100 Dawn
テリーが半乾きの髪のまま、熱い紅茶にジャムを落とす。スプーンでぐるりと一周だけかき混ぜ、スプーンと交換するようにザックからマフィンを受け取った。
「テリー、幾つ食べる?」
「んァ? てめェが食わねェ分、ぜェんぶ」
ジャムが沈んだマグカップを片手にテリーがマフィンにかぶりつく。
「……あと五つも?」
「ええェ? だって、これ美味ェじゃん」
彼女は二人がキッチンで立ったまま朝食を摂って穏やかな会話をしているのを眺め、自分がしていることやこれからやるべきことを考えて視線を伏せた。
ザックはマフィンを二つ食べたところで手を止め、残った紅茶を飲み干す。その時点でテーブルの上のマフィンは既に三つになっており、その残りにもテリーの手が伸びていた。
「そんなに食べるなら、もう少し買っておけばよかった。――クレアもそう思わない?」
ザックはさらりと、まるで今日のこれからがないかのように彼女に声をかけた。
声に促されるように彼女が視線を床から持ち上げると、ザックがにこやかに首を傾げていた。黙ったまま視線を奥へ動かすと、先程まで和やかで会話をしていたと思えない鋭い目をしていたテリーと目が合った。
彼女は逃げるように目を背け、奥歯をぎゅっと噛みしめる。
「私、本当の名前はクレアじゃないの。モニカっていう名前で……」
テリーがマフィンの最後の一つを掴んだ。大口を開けてかぶりつくと、口の端からマフィンの欠片が落ちる。
「二人にたくさん嘘をついて……本当にごめんなさい。ハートルーザーのことを調べてたのだって、私――」
「キスタドールに引き込むため、だろ。あれからいろいろ分かったんだ。――取引に応じなかった人を始末していたのも、知ってる。あのコアロって雑誌に君が携わってないことも、ハルが調べてくれた」
ザックはテリーから空になったマグカップを受け取り、シンクにそれを置いた。
テリーは指先のマフィンの甘みを舐め取ってから、その手にバンテージを巻き始める。
「マーシーの影も知ってる。――君は今までやってることに違和感もないで過ごしてきたんじゃない?」
マグカップをざっと洗い、ザックは手を拭いた。体を小さくして消えてなくなりそうなモニカへ苦笑してみせた。
「ただ、君がモニカだっていうのは知らなかった。他にも俺が知らないことってある?」
普段の調子でザックが喋っていると、テリーが咎めるように名前を呼んだ。
ザックがそちらへ顔を向けると、不機嫌そうなテリーが彼をじっと睨んでいた。ぼんやりとピントが合わないはずなのに、研ぎ澄まされた刃のように鋭い視線だ。
「これ以上お喋りしてると相棒くんに怒られそうだ。……テリー、俺も用意してくる。彼女を見ていて」
ザックがモニカの横を通ってキッチンから出ていく。残されたテリーはバンテージを巻き終え、右拳で左手の平をばしっと打った。
「……ねえ、テリー。一つだけ、聞いてもいい?」
モニカの小さな問にテリーから返事はない。それでも彼女は言葉を続けた。
「アランを殺したって……本当?」
たった一つの問に、テリーがもったりと顔を上げた。表情を変えないまま、への字に曲がっていた唇を薄く開く。
「殺したぜ。――僕が、この手で、殺した」
強く右拳を作ったテリーは鼻を鳴らす。
「お前らが探してるアランかどうかは知らねェけどな」
ザックが二階で用事を終えて階段を降りてくる音がした。テリーとモニカの視線が揃ってキッチンの出入り口へ向く。
彼女はザックが姿を現すタイミングを待って、僅かに笑った。
「――私、あなたたちの写真、一枚だけ撮ってたの」
「僕ん誕生日のだろ。……くそ、捨てろっつっとくのを忘れてたぜ、ちっくしょう」
