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伴侶の努め  作者: 狗須木
6/10

薬屋はレベルが上がった

今話もよろしくお願いします。

 バジルの狸寝入りに騙されてバルバラは先に寝てしまった。

 そして、先に起きたのは彼女だった。

 彼に借りたシャツを脱いで丁寧に畳み、犬の姿をとる。


 たとえ疲れていたとしても、早起きの習慣は染みついているようだ。

 安心である。


 もし彼が先に起きてしまったら、彼女は全裸になるになれない。

 いくら露出狂の気がありそうだとしても、まだ人前で堂々と全裸になったことはない。

 未遂はあったが。



 ともかく、バジルがしばらくしてから目覚め、カミツレに朝の挨拶をする。

 彼女は頷いて答える。

 尻尾を振っているのは意識してか、それとも無意識なのか、さてはて。


 昨日は休業であったが、今日からは通常営業である。

 薬屋だけでなく、2人の関係も通常営業のようだ。

 いつも通りの1日を過ごそうとしている。


 まあ、細かい点を挙げるなら、バジルからカミツレに話しかけることが増えた、かもしれない。

 もともと話しかけてはいたが、あくまで命令調というか、単調というか。

 とにかく、人間と犬、という関係だったのだ。


 しかし、今ではバルバラだと意識しているのか、お願いするというか、複雑というか。

 つまり、人間が人間に話しかけているかのようになったのだ。


 まあ、中身を考えれば当たり前なのだが、彼女の姿は犬なのだ。

 客の前でそれをすると、ついに拗らせたかと言わんばかりの生温かい視線になること間違いない。


 変化はそれぐらいだろうか。


 つまり、人前では、営業中は、誰がどう見てもいつも通りだった。

 相変わらず彼女は店先で「犬の薬屋さん」の看板犬をしているし、女性客には売り子になる。

 彼は男性客は表で接客するが、それ以外は奥に控えている。


 まさに通常営業である。



 夜になればぎこちない入浴を済ませ、人の姿となって1つのベッドに横になる。

 その際、1日を振り返ったり、明日の予定を話す。


 そのうちバルバラが微睡み始め、話が自然と途切れて眠る。

 それを見たバジルがおやすみと声をかけて眠る。


 穏やかな日常である。

 いや、平和なことはいいことだ。

 しかし、それは私が求めているものではないというか。


 そう、話し合いはどうなったのか。

 会話は主に彼が主導している。

 また今度話し合おう、と言った本人が、である。


 なぜ切り出さないのか。

 彼女から切り出せというのか。

 そんな、酷なことを……。




 ああ、つまらない。


 来る日も来る日も通常営業である。

 もうちょっと、こう、私を楽しませようというサービス精神がほしい。


 薬屋を現代アートにすれば楽しいだろうか?

 いや、そんなことをしてはいけない。

 待つのだ、私、我慢だ、私ならできる、私なら……。




 ん?


 おや、バジルに変化が見られた。

 今までカミツレに任せていた女性達の接客を始めているではないか。


 といっても、カウンターからは離れているし、目は伏せている。

 姿を見せただけ、と言っても間違っていない。

 膝の上で組んだ手は震え、爪が食い込んでいる。


 女性客達の動揺も一入である。

 全員が茹蛸状態だ。

 彼が目を伏せていなければもっと悲惨な状態だっただろう。


 声は震え、掠れ、顔色は良くない。


 それを見た女性客達も、さすが「深窓の君」ネットワークの精鋭隊と言うべきか。

 顔は茹蛸であるが、いつも通り振る舞うように努めているようだ。

 彼の勇気に歓喜するだけでなく、称え、敬い、尊ぶ、それが彼女達である。


 決して彼が彼女達と目を合わせることもなければ、視線を上げることもなかった。

 相変わらず薬と代金の受け渡しはカミツレが担っていた。

 それでも、彼も、彼女達も、大きな一歩を踏み出したようだ。


 その一歩を占める感情は大きく異なるだろうが。


 その日はバジルがそれ以上女性客の前に出ることはなかった。

 ネットワークに流された噂に逸早く飛びついて来店した他のメンバーがいたというのに。

 まあ、恐らく諦めずに毎日来るだろう、彼女達は金蔓なのだから。



 おめでとう、バジルの接客レベルが上がった。

 レベルが上がり、バジルは新たなスキルを覚えた。


 バジルは女性客に姿を見せることを覚えた。


 バジルの称号は「深窓の君」から「泡沫の君」となった。



 その晩、いつも通りに入浴を済ませ、ベッドに横になった時のことだ。

 珍しく、というか初めてだろうか、バルバラから話を切り出した。


「今日は、お疲れさまでした」

「……ああ、女性の前に出たこと、かな」

「はい、慣れないことで大変だったでしょうが、うまくいってよかったですね」


 彼女もバジルの成長を喜んでいるのだろう、笑顔で彼を見上げている。

 彼はその笑顔を見て、それから視線を逸らして呟く。


「……どうだろうね。顔を見ることも、震えを抑えることもできなかった」

「……確かにそうかもしれません、ですが」


 彼女が体を少し起こして真面目な顔で彼を見つめる。


「彼女達は、嬉しそうでした」

「……」

「うまくいって、よかったですね」


 優しい笑顔で彼女は彼に告げる。

 それまで視線を逸らしていた彼が、彼女の笑顔を見返す。


「……君の、おかげだ」

「え?」

「ありがとう、バルバラ」


 彼が消え入りそうな声で言い、彼女を抱きしめる。

 この男……!!


「へぁっ?!」

「ありがとう」

「は、はいっ……」


 こ、こ、ここ、こ、この、ここここの男……このっ……!!!!



