消〜閉じたセカイ〜
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彼女といたい。
ただ、それだけを願った。
他にはダレもいらない。
それは、儚くて、歪で、それでも美しいと思った、ただ一つの愛のカタチ――
「圭助さん。起きてください」
いつもの声に意識がゆっくりと覚醒する。
重い瞼を開けると、カーテン越しの夏の光が部屋に差し込んでいた。
俺が寝起きが悪いのを知って、葵は優しくやんわりと俺の体を揺らす。
「圭助さーん。朝ですよー」
ゆさゆさ。ゆさゆさ。
「あーさーでーすーよー」
ゆっさゆっさ。
ああもう!
あんまりしつこいので黙って不機嫌そうに起きる。寝ぼけ眼で確認した時計が指す時刻は朝の九時。いつもならまだ寝ている時間だが……
「なあ葵」
「はい。なんですか?」
葵はいつもの笑顔だ。その笑顔の破壊力は、失恋傷心した学生ならイチコロだろうし、何かのエネルギーに変換すれば、一軒家ぐらいだったら軽く吹き飛ばせる。つまるところ、そのいつもの笑顔の破壊力がすごいのだ。
「……」
「圭助さん。どうしました?顔が赤いですけど……」
「な、なんでもない!……つーか、まだ九時だろ?なんで俺を起こしたんだ?」
聞き飽きた程言い飽きた問答。その問いの答えは――
「なんとなくです」
「……あのなぁ」
なんか、すごくむかつくものだった。なにがむかつくって、事もなさ気に言い切ったことや、笑顔のままだとか、
なんで、毎日同じことしか言わないのか。
軽い頭痛。寝過ぎたせいのような気もするが、何故か自分はこの痛みの正体を知っている気がする。
……なんだろう。さっきから、いつもの光景が妙に目に付く。同じ事しか言わないのは俺が起きるのが遅いせいで、葵は何も変わらない。変わったのは俺なのかもしれないが、何しろ判断基準の葵が何も言わないのだから、なんでもないのだろう。
「圭助さん。朝ご飯ができてますから、冷めないうちに食べてしまいましょう」
「……ああ。そうだね」
そう。こんなくだらないものは捨て去って、俺の一日を開始するとしよう。
よく考えたら今日は休日だったので、会社には行かず、一日中家にいることにした。
それにしても昼前あたりのワイドショーはつまらない。
毎日変わり行く世界の情景を報道しても、あまりにも離れすぎた国のことを、平和な日々を過ごしている俺たちにとっては、現実としてとても受けられない。
「……あれ?」
なんか……このニュース……
引っ掛かりを感じたニュースは、凶悪犯が人質をとって立て籠もっているというものだった。
「圭助さん?どうしました?」
「あ、いや。なんかこのニュース昨日もやってたからさ」 でも不思議だ。わざわざ今になってこのニュースを引っ張り出すなんて。だってこの犯人は人質を二人殺して、警官隊に取り押さえられたはずなのに。
「昨日も……ですか?」
「いや、昨日じゃなくておとといだったかも。あ、でももっと前かもしれない」
「あの……圭助さん」
葵はしばらくためらった後、説教された挙句に何かを命令された子供のように、苦々しく画面を指して、こう言った。
「このニュース。速報ですよ」
……はい?
画面を見ると、確かに速報と書いてあった。
「ですから、圭助さんが見たニュースはきっと別のものだと思いますよ」
その言葉にも、違和感。さっきからちらつく謎の記憶は、既視感のようで、なにか違う。
けど、それが結局何を指すのか、何が違うのかが、わからないまま。
「……うん。そうだね。どうやらまだ寝ぼけてるみたいだ。昨日は夜遅くまで起きてたし」
確かに、昨日は夜更かしをした挙句に早起きだ。脳みそが夢の続きを見続けているのかもしれない。
「あ、それじゃあコーヒーと一緒にお昼作っちゃいますね。何がいいですか?」
「それじゃあ、目玉焼きがいいかな。サラダがあると更にいい」
「わかりました」
葵は笑いながらエプロンをつけた。
その笑いは、やっぱり目を閉じても細部まで思い出せるぐらい、いやに眼に焼き付いていた。
夜になり、我が家から笑い声が消えた。
「あ……ぁ……」
目の前には、俯せで倒れた葵の姿。葵の後頭部は黒く窪み、砕かれた白い骨が頭皮を突き破り、不出来な剣が生えているかのよう。脇腹にはナイフによって作られた深い切り傷から、血が嘘のように流れ、冗談のように床に紅い水溜まりが出来ている。
事は、数分前に起きた。
