表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
自殺屋  作者:
生と死
1/17

自殺屋さん

自殺を決意した日。


私が出会ったのは、何に対しても無気力な少女と、天然で可愛らしく幼い少年と―――その二人を雇っているという残念なイケメンだった。





「―――じ、さつ、や?」


 

〝自殺屋〟


 重い指先で、カラコロと人差し指でマウスを転がしていた私の視界の端で、物騒な単語がちらついた。

 急いでその文字をクリック。動作が遅いパソコンに苛立ちを覚えながらも、その文字に私は希望を感じていた。


 きっと誰もが「馬鹿らしい」と切り捨てるであろう。

 しかし、私には―――今の私には、とても、とても、嬉しかったのだ。



苦しくなったとき、もう死にたいと思ったとき、あなたの自殺をお手伝いします。



 白い背景に、真っ黒な文字。

 静かに綴られていたその文に、不思議な引力があるようだった。

 そのサイトは、絵やイラストはなにもない、至ってシンプルなものだった。




 いかにも怪しいサイト。


 そんなことは、わかっていた。

 わかっていたが、縋るしかなかった。


 救われたかった。



 辛い日常が耐えられなかった。逃げたい。常に纏わりつく負の感情。

 自殺を考えるのが常だった。

 

 頭の中で、どうやって死ぬか考えた。

 けれど、想像の中、結局いつも死ねなかった。独りでは怖かった。

 

 死にたいのは変わらない。でも死への果てしない恐怖が私に覆いかかると、決まって私の心は折れて、実行ができないのだった。


 誰かに縋りたい。そんな必死な思いで見つけたサイト。



 文字を辿っていく。

 見れば見るほど惹きつけられるそのサイト。胡散臭いと思う反面、私の胸は高鳴っていた。


「お店、なんだ…」


 店舗があるらしい。

 それも、偶然なのかそうでないのか、私の家のすぐ近く。家から徒歩十分程度だった。それに、なんという偶然だろう。そこは私のよく知っている場所。


 物心ができたときには既に建っていた。煤けた立ち入り禁止の看板が立つ、ボロい廃墟。薄暗い印象が、気味の悪さを際立たせる。

 無人だと思っていたその廃墟の地下に、その店はあったらしい。


―――子供の頃、何度か出来心で忍び込んだけど、そんな場所あったかな。


独りでにそう呟いた私は、そのサイトを夢中で眺めた。




 そして、心を落ち着けるように深く息を吐いた。


「…うん」

 決意は固まった。


 騙されるかもしれない。

 裏切られるかもしれない。


 けれど私には、もうこれくらいしか、選択肢が見つからなかった。



 私は、込み上げてくる何かをぐっと飲み込むと、すぐその廃墟へと向かった。


 夜中であった為、外は真っ暗で冷え込んでいた。

「さむ…」


 私は上着をむしり取り、物音をたてないように配慮しながら玄関から出た。そして玄関の扉が閉まると同時に、全力疾走で走った。


 足取りは軽い。〝あの場所〟へ行くときより、ずっと、ずっと、軽い。

 それどころか、少しうきうきしてる。


 悪戯を考えている時みたい。


「ふふ」

 私は息を零した。


 人通りが少ない。もう十二時を回っているからか。

 しんとした街路。

 

 冷えた空気が肺を冷やす。寒い。


 人通りが少ないのは好都合だった。もともと都会というには少し物足りない所であったが、人がいないに越したことはない。誰かに見られては、それこそ面倒でならないから。

 

 時折道路を通る車のライトが眩しいけど、それも一瞬だけ。ちらっと明るくなっては、通り過ぎていく。また真っ暗になると、辺りが静まりかえる。街灯もない。


 その代わり、空が明るい。

 星が瞬き、夜空を輝かせていた。


 今までにあまり見たことがない、澄み切った夜空。

 

 私はこれから死ぬというのに、何でそんなにも綺麗なんだろう。

 胸の奥で燻ぶる微かな苛立ち。

 

