あったかい手
両親が、怪しげで恐怖さえ感じるような宗教にハマり出したのが一か月前。
家族の絆にヒビが入り始めたのが二週間前。
両親のサンドバッグにされて、殴られ始めたのが三日前。
これは、既に虐待と言えるだろう。だが、両親は決して弟には手を出さなかった。弟よりも、私の方が先に産まれたからだそうだ。
馬鹿みたい。
顔だってお構いなしに殴られて、体中青いアザだらけになった。
学校にも行けなくなった。こんな姿で外を出たら通報されるからって、家も出してくれなかった。所謂監禁。
頭がおかしくなりそう。
カーテンが閉まって日も当たらない部屋で、ただただ息をしているのは辛かった。涙だって何回零したことか。
だけど、両親の前では決して流さない。流してたまるか。
こいつらには絶対絶対絶対絶対絶対絶対―――――弱みは見せない。
そして、ついに父親が私にナイフを向けたのが、現在。
もう死ぬのか。
そう思ったけど、案外怖くなかった。
だってもう私の意識は朦朧で、体中感覚がなくなるほど痛いのに、これ以上痛くなったって変わらないから。
そんな、恐ろしいほど冷めた考えを持ったのは、十三歳の頃だった。
*
「あなた…やめてよ。殺人なんて…私、刑務所に入るの…嫌だわ」
「黙れ!!」
父親が乱心しているのが、見てわかる。
母親はナイフを私に向ける父親に怖気づいたのか、止めにかかっている。
ああ、そうか。
母親は、ただ単に殺人が見たくないだけか。
本当に、他人みたいだ。
世の中には、血が繋がってなくても絆が堅い親子だって山のようにいるのにな。
「俺はぁ…強く、なるんだよぉ…!!」
何の話だろうか。
私みたいな、無抵抗で無力な人間殺したところで、なにが強くなるんだか。
宗教にハマって、頭も弱くなっちゃったのかな。
口に出したいところだけど、そうもいかない。弟が私の後ろで震えている。
弟には手を出さない両親だが、乱心した父が今度も手を出さないとは限らない。
それに、私の血で弟がトラウマになってしまったら困るから。
口から出かかった挑発と煽りを、大きく呑み込んだ。
「殺せばぁ…強く…なる…!!皆、俺が怖くて…道をあけるんだぁ…!!」
高らかに笑う父は、正直見ていて滑稽だった。
人が道をあける前に、警察に捕まったらおしまいじゃんか。
私は小さく息をつき、父を見据えた。
「何だよお前ぇ…怖いだろ?怖いんだろぉ?命乞いでもしてみせろよぉ…」
とんでもないクズだ。
こういう人間は、こうやって女子供に偉ぶってるくせに、社会に出ると何もできないような無力で笑える馬鹿ばっかりなんだから。子供に命乞いさせたぐらいで、世界が自分に平伏しているつもりなんだ。
だから、馬鹿なんだよ。
なんて、十三歳で思ってる私もどこかネジが抜けてそうだ。
父の隣では母が「やめてよぉ…」と縋りついている。
どうせお前は、私の死体が表に出たら虐待していたこともバレるから、それが怖いんだろ。
どっちもどっち、滑稽すぎ。
「ほらぁ…どうした!!命乞いしてみせろぉ!!」
後ろでは弟が、私の服を掴んで泣いていた。
ああ、昔この四人で笑っていた日々が夢の中みたいだった。
もしかして、この現実自体が、長い長い夢だったんじゃないか。
そんなことすら思えてくる。
だって、本当に。
本当に昔の私たちは、幸せだった。
この現実は、昔にしてみれば〝ありえない現実〟だもん。
受け入れられないのは当たり前。
しかも、弟はまだ十歳。
大の男の怒鳴り声を聞けば、この状況(ナイフを向けられた状況のこと)でなくても怖くなる。
弟の恐怖が、背中から伝わる。
