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自殺屋  作者:
意義
8/17

追憶

甘党な俺が、コーヒーをブラックで飲もうとしたなんてどうかしていたのだ。

もしかしてそれが何らかのフラグだったのか。

そう思うと、数分前の俺が急に恨めしく感じる。


コーヒーが思いのほか、苦過ぎて吐きそうになった直後のことだ。

「すみません」

書斎の扉の向こう側、つまり決して大きくはない会社の、建物の玄関から女の声が聞こえた。

「客か…?」

飲みかけのコーヒーを机の上に置いて、床に絨毯のように落ちている本を器用に避けると、玄関に通ずる扉を開けた。


扉を開けて、息を呑んだ。


開けなければよかったか、と後悔するくらい。

俺は無性にここから消え去りたかった。


「こんにちは、(さかき)さん」

柔らかい笑みを浮かべた女は、俺を真っ直ぐ見つめていた。

女は四十前後で、身長は比較的低い。だがその柔らかい笑みは、安らぐような落ち着いた笑みだった。


俺はその女を知っていた。

基本人間の顔を覚えることが大嫌いな俺が、目の前で柔らかく笑う女の顔を知っていたのだ。

多分俺にとっては相当なことだろう。

俺は一度何かを言おうと口を開いたが、何を言おうか結局迷ってしまい、再び口を閉じた。


女はその様子を眺め、少し悲しげに眉を下げた。


「あれからアズマに、会いに行ってくれましたか?」

ああ。

忘れようとしていたのに、また〝あのこと〟を思い出させるのか。

そんなことを思いながらも、「いいえ」と首を横に振った。

女は更に悲しげに顔を歪めると、「そうですか」と目を伏せた。


いつもならば相手が誰であろうと関係なく追い返してしまう俺だが、そんなこと―――出来る筈もなかった。俺は微かに震える手を握り締めると、息を吐いた。



盗み聞きをするつもりはなかった。

自殺屋の建物の出入り口で、榊と四十前後程の女性が対面し、何やら深刻そうな話をしていたから。

榊が随分と苦々しい顔をしていたから。

榊がポーカーフェイスを崩すことは滅多にないから。


そんなことから興味本位で聞き耳を立てていた。


「…ナル、あんた盗み聞きとか趣味悪い」

(じゅん)はそう毒づきながらも状況を察知し、声を控えめにしながら俺に言った。

俺は自分の体を近くの看板の陰で隠しながら、二人の様子を窺う。


潤が話の分かるやつで良かった、常盤(ときわ)がここにいたら騒がしくて間違いなく見つかっていたな。

常盤は現在、花菱(はなびし)の家で預かってもらっている。

俺たちは〝仕事〟の帰りだった。


「あれから〝アズマ〟に、会いに行ってくれましたか?」


女の落ち着いた声。

冷水を浴びせられたみたいに、すッと体が冷えた。息が詰まり、グラリと眩暈が俺を襲う。


ああ、戻ってくる。

生きた心地がしないあの出来事。

傷ついたように、絶望したように、けれども真っ直ぐと俺を見つめるあの瞳。

死にたいという衝動が一気に駆け抜けてしまうような、酷くドス黒い罪悪感。


〝アズマ〟という名前には覚えがあった。

〝アズマ〟との出来事は、俺にとってはとてつもなく苦い記憶だった。

だから、出来れば思い出したくもなかった。

でも、そんな願いが全て打ち壊されるように、脳裏に昔の記憶が流れ込んでしまう。


――――俺は、アナタのように…強くないよ…!!


