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伴侶の努め  作者: 狗須木
9/10

介助犬の引退

今話もよろしくお願いします。

 あの日からどれだけ経ったのだろうか。


 朝になり、バジルがのそりと起き上がる。

 その顔は、酷いものである。

 顔色の悪さや髪のパサつきは2年前を思い出す。


 しかし、その瞳は、暗いとか、澱んでいるとか、そんなレベルではない。

 もっと……ドス黒い感情で溢れているようだ。

 とても接客をする人間の瞳とは思えない。


 起き上がれば次はベッドから車椅子へと移動する、たった、それだけのことなのだが。

 固定されていない、どこかに当たった拍子に動く車椅子に乗るのは難しいようだ。

 今日は無事乗れたようだが……彼が何度か失敗していたのを、見た。


 部屋の中の移動でも、何気ない段差にいちいち引っかかる。

 たったそれだけのことなのだが、それだけでハンドリムを握る手から力が抜ける。


 物を取るのにも、視線を向け、思い出したようにハンドリムに手をかける。

 移動していると、いちいち引っかかる。

 部屋が、狭いのに、広くて、近いのに、遠い。


 彼の瞳は、より深く、より黒く、渦巻いていく。



 午前中に家事や薬の調合をのろのろと行い、午後からの短縮営業。

 最近はこういった生活スタイルに落ち着いたようだ。

 2年前に比べれば、安定、しているのだろうか。


 しかし、窶れたうえに、不気味な目をしたバジルの店からは、やはり客が遠のく。

 2年前に比べれば、マシではあるようだが。

 「泡沫の君」応援隊も、だいぶ脱退者が出たようだが、精鋭隊は残っている。


 その精鋭隊も、そのうち来なくなるだろう。

 彼が女性に向ける目は……射殺さんばかりに凶悪である。

 バルバラを奪った、あの日の女性達を思い出す、のだろうか。

 まさか、こんな形でかつてのトラウマを乗り越えることになるとは。



 2年前は、頑張っていたのだ。

 頑張りすぎて、無理をして、ボロボロになった。

 それを心配し寄り添った人と、不安になり離れた人がいた。


 今は、何もかもどうでもいい、と言わんばかりだ。

 薬の品質は信頼できるため、それで通う人はいる。

 薬ではなく人間性を信頼していた人は、離れていく。


 今なら、裏社会の人間とも仲良くできそうだ。

 冗談でも、笑えない。



 今日も薬屋は午後から開店する。

 バジルはカウンターに肘をつき、横を向いて、目を閉じている。

 最悪な接客態度である。


 扉が開く。

 その開閉音で彼は目を開いて、視線だけで客を確認する。


 犬だった。

 彼の瞳よりももっと黒い、であるのに美しく綺麗な黒色をした犬だった。

 彼が目を見開き、姿勢を正し、その懐かしい黒犬を見つめる。


「バルバラ……?」


 その日、最初に発した声だからか、随分と掠れていた。

 黒犬は、彼女は、ゆっくりとカウンターに近づいてくる。


 彼は、久しぶりに、支え無しで車椅子から立ち上がり、こけた。

 そのまま、這って彼女の元へ移動し、抱き着く。


「バルバラ……! よかった、また、会えた……!」


 2人は、いや、1人と1頭は、しばらく再会を喜んだ。



 ひとしきり涙を流し、目を真っ赤にした1人と、頬の毛をびっしょびしょにした1頭。

 犬でなければ、頬を指で拭って……というベタな光景が見られたはずなのだが。

 いまいち雰囲気に欠ける1人と1頭である。


 バジルの、この世の全てを恨んでいたような表情と瞳は、すっかり元通りになった。

 かつて「泡沫の君」と呼ばれていた頃のような、好青年となっている。

 窶れているが。


 彼はバルバラから体を離して彼女の顔を両手で包み込み、潤んだこげ茶色の瞳と見つめ合う。

 ふっと笑みを零して彼女の額に軽く口づけを落とす。


 は?


