わだいがない 26
小平君の場合
友情はいくつになっても大事だと思う。大事だとは思うが、この年になって、どうしてこんなところに意味もなく立たなくてはいけないんだろうという考えは捨てきれない。
ここから見える向こう側には、ドアの一部が見えている。そのドアは商業施設ともつながっている。だから、そこを通る人の数は半端なく多い。そんな中、友人の小平は、一つ上の階から下に見えるドア付近をひたすら見つめていた。かなりの距離があるがここが比較的よく見える場所だという。
「ストーカーかよ。」
僕はつぶやいた、いや、ぼやくと言った方が正しい。
「ストーカーは本人に付きまとう行為だから、これは違う!断じて違う!見てるだけだし。勝手に見てるだけだから!」
「いや、僕に言わせれば、気持ち悪さは一緒。」
「わかってる!黙っとけよ。あとで飯おごるから!」
「あたりまえだろ、なんで何にも用もない僕が、わざわざ休日に君の待ち伏せに付き合わなきゃならないんだか。」
「待ち伏せでもない。通るかどうかもわからないんだから、ただちょっと見れたらいいなぁって。」
小平の言葉に僕は驚いた。
「ちょっとまて!確実に通るかどうかもわからない相手を待っているのか!?」
「うん。」
「おい。飯はいつになるんだよ!」
「四十五分を越えたらもう来ないってわかっているから、それまで。」
「まじか。」
僕はその場に座り込んだ。腕時計を見ると三十分以上はある。そして見上げて小平に声をかけた。
「いたら、声かけて。」
「うん。」
僕はため息をついた。
友人は好きな子ができた、と言った。正直な所、四十近い男のいうことではないような気がする。いや、気がする、ではなくいうセリフではない、と断言できる。結婚したんだ、子供ができたんだ、離婚したんだ、そんな話ならまだしも。
しかも、見られるかどうかもわからない彼女は、告白どころか毎日話すのだって難しい相手だ、とため息をつく。こいつが、小学校時代からの友人じゃなかったら、男として殴っているかもしれない。
人と話すのだでさえそんなに得意ではないこいつが、十歳年下の子と何を話せばいいのか話題がないんだ、と言っていた。それでどうして好きになったのかと問うと、笑った顔が可愛いという。
僕は立ち上がって、小平の横に立ってみた。ドアからは大量の人が出て行って、大量の人が入っていく。ドアの前も多くの人が左右からやってきては去っていく。
他の階の人々も自分の上下に人が歩いているなんて考えることもなく、歩いていく。歩幅までぴったりなカップル、親子連れ、逆に子供が一人でいたり。親はどこだろう。ゆっくり進む老人たち、携帯見ながらうつむいて歩く若者。誰もが、それぞれの目的に向かって歩いていく。
「人ってさ、下は見ているけど、上ってあんまり見ないよね。」
「うん、そうだねぇ。」
「まぁ、僕らも下を見ているけど。彼女、通った?」
「まだ。」
「僕さ、見つけるのも難しいと思うんだよね?女性なんてさ、髪型も変わるし、ショートカットじゃないんだろう?」
小平が頷く。
「服装も、会社の制服姿?」
「いや、私服。」
「だろ?毎日、服も違うのにさ、しかも今の季節、マスクの人も多いしね。顔が半分隠れている相手を探すのって、難しいとも思うんだけどね。この距離でさ。」
「わかってる!黙っとけよ、集中してるんだから!」
僕はため息をついた。集中するのは結構だが、四十を越えた男が二人並んで商業施設の下をのぞき込んでいるってどう見えることやら……。いや、あたりを見渡すと意外と人は人を見ていないような気がする。しかし、見ていて気が付く。意外と人は人のことなんて見ていないようだ。
「帽子をかぶっているなんてことないんだろう?」
「帽子をかぶっているところは見たことがないから、かぶってない、はず。」
「しかしさ、人を斜め上から見て、判断するのって難しくないか?身長的には判断できないよな。」
「だけど、同じ階にいたらそこにいるのが、ばれちまうじゃないか。」
「いいじゃないか、一人でいるなら怪しいかもしれんが、僕もいるし、しゃべってるうちに通るかもしれないだろ。」
「いま、移動して移動しているときに見れなかったら、ここにいる意味がない!」
僕はまたため息をついた。まぁ、確かに最初からこの場所にしたのが間違っていたようだ。しかし待ち合わせ場所が最初からここで、僕は決めたわけじゃない。僕がここに着いたころにはもうすでにドアを見つめていた。
