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自殺屋  作者:
喜怒哀楽
16/17

哀しみを知る

「こんにちは、お嬢ちゃん」

ふと視線を上げると、顔中皺だらけのおばあちゃんが笑っていた。


温かな日差し、というよりは少しばかり暑くなり、夏が近づいてきたある夏の日のこと。

日に日に煩わしくなってゆく気温に、家に引きこもりがちになっていた。

そんな

あたしに見かねて、保護者である(とは認めたくないが)男―――鳴海に「外の空気を吸え」と追い出されて、仕方がなく公園の日蔭のベンチでくつろいでいたときだった。


「こん、にちは…」

いきなり話しかけられ驚いた様子で返事をしたが、おばあちゃんはさして気にした様子もなかった。ただにこにこと笑い、あたしを見ている。

あたしは、無言のまま視線を前に向けた。おばあちゃんは曲がって丸くなった腰に手を添えながら、あたしの隣にそっと腰を下ろした。


何だろう、この状態。


暑くて、暑くて、引きこもりがちなあたしには拷問みたいなこの場所で、知らない人と並びながら無言で過ごすことになるとは。

本当に、何だこれ。

あとで鳴海を殴ろう。


「お嬢ちゃん」

ふと我に返り、視線を向けると―――おばあちゃんは真っ直ぐ前を向いていた。

隣で見ていたあたしには、横顔しか見えなかったけれど。おばあちゃんの落ち着いた雰囲気に、気付けば鳴海にぶつけていた苛立ちがすっぽ抜けた。


公園ではキャーキャーと騒ぎながら、遊具で元気に遊ぶ子供たちがいる。

おばあちゃんは、そう言った子供たちを穏やかな目で追っていたのだった。


「お嬢ちゃん、今何か悩みはある?」

「え?」

何を言うのだろう、とおばあちゃんの横顔を眺めた。

だが、おばあちゃんは相変わらず向こう側を見ているだけ。ちっとも視線を合わせてはくれない。


「何でですか?」

あたしは少し息をつき、首を傾げた。

「何でだろうね」

おばあちゃんは微かに息を漏らし、微笑んだ。


「お嬢ちゃん、名前は何て言うの?」

「…潤。(うるお)うって書いて、ジュン」

「苗字は?」

「…」

あたしは言葉に詰まった。


親とは縁を切った。

親の苗字を、名乗る気はなかった。

言葉に詰まったあたしは、視線を泳がせながら「椎名(しいな)」と答えた。


確か"椎名"は、昔のあたしの家のとなりに住んでいたおばちゃんの姓。

勝手に使っちゃってごめんね、他に思いつかなくて。

そんなことを思いながら、ふと気づく。

そういえば、鳴海の苗字を知らないな。


と、いうよりは。

あたしって、鳴海のこと全然知らない。


「潤ちゃん。可愛い名前ね」

「そうですか?」

「そうよ」

おばあちゃんはふとこちらを向いた。やっと、目が合った。


「私は、加藤ちよ。もう、長生きはできないのだけれど、よろしくね」

ふふ、と笑って、自分の余命が短いことをあっさりと言ったおばあちゃんは、とても皺だらけ。

体中細くて、生きているのも充分に辛そうに見える姿だった。



「こんにちは、潤ちゃん」

「…ん、と。こんにちは、ちよさん」

「名前、覚えていてくれたのね」

「ええ、まあ」

次の日、再び鳴海に追い出されたあたしは、同じ公園で同じようにベンチに座っていた。

すると、昨日と同じように〝加藤ちよ〟が現れた。

余命が短いと自分で宣言した割には、こんなところに来て。

この暑い直射日光に当たる方が余程、命が縮まりそうだけど。

そう思ったあたしは、ちよさんに話しかける。


「あの」

「なぁに?」

「ちよさんは、何故ここに?」


唐突な質問だった。

けれど、ちよさんは何も気にした様子はなく、にっこりと笑った。

「ええと、ここの子供たちを見に…ね」

「子供たち?」

