第2話 淡い恋心
荒芽山で一夜を過ごした我ら一行は、3つに分かれて旅をする事と相成る。神護鬼(=神霊などが見える能力を持った鬼)・音音の案により、下野国に信乃・狭子・某の3人が。武蔵国に小文吾と荘助。そして、道節は単身で滸我へと旅立つ事となった。某はというと―――――――――――音音の草庵にて、蒼血鬼の忍・狩辞下が述べていた台詞が頭から離れなかった。
『俺達側につくなら、歓迎するぜ?…犬飼現八信道!』
…奴が申していたあの台詞は、まるで人が鬼にもなり得るような口ぶりじゃったような…
そんな事を考えていた某達3人は、上野国と下野国の国境にある村・猿石村に到着していた。己が持つという“鬼の資質”について考える一方…某の胸中には、これまではなかった新たな想いが芽生える事となる。
一宿借りるために訪れたその村にて、今まで目にしたことのない出来事に遭遇する。風呂に入っていた狭子が戻ってきた際、瞳はうつろで、いつもの状態とかなり違っていた。まるで、何かに憑かれている雰囲気を持った彼女は、信乃の事を「様」をつけて呼ぶなど、不可解な言動も目立っていた時だった。
『なんで、私の元へ来たのかわからないけど…これって…!』
「…!?」
口を閉じている狭の身体から、“彼女自身”の声が聞こえてくる。
狭…!!?
近くにいた信乃の顔を見たが、奴は今の声は聴こえていないようであった。その後、狭の肉体にいた“それ”の正体が、信乃の亡き許嫁・浜路という女子であるという事実を、本人の口から聴かされた某と信乃。
「…!!」
その後、浜路と信乃の行動を見た瞬間――――――――――某は言葉を失った。また、驚きの余り、大事な事を見落とす所であった。
『…今、信乃は私を抱きしめてくれている…。でも、それは私の中にいる浜路を抱きしめているのであって、私ではない――――――――』
「…!!!」
またもや狭の声が頭の中に響き…某は悟った。
この“浜路”という女子に取り憑かれつつも、肉体の持ち主である“狭本人”は自我を保っているという事を。
もし、わしに聴こえるこの声が、狭自身のものならば…信乃は…あの娘に、何たる仕打ちをしておるのじゃ…!!!
その場の成り行きを見守りつつも、彼女の“心の叫び”を耳にした某は、胸が息づまるように苦しくなり…同時に、信乃に対して、激しい憤りを覚えるのであった。
その後、某は怒りの余りに信乃の頬を殴る事となる。それは、生涯で唯一、仲間に手を挙げた瞬間であった――――――――――
何処だ…何処におる…!!?
そして、下野国に入った某達は、化け猫が人々に害をなしているという噂を耳にし、そやつが現れるという庚申山へと入った。
すると案の定、噂の化け猫が現れるが…途中、己が持つ“鬼の資質”が逆に災いとなる。一度姿を現したものの、一瞬の内に木の陰に逃げこんでしまった化け猫。信乃と狭が周囲を警戒している中、某は思いがけない気配を感じ取っていた。
このかんじは…鬼?だが、蒼血鬼である狩辞下や、神護鬼たる音音のような気配ではない…全く別の存在…!!?
姿は見えずとも、鬼のような気を強く感じていた某は、逆に今、対峙している化け猫の気配が全く読めずにいたのである。
「ぐっ!!!」
その後、信乃目がけて突進してきた化け猫によって、某は少し離れた場所に飛ばされる。
「痛てて…」
木の太い根っこに腕が激突した某は、ゆっくりと起き上って、何が起きたのかを把握しようとする。
「狭!?」
気が付くと、化け猫に押し倒されていたのは―――――――信乃ではなく、狭子であった。彼女の喉笛をかみ切ろうと襲い掛かる化け猫。敵を引きはがそうと必死に抵抗するが、化け猫の牙は少しずつ狭の首筋に近づいていく。
「この…!」
このままだと狭がやられると思った某は、咄嗟に麓の村で手に入れた矢で弓を弾く。
…当たれっ!!!