 しかし、こればかりはどうにもならない。


 私は冷たい空気をめいっぱい吸うと、勢いよく吐いた。



 私は視線を地面に戻し、廃墟へと急ぐ。

 暫く走ると、真っ暗な視界から薄ぼんやり影が見えた。小学校の頃はよく秘密基地として扱っていたこの場所。


 脳裏で、子供の笑い声が過った。

 懐かしい。

 この場所、とてもわくわくした場所だ。 


 あの頃は何にしても楽しかったな。

 私は自嘲気味に笑った。


 寒さが体を冷やし、手は感覚がない。頬も冷たくなり、鼻水が出てきそうだ。


 うん、鼻水が出るのは寒いから。泣いてなんかない。泣くもんか。


「さむ…」


 私は鼻をすすると、廃墟の入口へと歩いた。




―――暗い。


 暗くて、奇妙だ。

 あれだけ幼い頃に通い詰めて、もう慣れている筈なのに。そこがまるで、初めて訪れた場所かのように、なんとも心細い感情が私の中に渦巻いた。


 夜中で、明かりがない。

 懐中電灯を持ってくればよかったな、と思うが、なんにしても手遅れだ。


 私はとりあえず、地下とやらへ行く階段を探した。キョロキョロと辺りを見回し、どこか地下へ通ずる道がないかと探す。階段を探そうと記憶を廻らせ、小学校の頃を思い出す。




―――あの頃は楽しかった。何もかもが、輝いて見えた。

 

 友達と遊んで、皆で騒いで、親とも笑い合えて。

 

 なのに、いつからだろう。

 そんな日々が、脆く崩れ去ってしまったのは、



 我に返る。

 明かりが見えたのだ。

 

 足元すらよく見えないこの真っ闇。微かな光でさえ私の眼は敏感に拾った。

 私は弾かれたように、光に向かい、走る。走る。走る。


「あった…」


 切れかかった電球、まるで安っぽいお化け屋敷のような入口。壁にかかった古臭い看板は、煤けて何が書いてあるのかわからない。コンクリートで覆われたこのボロ廃墟に似つかない、木造の扉。カビたニオイが鼻孔を擽る。

 コンクリートの廃墟の中に、木造の扉。

 まるで、あとからとってつけたような感じ。ただその廃墟との共通点は、ボロく廃れたところだけ。

 

 切れかかった電球が、場違いな扉を弱弱しく照らす。


 恐る恐るドアノブに手をかける。あまりの冷たさに、体が震えあがる。

 扉を引いてみると、電球の光は当てにならず、じわりと闇が広がっていた。空気は温かい。いや、温かのだろうか。外が寒すぎて、温かく感じるだけだろうか。

 中に入ってみると、外の刺さるような寒さから解放されたことで溜息が零れた。

 

 奥がよく見えない。けれど、よくよく目を凝らすと、そこには階段があった。

 

 まるで、闇へ堕ちろと言われているように、下へ、下へ続いている。

 それでも、ここまで来て帰るわけにも行かなかった。

 

