第1話 鬼の資質を持つ人間
「城下にて、賊を一撃で沈めた奴がおるそうだ」
「へぇ…。俺は、女子のような童が倒したと耳にしたぞ!」
滸我の御所より深き地の底にて、獄舎の見張り番がそのような事を口にしていた。
女子のような童が、大の大男を一撃で…か。成程、浮世ではそのような事が…
当時、お上に異を唱えた罪で獄舎に繋がれていた某は、牢の中で見張り番の会話に耳を傾けていた。
強き者の話を聞けば、一度会うてみたい…と思うのは、武芸者の性か…
同時にそんな事を考えていた。
その会話から幾何かの時を経て思わぬお召しを受けた某は、牢を出る事が叶う。また、会話に出てきた“女子のような童”の正体が、三木狭子という“先の世から来た姫”だったという事実を、この後に待ち受けている旅の道中で知ることと相成るのであった―――――――
「…誰かを助けるのに、理由なんているの?」
獄舎を出た後、芳流閣の屋根の上で犬塚信乃という公方を狙った賊と死闘を繰り広げる。
しかし、最後の方で利根川に転落してしまい、流れ着いた国境の地・行徳にて出会った女子がこの台詞を口にする。それは、女が“欲深く卑しい存在”としか見ていなかった某にとっては、目を丸くするほど驚いた台詞であった。
行徳で宿を営む男・犬田小文吾に匿われた某と信乃。しかし、その後まもなく、彼奴は破傷風にて死線をさまよう。
「…某がやる」
この時、「その役目は某にしかできない」と考え、名乗り出る。
破傷風に冒された信乃を救うには、若き男女の生き血が必要だという。しかし、女子の血の方には一つの決まりがあり、その場の流れもあったが、男子の着物を身にまとった女子・三木狭子が己の血を捧げると申し出たのだ。しかし、血を絞るにしても、刀の使い方を誤れば、失血死する。故に、その女子を死なせぬように血を搾り取る役目を某がやる事となったのだ。
「痛むと思うが…許せ」
娘の着物の袂をまくり、某は右手に小太刀を握りしめる。
そやつの右腕には、刀傷としては不自然な形をした傷が存在していた。嫁入り前の娘の身体を傷つけるのに多少のためらいがあった某は、あえてその傷があった場所に刀の斬りこみを入れる。
「痛っ…!」
鈍い音と共に、某の小太刀が娘の細い腕を傷つける。
加減してはいるが、それでも感じる痛みは強い。本来なら悲鳴をあげても可笑しくないというに―――――――――――その娘は歯を食いしばって、必死に痛みに耐えていた。
この時、何故か某の心の臓がドクンと鳴ったのをよく覚えている。
「法師様!お気をつけて…!」
去っていく法師に、先の世から来た娘が見送る。
狭や小文吾の協力もあり、病が治り起き上れるようになった信乃。
その後、狭と共におった丶大法師というご出家が、我らに里見の八犬士だという事。そして、伏姫との縁について語りを聞いた。また、同時に狭が“先の世から来た女子”である事も知る事となる。
信乃の話によると、彼の故郷に犬川荘助義任という犬士がおるらしく、そやつを迎えるために我らは旅へ出る事となる。一方、ご出家は主である里見義実公に報せるべく、一足先に行徳を後にした。
…?何故か、おかしな気配を感じる…。これは…殺気…?
古那屋の廊下に立っていた某はこの時、宿の周辺に今までに感じた事のない気配を感じ取る。その気は黒く禍々しい…。まるで、妖のような気配だった。
不思議に思った某は、警戒をしながら周囲を見渡す。
「現八…どうしたの?」
「!!」
すると、不意に狭子の声が聞こえてくる。
その瞬間、感じていた禍々しい気が一瞬にして消え失せる。
「…お主か」
狭の存在に気がついた某は、我に変えったような表情で口を開く。
「何やら、誰かに見張られているような気がしたのだが…。どうやら、気のせいのようじゃな」
困惑の色は消えなかったが、某は狭や信乃達にはそのように口にした。
一体、あれは…何だったのだろうか?
