最終話 ”人”としての信念
現八編はここまでです
国府台・行徳・洲崎の3か所で展開された戦は、里見軍の大勝利に終わる。里見家を恨む全ての元凶・玉梓なる者も滅し、安房国に平和が戻った。そう、犬士としての役目も全てが終わったかに見えたが――――――――――――――――某の心は晴れなかった。
講和条約が締結し、結城合戦の死者を弔う大法要が行われた後、某は狭からあの時の返事を聞かされる事となる。
「私も、現八の事が好き。…でも、それは男として…とかではない。…“仲間”として…なの」
狭子は複雑そうな表情で話す。
おそらく、彼女なりにこの件について深く考えていたのであろう。
だが、やはり予想通りの答えか…。そして、狭が殿方として慕っているのは…
そう思った時、胸につかえていた何かが消え失せたような感覚がした。
「信乃の事が…好きなのであろう?」
「…!!」
数分ほどの沈黙が続いた後、某はその言葉を口にする。
己の初恋が早くも終いとなったのを悟った某は、その場を立ち去ろうと里見の姫に背を向ける。
「…お主は、我らが仕える里見家の姫。そして、頼もしき“仲間”じゃ。これからも、同志としてよしなにな…」
「現八…」
狭がせつなそうな表情で見守る中、某はその場を後にする。
口で申した通り…これからも、某は狭子の事を友…そして、仲間として同じ時を過ごしていこうぞ…
叶わぬ想いだったとはいえ、某は何故か清々しい気分であった。こうして、某の初恋は終わりを告げたのである。
戦も終わり、里見家の家臣として迎えられた八犬士はそれぞれの役職につき、平和に暮らすはずだった。しかし、狭子や信乃にとってはまだ一つ大きな難問が残っていたのである。狭の過去世―――――――――――琥狛なる者の事や、それに深く関わっていた蟇田素藤との決着などであった。
一方、某の中にも燻ぶっている問題は一つ…。それは彼女の問題と共に降りかかる事と相成る。
くそ…。某らは一時も油断せずに座っておったが…こうもあっさり攫われるとは…!
ある日、とある事がきっかけで床に臥した狭子。しかしその晩、眠ったままの状態で蒼血鬼である蟇田素藤に連れ去られてしまう。この時、倒れた狭子を心配して、信乃を除く七犬士が滝田城に集結していた。この時、某は“流石は鬼だ”という想いもあった。
「鬼…」
その言葉を口にした途端、以前に聴いた“鬼の資質”なるものを思い出す。
「人が鬼に…そのような事が、ありえるのじゃろうか…」
「現八…?」
某は独り呟いていると、横にいた親兵衛が心配そうに己を顔を覗き込む。
まさかな…
某は独り、思いつめた表情のまま皆と共にその場を後にする。
そして、その晩―――――――――――某は何とも強烈な夢を見た。
夢の中の某は、姿見の前に立っていた。
「痣が…」
姿見に映る某の頬には、犬士の証たる牡丹花の形をした痣が消えてなくなっていた。
それは、里見の八犬士としての役目を終えた証だと某は感じていた。しかし――――――
「!!?」
気が付くと、黒かった某の瞳に紅い光が宿る。そして、メキメキという音と共に、頭上に異様な物が姿を現す。
「これは…角!!?」
「よう、ついに同胞になれたじゃねぇか…!」
「!?」
聞き覚えのある声を聴いた瞬間、すぐにふり返ると…そこには狩辞下の姿が。
しかも、某の足元には、無数の死体が山積みにされている。そして、そこには狭子や信乃の姿もあった―――――――――
「まさか、某が…?そんな…莫迦な…!!」
地面に転がる死体を目にした途端、頭の中が混乱し始める。
そんな己に追い討ちをかけるように…某の掌が血で真っ赤に染まっていた。
「てめぇは犬士として生を受けた故に、人として歩んでこれた…。しかし、只の人間に戻れば…こうなるのも時間の問題って事だ」
「な…に…!!?」
動揺する某に、近づきながら語る狩辞下。
「俺達鬼は力が強くても唯一、人間より劣っている事が一つある。…それが、数だ。故に、子を成す以外で絶対数を増やすために…何をしたと思う?」
そう語る奴の表情は狂気に満ちていた。
「…てめぇのように、“同胞になれる資質”を持つ人間を探し出し、“こちら側”に引きずり込む事…だ」
「!!」
耳元で囁かれた瞬間、全身に鳥肌が立ち始める。
また、それと同時に目を覚ますこととなったのである。
夢…
目が覚めた時、某は全身に汗をかいていた。どうやら、夢を見てうなされていたらしい。
何という不吉な夢――――――――――だが、奴の申していた事が誠なれば…話の筋も通っておる…
起き上ると、夜明け前だったのか東の空辺りから陽の光が少しずつ入ってくる。そして、何か思い立った某は、すぐに出かけられるよう身支度をし始めるのであった。
信乃…。狭子の事は頼んだぞ…
朝方、馬を引いて城を出ようとした矢先…一足先に馬にまたがり、滝田城を後にする信乃の姿を目撃する。その真剣な眼差しから、「一人で来い」と敵に言われたのだろうと某は感じていた。そして、親兵衛の愛馬・青海波に負けぬ大きさを持つ馬にまたがり、某も城を後にしたのである。
“資質”とやらで己の身が危うくなるだけならまだしも…もし、あの時のように仲間達に危害が及ぶ事になれば…某は…!