 怖い、と、初めてそこで、周囲の気味の悪さに恐怖を感じた。


「進んで、大丈夫、怖くない」

 自分に言い聞かせる。壁伝いに、一歩ずつ階段を下りる。震える足が、思うように動かない。



 死にたい、と思う人間が、恐怖を感じるなんて。その感情の矛盾が情けなく、悲しかった。



―――だって、しょうがないじゃない。


 死ぬしか…私が私であるためには、もう、死ぬしかないの。

 苦しいのは、もうやだよ。


 こつ、こつ、と暗く冷たい階段を下りていくと、またいかにも怪しい扉があった。

 その扉もまた、木でできた古びた扉。明りは、ない。ただ、目が慣れてきたのか薄ぼんやりと扉の存在を確認できた。


 それにしても、こんな地下通路。昔来た時にはなかったような。

 しかしこの扉の様子、私が小さい頃は余裕であったような感じ。寧ろ、私がここに来るよりずっと前からここにいたような。そんな、扉。


 ゆっくりとドアノブに手を伸ばし、触れてみる。


「着いたんだ…」

 ここが、自殺屋。


「開けて、みた方がいいのかな?」

 開けてみたほうがいいに決まっている。そのためにここまで来たのだ。

 緊張で体が強張る。


 もし、ここが目的の場所ではなかったら。

 あのサイトは宗教みたいなモノで、それに捕まってしまったのだとしても、それならそれでいい。

 あのサイトが人身売買の入り口で、この扉を開けた瞬間に捕まったとしても、それならそれでいい。


 自分で決めたんだ。


 そう言い聞かせ、ゆっくりと手に力を込める。


「せーのッ」

 ガチャッと勢いよく扉を開け、中へと転がり込んでみる。地面は白いじゅうたんがひかれていて、勢い余って地面に手をついたが痛みはなかった。

おまけに長い間暗闇にいたから、部屋の中の眩しい光に一瞬目が眩む。

私は倒れていた体を、瞬時に起こした。

起こして、目を丸くした。


「うっわぁ…びっくりした。こんな夜中に、いきなり依頼人だなんて」


上半身だけ起こした私の上から、声が降ってきた。

私に近付いてきたのは、テレビに出ている俳優さんみたいに綺麗な顔立ちをした、背の高いお兄さんだった。恐らく、さっきの声の主だろう。


眉目秀麗、とはまさにこの人のことを言うんだ、と、感心してしまうくらい。

こんな人が現実にいるんだ、と、思うくらい。

私はずっと、綺麗なその人に魅入ってしまっていた。


「どうしたの?大丈夫?そんなところで倒れてないで、座ったら?」

お兄さんはそう言うと私に手を伸ばし、綺麗に笑った。

私は素直にその人の手を握って体を起こすと、部屋の中を見渡した。


そう言えばここは廃墟なのに、綺麗な部屋だった。

椅子や机、テレビや冷蔵庫もある。必需品は全て揃っていて、まるでこの人がここに住んでいるような、妙に生活感が漂う部屋だった。ただし、すごく綺麗に片付いているけど。


お兄さんは私を椅子まで導くと、座るように促した。

小さな仕草でも綺麗で、かっこよく見える。


「俺がかっこ良すぎて惚れちゃった?」

前言撤回。

かっこいいはかっこいいけど、ナルシストで残念なイケメンでした。


すると、部屋の奥の扉(私が入った扉と、向かいの扉)が開いた。私は反射的に、その方向に視線を向けた。そこには、冬のこの寒い時期にもかかわらず、タンクトップに短パンという見るだけで寒い格好をしている少女が立っていた。髪にタオルを乗せている。

部屋の中は暖房が利いているからか、比較的暖かいけど――――さすがに、肌寒く感じるだろう。


「ナル、お客さん?」

少女は頭に乗せていたタオルを首に掛け直すと、堂々と私の目の前を歩いた。

少女は横目で私を見つめ、ふっと目をそらし真っ黒のソファーにどかりと座った。態度がでかいというか、堂々としているというか。

少女は風呂に入っていたようで、微かに頬が赤く、体から湯気がたっていた。


「おう、(じゅん)。いきなり入ってくるから、俺もうびっくりしてさぁ。さすが俺、夜中にも俺のファンが押しかけるなんてな」

「あ、そう」

潤と呼ばれた少女は、興味なさげにお兄さんの言葉を軽くあしらう。抑揚のない声に、お兄さんが肩を落とした。潤さんはお兄さんを気にも留めず、眠いのか、ぼうっとした表情で私の顔を見つめる。

「依頼しに来たの?」

「え」

潤さんは濡れた柔らかい栗色の短い髪をわしゃわしゃと強引に拭きながら、唐突に訊いた。私はいきなりのことに動揺を隠せなかったが、やがて質問の意味を理解すると「はい」と頷いた。潤さんが一瞬、微かに目を細めた。


「こらこら、潤。お前また自然乾燥しようとしてるだろ。ドライヤーで乾かしなさい」

「めんどくさ…いいじゃんか、乾かさなくたって。父親面すんなよな」

「だめだめ。潤は女の子なんだから、しっかり乾かしてきなさい」

「キモいです、やめて」

「酷い、俺ショックで死んじゃうよ?」

「そのまま()ぜろ」

潤は、吐き捨てるように言った。が、お兄さんが口を尖らせながらあれこれ言ってくるので、やがて諦めたようにため息をついた。

「めんどくさい」

そう言いながら立ち上がると、そのまま扉に向かった。話からしてお兄さんの言うことを聞いて、髪の毛をドライヤーで乾かしに行ったのか。潤が部屋からいなくなると、お兄さんはニコリと笑った。