 その晩、バジルはバルバラを抱きしめたまま眠りやがった。

 彼女はなかなか寝付けなかったようだ。


 当然だ!

 いくら犬で介助する時に密着することが多くとも、人間でここまで密着することなど!

 何考えてんだコイツ!

 離せよ!



 おい!

 離せよ!!


 一晩血眼になって監視したが!

 この男!

 朝までしっかり抱きしめてやがる!


 朝チュンかよ!

 いらねーよ!

 ふざけるな!


 深夜テンションで手前の顔面現代アートにするぞ!



 バジルが目を覚ました時、バルバラは腕の中でまだ眠っている。

 当然だ、彼女はなかなか寝付けなかったのだ。

 寝顔を見るんじゃない、誰のせいだと思っている。


 おい、手櫛だと?

 寝癖は彼女のトレードマークだぞ、やめろ、トレードマークを消すな。

 この男、好き放題やりやがって……!


 くすぐったそうに彼女が身じろぐ。

 笑うんじゃない、誰のせいだと思っている。



 しばらくして、バルバラが目覚める。

 それに気づいたバジルが声をかける。


「おはよう、バルバラ」

「……あ、おはようございま、す……?!」


 彼女は慌てて起き上がり、彼の腕の中から抜け出す。

 よくやった!

 その様子を見て、彼が呑気に告げる。


「どうしたの、そんなに慌てて」

「え、いや、だって、いつもはもっと早く起きて、待ってるのに、すいません、寝坊しました……!」

「なんだ、そんなことか」


 彼がゆっくりと体を起こし、移動してベッド脇に腰掛ける。

 彼女はすぐに車椅子を傍に寄せ、移動を介助する。

 会話の途中と言えど、咄嗟に動けるとは、さすが一流の介助犬である。

 いや、今は人間の姿なのだが。


 彼はクローゼットへ移動し、カーディガンを取り出して彼女へ差し出す。


「これ、羽織って」

「え? いや、すぐ犬になるので……」

「店を開くまではバルバラのままでいいでしょ」

「それは、そう、ですけど……」

「それに、その姿は、その、少々……」


 彼が顔を赤くして彼女から視線を逸らす。

 彼女は自分の姿を見下ろして、まあ、理解したのだろう。

 顔を赤くしながらカーディガンを受け取る。


 そう、彼女は裸ワイシャツである。

 朝日に照らされた明るい部屋でするような恰好ではない。

 誰のせいだと思っているのか。


「すいません、ありがとうございます……」

「いや、こちらこそ、ごめん、ちゃんとした服を用意できたらいいんだけど……」


 女性物の洋服と下着を買う「泡沫の君」。

 最高に面白い。

 是非とも実践してもらいたいものだ。


「しかたないです、外に買いに出る訳にはいかないので」

「でも、たまには外に出たいよね」

「いえ、そんな、大丈夫です」

「今まで休み無かったし……」


 実はこの薬屋、ほぼ年中無休である。

 もちろん、半日営業や短縮営業、それに先日の臨時休業など、常にフルタイムで店を開いている訳ではない。

 しかし、そんなの関係無しに彼女は完璧な年中無休である。

 ブラックだ。


 とは言っても、彼女は旅に出ていることになっているので、あまり外に出たくないのだが。

 もちろん彼はそんなこと知らないので、真剣に彼女の休みを考えている。

 当然だ、そうでなければ私が労働基準法違反で訴える。


「勉強してる時とか、介助は必要無いし、その時ぐらいは休んでもらわないとね」

「あの、ほんとに大丈夫ですから……」

「まあ、後々決めよう。朝食作ろっか」

「あ、はい」


 彼女が普通に車椅子を押して、彼をキッチンへと移動させる。

 そして必要な道具や食材を揃える。

 いつも通りである。


 いや、人間の姿の彼女が作ってもいいのではなかろうか。

 しかし、彼女はアホウ使いである。


 もしかして、もしかするのだろうか。

 そんなベタな展開が、あるのだろうか。


 彼は特に気にしていないようだが、私は気になる。

 慣れた手つきで準備を進めている。

 疑問に思ってくれないだろうか、そして尋ねてくれないだろうか。


「ふ、そういえば2人分か」

「え? あ、そうですね」

「1人と1頭じゃない」

「そうなりますね」

「今まで犬用の食事だったけど、大丈夫だったの?」

「えーっと、たぶん、大丈夫じゃ、なかったと」

「えっ」


 彼が驚いて彼女の方を見る。

 刃物を使う時に目を離してはいけません。


 彼は指を切るようなことはしないようだが。

 よい子は真似してはいけません。


「あ、でも、こっそり、魔法で火を通したりとか……」

「……ごめん」

「いえ! 気にしないでください! あの、ほら、元気ですから!」

「次からはちゃんと人間の食事を用意する……」

「あ、ありがとうございます……わざわざすいません……」

「いや、これは俺が悪い……」

「その、ずっと黙ってた、私の、自業自得なので……」


 これが稀によく見られる謝罪合戦である。

 互いに非がある場合、互いにいくら謝罪しても謝罪し足りず、いつまでも謝罪し合うのだ。

 恐ろしい戦いである。



 まあ、そのうち終戦して朝食を食べ、バルバラは犬の姿になり、「犬の薬屋さん」は開店するのである。


 この日をきっかけに、彼女はバジルに言われるまま、1日の半分は人間の姿で過ごすようになる。

 彼女の生活水準が上がり、私は嬉しい。


 ところで、話し合いはどうなったのだ?

ありがとうございました。

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