その後、信乃・小文吾・狭と某の4人は古那屋を出て、信乃の故郷である武蔵国・大塚村へ向かう事となる。道中、某はあの禍々しい気の事が頭から離れなかった。
しかし、それもある者達の襲撃によって、“禍々しい気”の正体を知る事と相成るのであった――――――――
「狭!!!」
その場に現れた際、某は驚く。
恐怖に飲まれそうな表情をした彼女の前に、この世の者とは思えないような“気”を発する白髪の男がいた。狭の右腕を掴んでいたその男の口元には、僅かだが血がついている。このありえないくらいの殺気に怖気づくも、絡まれている娘の元へ行こうとした時…その男が某の前に立ち塞がる。
「てめぇの相手は、俺様がしてやるぜ!!」
目に負えるか否かぐらいの一閃を何とか弾いた某は、間合いをとった際にこの台詞を耳にする。
紺色の長髪を頭てっぺん近く辺りで結い、少し肌蹴ているが忍のような格好をした男が視線の先にいた。その後、某はこの男との死闘を繰り広げる事となる。
「このかんじ…まさか、古那屋で感じた気配は、貴様か!!?」
「お?もしや、俺様が潜んでいた事に気が付いていたのか?」
「ふん!そのような禍々しい気を感じた途端、すぐに気が付いたわ!!」
「!!」
某の台詞を聞いたこの男は、すぐさま間合いを取る。
「へぇ…まさか、人間の分際で俺様の気配に気が付くとは…お前、見どころがあるのかもな?」
「…何の事だ」
意味深な台詞を口にする男は、不気味な笑みを浮かべていた。
狭…!!?
この時、我らから少し離れた場所にいた狭と白髪の男の姿が目に入る。よく見ると、右腕だけが吊り上げられた状態で、まるで気絶しているように見えた。
「少しおとなしくしてもらった…。さて…一緒に来てもらおうか…!」
白髪の男がそう口にした途端、某はこのままだと狭が連れ去られる事を本能で悟る。
「くっ…!!」
彼女の方へ向かおうとしたが、この忍の格好をした男が行く手を阻み、救出に向かえない。絶対絶命だったその時…信乃や小文吾の登場によって、事態は変わった。
「ちっ…お楽しみもここまで…か」
「何!!?」
信乃が白髪の男に立ち向かったのを見た群青色の髪の男は、ため息をつきながら忍び刀を納める。
「!?」
すると、一瞬にして男の姿が消える。
どこへ行ったのかと、某は周囲を見渡す。
「お前…同族になる資質があるな」
「!!?」
耳元に、気色悪い声を囁かれ、某は驚く。
気配すら感じなかったその男は、いつの間にか己の背後にいたのである。
「っ!!!」
悪寒がした某は、その直後、背後に向きなおして刀を振るう…が、男の姿はまるで霧のように薄くなり、消えてしまう。
「どこいきやがった…!!?でてこい!!」
周囲を見渡すが、奴の気配がほとんど感じられない。
『くく…。何、またてめぇとは相まみえる事となりそうだぜ?』
「何!!?」
すると、どこからか奴の声が響いてくる。
『あのうまそうな小娘の事もあるしな…。まぁ、その時にでも、遊んでやるよ』
「!?」
意味深な台詞に突然、嫌な予感を感じる。
しかし、某の驚きはその先にあった。
『あばよ!“鬼”の資質を持つ人間!!』
「なっ…!!?」
思わぬ台詞に、身体が硬直してしまう。
“鬼”…だと…!!?
その後、奴が口にした言葉について考えたが…いくら考えても、見解が見つからない。
…そうだ、狭と犬士達…!!!
