介助犬は副業を始めた
今話もよろしくお願いします。
もう1つ、現在の2人の暮らしを見る前にこの話をしておこう。
異性との裸の付き合いやソロストリップショーなど妙に露出狂の気のある自由人バルバラだが、その実態はバジルに懸命に尽くす健気な少女である。
おそらく遊ぶだけ遊ばれてボロボロになり捨てられてしまうのだろう。
いや、彼はそんなふしだらで性質の悪い男ではないはずだ。
トラウマ持ちは伊達ではない。
さて、バルバラには悩みがある。
常に全裸であることは関係無い。
バジルの私生活のサポートはもはや完璧である。
むしろ甘やかしすぎではないかと思うほどに甲斐甲斐しく世話を焼いている。
では彼の仕事に関してはどうか。
商人から届けられた材料を仕分けたり、その材料から薬を調合するまでは完璧だ。
しかしその先の販売に関しては未だにサポートできていない。
犬ならそこまでしなくても十分なのだが、彼女は人間なのでそこまでしなければ気が済まないようだ。
今日も彼が暇を持て余すようになると店先へと出る。
ソロストリップショー以降、何度か芸の練習を、犬の姿でどれだけ魔法を使えるかの検証をしていた。
まあ、結論から言えば諦めた方がいい。
魔力消費の激しさが人の姿のときとは比べ物にならず、何度もソロストリップショーを繰り返しかけているのだ。
では犬として常識的な範囲内で客寄せをしなければならない訳だ。
強引な客引きはしてはならない。
大都市なら条例違反で警察沙汰になりかねない。
しかし座っているだけでは客は寄らない。
ただのマスコットとして撫でられて終わりである。
まあ、ここ最近は店先へ出るようにしているので、道行く人々の記憶にはだいぶ印象強く残っているのだが。
やはり彼女だけでどうにかできる問題ではなく、彼の協力が必要だ。
ところがどうやら彼はぼやくだけで本気でどうにかしてほしいとは思っていないようで、彼女の視線を虚ろな目で受け止めるだけである。
仕方なく彼女は店先で愛想を振りまき、人々に求められるままにお手をしているのだ。
今日もバルバラは店先で道行く人の波を眺めている。
ふと、こちらへ向かってくる1人の男性の姿が目に留まる。
男性は不思議そうにこちらを見てくるが、彼女も不思議そうに見上げるしかない。
(もしかしてお客さん?!)
このチャンス、逃す訳にはいかない。
介助犬として培った技術で薬屋の扉を開き、さあどうぞ、と言わんばかりに男性を見上げる。
それを見た男性は、というかその場に居合わせた全員が驚くが、今の彼女はそのことに気づく余裕などない。
「これはこれは、どうもありがとう」
笑顔を向けられ彼女は照れていいやらどうやら訳も分からず、とりあえず客が来たという事実に興奮して尻尾を暴れさせている。
興奮ついでに店内へワンと一声、お客さんです、と言わんばかりに吠える。
男性が入ったらその後ろに続いて店内に入り、扉を閉める。
犬による自動ドアである。
「カミツレ、どうした……あ、ヘクターさん」
滅多に吠えない彼女の声に驚いたバジルが車椅子を動かしてちょうど裏から出てきていた。
「バジル君、久しぶり。可愛らしい売り子さんじゃないか」
このヘクターという男性、バジルの両親が薬屋を営んでいたころから定期購入している客である。
両親を亡くし、足を不自由にし、心身を削るようにして薬屋を営業する姿に心を痛め、周りの客が離れていっても定期購入を続けた紳士である。
男性が彼女の話をすると、彼が、いくらか生気は戻ったものの未だに虚ろな目で、彼女を捉えて優しい色を浮かべる。
その様子を見て男性は僅かにほっと一息つく。
「ええ、カミツレには随分と助けられています」
扉を閉めてすぐに彼の元へと駆け寄り傍で控えている彼女の姿に、いつからこの黒犬はいるのか、いつの間にこんな訓練を施していたのかと男性は思案顔である。
まあ、彼女はずっとこの薬屋にいたのだが、こうやって表に出るようになったのはつい最近のことなので男性が知らないのもしかたない。
「今日はいつもの薬を?」
はっとして男性が視線を上げれば、淡い笑顔を浮かべた彼がこちらの返事を待っている。
淡くとも笑顔は笑顔、どうやらこの犬は体も心も彼を支えているようだと男性の顔も自然と和らぐ。
「ああ、お願いできるかな」