馬を走らせながら、某は庚申山で化け猫に襲われた時の事を思い返していた。その時、自分が持っている“鬼の気配を察知する能力”が働いていたが故に、本来の敵である化け猫の気配が掴めず、狭子を危険な目に遭わせたという現実が、現八にまとわりつく。
そうこう考えている内に、某は安房国の霊山・富山の麓まで来ていた。
奴は、素藤に仕える忍…故に、この周囲にいると思われるが…
馬にまたがりながら、周囲を見渡す。この山は年々霧がかっていて、少し回りが見えずらい。狭子を攫った素藤は信乃に「富山へ来い」と言われたらしい。故に、奴に仕える狩辞下もこの山の周囲に潜んでいると、某は目星をつけていた。
「!」
登山道らしき道を少し逸れて進んでいくと―――――――――――某の肉体が2つの気配を察知する。
一人はわかるとして…もう一つの穏やかだが、ひしひしと伝わる禍々しいこの“気”は…
周囲に気を配りながら進む某の視線の先に、2人の人影が見える。
「それにしても、素藤は何故、あの小娘にあそこまで執着するのやら…」
「さあ…。ですが、あの娘を守るようにして彼らが這いずり回るのは、見ていて飽きませぬな…」
そんな会話をしていた二人の人物―――――――――――蟇田権頭素藤に仕える忍・狩辞下と、漆黒の着物をまとう鬼・牙静だった。
「…狩辞下、“はぐれ犬”が一匹、迷い込んだようですね」
「!!」
牙静が横目でこちらを向いた際、心臓を一掴みされたような気分がした。
どうやら、某の存在を少し前から気が付いていたようだ。
もとより、隠れたままでいるつもりは毛頭なかったので、某はすぐに彼らの前に姿を現す。
「てめぇか…」
顔をニヤニヤさせながら狩辞下がこちらを眺める。
「犬塚信乃の助太刀にでも参ったのでしょうが…この先は、如何なる者も通すなと素藤様に命じられている故…」
「あの白髪の鬼に用はない」
牙静が淡々と語るのを制止するかのように、某は言い放つ。
「ほう…。では、“里見の姫”を助けに参じたのではない…と?」
「わしが今日、ここに出向いたのは…そこにいる狩辞下。そして、貴様ら鬼に用あっての事だ」
敵の問いに迷いなく答える現八。
その様子を目の当たりにした彼らは、少しの間だけ黙る。
「…どうやら、あの夢を見れたようだな」
「!?」
最初に沈黙を破った狩辞下が呟くように口を開く。
「夢…だと!?」
「…ああ!俺様は生き物の無意識化に干渉し、特定の夢を見させる能力を持っている。蒼血鬼は皆、人間を含む生き物の“脳”とやらに干渉できる能力を有しているって事だ!」
「…」
彼らの話を某は黙って聞いていた。
あの夢が、仕組まれた事だと…!?そういえば…
某は昨晩見た夢の事を考えながら、ふとある時の事を思い出す。
「…因みに、わたしは人間の“記憶”に干渉し、その者が見聞きしたものを意のままに操る能力を有します」
「!!」
まるで自分の心が見透かされたかのように、牙静が口を開く。
「という事は…」
この時、某が思い出したのは荘助を迎える少し前、狭が申していた“身に覚えのない傷”の事だった。
「本人もお気づきのようですが…そう。最初にあの“里見の姫”の右腕を傷つけ、血を戴いたのはわたしなのです」
「そういう事か…!」
淡々と語りながら、不気味な笑みを浮かべる牙静。
こちらから訊く前に、彼ら自身が己らの事を語ってくれたため、憤りを感じながらも耐える事に成功する。そして、拳を強く握りしめながら、重たくなった口を開く。
「一つ…申しておこう。某は…どうやらそこにおる狩辞下が申すように、“鬼となり得る資質”を持つ人間らしい…。だが…」
この時、某の脳裏には素藤や目の前にいる彼らがこれまでにした所業が浮かんでいた。
「犬士としての役目を終えて只の人間に戻ったとしても…貴様ら鬼の手に堕ちる気も、鬼となって生きるつもりも毛頭ない…!」
そう言い放つ某の鋭い視線が、2人の蒼血鬼を睨みつける。
その様子に少し驚いたのか…表情は変わらずとも、眉を少しだけ動かす牙静。
「くくく…はっははははははぁ!!」
笑いを堪えていたのか、狩辞下が突然笑い出す。
「…何が可笑しい」
苛立ちを覚えた某は、鬼の忍びを睨みつける。
「そりゃあ、笑いもするだろう!!俺らの同胞になるより、脆弱な人間のままで生きる事を望むんだからな!!」
「…」
特に何も感じなかった某は、反論する気は全くなかった。
否――――――――それは、某の心に一切の迷いがなかったからなのかもしれない。
「確かに、貴様らの同胞となれば、人より優れた能力を有し、おそらくは寿命も延びるであろう。…じゃが、弱く儚き人の子故にできる事もある」
