仮説
さて、始めに言っておくけど、自殺屋ってのはすっごく厄介な組織でね。
その厄介な組織を立ち上げたのが、榊の両親なんだ。
榊のお父さんもお母さんも、生死に対しての持論がしっかりしててさ。生きることは幸せだと言う考えに定着しすぎず、死による幸せだってあるはずだという考えを用いて始めたのが自殺屋なんだ。
んで、それを継いだのが榊さ。
え?
俺と榊は、どんな関係かって?
なになに、そんなに俺と榊の関係が気になるの?大丈夫だよ、ちゃんと鳴海のことだって大好きだか―――いててて、耳引っ張らないで、もげるもげるッ…冗談だって。
ゴホン。
俺と榊は〝ただ〟の腐れ縁さ。
別に大した接点も無く、小学校からこんな大人になるまでずっと、仲良いとも言えず、悪いとも言えないような微妙な関係だったんだよ。
ただ、下手な偽りの友情よりは、強ぉーい絆で結ばれてると思うけどね。
あれ、鳴海。
なんか、白い目で見てない?
変な意味はないって。
ゴホン。
自殺屋には〝規約〟があることは知ってるよね。
―――そう、依頼人やその他の自殺屋に関わった人間の記憶は、必ず消去することってね。
ま、自殺屋の従業員は、例外だから抜くとして。
だから鳴海は、今までどんなに消したくなくても営業上の関係だと割り切って、仲良くなったお客さんの記憶も消してきた。そうだよね?
榊もさぁ、冷静で本好きな変人とはよく言われるけど、あれはあれでいろいろと苦労してきたのさ。
例えば、自殺屋の従業員の子供が自殺屋店舗に誤ってついてきてしまい、偶然その子と仲良くなってしまって―――――なんちって。
〝規約〟は絶対だ。
何度も言うようだけど、自殺屋ってのは厄介な組織でね。
表側にはあっちゃならない組織だから、国に見つかりでもしたらすぐさま潰されちゃうし。
だから、死ななかった依頼人や、自殺屋の存在を知ってしまった人間の記憶は皆、消さないといけないんだ。
自殺屋の情報が流れるなんて、もってのほかだ。
そして、そうやって自殺屋は成り立ってきた。
でも榊だって人間だ。
我慢できないことの一つや二つ、あるとは思わないかい?
はは、今の榊じゃ想像つかないか。
鳴海、キミにとっての五年前の〝トラウマ〟には、もう少し違う物語が絡んでいるんだよ。
五年前、鳴海は〝アズマ〟を死なせてしまったと嘆いていたね。
あれは俺にとっても、耳の痛いニュースだったよ。
だけど、更に一年前――――榊は、自殺屋としての客以前に〝アズマ〟と出会っていたんだ。
それが、この事件の一番の発端さ。
今から六年前、榊が十九の頃。
自殺屋を経営してきた榊の両親は引退。
半ば強制で押しつけられるように、榊が次の自殺屋の経営者となった。
本意じゃなかったんだろうね。
自殺屋なんてワケのわからない店、継いだところで面白味が感じられないって、いつも俺の所で愚痴ってたよ―――いや、違うな。俺に嫌がらせしてストレス発散してたな。
まぁ、それも一種の愛情表現だって受け取ってるけどね。
―――そんな嫌な顔しないでよ、悲しくなるから。
それに、自殺屋ってのはね。相当な覚悟がいるんだよ。
人間の死っていうのを見届けないといけない、仕事だからね。
それって、相当覚悟がいるよね。
だから、段々と感覚が麻痺してくるんだ。
自分にとってのいいコトとか、悪いコトとか――――区別がつかなくなる。
榊はまさにそれだったよ。
小さい頃から自殺屋の仕事を見てきて、人の死に関する感情が妙に薄かった。
怖いくらい、人間としての感情が欠けていたんだよ。
でね。
そんな榊を〝人間〟に戻したのが、アズマだったんだ。