「ええ、やっぱり、病院生活が長いとね、挫けそうになってしまうの。でもね、ここで元気に遊ぶ子供たちを見ると、すごく、すごく、救われるの」

「そうですか」


ああ、しんみりした雰囲気。

あたしはこの雰囲気が、嫌いだ。

このおばあちゃんと話すと、どうもあたしのペースが狂う。

暑さの苛々とは、また別の苛々。


なんでこんな目に遭わなければいけないのか―――ああ、よし決めた。

やっぱり鳴海を殴ろう。


「潤ちゃんは、何故ここに?」

不意に、ちよさんがあたしに問いかける。

あたしは幾分か迷った後に、一言「…追い出されました」と呟いた。

堂々と言う気になれないのは、ちよさんと違って重い問題でもなく、引きこもりと言う理由で保護者である鳴海に追い出されただけ、だからである。


ちよさんは、ふふ、と穏やかに笑うと、顔を皺を濃くした。

「潤ちゃんは、幸せねぇ」

「え?」

このクソ暑い中こんなところに追い出されて、どこをどう見たら幸せなんだろうか。

あたしは鳴海の顔を思い浮かべ、無駄に綺麗なその顔にイラッときながらも、ちよさんに視線を向けた。



自殺屋、という仕事を成り行きでさせられているから、一般よりは近くで生死を眺めている機会が多い。

その場合、ほとんどの人間は恐怖で顔が歪む。

そうでなくても、何らかの〝死への表情〟を浮かべている。

この"ちよ"という老人も死には近付いている。

なんとなく、それは直感でわかった。


しかし、この老人には違和感があった。〝死への表情〟が全く感じられない。

老人にも、仕事で何度か立会いをしたことがあるが、この老人は誰よりも穏やかだった。


そうやってあたしがちよさんについて分析している間も、ちよさんは柔らかく笑った。

「幸せよ。そういう表情を、しているんだもの」

どき、と心臓が高鳴った気がした。


ちよさんの表情を観察していたあたしからすれば、そのときのちよさんの言葉は読心術そのものだ。

心を読まれたのかと錯覚してしまうほど、タイミングがしっかり合った。


「あたし、よく無表情って…言われますケド」

動揺のしすぎで、少しだけ片言になってしまった。


「無表情ねぇ。でも、それは表のハナシよ」

「表?」

「あなたの裏側は、とても温かいわ」


恥ずかしくなった。


見透かされている気しかしないからか、それとも〝温かい〟と真っ直ぐ言われたからか。どちらにしても、負けた気しかしなかった。

あたしは少し意地を張って、平気を装った。

「そうですか、ありがとうございます」


まぁ、そもそも、勝ち負けではないんだけど。



「おはよ」

「ああ、潤か。おい、お客さんの前だぞ。とりあえず十九にもなって、人前でその寝癖たっぷりの髪型と、夏だからってタンクトップはやめろ。みっともないだろうが」

「黙れヘタレ。年中みっともないお前には、言われたくない」

「うッ…」

「言い返せないナルもナルだよねぇ」

鳴海の膝の上でくつろいでいた常盤が、あたしたちの会話に入って、結局鳴海が言い負かされる。

いつものこと。


ふと視線を向けると、若い女性が鳴海や常盤の向かいのソファーに座っていた。

穏やかな目元、緩やかな口元、顔つき―――あれ、どこかで。


「お願いします」

女性が鳴海に頭を下げる。が、鳴海は困った様子で苦笑いだ。

「困りますよ、こう何度頭を下げられても。俺らが担当しているのはあくまで〝自殺〟であって、〝他殺〟は受けていないんです。自分が望む死しか、仕事としては受けません」

「それでもッ…それでも、そうしたら母は…病気に苦しまなければいけないんです…私、そんなの見ていられなくて」

「しかし、あなたのお母さんは、あなたがここに訪れたことを知らないんでしょう?あなたが自分を殺すためにこんなところに訪れていることを知ったら、お母さん、悲しがるでしょうね」