「ごめんね、あいつ面倒くさがりで。あれが愛情表現なんだよ」

「絶対違う」

咄嗟に出てしまった言葉に慌てて口を塞ぐと、お兄さんは「あいつ、ツンデレだから」と言う。先ほど否定した私の言葉が、なかったことにされた。本当に残念なイケメンだ。


「じゃ、自己紹介。俺は鳴海(なるみ)って言います。二十六歳、ちなみに独身。よろしくね」

「えっと、優奈(ゆうな)と言います。じゅ、十七歳です」

「優奈ちゃんかぁ。十七って言ったら、潤と同い年だね」

鳴海と名乗ったお兄さんは、お茶を私の前に出す。私は素直にお茶を飲むと、息をついた。


「あの、潤さんって…その、鳴海さんとは…どんな…」

「潤?ただのここのバイト、住み込みの」

「二人暮らし、ですか?」

「いやぁ、もう一人いるよ」

「そ、ですか」

隠し子とかだったらちょっと気まずいな、という感情を巡らしつつ聞いた疑問は、私の予想とは別で、至ってシンプルな答えとして返ってきた。

けれど、住み込みと聞くと、やはり何かあるのでは、と思ってしまう。


「それで、本題ね」

「は、はい」

「死にたい、のかな?」

唐突に真っ直ぐ聞かれ、少し口籠る。だが、すぐに「はい」と返事をする。

鳴海さんは「そっか」と微笑み、私の目を真っ直ぐ見つめた。

「どんな死に方にしようか?」

「えっと、飛び降りようかと考えたんですけど、怖くて。独りじゃ恐怖で到底死ねないな、って思って、そしたらこの店のサイトを見つけて…」


「うん。それじゃあ、理由を聞こうか」

「え」

「なんで、死のうと?」

「そんな、こと…聞くんですか?」

「当たり前だよ」

鳴海さんの視線が、少しだけ鋭く感じた。空気が、少しだけ変わる。そのとき、私は直感的に感じた―――きっとこの人は、死に対して、あまりいい感情を持っていない。

変なの、自殺屋なのに。


心の中で私は、矛盾を笑おうとした。そうでなければ、涙がこぼれそうになったから。

ここで、泣きたくない。

もう、泣くのは飽きたよ。


私は、震える声を必死に抑え、歯を食いしばった。

「別に…理由なんてない、ですよ」

「ない?」

「ただ、死にたいから…ここに、来た…だけで」


理由なんて口にしたくなかった。

どうせ、否定されるだろうと思ってしまったから。

いじめ〝ごとき〟で命を落とすだなんて馬鹿げている。逃げていると同じ事だ、って言われると思ってしまったから。

ずっと、言われてきたから。

ずっと、そうだった。

誰も理解してくれなかった。

"生きてれば、辛いこともあるけど、いいこともあるよ"