二人が出会ったのは――――そう、ちょうどアズマが十四歳になった頃かな。
アズマは唐突に、自殺屋の榊の書斎に訪れた。
*
パラリ、とページを捲る音が、榊の書斎に妙に響いた。
榊はというと、山のように積み重なった大量の本に身を預け、書斎のど真ん中で分厚い本を熱心に読んでいた。
ガチャ、と唐突に、書斎の扉が開いた。
榊は、本から目を離さなかった。
「父さん、勝手に入るなよ。ノックしろ、ノック」
面倒くさそうに言葉を紡ぐと、再び本のページを捲った。
いつも突然入ってくるのは、父しかいない。
読書をしている間にもしつこく話しかけてくる、呆れるほど精神年齢が低い父に、内心うんざりな毎日だった。
しん、と部屋が静まり返る。
いつもはペラペラと喋り出す筈の父が、一向に喋らない。そのことに疑問を抱き、本にしおりを挟んで顔を上げた――――上げて、目を見開いた。
父では、なかった。
父ではないうえに、知らない少年だった。顔立ちが幼く、鼻の上にうっすらと浮かぶそばかすが印象的な小さな少年。
少年はジッと榊の顔を見つめると、やがてくるりと方向転換をした。
逃げる、つもりか。
榊は瞬間的に立ち上がると、少年の首根っこを掴んだ。
「おいこら、待てよ」
榊に捕まり、逃げようと手足を動かす少年。
ごめんなさい、と言っているあたり、"この建物"に足を踏み入れてはいけない、ということを知っている。ということは、従業員の家族か。
「お前、誰だ?」
「俺は…父さんが…」
「父さん?」
「父さんが、自殺屋ってところにいるはずで…父さんとたくさん話したいのに、全然帰ってこない、から…一目で良いから、会いたくて…」
少年が弱々しく言葉を紡いだ。
つまり。
「尾行したって、ワケか?」
こくんと素直に頷く少年。
榊は苦虫を噛み潰したように顔を歪め、頭を抱えた。
どうする?
自殺屋の存在を知っている奴だから、このまま帰すわけにはいかないな。
従業員の家族であっても、なるべく知らせないようにしている。
規定では、知らせていいのは従業員の伴侶まで。
しかも知らせるにあたって、厳重な監視と、契約を伴う。
そしてその知る権利に、子供は含まれていない。
つまり、こいつが知っていることは規約違反の恐れもある。
記憶を消して、家に帰すか…?
「ここ、自殺屋でしょ?父さん、いるでしょ?」
「とりあえず、お前名前は?」
「え、江原…東」
「江原ッ…?」
江原。
従業員の中でも、両親の代からずっとずっと自殺屋で働く一番の古株だ。
江原が、規約違反をするとは到底思えなかった。
江原だって自殺屋の〝規約〟は、痛いほど理解している筈。
ましてや家族を巻き込んでまで、その存在について教えるなんてありえない。
江原は榊の両親に対して、恩義を抱いている。
榊の両親を裏切るような行為を、江原はしない。
疑問は深まるばかりだったが、とりあえず榊は書斎の椅子にアズマを座らせた。
「お前、自殺屋の規約については知ってるか?」
「き、やく?」
「自殺屋で働いている以上、例外を除いて自殺屋のことは周囲には口外しないこと。たとえ、家族でも」
「…?」
「つまり、お前の親父は規約違反をしたってこと」
アズマは少し考え込むと「違うよ?」と首を傾げた。
「俺が勝手に父さんの部屋に入って、書類を見たんだ。その中に、ここの住所が書いてあって。父さんを尾行してみたら、ここについたから…ここが自殺屋だって…」
なんつぅガキだ。
榊は顔を引きつらせ、アズマの顔に視線を向けた。
「お前、今何歳だ?」
「今日で十四」
「…今日は誕生日か」
「うん」
「オメデトウ」