弟が殴られないことに、妬んだこともある。
まぁ、妬んだところで、何も変わることはないんだけど。
やっぱり最初は殴られるのも辛くて、壊れてしまいそうになったことがあった。弟は私に笑顔を向けるし、私は弟に何も言えないし。
なんで笑顔を向けるんだろう、自慢でもしたいのだろうか。
殴られないことを。
それとも、親から気に入られてることを。
なんて、酷いことだと思ってた。
そうでも思わないと、私が弟を殴り殺してしまいそうで、怖かったから。
そんな私を、弟は抱きしめた。小さな体で、小刻みに震える体で、力いっぱい抱きしめた。
弟の力いっぱいは、私にとっては全然弱かったけど―――――あったかかったんだ。
そんな弟がいたから、私は壊れなかったんだよ。
私はどうしようかと迷った末に、背後の弟を抱きしめた。
弟がいつもしてくれたように。
父は荒い息を漏らしながら、私たちの様子を窺っている。
「――――ヨウタ、私が合図したら一気に扉に向かって走って。鍵がかかってる筈だから、素早く開けて…外に出たら、おばちゃんちに助けを求めて。おばちゃんなら、なんとかしてくれる」
微かに震える唇から、弟に逃げるようにと告げた。
おばちゃんとは、隣の家の五十歳前半の優しいおばちゃんのこと。辛いときとかはいっつも、姉弟でそこに駆け込んでいた。
この話はもちろん、父親や母親には聞こえていない。
今まで弟が手を出されていないからと言って、今日もそうとは限らない。それならば、弟だけでも逃がしたい。
傷つくなら、もう傷だらけの私だけで充分だから。
「お姉ちゃんは…?」
掠れるような声で呟いたヨウタは、不安げな瞳でこちらを見る。素直で優しい弟のことだから、私のことを真っ先に心配することはわかっていた。
私はヨウタの後頭部を優しく撫でた。
「運が良かったら、また会えるよ」
なるべく、安心させるように。
優しく聞こえるように。
"絶対"とは言わない。希望を持たせたら、ダメだから。
裏切られたら、弟はもっと苦しむだろうから。
「わかった…?」
私の問いかけに、ヨウタが微かに頷く。
「いい子だね」と言う代わりに、私はもう一回後頭部を撫でた。
「おいこらぁ…無視してんじゃねぇぞぉ!!」
私は、父と母に向き合った。
醜く顔を歪め、完全に目がイッちゃってる。狂気さえ感じる父が一番危険だ。
母であれば、弟の足でも逃げられる。
ヨウタは、鬼ごっこだったら得意だもんね。
一瞬。
いや、もうちょっと欲しい。
隙がそれくらいできれば、上出来だろう。
私は膝をついて、両手を床につける。
「助けて、ください」
私は深々と頭を下げ、床におでこをつけた。
土下座だった。
癪だ。だけど、ヨウタのためだと自分に言い聞かせる。
私の右手の付近には、テレビのリモコンがあった。不幸中の幸いだとでも言うのか。これだったら、弟から気を逸らせられる。
「良い格好だなぁ」と嘲笑うように吐き捨てる父と、微かに喜んでいる母。
まったく、どんな両親だよ。子供の土下座を笑って見てるなんて。
ヨウタは、土下座している私の背中に手を置いた。
あったかい。
まだ、生きてるんだと実感できる。
私も、ヨウタも。
背中に乗っかった手が微かに震えている。
私は、くッと笑った。
そして、顔を上げて大笑いした。
楽しくもないのに、嬉しくもないのに、笑った。笑った。声を上げて笑った。狂ったように、それこそ―――何かに取り憑かれたように。
ヨウタの緊張が張り巡らされているのがわかった。
両親も驚いたように私を見ている。
私は手元のリモコンを握り、ガラス窓に向けて思いっきり投げた。
パリ――――ンッッ!!
