アホウ使いは介助犬になった
今話もよろしくお願いします。
まずは2人の暮らしが始まったばかりの頃を振り返ろうか。
バジルが足の治療を終えて薬屋に戻る日、もちろんバルバラもカミツレとして付き添っていた。
慣れない車椅子での移動は周りからの好奇の視線と凹凸の激しい路面もあり彼の体力をどんどん削っていく。
彼女はそわそわしながら見守ることしかできない。
(どうして犬になんかなっちゃったんだろ……)
まあ、全裸だったからなのだが、街の外にはバルバラの衣服一式がどこかにあるのだろう。
下着付きで。
悪用されないことを祈るばかりである。
ようやく薬屋に辿り着き、ドアを開けて中に入ってもそれで終わりではない。
バジルはこれから薬屋の店主になるのである。
材料の仕入れを全て商人などに委託する、その交渉だとか。
両親が担っていた調剤を全て自分で行う、その勉強だとか。
できた薬を顧客毎に合わせて提供する、その販売技術だとか。
新たな同居犬と不自由な足で生活する、その家事能力だとか。
障碍者となったばかりだが、落ち着く間もなく多くの問題が差し迫っているのだ。
幸いにも由緒正しい、王家御用達の薬屋であったために彼を補佐する人材が派遣された。
とは言っても商人との交渉程度でしかその補佐は得られない。
交渉が纏まり材料が仕入れられるようになれば、定期購入してくれている顧客の薬の調合。
その合間に訪れる客から症状を聞いて薬を調合し、服用の仕方や注意点を説明をして代金を頂く。
もちろん炊事や洗濯、掃除、風呂も自力でこなさなければならない。
無理だった。
女性が来れば、手が震え、汗が止まらず、呼吸が乱れ、近くで顔を見て話を聞けない。
事あるごとに支え無しに立ち上がろうとしてしまい、日に何度もこけてしまう。
向けられるのは憐れみ、好奇、嘲り、嫌悪の目、時に言葉、時に人差し指。
それでも薬を調合せねばと無理をすれば、家事をしている間などない。
彼は日に日に窶れ、顔色は悪くなり、髪はパサつき、澄んでいたシルバーグレーの瞳は暗く澱み始めた。
そんな彼の薬屋からは客足が遠のき、定期購入をいくつも断られたが、奇しくもそのおかげで彼の生活に時間的な余裕ができた。
そうなってからようやくバルバラも彼を手助けできるようになったのである。
仕事が減り急いで薬を調合する必要がなくなると、慌てて立ち上がることもない。
(次は……あれか)
澱んだ瞳でぼんやりと調合に必要な材料を見つめるが、ハンドリムを握る手になかなか力が入らない。
常にバジルの傍に控えて彼の顔を見ているバルバラはその様子にすぐに気がついた。
(もしかして、必要なのかな?)
視線の先には乾燥された何かが詰め込まれた瓶がある。
少々高い位置に置いてある、少々大きな瓶だが、運よく彼女は大型犬の姿をしている。
難なく口に咥えて彼の元へと持って行く。
「あ……カミツレ、ありがとう」
おめでとう、カミツレは自宅警備員から介助犬へと進化した。
介助犬となったカミツレは新たなスキルを覚えた。
カミツレは物の運搬を覚えた。
カミツレは車椅子操作の介助を覚えた。
カミツレは移動の介助を覚えた。
カミツレの称号は「愛玩動物」から「伴侶動物」となった。
カミツレの介助のおかげでバジルの生活は一変することになる。
無理に立ち上がることが減ったために、こけることがなくなる。
こけないし、材料を持ってきてもらえるので調合のペースが上がる。
ただでさえ仕事が減り余裕があったというのに、今度は暇になる勢いである。
暇になれば家事をする余裕も生まれる。
炊事も洗濯も掃除も、必要なものは彼女が運んでくれるために非常に楽である。
指示するだけでその通りに動いてくれるのだ。
なぜそんなことができるのか。
深く考える精神的な余裕がこの時の彼にはまだ無かったのは幸か不幸か。
そしてお次は風呂である。
バリアフリーの概念が無い世界での車椅子生活は、多少の段差は板を張ったり1人と1頭の力業という共同作業で乗り越えてきた。
しかし風呂にまで車椅子を持ち込むことなどできない。
ところで、彼は年頃の青年で、彼女は年頃の少女である。
犬だが。
