第13話:アルファリーダー
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緊張で震える指で玄関のベルを押すと、家の中から「待っててっ、今開けるねーっ」とユナの声が聞こえてくる。
扉が開くと、普段となんら変わらないユナが俺たちを招き入れてくれる。
「お、おじゃむあしますッ!」
一体、俺は何を緊張している……? くっそお、コウヤの方が落ち着いてるなんて信じらんねえ! 一体どういう事ことだ。
コウヤには黙ってたけれども、こうして女子の家にお邪魔するのは小学生の時以来なんだよな俺。その時は、こんないい香りした覚え無いんだが……嗅覚が発達したのか、ユナが発達したのか。
「(ゆ、ユナ……が……発、達……ッ?!)」
「ん? なんか緊張してるナユっ?」
何考えてんだ俺ッ! おちつけえぇえ!!!
馬鹿な考えが頭をよぎり、ついついユナの体に目が行ってしまう。
生唾を呑みこみ必死に理性を保っていると、背後に負のオーラを感じた。
「クンクンっ! あ、ああっあアーッ! なんかこの部屋からいい香いがするぞーッ! スーッハ―、ほらナユも嗅いでみろよッ!」
良かった。俺はまだ健全な部類みたいだ。完全に理性崩壊した変態の姿がそこに在った。
しかしながら、別に嗅ぐつもりは無かったのだが、コウヤに言われ『意に反して』嗅覚に気が向いてしまう。
――ああっスゲーいい香いッ!
「 「 「ち、ちょちょちょ! ストーップっ! な・に・してるのっ!! 寝室は立ち入り禁止に決まってるでしょ! さっさとリビングに行くっ! ほらほらッ」 」 」
連行されたリビングには既にテキストとノートのコピーが用意されていた。なるほどな『飴と鞭』ってやつか。俺の知っているのと少し違う気もするけれど。
早速、勉強会が始まったが、普段ろくすっぽ授業を真面目に受けてない俺達は理解に苦しむ。勿論『俺達』というのは俺とコウヤの事だ。
「つまりねっ、ここが直角ならっ、この二辺の二乗を足した解が斜辺の二乗になるんだよーっ」
ユナは分かりやすく説明してるつもりなんだろうが、どうも数学ってのは苦手だ。暗算は得意な方だが、図形やら証明やら『“ 使いどころ ”が分からないもの』を覚えるってのはどうもやる気が起きない。
「嘘だあ? オレにはどうみてもコッチの方が短く見えるぜ? 二倍にしたところで変わらないと思うけどなあ?」
「法則にケチ付けてないでっ、素直に覚えるッ! それから、二乗だからねっ! 似てるけど全然違うんだよっ? ほらっ三回書いて覚えるッ!」
コウヤに至っては分からない事を認めず、終始反論する始末。スポーツの試合なら今頃レッドカードを出されて退場だろうが、勉強会に逃げ道は無い。抵抗も虚しく、理論武装したユナに言いくるめられ『基礎』の暗記を強いられている。
「こんな実生活に役に立たない事、三回筆写したところで覚えられねぇっての!」
「つべこべ言わずに覚える!」
「イダッ!」
ユナ先生。頭叩かないでくれよ! 覚えたものが落ちるからっ!
ブツブツと文句を垂れながらも、いつにも増してスパルタなユナに勉強を教わっていると時間はあっという間に過ぎた。ふと窓の外に目を向けると外は暗くなり、時計の針は夕方を指している。
集中していると時間が早く過ぎる気がする。こういうの、なんて言うんだっけ……相対性理論だっけか? さっきテキストに書いてあったな。まあ、どうでもいいや。
この頃には『基礎』となる知識や定理、方程式等はすっかり頭に入り、三年の内容もある程度は分かるようになってきていた。
勉強会を開いた本来の目的である三年の内容とは、俗にいう『応用』だ。応用編を一日で覚えるには基礎編である前振り的な暗記が重要なんだそうで……ユナ先生に言われるがまま覚えましたよ。結果、何とかなりそうだ。
愚痴を吐いても弱音を吐くな。コレもゲームの為だと自分に言い聞かせて俺達は勉強を続ける。
疲れてきたってのもあり、だんだんと愚痴を溢す回数は減り、黙々と勉強を続けているとユナが唐突に会話を切り出す。
「どうせ帰っても勉強しないでしょっ? 泊まっていきなよっ! 私近くに買い出しいってくるねっ」
ユナの作る料理ってどんなのだろう? 普段の弁当から想像するにかなり手の込んだ物になりそうだな。絶対うまい。
「今夜はユナちゃんの手料理食べれるのかーッ! アアァアッ! 俄然やる気出てきたーッ!!」
「もう夜遅いし……。か、簡単なものしか作らないからっ! あんまり期待しないでねッ!」
「俺らも行った方がいんじゃないのか? 夜道だし」
「ううん、一階のコンビニだから大丈夫! 行ってくるね」
期待するなと言う方が難しい。というか泊まりか……ふむ。
「あ、あと料理が食べれるクリア条件はサボらないで、ちゃんと勉強続けてること! いーね?!」
そう言うとユナは俺達をリビングに残し、そそくさと玄関へと向かう。
――この時、既に俺達の脳味噌は疲れ切り、馬鹿になっていたんだ。
玄関の扉が閉まる音が聞こえると、リビングは無音と言ってもいい程に静まり返っていた。
沈黙を尊重しつつ、俺から会話を切りだす。
「……行った……か?」
俺の言葉をきっかけに、コウヤも持っていた筆記用具をそっと机に置き俺の方を向く。
「……やっと……やっと解放されましたな。長かった。自らを律し、痛みに耐え、遂にこの時を迎えましたな。隊長……ご命令をッ」
「うむ。時は、満ちた。行くぞコウヤ“ 状況開始 ”だ」
俺達はスッと立ち上がると、導かれるようにリビングを後にして廊下を進んだ。
扉の前に辿り着くとコウヤが鼻を鳴らす。
「スンスンっ! この部屋、匂いますな。どう思われますか? 隊長」
「そうだな軍曹。間違いなくこの部屋には『何かある』――始めよう」
俺は、俺達は知りたいんだ。知る必要がある……知らなきゃいけないんだッ!!! この<秘密>の正体を!!
