第40話:レシピ
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更衣室の長椅子に置かれた携帯端末のスピーカーからユナの声が聞こえてくる。
「あのさー! さっきから何言ってるのか全っ然わかんないよっ!? 作戦会議するんじゃなかったの?」
携帯端末の画面には会議通話の文字が映し出されている。
本来男子生徒しか存在しないはずの男子更衣室内に女の子の高いく細い声が響いている。
落ち着かないような興奮するような、まさに異様な空間だ。
こうなった原因は単純明快ごくごく普通。着替えの時間さえも惜しく、これから始まる選抜試験の最終作戦会議を携帯端末を駆使して今ここで行ってしまおうという魂胆からだった。
離れていてもこうして話せるなんていい時代になったものだとしみじみと感じながら携帯端末に向けて説明を続ける。って、まあ俺が生まれた時にはすでにできたけど。
「だからさッ、さっき情報科目の授業で説明してた! アレだよ! アレがドラゴンのAIに使われてるんだってッ! 明人さんの動きとドラゴンの動きをノートに書き出したら黒板の式にそっくりになって――」
発想は間違っていなかった、しかしお互い着替えている最中なのでちょいちょい邪魔が入り話しが遮られてしまう。
「あっ、ちょっと待って、……んーしょ、よっ! っと……ぁっ」
説明をしていると一旦待つように言われ、携帯端末の向こうから布の擦れる音と吐息混じりの息遣いが聞こえてきた。
いつぞや拝んだカラフルなシルク生地が脳裏によぎる……ッ!
「――ゴクリ。って、ちっげーだろ!」
聞けよッ!
「へ? なに?」
「いや、なんでもない。ひとまず!! 俺の話を聞いてくれよ!」
「ちょ、ちょっとまだだから! もーっ、そんなにいっぺんに言われてもー」
大事な話だからこうして会議通話で話しているというのに何だかテキトウに聞き流されているような気がする……!
ユナに真面目に聞いてほしい俺は隣で一緒に着替えているコウヤに事の重大さを分かってもらい一緒に説得してみようと思いつき、肉声で彼に話しかける。
「んなッ! まだ途中だってのに、コウヤも何とか言ってくれよ! お前、俺の言わんとすることわかる――」
「 「うるっせーぞナユ! 今いい所なんだから静かにしろよッ!」 」
コウヤもコウヤで他人の話を最後まで聞かず遮るように声を荒げた。
カチカチと携帯端末のボリュームを上げて聞き耳を立てる彼はとても純粋かつピュアな目をしている。
しかし、彼の口元は邪悪な笑みを浮かべていて、とても嫌な予感がした。
「いい所なん、だ……くっそぉよく聞こえねえなあ……おっ? おぉっ!? 脱いだ? え、脱いだのか⁈ 脱いだんだな!? おっおおおっ!? 目を瞑ればそこに広がるシャングリラァアーッ」
「……そっちの声っ、丸聞こえなんですけどっ!? 毎度毎度もうードがつく最低っ……後で後悔させてやる」
例の如く下心を原動力に生きるコウヤは俺でも引いてしまう様な下賤な行為を働きユナに叱られる。
そんなバカを横目に今度は伝えたい事の要点をまとめてシンプルな説明を試みるとする。
「すっげえ大発見なんだってッ! 情報科目ってのはVRCのことでさ、ドラゴンの攻略法なんだって!」
「ナユくんナユくん? 現実世界に攻略法なんてあるはずねーだろ? つーかテキストの何処にモンスターが出てくんだよー、寝ぼけてんのか?」
しかし簡潔に話そうとするあまり要点を端折り過ぎて二人に思うように言いたい事が伝わらず、小馬鹿にされる始末。
「どっかの寝坊すけみたいに寝ぼけてなんかねえしッ! あーなんで伝わらない……」
「むむッ! なんか馬鹿にされた気がするんですけどっ! 私!? 私のことそれ!?」
何度説明をしても二人には理解できない様で同じ話を何度も繰り返す、熱く語るあまり着替えの手が止まり俺は未だ制服姿のままだった。
ため息をつきながらワイシャツを脱ぎ捨て、リュックサックから引っ張り出したライフスーツに袖を通す。
「ったく……コウヤはともかく……よっと、ユナは成績良いんだしアルゴリズムってのある程度理解出来てんだろ? あの定式……ッは。……VRCのプログラムに使われてるんだって! 午前の授業でドラゴンのAIを解説してたから……ッ、間違いない!」
相変わらず着難いライフスーツに苦戦しながらユナに説明を続けた。
片手間で何を言ってもうまく伝わらないのは分かってはいたがこの際仕方なかった、それに唯でさえ伝わらないのだからこうなれば数を撃つしかないと判断した結果だ。
そして諦め半分で口にした説明だったが遂に俺の心が通じたのか今までとは違った反応をユナが返してくる。
「それって……偶然じゃないの? アルゴリズムってプログラムの手順書。いっちゃえばフローチャートで書かれた料理のレシピみたいなものなの」