狙いを定めた某の矢は、一直線に化け猫へと向かっていく。
「ぎゃぁぉぉぉぉっ!!!」
その矢は見事、化け猫の左目に直撃。
痛みに苦しんだ化け猫は、一目散に逃げ去って行った。
そして、その後に6人目の犬士であり、某と旧知の仲である犬村大角礼儀…この時は角太郎と名乗っていた者の父・赤岩一角の亡霊と出逢い、話を聞く事と相成る。また、その際には戦いのさ中で感じた鬼の気配は消えていた。しかし、今回はその能力のせいで、仲間を危険な目に遭わせてしまった事に、ひどく後悔したのをよく覚えている。また、狭子のことを仲間としてだけではなく…一人の女子として見るようになった己も存在していたのである。
大角を仲間にした後、穂北で荘助や小文吾らと再会した某達は、道中ではぐれたという7人目の犬士・犬坂毛野胤智を迎えるため、鈴茂林を訪れる事と相成った。しかし、そこで待ち受けていたのは――――――――――――足利成氏公や扇谷定正を影であやつる尼僧・妙椿が放った刺客と、蒼血鬼・蟇田権頭素藤に仕える鬼・牙静の襲撃であった。某を含む犬士らは妙椿の刺客と戦い、信乃が狭を捕らえようとした牙静と刃を交えていたのである。
ザンッ!!
敵の数は多く、鉄鋼鉤を武器としていたため、多少の苦戦はしたが――――――――何とか退治する事ができた。幼き頃より武芸を習っていた大角の剣術、力任せではあるが、素手と敵を圧巻させる雄叫びを放つ小文吾…犬士という存在が、これほどまでに頼もしいと思ったのは、これが初めてであった。しかし、戦いに集中していた某達犬士は、その隙に狭が敵の手に堕ちた事に全く気が付かなかったのである。
「…余計な手出しは無用ですよ、皆さん。貴方がたがわたしに手を出せば、この娘の安全は保障できません」
「くっ…!」
狭子を捕らえた漆黒の着物を身にまとう鬼は、勝ち誇ったような雰囲気で淡々と語る。
この牙静という男…素藤ほどではなくても、やはり禍々しい“気”を感じる。狩辞下と同じ、蒼血鬼である事に相違ないようだな…
このように冷静に観察しているように見えたが、某の胸中は動揺でいっぱいであった。
「ああっ!!」
牙静によって腹を締め付けられ、痛みの余り絶叫する狭。
某より先に信乃の声が聴こえたので、口をつぐんだが…本来なら、奴の汚れた手で彼女に触れられた事が許せず、某も叫びそうなくらい敵に対して憤りを感じていたのである。その後、我らの方が数も多くて優勢のはずなのに、あっさりと狭が連れ去られてしまうのであった―――――――――
「何故…その牙静とやらは、あの娘を連れ去ったのであろうか?」
「さぁ…。ただ、聞いた話から察するに、牙静の主たる蒼血鬼・蟇田素藤が狭子殿に何らかの執着を持っていたのは事実…」
「…何にせよ、あの鬼は逸東太と共にいた。それすなわち、憎き敵・扇谷定正に組みする者と見た」
その後、曳手と合流した七犬士は、その者の導きで行徳へと向かっていた。この会話はその道中、毛野と大角が話していた内容である。
最初は不審がっていた毛野だったが、大角や荘助が伏姫との縁などを語り、何とか信じるようになった矢先の事だ。
…妙椿は何故、狭を攫わせたのか…。だが、牙静が申していた「彼女の正体」というのも気になる…。もしや、某の予感が的中してしまうのであろうか…?
この時、某は歩きながら猿石村での出来事を思い返していた。
あの時、信乃の亡き許嫁が申していた言葉の真意が正しければ…狭は…!?