ちょっと待っててくださいね、と言って薬や顧客情報の書かれた資料を取りに彼は店の奥へと移動しようとする。
彼が視線を動かせば、それを逸早く察知した彼女が車椅子に繋げられたリードを引っ張り移動を助ける。
店の奥に行った彼等の様子を男性がこっそり覗き見れば、彼の視線だけで彼女が次から次へと必要なものを持ってきている。
彼が困ったような笑顔で彼女の頭を撫でるのを見て、男性はそっと元の位置に戻る。
バジルとヘクターはいくつかの問診や世間話のようなやりとりをしてから薬と代金を受け渡す。
男性が礼を告げて振り返れば、いつの間にか扉を開けたカミツレが外で待っている。
思わず笑みを零し、彼女が開けてくれた扉を潜って男性が外に出ても、彼女はまだ座ったままだ。
このまま見送ろうとしているのである。
「これからもバジル君を頼んだよ」
男性が彼女にそっと耳打ちをして頭を撫で、立ち去っていく様子を彼女はじっと見つめていた。
尻尾を振り回しながら。
おめでとう、カミツレは副業:看板犬を獲得した。
看板犬となったカミツレは新たなスキルを覚えた。
カミツレは客の送迎を覚えた。
カミツレは代金の精算を覚えた。
カミツレの称号は「客寄せパンダ」から「売り子」となった。
さて、ヘクターはこのことを特別周りに言いふらすようなことはしなかった。
しかし、一部始終を見ていた通行人によって噂はあっという間に広まった。
曰く、あの犬めっちゃ賢い、と。
皮肉なことに薬屋よりもカミツレのことが有名になったようだ。
それからというものの、彼女を囲む人はどんどん増えていった。
店に入る人は増えないが。
バジルは当初こそ戸惑っていたが、きっと彼女に日々ぼやいていたからだろうと半ば諦めていた。
店先の喧騒を気にしつつ、1人店の奥で調剤について勉強するのが日課となっている。
そのため、ワン、と彼女の声が聞こえた時にまさかと思い反応が遅れた。
あの人垣を越えて店に入るような人がいるとは思ってもみなかったのである。
呆然としていると扉が開き、彼女が現れて彼の車椅子に繋げられたリードを引っ張り始める。
彼がハンドリムに手をかけた時、複数人の若い女性の話し声が耳に入ってくる。
思わずハンドリムを力強く握りしめる。
彼女は突然の抵抗と彼の変化に思わず引っ張る力を弱める。
「あの……大丈夫ですか?」
彼女の困った後ろ姿が見えているのだろう、カウンターの向こうから気遣わしげな声が聞こえる。
「あ、ああ……すいません、何分足が不自由なもので……少々お待ちください」
まさか女性の接客はできません、などと言う訳にもいかず、返事をして奥から出ようとする。
しかし、女性というのは複数人集まればエネルギーを指数関数的に増加させる不思議な生き物である。
「いえ、無理しなくても」
「そうです、ここからでも十分声は聞こえますから」
「私たち初めて『犬の薬屋さん』に来たんですけど大丈夫でしょうか?」
勝手に話を進められたが彼にしてみればありがたい話である。
ところで「犬の薬屋さん」とはこの店のことなのか。
そんなことを疑問に思う余裕も無いのか、彼はそのまま話に乗ることにしたようだ。
「ありがとうございます。もちろん大丈夫ですよ、どのような薬をお求めでしょうか?」
そのまま直接顔を見ずに問診を行い、調合した薬と代金の受け渡しを犬にしてもらうなど、薬屋としても商人としてもありえない。
しかしその時の彼は女性と対面しないことで得られる心の平穏を選んでしまったようだ。
ところで彼は女性達を見なかったが、女性達も彼を見なかった、訳ではない。
扉は開いている。
声はすぐそこから聞こえている。
若い男の声だ。
年頃の女が気にならない訳が無い。
彼は女性達が視界に入らないように目を伏せていたが、その姿を覗き見た女性達は儚さを覚えた。
直接目が合っていれば虚ろな目に一歩引いたのだろうが、彼女達はそんな姿、知らない。
ひざ掛けに隠れた足を直接見れば一歩引いたのだろうが、彼女達はそんな姿、知らない。
カミツレに見送られた女性達はきゃあきゃあと黄色い声を上げながら立ち去って行った。
金蔓誕生の瞬間であった。
その後、女性達のネットワークで噂が広まるのは早い。
誰が言い出したか、「深窓の君」誕生の瞬間でもあった。
ありがとうございました。