そう言って涙を流しながら俺を真っ直ぐ見つめたあの表情(かお)を、今でも鮮明に思い出すのだ。そして、思い出す度に罪悪感で気が狂いそうになる。

それくらい、俺にとってとても大きな存在だったから。


そう。

あれは、今からちょうど五年前だった。



「――――…鳴海(なるみ)、お前に任せたい仕事がある」

「なんだよ、急に」


いつもは、何も感じていないように淡々と言葉を並べるだけの榊。

こちらと目を合わせることだってない。


身勝手で掴めない榊が、初めて俺を真っ直ぐ見て話していた。

俺はそのことに微かに違和感を感じ、首を傾げながら躊躇いがちに頷いた。

初めて、こいつが本当に人間なんだと実感できた一瞬だった。


「客が、いるんだ」

榊の声が少し、ほんの少しだけ震えていた気がした。気のせいか。


死ぬことをやめた俺は、榊にスカウトされて自殺屋で働くこととなった。そして自殺屋として雇われた俺は、常盤(ときわ)を拾った。

だが、常盤は〝仕事〟には加えなかった。

当時まだまだ右も左もわからない常盤には、人の死やら自殺やらという話は教育上よろしくないだろうし。


俺は自殺屋に雇われて、既に五人ほどを仕事として任された。だが、いずれの客も死ぬなんてことはせず、相談のように悩みを打ち明けて帰っていった。

もちろん、〝規約〟のために依頼者の記憶はしっかりと消した。


自殺屋は、〝自殺を促す〟のが仕事だ。

依頼料をもらい、それが自殺屋を保たせている。

だが俺は依頼料をもらうことなく、自殺を促すこともなく客を帰してしまうことから、毎回のごとく榊に「仕事になんねェ」とぼやかれる。

まあそれも、日常茶飯事になってきたのだが。


多分、油断していた。


自殺屋には、本当に死ぬか生きるかを悩んでいる人たちが訪れる。

当たり前のことなのだが、その〝当たり前〟を忘れてしまうくらい、きっと、油断していたのだ。俺が担当した依頼者はいずれも死には及ばなかった。だ

から、心のどこかで「この人たちは死のうとしていない」と思い込んでしまった。

それを、それ以来後悔しなかった時はない。

今戻れるなら、そのころの俺を殴りたいと思ったくらいだ。


六人目の客は〝アズマ〟という少年だった。

歳は十五歳。顔立ちはまだ幼く、そばかすがついた小柄な少年だった。アズマは接待用のソファーに座り、膝に手を置いて俯いている。

手は堅く握られ、微かに震えていた。


榊はどうして俺にこいつを任せたんだ?

そんなことを思いながら、俺はアズマと向き合った。アズマは相変わらず俯いたまま、口を閉ざしている。

無言が居たたまれなくなり、俺は息をついて話を切り出した。


「どうして、死のうと?」

アズマは肩を少し揺らすと、顔を上げた。目が腫れて、赤くなっている。頬にも涙の跡がくっきりと残ってしまっていた。

この子はどれだけ泣いて、どれだけ苦しんだのだろう。

アズマが泣いている姿が想像できてしまい、俺はアズマにわからない程度に眉を顰めた。

「父さんが、死んで…」

アズマの声が震えていた。

我慢していただろう涙が、声を出した拍子に一滴落ちる。アズマは慌てて強引に涙を拭きとり、今にも崩れそうな瞳で俺を見つめた。


「悲しくて、辛くて。世界が、どんどんと汚れて見えて…」

アズマはそれでも続けた。

泣きそうになるその声が、どれだけの想いを詰め込んだのかもわからない。

そんな数えるほどしかない言葉を、一つ一つ確実に紡いだ。


じくり、じくりと心が痛い。

もやもやする。


この子供は、とても綺麗なんだ。俺とは違って、まだ綺麗な子供なんだ。

まだ絶望なんて知らない。

泣くことができるのは、希望を持っているから。

悲しいと思うことができるのは、今までずっとずっと、幸せだったからだ。


父が死んだ。

とても優しく、いい父親だったのだろう。

こんなに悲しくて、死にたくなるほど泣いているのだから。

とても優しくて――――大好きな父。


俺とは違う。

俺の両親は消えた。

俺にギャンブルの借金をなすり付けて、多分今も遊び呆けているのだろう。そのせいで俺が死んだって、どうとも思うことはないのではないか。

もうポジティブには考えられない。

どう転がったって、両親は俺にとっての悪者だ。

憎まざるをえない。


いいじゃないか。

俺と違って、死んだ父は誇らしいのだから。

俺と違って、まだ綺麗なのだから。

俺と違って―――――


モヤモヤするこの感情が何なのか知らない。

知らないけど、それを感じ取るたびに―――――苛々する。


俺の中に渦巻くこのドロドロは、恐らく嫉妬。

綺麗なままの子供に対する、大人らしからぬ感情だ。だがそんなのは、馬鹿らしいほど抱いたって仕方がないはずだった。


歳を重ねれば汚れていくのは当たり前。

経験や知識がどうしても脳を占領する、大人のまま子供になれだなんて、ピーターパンになれと言っているようなもの。


だがそんな当たり前がわからなくなるほど、その時の俺はとてもとてもイライラしていた。

頭に血が上っていたのだ。


このときの行動を、後悔しなかった日はない。


「…それは」

「…え?」

「それは、キミが弱いからじゃないのかい?」


ああもう。

なんでこうも、むしゃくしゃするんだろう。

アズマの傷ついたような顔も、その時の俺には何も感じられなくて。


「世界は何も変わらない。汚く見えたって言ったけど、変わったのはキミだ。弱くなったのはキミだ。キミは父さんが死んだから悲しいって言ったけど、俺の母さんと父さんは逃げたよ」