こいつは一体、いつからここに立っているのか怖くて、僕は聞かないことにした。
小平の横でぼんやり下を見ながら、ふと昔を思い出した。高校時代もカタカナのコのような形の校舎で、向こう側の下に見える後輩の姿をこいつと一緒に見ていた。あの時もこいつの片思いで終わったこともついでに思い出した。
まぁ、僕は彼女がいたけれども。
「僕ら、あんまり進歩してないな。」
「なにが?」
「高校時代みたいだなぁと。あのときは、ちよちゃんだっけ?」
「お前、よく覚えてるな。」
さすがに、友人もドアから目を離してこっちをみた。
「ドア、見とけ。僕は彼女の顔を知らないぞ。」
「ああ。」
あのときは、当然全員が学生服で見つけにくかった。だけど、それが私服になったからといって斜め上から人を見ようというのはやっぱり難しい。コートやマフラー、靴の色。黒や茶色、まれに赤や青も見るが、大抵は暗めの色だ。
あの時と違うのは、窓を開けて校舎を見下ろしていたが、今は暖房の効いた場所からドアを見下ろしていることくらいだ。
ふと友人を見る。あれは小学校の時だろうか。小平が好きだった女の子に告白をしたら、断られ、次の日にはクラスの全員がそのことを知っていた。
よっぽどそれがショックだったのか、それから熱を出して何日か学校を休み、そのまま夏休みに入った。僕は家が近くて、何回か夏休みも遊んだけれど、小平はひたすら落ち込んでいて、なんだかんだと僕は励ましていた気がする。休みが終わって学校には出てきたけれど、それからの小平は恋愛には消極的になった。
僕は腕時計を見た。50分だ。
「過ぎたぞ、時間。」
「そうだな。」
小平はため息をついた。
「今日は会えないか。」
「まて?まさか、毎日ここから見てるんじゃないだろうな?」
もしそうだったら、友人を辞めるかもしれないとまでの考えが一瞬よぎった。それか殴ってでもやめさせようか。
「まさか!僕はストーカーじゃないぞ。まだ三回目だ。」
「で、会えた回数は?」
「……ない。」
僕はため息をついた。本当にこのドアからしか出入口はないのだろうか?そもそも今日、彼女が出勤しているのだろうか?いろいろ文句を申し立てたいところだが、僕はとりあえず、それを飲み込んだ。
「そんなに好きなら告白したら?」
「仕事の内容以外の話もほとんどできないのに?それに、……また、笑われるかもしれない。」
こいつはまだ昔の心の傷が治っていないようだ。あれから二十年以上もたっているというのに。年月の問題ではないのだろうか。同じようなことを言って、中学、高校、大学とこいつは誰かを想ってはあきらめてきた。
「そしたら、今度はお前の見る目がないってことだよ。」
小平がこっちを見る。
「そうだろう?自分が好きな相手なんだ。自分を信じなくてどうするんだ?相手を信じられなくてどうするんだ?」
一息ついてみた。
「あのときは、むこうもこっちもガキだ。小学生だぞ?だけど、この年になって相手がもし、おまえの告白を笑うような女だったら、お前の見る目がないんだよ。そんな相手を好きになったお前が悪いんだよ。そんなことをしそうな子か?」
「……。いや。」
「だろう?自分が好きになった相手だからな。まぁ、相手にも好みってもんがあるだろうし、もしかしたら恋人がいるかもしれないし、言わないだけで結婚しているかもしれないし、こっそりバツイチかもしれないけど、でも付き合ってくれるにしろ、振られるにしろ、誠実な対応をしてくれそうだと思ったら、言ってみたらどうだ?そろそろ彼女の契約が終わるんだろう?」
「……。ああ。……わかってはいるんだ。進まなきゃいけないって。だけどさ……。」
「言っても言わなくても、二度と会えないかもしれないのは同じだろう?言わなくても次回会えた時にできるのはせいぜい挨拶位だぞ?言ったからって何を失うんだ?仕事だってあるし、たとえ振られえてもへこんでいる姿は相手にはもう見えないんだから、いいじゃないか。僕が酒くらいおごってやるから。」
「…そうか?」
「なんのための友達だよ。立ち直るまでいるさ。さぁ、飯、行くぞ、飯!いい加減に腹が減った。おごれよ!」
「わかったよ。」
「何食う?僕は、最近奥さんから味の濃いものを減らせって言われてんだよなぁ……。」
静かに笑う小平の横で僕は思う。こいつが彼女に告白するかどうかはわからない。好きだと言うだけではゴールじゃないし、人生の道はまだ長い。だけど、何かが変わるかもしれない。そんなことを思いながら、僕は店の明るい掲示板を見つめた。