やけに清々しい音が響いた。窓が割れた音だ。
両親が大きな音に驚き、ガラス窓の方に顔を向けた。
私はその隙を見て、ヨウタの背中をグッと押す。ヨウタは弾けたように玄関に向かって走り出した。
背中を押したときに一瞬躊躇ったヨウタは、やっぱり優しかった。
だから、こんな汚れた世界、見る必要ない。
もう、見る必要ないんだよ。
父親が発狂し、ナイフを振り回していた。
だが、ヨウタはもう振り返らない。
手際良く扉を開けて、外へ飛び出した。ぱたん、と心地よい音とともに、扉はしまった。
父が、私を思い切り睨んだ。
私はヨウタの背中を最後まで見送ると、背後の壁に寄りかかった。
背後で震えていたヨウタはもういない。
護らないといけない幼いヨウタは、もういない。
もう、いない。
安堵の息を漏らし、父親を見据えた。
うわ。
死んでもいいと思ってたけど、少しだけ未練があるなぁ。
ヨウタがどんな大人になるのか、見てみたかった。
泣き虫だけど意外と根性あるんだから、いい奴になる。
私は苦笑を零す。
父が何を言っているのかも、よく聞こえない。
でも明らかに、私を罵って貶して、それを繰り返しているのだろう。
母親は、父に縋っている。大方、通報されたらどうするの?とでも言っているのだろう。
父はそんな母を適当にあしらい、私にナイフの刃先を向けた。
ああ、物騒だな。なんて、冷めた考えを持ちながら、ナイフの刃先を見る。
「殺すなら、殺せば?」
私は嘲笑うかのように父を見る。
頭がぼうっとして、目の前の父の顔も霞んできた。だけどこんな挑発的なことを言っているのは、多分せめてもの強がりなんだと思う。
「あんたみたいな人間のカス、私は全然怖くない」
「――――――――――あんだどぐぉらァァアアァア!!!」
力が入り過ぎて変な所にも濁点が入っている。
怒りからか、呂律も微かに回っていない。
父は怒鳴り声を部屋の隅まで響き渡らせると、変な叫び声を上げながらナイフを私に振りおろした。
切っ先が、迫る。
私に、迫る。
「やめてッ…あなたぁぁああ!!」
ナイフが突き立てられたのは、驚いたことに私ではなく母だった。
私を庇ったのか。
それとも父をまだ愛しているから、子供を殺してほしくなかったからか。
はたまた刑務所に入りたくなくて、ナイフを取り上げようとしたのかはわからない。
真相なんて、知る術はもうない。
だって母は心臓を直接刺されて、即死だったのだから。
グロいなんてもんじゃない。ヨウタに気を遣うより、自分に遣えばよかった。
トラウマになりそう。
まだ生温かい血が、私の頬にも飛び散る。
気持ち悪い、吐きそう。
まあ、でもヨウタが見なくてよかった。
ヨウタが見たら泣いてチビりそうだから。
冷静にそんなことを思っていた。
父は母の死に気付いて、少しだけ冷静になった。
ナイフを掴んでいる手をだらんと垂らし、しばらく母の名を呼ぶ。
私は血だらけで瞳孔が開いた母を目の前にして、少しだけ胸が痛くなった。
もう二度と、あったかいその腕で、私を抱きしめてくれることはないんだって。
なんでこんなことになったんだろう。
ついこの前までは、笑いが絶えないごく普通の家庭だったはずなのに。
私は瞼を閉じ、息をついた。
鉄臭い。これが血の匂いなのか。
頭がグラグラする。これが眩暈なのか。
これが夢だったらいいのに。
父は再びナイフを私に向ける。
「お前のせいだァァアゥるゥアアア!!!お前がァァ!!お前がッ…!!」
もう父の呂律は、酷いモノだった。
興奮しすぎていて、多分意識だって朦朧としている筈。
なんで私のせいなんだ。
なんで私がいけないんだ。
ナイフを持っているのはお前で、刺そうとしたのもお前で、刺したのもお前で――――なんで。
「自分の罪も認めないの」
酷く冷めた声だった。
自分で出したのかもわからないほど、冷めていた。