いろんな予測が頭の中を飛び交い、混乱を極めた際、某はその場に立ち止まる。
「現八殿…如何した?」
荘助に声をかけられ、某は我に返る。
「いや…何もない」
そう呟いた某は、再び歩き出す。
生まれてこの方、一人の女子に対してこんなに想いを巡らせた事はなかった…。何なのであろうか…?何故、こんなにも心の臓がざわめくのか…
某は、己の中に生まれている気持ちに疑問を抱きながら、行徳へと急ぐのであった。今思えば――――――――愛しいと思う女子が窮地に立たされて初めて、己の気持ちを自覚するという、何とも皮肉な状況だったのだと冷静に考えることができるのであった。
「それこそまさしく、“女子をお慕いする気持ち”でしょうな」
「!」
この会話は、安房国・滝田城から一人出立する大角を見送りに行った際に、彼が申した台詞。
一つの命という犠牲を経て、狭子を奪還する事に成功した某達。最後の犬士・犬江親兵衛仁と共に安房国に向かった我らを待ち受けていたのは、足利成氏公や関東管領らが率いる連合軍との大戦。軍師となった毛野の謀により、大角や音音らが敵陣へ侵入する事と相成ったのだ。
「“女子を慕う気持ち”…?」
某は、大角が申した言葉に首をかしげていた。
そんな己を見た彼は、クスッと笑う。
「武芸百般免許皆伝、捕り物と拳法の名人と名高い現八殿も、やっとそのような時期を迎えられたか…」
「どういう意味じゃ?」
他人をからかっているような口調に対し、某は少し不機嫌になる。
自分に生まれた狭子への説明しづらい想いを大角に相談してみただけなのに、何故このような返答が来たのかが、某には全く解せなかった。
「…失言でしたね。許されよ」
「…じゃが、大角。お主が申した“気持ち”とやらは、何を意味するのだ?」
「そうですね…」
すると、大角は一呼吸おいてから口を開く。
「わたしが妻・雛衣に対する想いと似ているのでしょうか…。ですが、貴方が抱くその想いが初めてならば…それはより純粋無垢であり、人の子なら誰もが生まれる想い…」
「想い…」
某は遠くを見つめながら、呟く。
すると、大角は某の肩をポンと叩いた後、再び口を開く。
「何はともあれ、これから大戦が始まります。あなたに生まれたその想いは、狭子殿を守りたいと思えば思うほど…戦の場において、大きな力となるでしょう。そして…もし、彼女の精神が不安や恐怖に呑まれそうな際は、支えとなってさしあげるべきでしょう…」
「…」
「…因みに、貴方が感じている気持ちを端的に申すならば…“狭子殿に惚れている”という事です」
「!!」
「では、わたしはこれにて。…現八殿、ご武運をお祈りします」
「ああ…そなたもな」
某に“惚れる”という言葉について教えてくれた後、大角は去っていった。
「しかし…“叶わぬ想い”というのも、寂しいものですな…」
去っていく途中、大角は何やら独り言を述べていたらしいが―――――――――――声が小さくて、某には聞き取ることができなかったのである。
某が、狭を好いておる…という事を意味するのだな…
己の掌を見つめながら、某はそんな事を思っていた。
「…今はとにかく、戦に専念しなくては…!!」
新たな主となった里見義実公のためにも、命を賭して戦う―――――――――――武士としての誓いを立てた某は、同時に「戦が終わったら、己の想いを伝えよう」という決意も固めていた。
その後始まった国府台での戦。初戦は苦戦を強いられ、某が殿を務める事で何とか全滅をまぬがれた里見軍。その際の気持ちの高ぶりや、不安と恐怖に駆られて、今にも泣きそうだった狭を目にした際――――――――――某は無意識の内に彼女を抱きしめ、己の想いを口にする。
「お主が役立たず等という事は…断じてない」
「現八…?」
そう狭に告げる某の声は、微かに震えていた。
「よく聞け、狭。初めてお主に相まみえた時は、奇妙な小娘だと思うたが…。お主の気丈で明るい性格に励まされたのはわしらの方じゃ。…お主とて、何もわからぬこの時代に飛ばされて、不安な事も多かったであろうに」
そう…これは、今、わしが思っている気持ちそのもの…。この言葉に嘘偽りは一切ない…!
女子用の鎧を身にまとっているとはいえ…細くて華奢な狭子の肉体は、某の胸にちょうどいい具合におさまってしまう。故に、この小さき身体が、本当に壊れてしまうような…そのような不安を感じた某は、彼女を強く抱きしめていた。
その後、某は狭に己の想いを伝えたが…神霊・伏姫の登場もあり、返事は聞けずに終わってしまう。
しかし、その数日後―――――――――――――――全てが終わり、傷だらけの狭を抱きかかえている信乃を目の当たりにした瞬間…彼女の気持ちが某に向いていない事を悟るのであった。
いかがでしたか。
今回は、普段は無愛想な現八の人間的な面が存分に描けた回だったと思います。
また、蒼き牡丹ではあまり活躍を見せられなかった大角を出せたのがよかったなと書き終えてから実感★
あと、序盤で「狭子の声が聞こえた」件について補足。
現八が聞いたその声は、蒼き牡丹では大塚村の浜路にとり憑かれていた狭子が心の中で思っていた事。信乃への想いを自覚する場面なのですが、この彼女の考えていた事が現八にはまる聞こえだったという次第です。
そんな”心の声”を聞き取る事ができたのも、ひとえに現八が持つ”資質”の一つだと思われます。因みに、原作(=南総里見八犬伝)の彼にはこんな能力も、こんなシーンもございません(笑)
さて、予定では3話構成(プロローグ除く)の現八編ですが、果たしてまとまるのでしょうか?
でも、次に書く番外編も控えているので、頑張ってまとめていきたいと思います!
ご意見・ご感想などがありましたら、よろしくお願いします(^^