第27話:夜の景色
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いつもなら後ろから追いかけてくるのを冷やかすところなんだが……今日は違った。
帰ろうとしたところをそっと後ろから袖をつかまれ、等間隔に並ぶ街灯が暗い夜道照らすなか、二人きりでゆっくりと歩く。
普段とプロセスが大きく変化した所で状況は大して変わらず、左右を行ったり来たりしてはたまに緩急つけて前に出てみたりと、落ち着かない様子のユナと歩くいつも通りの“ 見飽きたかえり道 ”だった。
ため息交じりにテンプレートの口上を述べるも、聞く耳を持たずユナは無邪気に靴を鳴らし続ける。
「ほらッまえ見て歩かないと、また人とぶつかるッて」
「残念でしたー。ナユっ心配しすぎだよ? 誰もいないしっ! ぶつかんないもん」
「はぁー……減らず口だけは達者なことで」
その油断が昼間の事故を引き起こしたんだぞ……、しかしながらそのおかげで偶然が重なり、奇跡のような出会いと日常から逸脱した夢のような経験が出来たのもまた事実なんだよな。
「ナユに……こんな夜送ってもらうのっていつぶりだっけ? 中学生の時かなっ? ……ナユが助けてくれた日。もう覚えてー……ない?」
決して珍しくない帰り道。高校生になってからはそんなに遅くまで寄り道をしなくなった。だからこうして夜遅くに二人で帰路に着くのは久しぶりだ。ユナの言う通り『あの日』以来かもしれない。
「あのとき、すっごく嬉しかったんだ……偶然の再会も、助けてくれた事も。ふっ…ハハ、全然変わらないんだもんナユ、昔のままでびっくりしちゃったよ……」
全然変わらないというのは少し語弊がある。小学生の時と比べれば身長も伸びたし内面も多少は成長していた。
記憶力はそんなにいい方ではないが、『あの日』の事は振り返るように、まるで昨日の事のみたいに思い出せる。いや思い出す必要さえないほどに鮮明な記憶か。
もしも時間跳躍能力かタイムマシンを持ち合わせていたらすぐにでも過去に戻り、ああなる前にユナを救い出してやりたい……。
暑かった夏の日。ショッピングモールで新作ゲームの整理券を握りしめ、汗で券の印字が滲んでしまわないか気にかけながら列に並んでいた時、ふと視界の端に写った女の子の後ろ姿。それは多数に無勢で、無慈悲に行われる胸糞悪い光景だった。
聞き覚えのある声に、一度は背けようとした視線を彼女に向けた。
恐怖に身を震わせ涙で満たされた瞳が印象的だった制服姿の女の子は、確かに俺の名前を呼んでいた。
でも、三年ぶりの再会なのに心の底から喜べない……むしろ最悪のシュチエーションだった。
そこにいるのがユナだと気づいたころには、新作ゲームや徹夜で手にした整理券のことなどどうでもよくなっていて、何かに吸い寄せられるように列から離れ、何の策も無いまま彼女のもとへ駆け寄った。
こんなときゲームの主人公ならカッコよくヒロインを救い出すものだが、何万回とクリアしてきたゲームと現実はかけ離れていた。ボッコボコにされて醜態を晒しながら必死になってユナを守ろうとした……守るというよりも身代わりに近かったかもしれない。いや近いは語弊があるな、まんま『身代わり』だったなあれは。
ともあれ、ひとしきり<人間サンドバッグ>を楽しんだ奴らは笑いながら何処かに去って行った。
腫らした頬を押さえながら、目一杯の作り笑顔で再会の言葉を投げかけるとユナは泣きながら抱きしめてくれたから結果オーライだったのだと思う。
いつの間にか日が暮れて帰り道は今みたいに暗くなって、醜態を街灯に照らされながらユナに肩を借りながら家まで送ってもらった。
……そんな記憶、そんな思い出だ。
「別に隠してたわけじゃないんだけどさっ、いやがらせ……あの時が初めてじゃないんだよね。二年生の一学期になってすぐにね……何がきっかけだったか、もう思い出せないんだけど……ある日突然ッ! ハハ……それからずっと続いてたんだ……」
離れ離れになっていた時期の話題、中学校の話題は避けてきた。俺にとっては大して何もなく。強いて言うなら孤独で浮いていた事ぐらいしか思い出が無い中学時代だが、ユナにとっては忘れてしまいたい思い出だろうからな。
生徒間でのイジメってのは一度で済むはずがなく、慢性的に蔓延して執拗に繰り返されるものだ。実際に目にしたのはあの日の一度だけだけれども、きっとそうなんだと……毎日毎日同じような嫌がらせを受けていたのだろう。俺も馬鹿ではない。それぐらいは分かる。