アズマの表情も見ずに、俺は続けた。


「両親に裏切られたんだ。おかげで俺は借金まみれになって、死ぬ一歩手前までいったんだ。その点、キミはいいじゃない。母さんはいるんだろう?父さんはキミの英雄なんだろう?」

「…ッ」

「綺麗なままの思い出で、思い出せば楽しい思い出ばっかりで。いいね、そういうの。俺はそんなこと、望んだってもう考えられない。だって思い出すのは、借金をなすり付けられた時の怒りと恨みしかないんだから」

「やめてッ…」


頭を抱え、掠れた声で訴えるアズマ。

我ながら、大人気ないと思った。

世界を知らなくても、まだ綺麗なままでも、大人に頼ろうとしていても、いいじゃないか。だってアズマはまだ子供なのだ。

そう思う一方で、やはりドロドロした気持ちは消えない。


それに、悲しみの度合いと基準は人それぞれなのだ。

他人がとやかく言うことではないのに。

ああ、イライラする。


「両親が逃げたと知った日は本当に恨んだよ。もう気持ち悪いくらい生きた心地はしないし、腹ン中がドロドロした溶岩みたいなのが流れてるように熱いし」

「やだッ…」


こんな奴になりたいわけじゃなかった。

こんなに嫌な奴になろうとしたわけじゃ、なかったのに。


いつから。

いつから俺は。

こんなに――――――格好悪い奴になったんだろう。

後悔したって、もう遅い。

口に出た言葉は、もう戻らない。


そして、そのときのアズマの表情は、この先絶対忘れることはないだろう。


俺を見つめるアズマの瞳は、虚ろだった。

ぐったりとソファーの背もたれに体を預け、俺――――いや、虚空をずっと見つめていた。

無表情なのに、その顔が俺を恨んでいるようで。

無表情なのに、俺を責めているようで。

頭に残る。

嫌なくらい静かな時間。


刻まれる―――――アズマの〝悲痛〟の表情。


「お、れは…」

震える唇が、言葉を紡ぐ。

「俺は、アナタのように…強くないよ…!!」

そう訴えるように、投げかけられた言葉。

鈍器で殴られたような、そんな強い衝撃を与えられてハッと我に返る。

スッと、しつこいくらいに押し寄せていたいらいらが消え、代わりにズシリと何かが肩に乗っかった気がした。

生きた心地がしない程、体中が冷え切っていく。

呼吸をするのも、辛くなる。


全てが重く感じた。




それから数日後、アズマは死んだ。


なんでも聞いた話では、ビルの屋上から飛び降りたとか。

俺が昔しようとしていたことを、アズマは本当にしてしまったのだ。


俺は初めて、自殺屋が怖くなった。

自殺屋としてしてしまった"本当の仕事"に、恐怖を感じた。


数日前一緒にいた人間が、もうここにいない。

もう会えることも無い。

俺が人生を奪った。俺がアズマに死を促した。


もともとそれが目的の店舗ではあるが、俺は自殺屋という職業を拒み、お悩み相談室の気分で客の死と向き合った〝つもり〟でいた。


つもり。


そもそも、軽く見ていたのだ。人の悩みを。

俺が殺したようなものだ。

大人気なく、傷を抉るように責めたて、アズマを更に傷つけた。

馬鹿みたいだ。

馬鹿みたい。

後悔するなら、言わなければよかったのだ。

自制が利かなくなるほど、子供じゃない。


俺は――――大人なのだから。



ああ、まったく。

嫌な記憶が戻ってきてしまったじゃないか。

気持ち悪くて、吐きそうになる。


「ナル?」

様子がおかしくなったことに心配したのか、潤が俺の顔を覗いて様子を窺う。

俺は口の端を上げ、目を細めて笑顔を作ると「なんでもないよ」と言った。


潤はやはり話がわかる。

何を察したのか、その後その事に関して何も触れてこなかった。

榊と話していた女性が帰ると、決して大きくない建築会社(表向き)に早々に足を向けた。

俺はそのあとをついていき、ささやかなお礼代わり。