―――そんな言葉、聞き飽きた。



私は逃げている。わかってる、逃げているけど―――どうしようもなく辛かった。

生きているだけで、私はずっと苦しんできた。



そんな私の心情を見透かしたかのように、鳴海は目を細めた。


「本当に?」

「ッ…」

「本当に、ないのかい?」


鳴海さんは目を細めた後、微かに眉を下げた。

自分には、何もできないのか。そう言っているような、悲しそうな顔。

その表情が、私の中の罪悪感を満たした。

傷を抉られるようなことを聞かれているのも、辛いことを思い出しているのも私なのに、なんでそんなに悲しそうな表情を浮かべるの?と、訊きたくなった。


やがて、耐えられなくなった。

ずっと、胸に溜まっていたもの。喉に詰まっていた声を、無理矢理出した。


「―――――…い、いじめがあったからですよ。もう、辛いんです。むかッ…昔から一緒にいた子たちだって…周りに、何をッ…い、言われたのか知らないけど…!!」

自分でも、何を言いたいのかが分からない。

言いたいことがまとまらず、結果的に想っていたこと全てを口にすることになった。

要点がまとまらず、冷静さを失っているのはわかった。恥ずかしかった。けれども、せきとめられていたそれらの言葉を、再び封印することだけはできなかった。


どんどん出る言葉。

口が回らないのは、辛いからじゃない。

歯を食いしばるのは、我慢しているからじゃないよ。

泣いて堪るか。

だって今までも私は独りで、ずっとずっと独りで、生活してきたんだから。


仲が良かったのは、多分嘘。

だってそれが明確なくらい、私たちの関係は脆かったじゃん?

自分が標的にされたくないから、切り捨てるくらい。


私は皆にとって大事な人じゃなかったんだもんね。

私一人が勘違いしていたことなんだもんね。

裏切られたわけじゃないんだよね。


だって、最初から―――こんなにも、弱くて、細くて、脆いんだ。


最初から、(そんなもの)なんて、存在しなかった。



シンプルでしょ?

でも、これでもちゃんと考えたんだ。

ずっと苦しんで、出した結論なんだ。


「死に、たい…!!」


耐えろ、耐えろ。

ずっと耐えていたのに。

まるで今まで積み重ねてきた枷が一気に外れてしまったかのように、今まで口に出せなかった大きな大きな想いが、零れるように口から出てしまう。


鳴海さんはその様子をジッと見つめていたが、やがて微笑んだ。


「そうか、苦労していたんだね」

私が涙で滲んだ目を強引に擦ると、鳴海さんは私の頭をあやす様に撫でた。

その温かさに、今度は本格的に涙が溢れてしまった。


「あ、タラシ」

ガチャリと勢いよく扉を開けて部屋に入ってきた潤は、驚く顔も見せずに相変わらずぼうっとした表情で言った。タイミングが、極めて悪い。

髪は完全に乾き、ふわふわで綺麗な栗色の髪がこの白い部屋に映えていた。


「タラシじゃない、慰めてるんだよ。潤は抱きしめてほしいのか?」

「気持ち悪いんでノーセンキュー」

このやり取りで、一気にジトジトしたムードは一変してしまった。

涙はふっと、止まってしまった。

頬に伝っていた涙を袖で拭い、笑って言った。

「やっぱ、一人で死にます」

「え?」

鳴海さんが首を傾げる。

「頼っちゃいけないなぁって、そう思って…って言っても、本当のこと言うと―――アナタみたいな優しくて綺麗な人に、私なんかの〝罪〟を背負わせるのは…辛いなぁって」


手伝わせちゃいけない。

こんな、優しい人に―――私の自己満足からの〝自殺〟なんて。


だって―――…だって?

何故?

独りでは死にたくなかったんじゃないの?


「罪…」

鳴海さんが、私の言葉を繰り返すように言う。

「自殺屋、なんて開いてるくらいですから、たくさんの人の死を見てきたんだと思います。それに加担したときもあったんだと思います。それでも、私のせいで鳴海さんや潤さんに嫌な思いはさせられません」

「…」

ジッと見つめる鳴海の顔を見て、悟った。


ああ、そうか。

簡単なことだ。


出会ったのなんて、ついさっきのことだけど。

言葉を交わしたのなんて数回しかなかったけど。

笑顔を見たのも、少ししかないけど―――


それでも、


「すごく、短い時間でしたけど…私、多分――――」

一回、息をついた。



「鳴海さんを好きになっちゃったみたいです」


人生で二回目の告白。



一回目は、小学校の頃。

何事も楽しかったあの頃、憧れていた男の子に「好き」を伝えたことがある。そのときどうなったかは覚えてないけど、多分振られた。


鳴海は驚いたようで、私の顔を目を丸くして見上げていた。

否、〝ようで〟じゃなく、本当に私の告白に驚いていた。いきなりだから。

だけど私は、敢えて目を合わせずに笑顔を保っていた。


泣かないで、私。

好きな人の前では、もう泣かないで。


私は「お世話になりました」と一礼すると、飛び出す様に部屋を出た。

部屋の外は、元の暗く薄気味悪い廃墟だ。

屋上に、行こう。その屋上に行けば死ねる。

早く、早く死なないと。


私の意思が揺らがないように、早く――――


真っ暗な廃墟の階段を上れば、零れるように廊下を照らす柔らかな月光が、私や廃墟、全てに降り注いていた。廃墟の屋上は、荒れていた。ところどころ崩れていて、うっかり足を滑らせてしまったら、それこそ簡単に死んでしまうくらい荒れていた。



