Drop it!
「今までありがとうな、ハルカ」
そう言って、彼は私の手にふわり、とそれを乗せた。
「行かないでよ、オクトぉ……!」
引き止めても、聞いては貰えない。判っている。
だけどどうしても寂しさが勝って、私は涙を滲ませながら、渡されたマントを掻き抱いた。
この別れは、よくある話でしかない。
世界に星の数ほどある、VRMMOで偶然出会ってフレンドになり、ずっと一緒に遊んできた相手が、就職活動を始めるから引退する、と言ってきたのだ。
よくある話だ。
だけど、この喪失感が埋まる訳じゃない。
オクトは男性キャラだ。防具の類は性別によって装備できるかどうか決まるものが大半で、それをお別れに、と分け与えるのは、大体同じ男性キャラの友人たちになってしまう。
その中で、最も目にする面積が大きかったマントを、男女共通装備だからといって私にくれたのは、ちょっとだけ自惚れてもよかったのかな、と思う。
彼のイメージカラーは、赤だった。
燃えるような赤毛に、赤と少しの黒を基調にした装備。気安く、誰とでも話してしまうオクトは、名前を覚えられていなくても、「あの赤い人」と言えば大体予想がついてしまう人だった。
そんな彼の愛用していたマントは、白。
それが彼のイメージを崩さなかったのは、それにかけられたエフェクトにあった。
エフェクト自体は、大したことのないアバターだ。白い光を、周囲にきらきらと振りまくタイプ。私も持っている。
オクトが成し遂げたのは、それを「染色」したことだった。
彼が剣を振るう軌跡に沿って、赤と金の光の粒が舞う。その光景に、私は何度見惚れたことだろう。
だから、私は。
彼に貰ったマントを着るために、そのエフェクトを再現することに決めたのだ。
「……もぅ無理……。全然でない……」
三日後、大学の部室で、私は机に上半身を伏せつつそうぼやいていた。
「若い女の子がそんなどろどろしてるんじゃないよ」
呆れた声に、顔だけを上げた。
「八木先輩。しばらく来れないんじゃなかったんですか?」
「気分転換。ちょっと、今はエントリーシートを見たくない」
どさり、と先輩は隣の椅子に座った。
「で、春日は何に困ってんの?」
「オリオンの鏃が出ないんです」
「サソリの?」
きょとんとしてまた尋ねてくる。
先輩は、同じVRMMOをプレイしていて、先日就職活動を期に引退した人だ。
こんな人が、全国できっと何千人もいたのだろう。
私たちは、リアルの友人とネトゲで一緒にいたくないタイプだったので、お互い示し合わせて遊んだことはなかったが、攻略情報などはよく交換していた。
「鏃は山ほど出るだろ」
何を言っているのか、という風に、彼は続けた。
「色つきです」
「あー、染色用かぁ」
出にくいよなー、と、先輩は困ったように笑う。
「あれ、実はちょっと癖があってさ。ゲージが半分以下になったら、足を落としていって」
「足?」
「そしたら、尻尾の先がランダムで色が変わるから、目当ての色になったところで足への攻撃を止めて、頭部に攻撃。そしたら、その色の鏃が出やすくなる」
「無理言わないでくださいよ、そんな器用に部位破壊とかできません!」
早くも音を上げた私に、先輩は意地の悪い笑みを見せた。
「出やすくなるだけだから、絶対出る訳じゃないんだよ」
「レアすぎる!」
昼間の砂漠は、尋常でなく暑い。
勿論、本物の砂漠に比べれば大したことはないのだろうし、そもそも∨Rだ。肉体に負担がかかるシステムにはなっていない。
弦を引く視界の隅に、白いマントが映りこむ。
でも、この色だけじゃ、物足りない。
だから。
本当に求めるものをごまかして、私は大きなサソリ型モンスターの足を狙って矢を放った。
「集まりました! ありがとうございます!」
出会い頭に報告すると、先輩は苦笑して、お疲れさん、と返してきた。
「そういえば、何で染色アイテムが必要だったんだ?」
「……この間、友人が引退して。その人と同じ装備を着るから、同じエフェクトが欲しいな、って」
あの沢山の想い出を、忘れないために。
いつでも傍らにあった、白いマントに映える、あの輝きを。
……まあ、染色は流石に生産職のフレに頼むつもりだけれど。そこで失敗したら浮かばれない。
先輩は、大きく溜め息をついた。
「いいなぁ、そういう友達って。俺のフレも、少しは惜しんでくれたかな」
「先輩は面倒見がいいから、きっとみんな寂しがってますよ」
遠い目で呟くのを、軽く慰める。
「もう懐かしくなっちゃったよ。様子見にログインしようかな」
「……もしも一週間で戻ってきたりしたら、流石にドン引いてぶん殴りますわ」
オクトがあれだけの騒ぎを起こしておいて、と思うと、相手は別人だが、真顔でそう返してしまう。
それでも、まあ、戻ってきてくれたら、嬉しいには違いないけど。
だけどそれは、「勝利宣言」と共にして欲しいのだ。
彼の屈託のない笑顔を、もう一度見たいから。