「それが、母の幸せです」


大体話はわかった。

この女性が、自分の母親を殺してほしいと頼んでいるのだ。

その母は病気で、恐らく治療がとてつもなく辛く見えているのだろう。だからこの女性は、母が苦しむのなら―――とここに訪れたわけだ。


それにしても。

「勝手な話ですね」

「こら、潤!余計なこと言わんでいいッ」

「勝手…?」

しまった、と言ったような表情の鳴海の制止を無視し、少し目を細めて口を開く。


「ええ、勝手です。気付いていないんですか?」

「何を…」

「それはあなたの自己満足です。あなたがそれを見たくない、と言うだけで、本人の気持ちはまるで無視ですね。それでは、あなたのお母さんはあなたに殺されただけだ」

「ッ…」

「潤!!」

鳴海の制止が強まる。

あたしは更に言葉を並べようと開きかけた口を閉じ、鳴海に視線を向けた。

鳴海は、困ったように眉を下げる。

「言いすぎだ」

「本当のことじゃん」

「それがいくら正論でもな、その家族の問題に口を出すのも、それは自己満足だ。家族間の問題は家族が解決する、干渉は無粋だ」

その言葉に、あたしは口を完全に閉じた。


「とりあえず、自殺屋は自殺専門です。こちらが信用を置いている情報屋を紹介します。そちらから、殺し屋を雇ってください」

鳴海が穏やかにそう言って、この場は丸く収まってしまった。



腹が立つ。

なんでだろう、なんで。

いや、多分自分でわかってる。

「家族の、問題か」

あたしの父さんがあたしを殺そうとしたように、あの女性は自分のお母さんを殺そうとしている。

それがどんなに正当化しようといろいろな言い訳で塗れさせても、結局それは事実であり、変えられない。

捨てたはずの過去が、あたしを未だに苛々させる。


干渉するべきでないのはわかっている。

でも、家族が壊れたときの悲しさは―――知っている、つもりだから。


「ばっかみたい」

そう、馬鹿だ。

己の過去と勝手に結びつけ、勝手に嫌悪感を抱き、女性を勝手に悪者にしている。自殺屋にいる以上、生死を近くで見ることに覚悟はできていたハズだった。

こんな依頼が来るのだって、予想はできたハズだった。

それでも、何故か。


納得、できなくて。


鳴海みたいに、冷静に対処することができなかった自分に、小さく「馬鹿」と呟いた。



「鳴海」

「ん?」

あたしの呼び掛けに、鳴海が振り返る。相変わらずの眉目秀麗さに腹が立ち、唐突に腹パンチをきめると「理不尽ッ!!」というような声が響いた。

「なにさ、潤ちゃぁーん?」

鳴海はヘラリと笑い、あたしの頭に手を乗せた。

乗せられた大きな手をすぐさま払い、軽く鳴海を睨むと、鳴海はあたしの顔を覗きこんだ。

「どしたの」

落ち着いた声色は、明らかにあたしの様子に勘付いているようだった。

こうやってあたしの視線に目を合わせたり、穏やかな声色で声をかけるときは大体、あたしを子供扱いしているのだ。そんな鳴海に再びイラッと来たが、握った拳を腹にきめる気にもなれず、行き場を失くした拳をそのまま下ろした。


ここに、いなければいけない。

ここにしか、居場所はない。


自殺屋の従業員として、ここの家族として。

欠けてしまった覚悟を―――


「鳴海」

「ん?」

「あたし、あの女の人の依頼受けるよ」


再び示さなければ。

あたしは、驚く鳴海を置いて部屋を出た。



「ホント、ですか?」

「ええ」

女性の泣きそうな声に、あたしは静かに頷く。

あたしよりも身長が高い女性は、あたしの言葉に深く頭を下げた。

あたしより、ずっと低く。長い間、頭を下げた。


ああ、やっぱり。

干渉なんて、すべきではなかった。


どんな人間でも、何かしらの都合や事情がある。それを、何も知らないあたしみたいなのがバッサリと、その都合や事情を切り捨ててしまうことで、この女性はどれだけ傷ついたのだろうか。