 彼が車椅子へと這って移動し始めれば、彼女はすぐに車椅子を引っ張ってくる。

 なんと、まあ、何事も無かったかのようにすぐに動くその姿、まさに一流の介助犬である。

 彼は彼女の介助を受けて車椅子へと乗り、店の出入り口へと向かって臨時休業の札を扉にかけた。


 店の奥へと移動し、彼はクローゼットへと向かい、女性物の衣服一式を取り出す。

 服を彼女の体にかけて、彼が微笑む。


「バルバラ、君の姿が見たい」


 彼女はじっと彼を見つめている。


「話したい。触れたい。抱きしめたい」


 わーお。


「バルバラ、君の声が聴きたい」


 彼女が視線を逸らして、背を向ける。

 犬から人の姿へと変わる。

 下着を着け、上着に袖を通し、スカートを穿く。


 そこまでガン見するってどうなんだ。


 彼女が振り返り、少し赤い、潤んだ目で彼と見つめ合う。


「バルバラ」

「……はい」

「バルバラ」

「はい」

「バルバラ」

「はい、バジル、さ、ん?」


 彼が手を伸ばし、彼女の腕を掴み、無理に立ち上がって崩れ落ちる勢いそのままに背後のベッドへと転がり込む。

 そのまま抱きしめる。


 うわーお。


「バルバラ、おかえり」

「はい、ただいま帰りました、バジルさん」


 彼女も、彼の背に手をまわす。


 うっひょー。


 少し体を離して、見つめ合う。


 ひょえー。


 そのまま、顔が近づいて、目を閉じて……。


 ……うぉっほん。



 さて、改めて再会の喜びを噛み締めた、あ、いや、そういう意味じゃなくてね、ほら、味わう、も何か違うか、うーん、満喫する? うん? うん、もういいや、とにかく、2人は並んでベッドに腰かけている。

 糖分はもういらない。

 私はまだ糖尿病は患いたくない。


 ではなく、とうとう話し合う時がやってきたのだ。

 全ての謎が今ここで解明されるのだ。

 長かった。


「何から聞けばいいのかな」

「うーん、2年前から順番に、ですかね」

「君がいなかった間のことを先に聞きたい気もする」

「じゃあ、そうします」


 まずは彼女が彼の前から姿を消した日から今日までの話だそうだ。



 まあ、一言で言えば、バルバラは何も悪くない。

 以上。


 それですぐに解放しては過激派に何をされるか分からない。

 というわけで応援隊の諮問機関の役員と警備隊が協力して過激派の中心メンバーを摘発、保安処分。

 応援隊のほぼ全員に対して役員と専門家によるカウンセリングが行われているらしい。


 彼女の母親は、娘のことで過激派からだいぶ追い詰められていたのか、精神的にだいぶ衰弱していた。

 そのため、彼女の無実を知ればすぐに良くなった。


 応援隊は、染まってしまった過激な思想からは、なかなか抜け出せないようだ。

 洗脳状態なのだろう。


 ただ、全員が過激思想に染まっていた訳ではないので、早々に薬屋通いを再開した者もいた。

 しかし、そこにかつての「泡沫の君」はいなかった。


 内部には過激思想、外部には変貌した彼、ダブルパンチで応援隊はあっという間に崩壊である。



 それに、染まってしまった思想というのは応援隊だけの話ではなかった。

 バルバラ、彼女も偏った思想に染まっていた。


 まあ、ワイバーンをバジルの家族に襲わせてしまった、というヤツである。

 思い出してみよう、バジル一家は蛙を狩りに沼地に来ていた。

 沼地とはワイバーンの住処だ。


 そういうことである。


 彼女は早々にワイバーンの存在に気づき、彼を救った、ただそれだけだったのだ。

 ワイバーンが小鳥となっていた彼女を相手にしなかったのは、全く気づいていなかったか、興味が無かったか、それとも住処にいる人間に気を取られていたか、そんな感じに偶然に偶然が重なっていたのだろう。

 とにかく、彼女は苛まれる必要のない罪悪感に苛まれ続けていたのだ。


 それでももっと早く助けれたのでは、と思われるかもしれない。

 ならば、彼の両親と戦闘中で暴れまわっていたワイバーンを、小鳥だった彼女が確実に倒す方法があれば教えてほしいものだ。

 彼女は最低限の被害で最良の結果を出したのである。


 そんな感じで、彼女のカウンセリングも行われていたのである。



 そうして、彼の両親を殺したという罪悪感、その罪滅ぼしをしなければという義務感、それが無くなった彼女に残った感情とは?

 それが先程のゲロ甘だろう。

 感情の赴くままに突っ走って、直前で恥ずかしくなって犬になるとは、さすが自由人は違う。



「……そっか」

「……はい」

「ありがとう」

「え?」

「君は俺の命の恩人で、俺を支えてくれる大事な人で、俺が愛している人」

「は、い……」

「好きだ、バルバラ」

「はい、私も、バジルさんのこと、好き、です」


 くぁー?!

 ハイ! ゲロアマー! ハッピースウィート! パチパチ! オナカイッパイ!


「ご両親に挨拶に行かないとね」

「あ……そう、です、よね」

「あと、敬語もやめてもらわないとね」

「えっ」

「俺の名前、呼び捨てね」


 ゲロアマー!


「そんな、急に」

「呼んでみて」

「ええっ」

「早く」

「う…………バ、ジ、ル……」


 ゲロゲロー!


「もう一回」

「……バジル」

「もう一回」

「バジル」

「うん」


 ゲ……いい笑顔じゃないか、コンチクショウ。


 もう、いいよね。

 私は頑張ったよ。

 勝手にやってろ。

ありがとうございました。

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