潤の頭に手を置いて、歩き出した。



ここは、駅前近くのマンションの一室。

「ナルーッ!」

「ぐぇ」

腹辺りにとんでもないくらい大きな衝撃が襲い、俺は声を漏らすと後ろに倒れ込んだ。

腹辺りが締め付けられるようだ。

俺はその原因を作っている〝くっつき虫〟の頭をぽんぽんと軽く叩く。

「し、締まってる…」

苦しい、と掠れた声で訴えると、くっつき虫である常盤はあっさり素直に離れた。


常盤は生まれつき馬鹿力を持ち合わせているため、可愛く言えば力持ち、悪く言えば危険人物である。

常盤がその気になれば、俺も潤も一捻りで殺せるだろう。

それくらい、強いのだ。


「やっと来た…鳴海め、遅いよ…」

「悪い。いろいろ寄り道してた」

擦り減ったような声でフラフラと奥の部屋から出てきたのは、情報屋の花菱だった。黒髪を後ろで括り、黒縁の眼鏡をかけた男。歳は俺と同じくらい。

常盤が相当世話をかけたようで、花菱の目にはうっすら涙が浮かんでいた。


「こら、常盤。何したんだお前」

「俺のパソコン壊したんだ…せっかく作ってた書類が全部パァだよ、コンチクショウ」

「えへへ」

常盤の満足そうな笑みと、花菱の嘆きを見て、そこで起こった大体のことが予想できた。


「頼むよ、俺は情報屋でパソコンは命に値するんだから」

「はいはい、悪かったな」

面倒くさそうにあしらえば、花菱は眉を潜めて仕返しだとでも言うように、「そういえばさぁ」と話を切り出した。


「アズマくんのお母さん、榊んとこに来てたんだって?」

その言葉には息が詰まった。

まさか、こんなところで名前が出ると思わなくて。

「なんでそれを…?」

「いやぁ、情報屋の俺をなめたらイカンよ。俺がその気になれば、個人のプライベートの何から何まで、リアルタイムに暴くことだって可能なんだからね」

「それを世間ではストーカーって呼ぶんだけど」

「俺は愛のあるストーカーさ」

花菱は、恍惚の笑みを浮かべた。

そして、それを見ていた常盤が瞬間的に俺の背後に隠れた。

なるほど、話を理解していない常盤でも、こいつは危険だと本能で察知するのか。


「ううん、それにしても…アズマくんのお母さんって、実に寛大な心の持ち主だよねぇ。自分の愛する息子が死んだ〝原因〟に、わざわざ会いに行くなんて」


「――――は?」


何を言っているんだ?と俺は首を傾げた。

アズマを殺したのは俺、原因を作ったのは俺、当然母に憎まれるべきは俺――――なのに。


アズマの母が会いに行ったのは、榊だった。

ということは、花菱が言った〝原因〟とやらは榊。


アズマが死んだ原因を作ったのは――――?


矛盾。

俺の中に小さな矛盾が生まれた。

「なぁ、花菱」

「いっつも言ってるけど、ハナちゃんって呼んでくれていいよ?」

「キモいッ、全力でキモいよッ!!―――…じゃ、なくて…それってどういうことだ?」

「それって?」

「アズマが死んだ〝原因〟が、榊って…」

「ああ、それ?あれれ、鳴海は知らなかったんだ?」

花菱は目を丸くして驚いた素振りを見せた。


「まぁ、三割くらいは鳴海のせいでいいんじゃない?」

「三割?」

「あとの七割は、榊が原因さ」

「どう言うことだよ」

「そのまんまの意味」

ますます謎が深まった。

眉を顰め、考える俺の顔を見て何を悟ってか、花菱は息をついた。

「いいよ。話してあげるから、そこ座んなよ」

花菱は近くにあったソファーを指し示すと、自分は向かいの椅子に座った。

俺が導かれるままに座る。常盤にも座らせ、「静かにしてろよ」と釘をさす。

「さて」

花菱は話を切り出した。


「少し――――昔話をしようか」

花菱は微かに眉を下げながら、笑った。

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