はらわたが煮えくりかえるくらい、怒りが私を染めているのに。
眩暈がするくらい、悲しみが私を襲うのに。
逆上するどころか、酷く、酷く、冷めていたのだ。
父は私の声を聞き、目を見開いた。
血走った目が、汗ばんだ額が、血だらけの服が、ここで起こった現状を語る。
父はそのままストンと腰を落とし、ナイフを手放した。
私はぼうっとする頭を働かせ、震える足で立つと玄関に向かった。
その際に父の横を通ったのだが、父はまるで意識がないように真っ直ぐ一点を見たまま動かなかった。
人形のように、魂が抜かれてしまったように。
それから私は力尽き、道端に倒れた。
こんな姿、通報されるのがオチだろうな。なんて思いながら、長い間倒れていた。
道行く人々がここを通るたびにざわめき、そして足早に逃げていく。
何せ、私の服装は血まみれで、体もアザだらけ。
死体だったら絶対面倒なことに巻き込まれると思うだろうから。
このまま警察に連れてかれたら、なんて答えようかなぁ、なんて他人事のように思っていると、可愛らしい声が聞こえた。
どうやら男の子の声。
「ねぇねぇ、ナル!!なんかおっこちてる!!」
「おまッ…もう八歳なんだから、拾い食いすんなよ」
「違うよぉ、お姉ちゃんが落ちてる!!」
「え、お前の姉貴?」
「ううん、違うよぉ。知らないお姉ちゃん」
仲良さげに聞こえる二人の会話。
一人は先程も言ったように男の子、もう一人は無駄に美声な大人の男の声。男の子は八歳だと言っている。ヨウタよりも下なのかぁ、とぼんやりと思っていると、急に浮遊感が私を襲った。
「かッ…軽すぎねぇか!?こいつ、普段何食ってんだよ」
どうやら抱えあげられたようだ。もちろん、大人の方に。
セクハラだよ、と教えてやりたかったが、生憎口が動かない。
体の方も動かない。
大人しくお姫様だっこをされながら、薄らと瞼を持ち上げる。
「あ、生きてるな」
無駄に美声な男は、無駄にイケメンだった。
なんだこいつ、もう人間じゃない。
こんなイケメンいて堪るか、世の中の男が泣き叫ぶぞ。なんて思いながら、私を抱える男の顔を観察する。
「喋れないのか?なら聞けよ、そのままでいいから」
男は、私の様子を窺いながら言った。
「今から俺ら、お前を治療するために家に帰ろうと思うんだけど…あ、誘拐とかじゃないからな。まぁ、なんだ。お前ちょっと尋常じゃない怪我してるし、病院に連れてってもいいんだけどな。ワケありっぽいし、俺たちも表に出れるような人間じゃねぇし?」
なんだそれ。
それってもしかして、白い粉とか運んだりしてるアレですか?
「お前、連れてかれるの嫌だったら、何らかの意思表示してくれねぇか?」
私に拒否権を作るなんて、この男は信用できるのだろうか。
私は、少し考えたが病院に連れて行かれるのも嫌なので、そのまま意識を手放した。
*
「お、起きたか」
無駄イケメンが目の前にいる。
私は、とても大きなベッドに寝かされていた。
ここ、どこだろうと部屋の中を見回すと、そこはとても殺風景な部屋だった。
私は上半身を起こすと、頬に違和感があるのを感じた。
手をそっと頬に触れてみると、ガーゼが貼ってあった。
マジで治療されてたんだ、私。
私は布団を避けると、服装を見る。
血だらけの服、のせいでベッドまで血がついている。
しまった、なんか迷惑かけてる。
「ここ、俺の部屋。お前に意思表示がなかったから、治療だけさせてもらったわ」
「セクハラだよ?」
「いきなりッ!?」
やっと無駄イケメンに教えることができた。
体も先程よりはずっと軽い。
無駄イケメン(もはやアダ名)は私の言葉にショックを受けていた。
無駄イケメンは、ショックで項垂れた。
「そりゃちょっと危ない関係、とか期待したけど、お前ガキじゃんか」
「それが女に言う言葉か、無駄イケメン」
「何そのアダ名!!」
「しかもロリコンとか、最低だなお前」