ザックは二人の話に興味深そうに目を瞬かせたが、口は挟まない。片手に持っていたホルスターと銃グロックをテリーに差し出した。しかし、テリーはバンテージを巻いた両手を前へ出し、細かい作業はもう出来ないと無言の主張だ。ザックは苦笑してからもう片腕にぶら下げていた防寒着類を折り畳み椅子に置く。
「でェ? その写真がどォしたってェ?」
ザックにホルスターを固定してもらいながら、テリーがモニカに続きを促した。
「……その写真、誰にも見せるつもりなかったんだけど、ノーマンさんに見つかっちゃって」
ザックはテリーの腰にぶら下がったホルスターにグロックを固定してから、モニカをまっすぐに見た。ぱちりと視線が噛み合う。
「そうしたら――写ったあなたを見て、アランだって」
「ああ、それで招待状の宛名がテリーとアランだったんだ? 俺ならまだしも、死人の名前を書くなんて趣味悪いと思ってた」
モニカの視線から逃げることなく、ザックが目を細める。
「アランって俺のこと、か」
「……うん」
「呼ばれてもないのについて行っちゃ怒られるかと心配してたんだ。だけど、怒られないみたいで良かった」
肩をすくめたザックが変に跳ねたテリーの髪をなでつけて髪の流れに沿わせる。
「――あとね、私がジャーナリストじゃないっていうのは、ザックが言った通りなんだけど……」
モニカが後ろで緩く握られた手で拳を作った。
「私、一応、前は傭兵で――眼鏡をかけてる時は、そういう、動きが出来ないようにされてたけど……、私――キスタドールに対する作戦の時だって、国から雇われてたの。――前にザックから似た話を聞いた時は本当にびっくりしちゃった。ザックもあの時そこにいたって言うから」
作った拳で自身の背中をぐっと押す。
「当時の名簿、まだ捨ててなかったの。捨てられない性格が災いしちゃった。――それでね、ザック。そこにあなたの名前はなかった。ゼカリアなんて人、いなかった!」
そこにいてくれたらそっくりな別人だって言えたのに、とモニカがじわじわと涙を瞳の奥から滲ませる。
ザックは何も答えず腕時計に目をやり、コートの袖に腕を通した。テリーの頭に真新しい紺色のワークキャップを被せる。
「そろそろ時間だ。君が案内してくれるんだろ?」
「ねえ、ザック! あなたは誰! ――この影は、なんの感情を殺したの!」
困ったように笑ったザックの横をテリーがすり抜けた。テリーがモニカに距離を詰めると、ザックは彼女を拘束していた影を解いた。動きを取れるようになったモニカがテリーから逃げるように後ろへ下がる。
「相棒ちゃんに詮索無用って言われたの忘れたかァ?」
「忘れたわけじゃない……だけど――!」
モニカがずるずると下がり、壁に背をつけた。テリーがさらに一歩詰めると、彼女は彼の圧に負けて黙る。テリーは指先も触れず目線だけで相手を追い込み、右頬を吊り上げて笑ってみせた。
「それじゃァ、僕ん前でアランって名前を出すなっつってたのは忘れたかァ?」
テリーが壁に足を突いた。そこに体重をかけて体を傾けると、モニカとの距離が更に近くなる。彼女を下から睨むように顔を寄せると、モニカは潤んだ瞳を反らした。
「……ごめんなさい。でも、私、はっきりさせたくて……。私がどれだけ違うって言ったって、ノーマンさんは絶対にアランさんだって……。何がなんだか分からなくて――」
ずきりと痛む頭を、モニカが自由になった手で押さえる。
ザックがテリーの視線を遮るように間にそっと手を入れる。
「テリー、あんまり苛めないで。マーシーの影響だと思う」
制されたテリーはすんなりとモニカから離れ、下がり際にザックの背中を一発叩いた。ワークキャップの位置をきゅっと正す。
「クレア――じゃなかった、モニカ、案内してくれる? ――ノーマンが何を企んでるかは知らないし、怖いし、行きたくない。……だけど、俺とテリーが行かなきゃ何も終わらない。だろ?」
【終わらせるために】