俺もその事を態々聞くわけにもいかないし、自ら話すようないい話でもない。
だからユナは『隠していたわけではない』と念を押したんだろう。
ただ話す機会が無かったんだ。
大きな歩幅で調子よく歩き、独り街灯に照らされるユナは光の魔法にかかり、それはまるで彼女の当時を再現しているかのように。そんな風に、凄く……寂しそうに見えた。
その後ろ姿を見ていると、未だユナが孤独でいるように思えてきて、居た堪れない気持ちと何もしてやれなかった口惜しさが込み上がってくる。
俺はそっと同じ街頭の下に入り、隣を歩き肩を並べる。
未だにこの程度の事しか出来ないけれども、何も出来なかった一年前よりはいくらかましだ。
そっと背後から近づくと、ユナは大きかった歩幅を俺に揃えて小さくしてくれた。
「毎日毎日嫌がらせされてさー、でもねっ! 途中、私を助けてくれるヒーローの女の子がいてさ。休みの日はその子に遊んでもらったりしたんだっ! だけど。それでも辛い時は、小さい頃ナユと遊んだ記憶を心の支えにしてたんだ……。だけど、その子に頼りっぱなしだし、このままじゃいけないッ、なんとかしなきゃッ! って思ってあの人たちを呼び出してやめてって伝えたんだ……でもやっぱりダメだった……。あはは、あんまり、うまくいかないもんだね」
空元気な様子だったユナはだんだんと重い口調になっていき、気持ち足取りも重くなっているようにもみえる。
赤裸々に『嫌な記憶』を語るユナに返す言葉を持ち合わせない俺は、途中相槌さえも挟めずにただひたすらに聞き続けることしか出来なかった。
「ナユの『あの日』が私の『その日』だったんだっ……そのままいじめられそうになってたところにさ、ナユが助けてくれたんだよ? 困っている人をかっこよく助けるゲームの主人公みたいだなって思ったよっ、えへへっ。口に出すと……なんか恥ずかしいねっ? あはは」
こうしてユナが笑顔で悲しい思い出を語れるのは<ハッピーエンド>が分かっているからなのか、それとも強がっているからなのか。そんなくだらないことを気にしてしまう俺はユナの言う『主人公』なんかとは程遠い。
そう……俺はあの日『何も出来なかった』、それが事実であり現実であり、認めたくない真実だ。本当は助けてあげたかった。
でもそれは叶わず、ユナは自身の力で敵を振り払い自ら身を守ったんだ……あの日、俺はただ……殴られただけ。ユナは勘違いをしている。
ゆっくりと歩こうとも、進んでいればいつかゴールについてしまう。
だんだんと見慣れた建物が目につき、そろそろ家に着いてしまうのがわかる。
目印の標識がある角を曲がると、ユナの家が見えてきた。
「それから高校生になって、いつの間にかそこにコウヤが加わって三人になって……。すっごく幸せなのっ今っ! 私が中学時代に毎日夢に見ていた理想の青春なんだ。 私がこの前、みんなで一緒にいることが重要って言い張ったのは、そういうことなんだっ」
いつの間にか矛盾した笑顔は薄れ、いつも通りのユナに戻っていた。
やっぱりユナはこんな風に笑顔でいてほしいと是認した。
安心した俺は何気なくそらした。視線を戻した時、ユナは振り返りこちらをみていた。
一瞬、胸が鳴ったのを感じた。それは彼女がいつの間にか振り返ったからじゃない。
振り返ったその顔はいつになく真面目で吸い込まれそうなほど澄んだ瞳で俺を見ていたからだ。
「みんなが……一緒じゃないと。……ダメなの。」
息が止まりそうになり、俺が言葉を探していると彼女は言葉を続けた。
「だからねっ……ナユ。ナユにはゲーマーのままでいてほしい、……ゲームを諦めないでほしい、そのままでいてほしいっ! だってそれもこれもみんなっ、ナユのゲーム好きな性格のおかげなんだよっ? えへへ、自覚ないでしょっ?」
先ほどの一瞬みせた真面目な顔とは違い、今は無邪気な笑顔に戻っている。シリアスは俺みたいなモブキャラには似合わない。慣れてないからな。こっちの方が落ち着くってこと。
しかし……、ゲーマーって改めて聞くとかっこ悪い響きだな。なんかもっとこう……ああ、そうだ。
思いついた決め台詞をフィルターに通さずそのまま口にする。
「あのなー自覚も何も。俺はいつだってこのまんま! そう……俺は……“ ゲームの主人公 ”目指してるからなッ!」
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