ハナコトバ[後編]
「あのね、サカキ」
「あん?」
「踊子草の花言葉は、〝陽気〟なんだって」
「…だからなんだよ」
「サカキは引き籠りの根暗の変態だから、ちゃんと踊子草を持ってた方がいいよ」
「喧嘩売ってんのか、コラ」
受け継がれるように新たに付け加えられた小さな知識は、知っていなくても損をしないような―――どうでもいいハナコトバだった。
*
やたらうるさい奴が訪れるようになった。
ちっこいガキで、特徴はそばかす。
元気に笑うそいつは、この上なく鬱陶しかった。
自殺屋で育った俺には、どうしていいかわからなかった。
誰かに愛されたり、誰かを愛したり。
そんなことは、実感できる環境ではなかったから。
「サカキさぁ、友達とかいないの?」
「うるせェ」
「いっつもいっつも本なんか読んでさ、つまんなくないの?」
「さァな。別に、つまんねェとかは…思ったことねェ」
どれだけぶっきら棒に言っても、どれだけ突き放しても。
毎日毎日飽きもせず、懲りもせず、犬みたいに俺を追いかけては明るく笑い、声を上げる。
だが、そんな笑顔の裏の本音を、初めて聞いたことがあった。
*
がちゃッと、書斎の扉が開いた。
いつもと同じように、うるさいガキが来たのだと―――そう思って文句の一つでも言ってやろうと顔を上げた俺が見たのは。
笑顔ではなく。
「さ、かき…ッ」
目を真っ赤にして、泣き腫らしたアズマだった。
「な、んなんだよ」
動揺を隠そうと、いつもより声色を幾分か低くして、アズマの顔を見つめた。
ひでェ顔。
涙と鼻水で、ぐしゃぐしゃに汚れているそばかすのガキの顔。
そこにいつも見慣れた笑顔はないことに―――少しだけ、物足りないような気がしたのは絶対、絶対勘違いだ。
「俺…ど、しよ」
「あん?」
「俺、やだ…死にたく、ない…よ」
「…」
「父さんと母さんを、悲しませてばっかだ…俺、ずっと親不孝者だったから…せめて、何か…なに、か…の、こしたくて」
「…」
「や…やだ」
「お前なぁ」
俺はため息をついて、呆れる素振りをしてみた。
案の定、アズマは俺の顔をみて呆然としていて、鼻水と涙のその顔が何だか滑稽で笑いがこみ上がる。俺は更にわざとらしくため息をつき、アズマの頭を軽く叩いて言う。
「ガキのくせに、親のこと考えてんじゃねェよ」
「へ」
「お前みてェなガキに、何を残せるってんだ。馬鹿じゃねェの?」
「う…」
「親より自分の命を心配しろ。お前はもう短ェんだろ?」
「……うん」
「だったら――――」
じくり。
少しだけ痛んだ胸に気付かないフリをし、アズマの死に興味なさげなフリをして、偽り続けるその口から、精一杯な強がりを言う。
「安心して死にゃあいい」
冷たく当たった、鋭く突き刺さる現実を向けた。やけに大人げないことをしたな、と我ながら馬鹿馬鹿しかった。
でも、こうでもしないと本音が出てしまいそうで―――
死ぬな、と。
そんなこと言ったって、変わらないのはわかっている。
そんなこと言ったって、恥をかくだけだとわかっている。
だから俺は、偽り続ける。
知らない感情。こんな感情、俺は知らない。
なんだろう。
モヤモヤして、気持ち悪い。
吐きそう、眩暈が酷い、頭痛。
頭を強く殴られたような襲撃に、叫びたい衝動。
脳裏をよぎるのは、いつもアズマだ。
これは、なんなのだろう。
そして、知った。
アズマが死んで、知った。
これが。
この感情が。
「〝寂しい〟のか」
*
幾分か、心が穏やかになり。
寂しさだけが、心を支配することも無くなり。
「榊さん」
「あ、ああ」
「いらしてたんですね」
日課になりつつあるあいつの墓参りで、ばったりと出会ったのは―――アズマの母だった。
俺は息をつくと、くるりと背を向ける。
そんな俺を、アズマの母は慌てて引き止めた。
「榊さん」
無視をするわけにもいかず、出しかけた足を渋々引っ込めて振り向く。
「これ…」
アズマの母に差し出されたのは、封筒。
真っ白で、何も書いていないまっさらな封筒。
アズマの母は、昔より更に増えた皺を濃くし、人懐っこい微笑みを浮かべて言った。アズマのあの笑顔は、この人に似ている。
「あの子が、榊さんにって。自分が死んだら、榊さんが寂しがるだろうからって」
カチン、と頭の中で音が鳴った気がした。
お前は、つくづく気に食わねェ奴だ。
ガキのお前に心配されるほど落ちぶれちゃいねェよ、ばーか。
軽く舌打ちをしたが、アズマの母親が目の前にいることを思い出して、慌てて改まる。
そして、なるべく丁寧に、アズマの母の手から封筒を受け取った。
なんだ、これ。
中身を見たい。けれど、受け取ってすぐ開けるのはどうなんだろうか。
アズマの母に、視線を合わせた。
開けていい、と言っているようだった。
いや。
やはり、目の前で開けるのには気が引ける。
俺がここを去ろうと背を向けると、それを悟ってかそれとも最初からそのつもりだったのか、アズマの母は俺より一足早くここを去った。
俺は驚いて、背中を見送ることしかできなかった。
アズマの墓の傍らに腰をかけ、乱暴に封筒を破った。
すると中から、再び真っ白な紙が出てくる。
二つに折りたたまれている紙に手をかけ、息をつく。
何が、書いてあるだろう。
もしも、しんみりした別れの言葉なら、せっかくもらった手紙だけど破り捨ててしまおうと思った。俺がそれを持っていたところで未練がましいし、かと言って母親に返してしまうのも気が引けたから。
―――さて、腹をくくるか。
カサッと音を立て、紙を開いた。
さて、何が書いてあるのやら。
「は?」
カチン。
二度目の苛立ち、頭の中で再び音が鳴る。
ビリビリ、と躊躇なく手紙を破る。千切られた紙を更に細かく、細かく、これ以上できないほど細かく千切ってから、全部ぶちまけた。
花びらのように地面に落ちる、落ちる。
まるで、アズマと再会したあの時の、桜のように。
重力に沿って、ゆっくりと。
風に沿って、ひらひらと。
「なめんなよ、ガキ」
俺は独り言を呟いて舌打ちをすると、残った真っ白な封筒を地面に投げつけた。
「あ?」
封筒から、何か出てきた。
「これ、は」
もう一枚の紙、そこに描いてある踊子草。
へったくそでもう何が何だかわからねェ、原型さえ取り留めていない。
――――それでも、何故だろう。
鮮やかなピンクのクレヨンで描かれた踊子草の花が、とても。
とても、綺麗で。
何故か、胸が痛くなった。
〝サカキへ
むっつりすんなよな、ばぁーか〟
陰気な俺に、陽気なお前からの贈り物。
ある一人の少年と、不器用な青年の出会いの物語。
はい、ハナコトバ完結です。
ここまで読んでくださってありがとうございます!!
これからもよろしくお願いします。