あたしの、心ない一つの言葉で。


女性は、痩せているように見えた。ずっとずっと悩んでいたのだろう。


「どのようにしますか?」

なかなか曖昧な質問だったが、女性には伝わったようだ。女性はキュッと唇を噛むと、震える声を一生懸命「楽に、逝けるような…方法…で」と紡いだ。

あたしは頷くと「では、水に薬を混ぜることにします」と目を細めた。

女性は辛そうに顔を歪めながらも「お願いします」と再び頭を下げた。



「ここか」

場所を教えてもらい、女性の母親がいる病院に辿りついた。ここら辺で、一番大きな病院だ。

「えっと…」

病院の中を迷いながら歩き、キョロキョロと辺りを見回すと―――見つけた。

目の前の病室が、あの女性が教えてくれた番号と一致している。

「あった」


病室の扉の隣にあるネームプレートを見て、息が詰まる。

「え…」


まさか。

まさか、なんで。


なんで――――


「こん、にちは」

動揺で声が震える。

病室の中に入り、ベッドに近づく。ベッドには、女性の母親と思しき人物が寝ていた。あたしは前に立り、ゆっくりと頭を下げる。


「あれ、ええと、お嬢ちゃん。こんにちは、何でここに?」


ああ、わかった。

あの依頼に来た女性、どこかで見覚えがあると思ったら。

目の前の老人、そして公園で出会ったあの、ちよさんに似ていたのだった。


このときあたしは、悟った。

あるいは、どこがで既に悟っていたのかもしれない。



あの女性が言っていた〝母親〟が、ちよさんだということを――――



「お嬢ちゃんは優しいのね」

「え?」

「私みたいな老いぼれの為に、何でここまで毎日毎日…通って来てくれるのかしらね」

あなたを殺すためです―――なんて、言えない。

そう、あたしはあれから毎日病室に訪れ、気付いたら一週間経っていた。が、この状況からわかるように、あたしはまだちよさんを殺していない。


優しくないの。

あたしはあたしのために、あなたを殺そうとしている。


ごめんなさい、どうか恨んでください。

自分勝手なんです。

それはわかっています、それでも正しいと思っています。


「…ごめんなさい」

「え?」

「いえ」

正当化しようとしている自分と、どこかで諦めている自分。

入り混ざった今の自分は、酷く歪んでいた。

それを隠そうと、言い訳を並べる自分にまた嫌悪感が溢れる。

あたしが黙りこくっていると、ちよさんはあたしの顔を覗いて口を開いた。


「ねぇ、お嬢ちゃん」

「は、い」

「喜怒哀楽ってね、表に出せば出すほど、死に近付くんですって」

「え?」


感情を表に出すこと、それはそれ相応の労力を使うこと。

そうして表された感情によって、命は擦り減っていく。


「だからね、素直な子は早死にしちゃうの」

「それって、迷信ですか?」

「わからないわ。私も聞いた話なの」

「早死に、ですか」

「ええ。でも、人間は必ず喜怒哀楽を示す。それが、人間の本能だからね。生まれたときから、何を教えてもらったわけでもないのに泣いた。大声を上げて泣いたの。精一杯、自分はここにいるよって」



ここに、いるよ。

―――父さん、母さん。あたしはここにいるよ。ここに、いるの。


「精一杯、生きるの。そして、成長して笑うことを知る。たくさんの感情を知る」

―――…ここに…いる、よ。


「たとえ、寿命を縮めたとしてもね。私にはとても、それが悪いことだとは思えないわ」

―――…だから、きっと。


「だって」


―――…きっと。



「そのとき自分は幸せだったでしょう?」



―――…戻ってきてね……




ふわりと柔らかく笑ったちよさんが、何故か美しく思えた。

しわくちゃで、生気もあまり感じられない。

それでも楽しそうに笑い、目を細めた姿はどことなく―――美しかった。


まるで、自分の死を悟っているように。

彼女はあたしに最後を託すように。



あたしはきゅっと口を結び、逃げる様にして病室を去った。


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