ゲームで培ったお宝センサー以外にも、本能という名の下心もバッチリと反応していた。
音も無く静かに、しかし堂々と<ベッドルーム>の扉を開く。 そう……伝説の傭兵のように!!
「ゴクリっ……」
目の前に広がった<女子の部屋>は思い描いていた通りの空間だった。流石は<完璧超人>の寝室と言ったものか。これほどまで綺麗に整頓された部屋は見た事が無い。といっても、散らかった自分の部屋しか比較する対象が無いんだけれども。
い、いや……綺麗すぎるッ。逆に怪しくなってきた。
「あーれ? ベットの下に何もねぇぞ。オレはここに隠してんだけどなあ……」
おい。あーれ? じゃあねえ。
流石は<侵入覗>の変態。行動力はピカイチだな。てかお前、いつの間に物色始めたんだよ……。
いきなりベットの下を弄るなんて、どうかしてるんじゃないかと思うがこの際、まあ気にしない。
「ばーか。一人暮らしなのに、そんな手の込んだところに隠す必要ねえだろ?」
一人暮らしを長くすると警戒心が薄れていくものだ。そう。気が緩み、大事な物に限って手が届く場所にしまったりする。だから、あるとしたらこの机の引き出しの中だッ!!
……特に何も無いな。
確信を持って開けたにもかかわらず、中には教科書とノートが入っているだけだった。一応、表紙がすり替えられていたり、ノートの隙間に隠されていないか等『カモフラージュ』の有無も確認してみたが結果は変わらず。そこに“ お宝 ”は眠っていなかった。
変だな……? 俺はココにしまってるんだけどな。
案外、女子はどんな生活環境でも警戒心を強く持ち続ける生き物なのかもしれない。
一応、引き出しの底が二段になっていないか念入りに調べておくか。
――ガタンッ!!
「うぉ、やべッッ!」
背後で物が崩れるような音が響き、驚くコウヤの声が聞こえた。
「ッ!? お、脅かすんじゃねえよコウヤ。――どうしたアルファ・ワン? 何か見つかったのか?」
「――す、すまないアルファリーダー、気にするな。アルファ・ワン、捜索を再開するッ」
家主が返ってきたかと一瞬ヒヤっとしたが、そうではなくコウヤが押入れを閉めただけの様だった。
「(この中には現実しか無かった……それだけだ……あぁユナちゃん……)」
しかし、幽霊でも見てしまったのか、コウヤは鳥肌を立てて血の気が引いているのがこの位置からでも見てとれる。
「ん? よく聞こえ……。まあいいか?」
聞き返そうかとも思ったが、コウヤは割と真面目な表情をこちらに向けている。
本人が問題ないと言うんだから、追求したところで意味はないだろうと判断して、今は了解の意志を伝えるだけにする。
「――アルファリーダー了解……」
そんな下らない掛け合いを交わしながら思い当るところは全て捜索したが、何の収穫も無くただ時間だけが過ぎていった。
そして、俺達は残された<最後の場所>を前に、腕を組み考えに耽っていた。
「残る隠し場所は“ ここ ”だけ……ですか。隊長、如何しましょう?」
この場所が最後まで残ったのには理由があった。それは男として……人として超えてはいけない一線のようなものが“ ここ ”には存在してるみたいに感じて。
「なあコウヤ……ちなみに押入れ、あれは何だったんだ?」
「あー、名の通り。詳しくは言わねーけど、色んなモノが無残にも押し込まれていた。いや、ユナちゃんのためにもあそこは見ないであげてくれナユ」
「……な、なるほど」
そりゃ、一日しかなかったからね。ごめんユナ……。
さて、そうなるとやっぱ“ ここ ”しかないか。
この一線を前に、俺達は悩む。目の前の……
――『 洋服ダンス 』という名の木製チェストに手を付けていいものか……迷っている。
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