優しい人。


きっと鳴海のあの優しさは、私だけに向けるのではない。自殺屋、というのは案外自殺を加担するわけではなく、自殺を止めるための店なのかもしれない。だって、あんなに死のうと決意した私が、こんなにも揺らいでいるのだから。


私は屋上の淵に足を揃え、真っ直ぐ前を向いた。廃墟の屋上ながら、いい景色だった。星空は相変わらずきらきらと輝いている。

このまま上を向いていて、バランスを崩して前に倒れてしまったら、死ぬんだ。

そう思ったら、嫌にリアルでやめた。


もう難しいことは考えないよ。



お父さん、お母さん。大事に育ててくれてありがとう。

潤さん、鳴海さん、短い間だったけど、本当にありがとう。


さようなら―――――



体を前に倒し、足を一歩踏み出した。



ごめんね、と謝る誰か。

誰だかなんて、わかりたくもなかった。

―――謝るなら、最初からやらなきゃいいのに。


長い年月をかけて培ってきた"何か"が、その瞬間崩れたのがわかった。



いじめが始まったのは三か月前。

仲が良かった友達は、突然私の隣から消えた。

友達だと思っていたのに、"クラス"に混じって私をいじめる加害者になっていた。


不安で仕方なかったのに。

悲しくて仕方なかったのに。

一番必要なときに隣にいてくれなかったのに。


いざとなって、あの子たちは口を揃えて私に言った。

〝ごめんね〟


私は答えなかった。

泣きもしなかった。

ただ無表情に、その子たちを無視して家に帰った。


もう何もする気が起きなかった。何も考える気が起きなかった。

そして、まるでそんなことは最初から存在しなかったかのように、友達〝だった〟その子たちは私に目を合わせなくなっていた。

私は、いつも通り"いじめ"を受けた。


死のう、と思った。

死んで、あの子たちに後悔させようと思った。

あのとき、どうして突き放したんだろうって。

死ぬほど後悔させてやろうって。

そう思ったんだ。


「死にたく…ないよぉ…!!」


走馬灯のように流れた、辛く苦しい昔の記憶。

その記憶を眺めている内に、「ふわぁ、驚いたぁ」と聞いたことのない声が耳に入ってきた。


―――あれ、耳が…ある?

死んでいない、ということ…なんだろうか。


耳に入ったのは、幼い男の子の声だ。目を瞑っているから顔はわからないけど、屋上から飛び降りた筈の体が、痛みを感じていない。落下の、ふわっとする感覚もあったのに。

死んでいるからとか、魂が抜けたからとかそんなモノじゃない。

ちゃんと感覚はある。

ただ、感覚の中に―――背中に一つと、膝の裏に一つ。

押さえられたような感覚がある。

多分、状況はお姫様だっこ。


「いきなり落ちてくるなんて、どういうつもりなのさぁ」

ストンと地面に落とされ、私はゆっくりと瞼を持ち上げる。

目の前には、私よりもずっと小さくて幼い少年が、無垢な笑顔を浮かべながら立っている。


待てよ、私今この子に担がれていたような。


そう思って少年を見るが、無理だろう。

何せこの子の身長は私の胸ぐらいしかなくて、腕も脚も体全体が細い。私の体重は特別重いわけではないが、この子には担げない。ましてや、屋上から飛び降りた私を受け止めるなんて――――