彼は彼女が、カミツレが雌であることは知っているが、己の裸を見せることに抵抗はない。
一方で彼女は、バルバラは少女と言えど女性であるため、彼の裸を見ることに抵抗だらけである。
さて、1人では這うか尻を引き摺って移動するしかないため、もちろん彼は彼女を脱衣所へ連れ込む。
深い意味は無い。
彼女も付き添わざるを得ない。
目の前で年頃の青年が脱いだ衣服を籠へと入れていく。
当たり前だ、ここは脱衣所である。
彼女の心境や如何に。
扉の開閉、風呂椅子への移動、魔道具の切り替えなど、何気ない動作の介助が続く。
全裸の1人と1頭は協力して体を洗う。
ついでとばかりに彼女も体の隅々まで彼に洗われる。
当然だが深い意味はこれっぽっちも無い。
浴室から出て体を拭いたり、寝間着に着替えて寝室に移動する。
彼は随分久しぶりに満足のいく入浴を済ませたため、非常にスッキリとしている。
彼女は終始視線を彷徨わせたり目を閉じていたため、非常にゲッソリとしている。
互いに眠りに落ちるのは早かったことだろう。
別の意味で。
ところで忘れてはならないのだが、この余裕は客が減ったために得られたものである。
私生活が落ち着いたのならば離れた客を取り戻さなければなるまい。
もっとも、バジルのトラウマをどうにかしないことには到底無理な話である。
「カミツレ、どうしたらお客さんが来てくれるかな」
この頃には彼の顔色も髪質もいくらか改善されている。
目は……虚ろである。
介助犬となった彼女への信頼は大きく、暇になれば彼女を撫でながら独り言を呟いている。
危ない人ではない。
目は虚ろだが。
(あたしに何かできるのかな……)
彼女は犬である。
いや人間なのだが今は犬だ。
犬が商売を手伝うなど、いくらファンタジーな世界でも冗談はほどほどにしてほしいものだ。
本来それを指摘するはずの飼い主が犬に助けを求めて、いやぼやいているだけだが、とにかく犬に犬以上のことを求めているためにファンタジーのファンタジー度が増している。
自重してほしいものだがしかたない、心を病んだ者に多くは望むべきではない。
(うーん、客寄せぐらいなら……)
彼女は黒一色の犬なのだが、白黒のパンダを目指すらしい。
彼を1人部屋に置いて行くのが気がかりだが、暇をしている今なら多少は許されるだろう。
店先へと出たが、そこでふと気づく。
(どうやって客寄せすればいいんだろう)
芸人としてならいくらでも人を寄せ付ける自信があるが、残念なことに彼女は犬の姿をしている。
犬が魔法を使うなどと聞いたことがない。
それどころか魔法を使って芸をするなど、それはいくらなんでもファンタジーの扱いが雑すぎる。
ではなく、魔力を使いすぎれば人の姿に戻るかもしれないのだ。
街の外だから誰にもバレずにすんだが、街中で全裸になれば間違いなく警察沙汰である。
彼女はまだ成人したばかり、未来に希望溢れる若者がこんなところで経歴に傷をつけるにはいかない。
結局、その日は店先で通りすがった人達に頭を撫でられるだけであった。
その晩、バルバラはバジルの寝室からそっと抜け出し、裏庭へと出た。
どうしても芸がしたいらしい。
自分にできる動作を一つ一つ確認していく。
座る、伏せる、寝る、前足を片方だけ上げてみる、くるくると尾を追いかけてみる、後ろ足だけで立つ……のは厳しそうだ。
やはり魔法が使いたい。
アホウ使いたる彼女の自由人気質が刺激されてしまったようだ。
己にスポットライトを当てる。
そこにいたのは全裸の少女だった。
「ぁ……ひ……っ!?」
とんだ露出狂である。
いくら裏庭と言えど、街の中であることには変わらない。
周りに人の気配は無いが、大胆なことをする少女である。
自称エンターテイナーは伊達じゃない。
いや、ずっと犬の姿をしていたのだ。
魔力は消費すれど回復する訳がない。
もし今晩露出狂にならなければ、日中に露出狂からの警察沙汰だったのは間違いない。
全裸で一晩過ごすことを余儀なくされたが、彼女の経歴に傷がつくことは避けられた。
以降定期的に人の姿に戻って魔力を回復させるようになる。
もちろん彼女は露出狂ではない。
おそらく。
ありがとうございました。