葵が大切な話がある。と言ってきたのは、夕食が終わった後だった。話を聞いてみると、葵は俺の母の形見であるイヤリングをなくしてしまったらしい。
何故かその言葉を聞いた瞬間。
何もかもを置き去りにして、頭の中で、何かが焼き切れた。
それからは、見るに堪えない凄惨な殺戮だった。髪を掴んで顔から壁に叩き付けた。床に放ると腹を蹴り、馬乗りになって顔を腹を叩き潰した。脇腹にナイフを突き立て、振り抜く。そして最後には――
「あ……お、い」
ガタガタと震える手に握り締めている、血で飾りつけられた黒光りするバットで頭を陥没させた。
そこに快感など微塵も存在しない。あるのは絶望。恐怖心。そして、そのままでは狂ってしまうのではないかという罪悪感。
それに耐えきれず、必死で駆け出した。
靴も履かずに玄関を飛び出し、門の所で何かに激突した。前方にはいつの間に出来たのか、上が闇に隠れるほど高いコンクリートの壁。家の周囲はこの灰色で覆われ、脱出はできない。
何度、この光景を見ただろう。
……そうだ。思い出した。
やはり朝から感じていた感覚に間違いはなかった。しかし、それは既視感などではなく、ただ純粋に、俺が同じ日々を繰り返しているだけ。
朝食も昼食も夕食も、朝から昼までみた番組も、葵と話した内容すらも、全て思い出せる程に繰り返し続けた日々。
何回、何十回では足りず、何百何千でも届かない。数えられない数字は、無限に等しい。
何時だったか、それほどの数に達した時、それは意味のない事だと、日にちを数えるのを止めたのだ。
けど、これの発端は嫌でも頭にこびりついて離れない。
何度も忘れようとしたが忘れられない。これを忘れることが出来れば、どれほど救われるかと想った。
きっかけは、ただの幸せな願い。
意味も考えずに望んだ、二人のユメ。
俺は葵と居たいと望み、葵は俺と居たいと願った。
その結果が、今のような永遠に続く螺旋の一日。
朝になれば全てを忘れ、夜になればなるほどボロが出る。そして、そのことを思い出した俺には、ある一つの行く末が待っている。
不意に、眼が灼けた。
「もう……かよ」
視界がぐらりと歪む。体は四十度を超える高熱を発し、血潮は全て鉛に変えられたように手足が重い。
こうなる理由は明確だ。度を越した愛情は、意識から思念に昇華する。
昇華した思念。そうなるほどまでに一人に向けられた愛情は、歪み、崩壊する以外にないからだ。
そして、崩壊すれば元の形は無くなり、別の物になる。俗に、呪いと呼ばれるものだ。
身体の熱は治まるどころか、心臓が血を送り出す役割を忘れて、濾過される鉛の血液を加熱させる溶鉱炉になったよう。
とりあえず休めるところに行こうと重い足を引きずり、家に向かって一歩踏み出した。
途端、足場が紅く溶解した。
足場は全て紅い水溜まり。その中から、群れた白蛇のように、乱立する白百合のごとく、葵の手が生えてきた。
「――は」
笑った。
「はは、はははははは――」
口から自然に漏れたので笑った。否、笑うことしかできない。
ここは言うなれば、葵の悪いユメ。だって、そうでなければこの異常な光景に説明がつかない。
いつの間にか家もコンクリートの壁も消え、見渡す限り紅一色。その一面の紅の海から、その紅を埋め尽くさんばかりの白い腕が生えているのだから。
『圭助さん』
聞き慣れた声が響く。まったくムチャクチャだ。もう既に声が反響するものなどないだろうに。
『今回は一段と酷く殺しましたね。頭が陥没する感触なんて二度と味わいたくありませんよ』
声の発生源が見当たらない。ここには数えられない程来ているのに、一度も姿を視認したことはなかった。
『でも、私が殺されれば、』
この言葉も、腐るほど聞いた。恐怖はない。ただ、感情は一つだけ――
『圭助さんは、私だけを見てくれる』
その言葉を皮切りに、周囲の手が俺を掴み、血の海の中に引きずり込んだ。次々と現れる腕は俺の自由を拘束し、死へと導く。まあ、ここで死んでも翌日には何事もなかったようにベッドの上に横たわっているのだが。
『私だけを見てくれる』
葵の一言が頭の中を渦巻く。その心の在り方に、ただ一つだけ、
「かわいそう」だと思った。
酸素が無くなり、意識が遠のく。きっとこの一日は、葵の行動を許してやらなければ、やはり永遠に繰り返されるのだろう。
次は許してやろう。と、何を許せばいいのかを見失うぐらい、何度考えたかわからない考えを脳に刻み、目に映る景色はひたすらに白く――
白くて、窓際のベッドの上。夏の日差しと聞き慣れた声で、俺は再び目を覚ます――