テリーの拳が顔を横殴りにした。
「僕ん前じゃノーマルと大差ねェって教えてやらァ」
そして、崩れた胴体には流れるように蹴りが入った。僅かな抵抗で手が伸びてくるが、手の甲で払いのける。
「僕に会ったことねェっつってたよなァ? 嘘だったら容赦しねェっつったよなァ? ――覚えてんだろォ! 馬鹿女ァッ!」
満身創痍で立ち上がったモニカは泣きそうになりながらも頷く。
「覚えてる」
雪と泥でぐちゃぐちゃに汚れ、テリーからの攻撃と落ちた瓦礫によって傷だらけになりながらも、彼女は影を這わせてテリーの足元をしっかりと掴む。
「――上等だぜェ! くそったれェッ! 血反吐吐くまでぶん殴ってやらァッ!」
大口を開けて笑ったテリーが拳を握った。
「ひゅーウ。やっぱりモニカじゃア敵わないネ。ほら、マーシーも見なヨ」
積まれたレンガの上に座ったルースがぱたぱたと足を揺らした。隣にしおらしく座っているマーセイディズは空を見上げていたが、テリーとモニカを視界に移す。
「……これに意味はありますの?」
「なーいヨ! アハハハ! 俺様が楽しみたいダケ! ――だケド、全然楽しくないネ」
マーセイディズが目を閉じたまま祈るように両手を組んだ。信仰先も忘れたという彼女が何にどんな言葉を捧げているのかは分からない。
ルースはその様子を暫く見ていたが「マーシーのそれも意味分かんなーい!」と口をすぼめた。そして、静かになったテリーの方へ目を向ける。
「――アハハ。テレンスはやっぱり狂ってるヨネ。笑ってる」
テリーのサングラスの奥の瞳が自分に向いているのが分かって、ルースは指をぱきりと鳴らして軽やかに立ち上がった。
「マーシー、俺様の獲物だからナ。手を出すなヨ」
「ええ……。ノーマンさんにも従うよう言われていますもの」
マーセイディズのぼんやりした声に満足し、ルースはにんまりと口元を歪めた。
「ザックはお前んことが本気で好きだった。あの色ボケ、ずゥっとお前んことばっか考えてた。――チッ。嫉妬しちまうぜ」
拳をといたテリーは足元に倒れ込んだモニカには目を向けず、そう呟く。視線は次の相手であろうルースを捕まえて離さない。
モニカは何度も殴られ蹴られ、痛みに呻いていた。荒い息を吐きながらテリーを見上げる。影を出そうにも痛みに邪魔をされてゲートが上手く開かない。
「……うん。私も、……きっと、好きだった。好きに、なってた」
かすれた小さな声を、テリーはしっかりと聞き取っていた。ルースがこちらの視線に気付いたことも分かり、奥歯に力を込める。
「テリーとも……、もっと、仲良く、なりたかったな……。もう、無理だよね……」
テリーは腰にぶら下げたホルスターからグロックを抜いた。安全装置を外し、モニカに銃口を向けて引き金に指をかけた。
「お前なんて大っ嫌ェ」
だって、ザックが僕と女とで天秤にかけて、あんなに悩んだのって初めてなんだぜ、くそったれ。
そう胸の奥で悪態をついた後、彼は引き金を引いた。
「――オヤスミ、クレア。良い夢をォ」
【さようなら】