とりあえず、十四歳で自分の父親を尾行して、この建物までついたことは褒めなければいけない(もちろん、嫌味という意味でだが)。
子供が大人を尾行する、というのは簡単ではない。
余程、このガキが冷静かつ行動力があるということなのだろう。
「まぁ、どちらにしても」
榊は目を細めるとアズマを見据え、息をついた。
「お前の軽はずみな行動で、お前の親父は立場が危うくなったってことだ。お前がどんなに親父のために行動しても、自分のためによかれと思って行動しても、だ。親父には親父の立場がある。ここでは特に、現実の常識なんてモノは通用しない。そういうとこにいるんだよ、お前の親父は」
「…」
「お前は親父に会って、めでたしめでたしかもしれねェがな、親父はそうはいかねェ。最悪、記憶を消されて追い出されるかもしれねェな」
アズマが傷ついた顔を浮かべる。
これだから、ガキは。
そう思い、ため息をつく。
大切なのはひしひしと伝わってくる。
大切で、一緒にいたいから。
自分にとってのとても大きな存在だから、尾行までして今ここにいる。
そんな、一直線で真っ直ぐな想いが、少しだけ眩しく感じて目を細めた。
「ま、それも俺が黙ってりゃあ良い話だ」
そう言って笑って見せたのは、気まぐれだ。
絶対そうだ。
でなきゃ、どう説明するのか。
俺が、この俺がこんなガキに揺れ動いたってか?
馬鹿馬鹿しい。
榊は軽く舌打ちをすると、再び本を読み始めた。
アズマはその様子に唖然としていたが、やがて状況を理解すると「ありがとう!!」と言って笑った。
純粋で、真っ直ぐ。
素直でガキらしい、馬鹿みたいな笑顔。
そんな笑顔に手を伸ばしたくなったのは、いつからだろう。
「――――おはよ、サカキ!!」
いつもと変わらない笑顔を榊に向けるアズマに、榊は深く眉を潜めた。
「おはよ、じゃねェ。お前なんでここにいんだ」
「父さんに会えなかったし…」
「おまッ…俺の話は理解したのか?」
「だって、言わないでくれるんでしょ?サカキが良い人で本当によかった、ありがとう」
そこまで素直に言われると、慈悲も無く「帰れ」と言うのも気が引けて、榊は口を閉ざすと手に持っていた厚い本を開いた。
本の文字を目で追っていると、アズマが後ろから抱きつくようにのしかかった。
「重い」
「何読んでんのー?」
「哲学書」
「うわ、気持ち悪い」
榊が読んでいたのは、哲学書。
文字列がずらりと並ぶ紙面に普段読書をしないアズマは、あからさまに眉を顰める。
榊は横目でその様子を眺めて、ため息をついた。
「じゃあ」
榊の手元にあった、小さい本を手に取る。
「これならどうだ?」
榊が渡したのは絵本、しかも小学校低学年向けの可愛らしい絵柄の絵本だ。
アズマは、そんな本を榊が持っていることに驚いていた。が、はっと我に返る。
アズマは口を尖らせた。
"それしか読めないだろう"と推測されたであろうことに、腹が立ったようだ。
「そんなの、いらない」
アズマは仏頂面のまま、不貞腐れたように言った。
しかし榊は何故不貞腐れたのかわからず、首を傾げる。
アズマは榊の訝しげな表情に眉を顰め、舌を出した。
「子供じゃないんだから、もっと厚い本読めるもん」
「ああ、なるほどね」
榊はようやく合点がいったようで、軽く頷くと息をついた。
「つまり、これは子供っぽ過ぎると」
「そういうこと、察してよ」
「…いや、俺自体、そこまで本の内容にこだわるわけじゃねェから」
「?」