でも、現に生きている。


常盤(ときわ)!!」

聞き覚えのある声―――鳴海さんの声だ。どんどん足音も近付いてくる。

「よかった、常盤がいてくれて」

常盤とは、私の目の前にいるこの小さい少年のことだろう。

「優奈ちゃん…!!」

よかった、生きていてくれて。と、抱きしめられた。

鳴海さんの体はやけに温かく、落ち着いた。

潤さんも、鳴海さんの後ろで私の様子を窺っている。


「優奈ちゃん」

「は、い」

鳴海さんが、私の顔をのぞいた。

相変わらずの綺麗な顔に、私は顔を背ける。

告白のあとだからか、鳴海の顔が直視できない。


「ごめん」

何の謝罪かと思ったが、すぐにわかった。わかってしまった。


「俺を好きって言ってくれてありがとう。でも、ダメだ。優奈ちゃんはもうすぐ、俺のことを忘れちゃうから」

「忘れちゃうの?」

「自殺屋は、普通の店とは違う。だから、忘れてもらわなきゃならない」

「そんな、私ばらしたりしな―――」

「しなくても、ダメなんだよ」

私の必死な弁解も、鳴海さんは首を横に振って目を伏せた。


「だから、ありがとう」


そっか、やっぱり困らせていた。

優しい人だから、私を切り捨てることもできない。


さっさと記憶を消してしまえば謝ることもなかったし、面倒くさい想いをすることもなかった。

それをしないのは。

やっぱり、鳴海という人間は優しいからだ。


最後の最後まで好きな人を困らせるなんて。

私が苦笑を零すと、鳴海さんはそっと私の頭を撫でた。


「最後に、訊いていいかい?答えがさっきと違っていると嬉しいんだけど…」

「はい」

「君は、死にたいのかな?」

「いいえ」


もう、死なない。

いじめは辛い。辛かった。


ずっと長い間苦しんで、苦しんだ末に導きだした結末が自殺(これ)だった。

でもね、もう死のうだなんて思いたくないよ。


やっとわかった。

私は死のうとなんてしていなかった。

誰かに、引きとめてほしかったんだよね。

私が生きていていいという証明が、欲しかったんだよね。


今まで悩んできたモノがどうでもよくなるくらい、アナタは綺麗に笑うから。

私は、生きていいんだ、と思えるようになった。

頑張ろうって。

アナタの笑顔を、曇らせないように。



「そっか、よかった」


鳴海さんは頭に置いていた手を下ろすと、手を振った。

「じゃあ、またね」


生きていいんだよって言っているみたいに、アナタの手が温かかったから。

私は、また生きようって思うようになったんだ。



―――リリリリリリ!!

いつものように鳴る目覚まし時計、いつものように起きる私。

眠い体を起こし、支度をし、学校に行く。


いじめが起こったのは三か月前、友達が私の隣から消えてしまった。

教科書がなくなったり、陰口を言われたりするのはいつものこと。

支えてくれる人もいなくて、辛い毎日だけど、私は泣かなかった。


辛い。今でも、ずっと。

でも、死のうと考えることはなかった。


何故かはわからないけど、死ぬ気になれなかった。

また明日頑張ろうって思うようになった。

闘おうって思うようになった。


何か、大切なことを忘れている気がする。


ポッカリと欠けてしまった記憶と、喪失感。

その正体は今でもわからなかった。

でも、その〝寂しさ〟が私を支えていた。


ふと、廃墟に足を向ける。

小学校の頃、よく秘密基地として遊んでいたこの場所。

最近来たような気がするけど、それと記憶が一部ないのは関係しているのかな。ぼんやりとそんなことを考えていると、誰かの声が聞こえた気がした。

何もわからない。



でも、なにか――――


懐かしさを感じた。



目頭が熱くなり、鼻の奥がつんと痛んだ。

いじめられたって、泣いたことはなかったのに。何故か、胸がいっぱいになって、涙が溢れた。涙は頬を伝い、顎から重力に負けて廃墟の床へと落ちる。

涙が止まらない、どうしても止まらない。


歯を食いしばり、それから笑った。



「ありがとう」


※優奈ちゃんはメインキャラではないので、出番はありません。このように、自殺したいと願う子たちを自殺屋が干渉するような物語です。ご了承お願いします。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