「はん!弱くて醜い人間なんざに、何ができる?」
鼻につくような台詞を並べる狩辞下は、どうやら人間に対して嫌悪感か何かを持っているように見える。
「人は他人を憎んだり見下したり…醜くて不完全な部分は多い。…じゃが、人を慈しみ、愛し守る事ができるのも人間…。故にわしは、この安房国が戦のない平和な世であり続ける様を見届ける使命があるのじゃ。例え、犬士としての役目を終えて只の人に戻ったとしても…!」
そう語る某の言葉には、20数年生きてきた分の言霊がつまっていた。
それは、犬士と知るより昔…人の子がどれだけ愚かで醜い生き物である事をよう知っているが故の言葉だった。
曇りのない眼で睨みつけられ、狩辞下は少しためらい、牙静は呆れ果てたようにため息をつく。
「…本来なら、この場で八つ裂きにしてやりてぇ所だが…」
「…場所と分が悪いようですね」
「…?」
彼らの台詞に首をかしげていると、某の懐が蒼く光り始める。
「これは…!」
懐に入れていた“信”の字が浮き出る水晶玉を取り出すと、淡い光が宿っていた。
…信乃に何かあったのか?それとも…
某の胸中には、今もこの富山の何処かにいるであろう信乃の顔が浮かんでいた。
しかし、この玉にある“信”の字は…
水晶玉を見た時、この“信”の字は「他人を欺かず」以外にも、もう一つの意味があるのではないかと思い始める。
「信念…」
玉を見つめていると、自然にその言葉が浮かんできたのだ。
「…はん!てめぇもまだ、“犬の証”を持っているし、ここが霊山だからってのもあるが…」
「…今宵は貴方の相手をする暇はなさそうですね」
「!!」
そう告げたか否や、彼らの姿が消えていた。
あまりにもあっさりとした退散に、某は呆気に取られていた。
…あのような事を申したら、某を始末しようと襲い掛かってくるやもと思うたが…
彼ら蒼血鬼の気配が2つ消え、安堵する現八。そして、しばらくはその場に立ち尽くしていたが…最後、少し遠くから感じていた巨大な“気”が消え、空に蒼き光が現れたのを確認した後―――――――――――――某は富山を後にした。
その日から数日後…我ら八犬士と狭子は皆で富山にある伏姫の墓参りへと向かった。そこで黙祷を捧げると、某の頬にある痣や、皆が持つ牡丹花の痣が消え失せた。この現象を目の当たりにし、やっと犬士としての役目を終えたような…清々しい気持ちになれたのである。
こうして、里見家の家臣として神余城と兵衛府(=皇居の外門の警護と皇族のお供をする役所)での官位を賜った。また、里見家八姫の一人たる栞姫と夫婦となったのである。狭子との出逢いによって女子嫌いが治り、他の女子とも普通に接する事が叶ったのである。妻となった栞は、武芸の腕はなくとも、文才に優れた娘だ。
“武芸のできる女子”となると…やはり狭の事を思い出してしまうな…
ついついその顔を思い出す己に、クスッと某は哂っていた。そんな某の手には書物を書く筆が握られていた。この時、某は己が犬士である事を知り、信乃達と共に戦い、生き抜いたあの頃の事を文にしたためていたのである。犬士としての役目を終えた某。“鬼になり得る資質”を持つが故、まだこれで終わったわけでもない。いつ狩辞下たち鬼が襲い掛かり、己に災いが降りかかるかもわからない…。しかし、里見家の家臣ではる“人の子”として生きる限り、皆を慈しみ狭や犬士と共に生きれるこの地を守っていこう―――――――――――――某の胸中は、そんな想いでいっぱいであった。こうして、後に己が信乃達と共に仙人となりて富山に消えるまでの数十年間、安房国に平和が続いたのであった―――――――――――――――――――
如何でしたか。
今回、久しぶりに原作『南総里見八犬伝』でも出てきた物などが描けました!
どれだったかおかわりでしょうか?
因みに、親兵衛の愛馬だという青海波も本当に彼が愛用していた馬の名前。資料によると、当時9~10歳くらいの親兵衛が乗っていたのもあり、大型の馬だったそうです。
また、栞姫が文才に優れてたり、現八が賜った官位についても資料にありましたが、長くなりそうなのでここでは省略。
さて、この回にて現八編は終了!
そして”犬”編はとりあえずここまでとし、次は”鬼”。もっとも、これによって書ける登場人物は一人だけですが(笑)
どんどん、本来の八犬伝の話からそれていきますが…”外伝”なのでご勘弁を★
ただ、今回のように話の随所で資料にあるような八犬伝に出てくる物や事象についても少しずつ触れていこうかなと思ってますので、今後ともよろしくお願いします。
ご意見・ご感想をお待ちしてます!
それでは(^^