「本は皆同じだよ。言葉に基づいて、作者の意志によって創りだされる。作者の伝えたい世界を伝えるのが、本の役目だ。そんな本に、大人っぽい、子供っぽい、馬鹿らしい、つまらない、そんな種類は〝在って当然〟だ。何故ならそれらを創りだす人間が、個々でそんな感性を持っているから。そうだろう?」
「…たしか、に?」
「それらを〝読もうとする〟ことが、その本の読者の義務だろう―――と、俺は思うがな」
いつもなら喋ることすら面倒くさい、という雰囲気の榊でも、こんなに流暢に話すこともあるんだ。
アズマはそのことに驚いた。
「サカキってさぁ」
アズマは尚も榊の背中にのしかかって体重を預けながら、唸るように言った。
「本の内容が好き、とかそんなじゃないんだね」
「あ?」
「本っていうそのものが好き、なんだよね」
アズマは笑った。年相応の、悪戯っ子のような笑顔で。
「やっぱ俺、その絵本見る!!」
アズマは榊がぽかんとしている間に、榊の手にあった絵本を受け取ったアズマは、榊の隣に座って絵本を開いた。
相変わらず可愛らしい絵柄に、大きな文字が目立つ絵本。
ただその絵本には、変わらず〝作者〟がいると思うと、そんな絵本も見方が変わる。
榊はそう言いたかったのだろう。
*
「――――…榊とアズマの…関係なんて知らなかった」
鳴海は項垂れるように言った。
鳴海の隣では、鳴海に寄りかかって眠る常盤がいる。
話が長かったのだろう。常盤には関係のない話だから、興味が薄れたのだ。
花菱は息をつくと、ふふッと笑った。
「それはそうさ。榊自身、騒ぎを広めまいとそれを隠してたんだから」
「じゃあなんでお前は知ってんだ」
「榊の秘密なんて握れたら、最高じゃない?なんて思ってる俺が、榊の弱みをマークしないわけないじゃんかぁ―――とりあえず部屋に盗聴器しかけておいたの」
軽快に笑う花菱を横目に、鳴海は顔を引きつらせた。
「プライバシーの侵害だわ」
「そんな俺に情報を聞いてる鳴海だって、人のことは言えないけどね」
ふふんと鼻で笑った花菱は、話を続けた。
「それからね、榊とアズマはちょくちょく会うようになったんだ。外でも、自殺屋でも、アズマの家に行ったこともある。榊は自分が思っている以上に、アズマに依存した」
「なんで?情が移ったとか?」
「何度も言うけど、榊はあれでも人間。自殺屋って言うのはさ、もう法律なんて関係ないのさ。義務教育だってさせられていない。まぁでも辛うじて、小学校は行かせてもらえたらしいけどね。榊は小さい頃から本ばっかりを与えられて、本ばっかりを読み続けて、本ばっかりで知識をつけた。だから榊は、感情が欠落してしまっていた。普通なら当たり前にできてしまうコミニケーションができない、どうやって人と付き合えばいいのかわからない。そうやって、周りに壁を張り巡らせた」
「…」
「だから榊はいっつも、酷い性格だと捉えられがちなんだ」
「あの性格は…環境故…ってことか」
「そうなるね」
花菱は満足そうに頷くと、困ったように笑った。
「紙面上でしか世界を見れない榊にとっちゃぁ、アズマは新しい〝世界〟だったんだろうね。自分では気付いてないようだったけど、よっぽど嬉しかったんだろ」
「セカイ…」
「気付けば目の前にいた小さなそばかすのガキは、自分にとっていなければならないような存在になっちゃったんだ」
鳴海は、じくりと胸に痛みが走るのを感じた。
だとしたら。
もしアズマが榊の大事な存在だとしたら、俺はもしかして―――自分が思っている以上にとんでもないことを、榊にしてしまったのではないか。
脳裏に浮かんだ仮説が、消えない。
――――それは、どこかで自分がその考えを肯定してしまっているという、充分な証拠になってしまっていた。
鳴海は、表情を曇らせた。