「やめて、俺の繊細な心が傷ついちゃうよ!!」
無駄イケメンは繊細らしい。
知るか、そんなこと。
ガキ扱いされたこっちの方が被害者だ。
「名前、訊いていいか?」
「嫌だ」
「即答!?」
「人に名前を聞くときは、まず自分から名乗るのでは?」
「なんか子供に諭されたッ!!」
無駄イケメンは近くにあった木の椅子に腰を下ろし、深くため息をついた。
「俺は鳴海。んで、さっき一緒にいたガキがタマ…じゃなくて常盤」
「なるほど、ナルミの〝ナル〟はナルシストの〝ナル〟か」
「なるほどじゃねぇ!!なんかお前、本当に酷いな!!」
「いやあ、それほどでも」
「褒めてねぇよ、バカヤロウ」
子供相手にムキになるなんて、馬鹿らしい。
「んで、お前の名前は?」
「潤」
「潤、ね。それで、潤はなんであんなとこで倒れてたんだよ」
「セクハラ」
「なんで!?」
ナルミは私の言葉をことごとく突っ込んでくる。
何か、ヨウタと同じくらい子供みたいだ。
――――そう言えば、ヨウタ何してるかな。
ちゃんと、おばちゃんに助けてもらったかな。
そう思った私の頭に、ナルミは大きな手を乗っけた。
「なに?」
「別に、寂しそうな顔してたし」
あったかい。
ヨウタみたい。
私が土下座している時に、背中に感じていた温もりみたい。
あったかいな。
ヨウタ、どうしてるかな。
ちゃんと、笑えてるかな。
ちゃんと――――
「お前、ちゃんと泣けるんだな」
ぐにゃりと視界が歪んだかと思えば、ハタハタと布団に落ちる雫。
時折手にも落ちる。
冷え切った私の手には、その滴はとても温かかった。
泣ける?
泣いてる?
誰が。
私が?
ありえないよ、だって私はお姉ちゃんだから。
ヨウタを護らなくちゃいけないんだから。
泣いてる暇なんて、ないんだから。
「お前、ずっと人形みたいに無表情だったから、怖かったぞ」
ナルミが言っている。
でも、今の私にそんなこと聞いている余裕はない。
だって人前で泣くのなんて、初めてだから。
隠れて泣いてた昔がウソみたいに、あっさりと泣いてしまったから。
悔しい。
けど、あったかい。
両親が壊れて、冷めきった私。
そんな凍りついた心を溶かしてくれたのは。
「あれ?潤?」
ナルミが私を覗くように見つめる。
馬鹿みたい。
こんな無駄イケメンに、助けられるなんて。
もう、何て言うか。
本当に、何て言えばいいのかな。
訳がわからないくらい、込み上げてくる何かを―――今の私は、必死に抑え込むのだけで精一杯だった。
「なぁ、潤」
もしお前に帰る場所がないんなら、ここにいろよ。別に、捨て猫が一匹二匹増えたところで変わらねぇんだからさ。
なんて、そんなことを言うナルミの頭を、力を込めて叩いた。
「ってぇ…!!」
「誰が捨て猫だ、無駄」
「無駄!?唯一の褒め言葉が抜けたぞ、おい!!」
「―――…ッ…」
反論しようとした私の口からは息だけが漏れた。言葉は出てこなかった。
多分今私は、泣いている。
頬があったかい、ナルミの顔が涙で歪んで見える。
ナルミはジッと私の方を見て、それから笑った。
馬鹿にしたような笑いでもないし、かと言って困ったような笑いでもない。
ただただ優しい、無償の笑顔。
ヨウタに言ったあの言葉。
――――運が良かったら、また会えるよ。
生きてるよ、また会えるよ。
ごめんね、ヨウタ。死んでもいいなんて、もう思わないよ。
自分の命、大切にするから。
朦朧としていたから、気付かなかった。
あのときも今も、自分の命は自分だけのモノじゃないんだね。
もちろん、親だけのモノでもない。
繋がっている人、皆の命なんだ。
この馬鹿みたいな無駄イケメンを見てると、なんだかそう思えてならないよ。
ヨウタ、会えたらいいね。
会えたらまた、笑えるかな。
運が良かったら、また会おう。
馬鹿みたいに大泣きした私は、もう凍ってはいなかった。
題名修正しました。