「ん、ユナちゃんどーゆーことそれ? 手順書? ふろーちゃーと?」
「えーっと例えばね……『まず最初に卵を割ります、それから泡立てて、あらかじめ熱したフライパンでかき混ぜながら焼くと、スクランブルエッグ!』みたいなイメージっ! 本当はかき混ぜる時に牛乳入れたり、油の代わりにバター使ったりするんだけどそこら辺は効率化と機能化に関わるから今回は省略したけど、分かるでしょ? そんなわけでっ、アルゴリズムは情報処理の中核だからVRCに使われてるのは当たり前のことなんだよ?」
「へ? レシピ? いや家庭科じゃなくて……VRCの……えっ? ええっ⁈」
世紀の大発見を大衆の事実だと突っぱねられてしまい驚きのあまり声が裏返ってしまった。
「相変わらずユナ先生は説明上手ッスねえ。料理もうまいし家庭科の教師になれんじゃねーの?」
「へへーんっ! なんでも聞きたまえーっ」
「うん。コウヤ、おまえスクランブルエッグまでしか頭に入ってないだろ」
どうしても納得できずに本当に『攻略法』が『常識』なのかしつこく聞きかえす。
「それじゃあ、授業で解説してた乱数どうのこうのって……ドラゴンの事じゃなかった……?」
「偶然っ。でもさ、本当に同じアルゴリズムならさっ……ヒントには違いないかもっ? 応用すれば定数代入して乱数を制御できるって先生言ってたし」
ヒントには違いないとは言ってもそれは気休めに過ぎなかった。アドバンテージとチュートリアルでは天と地の差があり、足並みを揃える為に提示される補足事項としてのヒントを知ったところでブッチギリのハイスコアを狙えるわけでもなく、その事実に失望の念を抱いてしまった。
「そーそー。いわばアルゴリズムってのは効率化されたパターンの総称でVRCのドラゴンだってオークだって行動ルーチンに組み込まれてんぜ。つーかそもそもプログラムってのはアルゴリズムの集合体で……って、オイ!なんだよその顔。もしかしてナユ、オマエ分かってないで授業受けてたのかよー?」
さらにとどめを刺すかのように意外にもちゃんと授業を受けていたコウヤがこれ見よがしに情報科目の知識を語る。
そのことも相まって何とも表現しずらい顔で現実を受け止められない俺がいた。
その後も二人の言葉を否定し続けたがそれで現実が変わる訳も無かった。
「なっ、ななんでお前まで知ってるんだよッ!」
「ったりめーだろ、筆記試験の時に女神様から教わったじゃねーか? 忘れたのかよー」
「マジかよ……俺のアドバンテージが、、ドラゴン攻略の頼みの綱が……」
「コ、コウヤ、なんか嬉し恥ずかしいけど女神じゃないから」
せっかく見つけた攻略法はどうやら勘違いだったようで、縋り付いた蜘蛛の糸は登りはじめて数センチほどで音もなく突然切れてしまった。
「でもさっ、ゲームにしてもVRCにしても中身は同じってなんか面白いよねーっ、……さてっ、私着替え終わったから先に行ってるねっ! 二人とも早く着替えちゃいなよー?」
教室で浮いていたのは最初の一人だったからではなく、最後の一人だったからなのかもしれない。
なんか、今更だけどみんな勤勉なのね……。
着替え終わったユナが通話から抜けて必要無くなった会議通話を終了させると隣で携帯端末弄りながらコウヤが感想じみた口上を言葉を呟き、未だ着替え終わっていない俺を急かしてくる。
「どんなソフトウェアもプログラムで出来てて裏を返せば全部同じってことだな。奥が深いぜッ! ……って、ナユいつまで着替えてんだ? いくらオレでも男子の着替えを手伝う趣味はねーぜ?」
……見た目は違っても中身は全部同じで、裏を返せば全部同じ……っか。名言だな、コウヤの言葉にしとくには勿体ない程に。
「子供じゃねーんだから、そこまで面倒見ねーからなッ! さっさと下履かねえと誤解されんぜ?」
「あー……わりぃ。あまりにも衝撃的なことの連続で軽く現実世界からログアウトしてた」
「なんだそれー、オマエ擬似リマインしてる場合じゃねーぜ」
上だけ近代的な服装なのを指摘され、途中で止まっていた下半身の着替えを済ませる。脱ぎ捨てて足元に散らかった制服をロッカーに放り込み、先に更衣室を出て行ったコウヤを急いで追いかける。
ともあれ、ゲームでもわざと相手の攻撃範囲に近づいて攻撃を誘発することができる事実は存在するんだ。
授業で説明していたのが間接的にでもドラゴン攻略に繋がる事を願うばかりだ……誰も信じないなら試してみるしかねえもんな……。
途中鏡の前で一瞬足をとめる。服を着替えたせいで、髪が変になっていたので直しておく。
「よっし! いくか!」
…………。
……。
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