我に返った某は、地面に座り込んで茫然としている狭子の元へと走り寄るのであった。
この襲撃の後、我らは犬川荘助を仲間にし、次なる犬士・犬山道節忠与を迎えるために上州・白井へ向かう。道中で一騒動に巻き込まれた後、くの一の風貌をした娘・単節の導きを経て、上野国・荒芽山に住まう老女・音音の草庵を訪れる事と相成った。そして、この老女の口から“鬼”という人外の者達の存在を知る事となる。
「素藤を始めとし、先ほど姫の血を食らおうとした忍・狩辞下や、漆黒の着物をまとう鬼・牙静…。彼らの狙いが、姫である事も…方々、ご存じですね?」
「!?」
音音が申したこの台詞に、某の眉間にしわが一つ増える。
狭の血を食らおうとした…って、まさか…!!
この時、某の心の蔵は強く脈打っていた。
『あのうまそうな小娘の事もあるしな…。まぁ、その時にでも、遊んでやるよ』
蟇田権頭素藤という蒼血鬼(=肉体が冷たく、血を食らう鬼のこと)らの襲撃を受けた際、某の前に立ち塞がった男…狩辞下が申していた台詞を思い出す。
それを思い出した某は、無意識の内に話を聞きいる狭の顔を見つめていた。
彼女の首筋と耳たぶには、僅かではあるが血痕が残っていた。
そういう…事か…!!!
某は、皆と共に話を聞くさ中…激しい憤りを感じ、膝につけていた右手の拳を強く握りしめていたのである。
話がまとまった後―――――――――我ら一行は、この草庵で夜を明かす事となる。音音から信じられないような話を多く聞いた某は、気になって寝付く事ができなかった。その老女によって、狭自身が知らなかった事も知り得たが…今の某は、それよりも“鬼”という存在が気になっていた。
「…隠れてないで、さっさと姿を現したらどうじゃ」
考え事をしていた某は、その後すぐさま気が付いた気配の方を睨みつける。
「…やっぱり、気が付いていやがったか」
ほんの短い間があった後、木陰に隠れていた狩辞下が姿を現す。
草庵の入口付近にいた某は、少し離れた場所にいる奴を睨みつけながら、重たくなった口を開く。
「…何用じゃ」
「当然、お前らの見張り…偵察さ。素藤の命でここまで来たが…もう一つ、別の用もあってな」
「…これ以上、狭には指一本触れさせないぞ…!!」
この台詞によって、某が殺気立っている事に気が付いた奴は、不気味な笑みを浮かべながら、飄々とした態度で口を開く。
「ああ、あの小娘の事か!…予想通り、うまい血の持ち主だったぜ?」
「何っ!!?」
狩辞下は、某を試すかのような口調で挑発してくる。
しかし、この台詞によって…扇谷定正の家臣と殺りあっていた際、狭子がこの男に襲われていた事を悟る。
「まぁ、あの小娘は素藤のお気に入りらしいから、これ以上の手出しはしねぇが…」
ニヤニヤしている奴の表情は、徐々に狂気に満ちた笑みへと変貌していく。
「あの娘から頂戴した血の味…そして、その時に見せた恐怖に包まれた表情…。あれは、本当に快感だったぜ…!」
「!!」
そう口にする奴を見た途端、全身に鳥肌が立つ。
某の目の前にいた男の瞳は――――――――――――まさに、“血に飢えた鬼”そのものだったからである。
冷や汗をかき、茫然としている某の目の前に、思いもよらぬ人物が姿を現す。
「…現八殿。お気を確かに」
「お主…!」
隙だらけの某の目の前に現れたのは…栗色の髪を持ち、単節の双子の姉である鬼の忍・曳手であった。
「姿をさらしてしまい、申し訳ない。…しかし、事態を見てこれは放置できぬと判断故の行動…どうか、お許しください」
冷静な口調で申すその忍びは、敵の目の前に立ちはだかるようにして立っていた。
「…どうやら、邪魔が入ったようだな」
少し離れた場所にいる狩辞下が、そう口にしながら舌打ちをする。
「ここは、我が主が住まい、今は客人も参られている場所…。早々に立ち去れ、外道が…!」
物凄い殺気をまとったくの一の声が、辺りに響く。
女子とはいえ、流石は鬼の忍び…。人の子よりは強き言霊があるのだろうな…
この時、某はそんな事を考えていた。
「…今回は刃を交えるつもりはねぇから、安心しな!とりあえず、今宵はおとなしく退散してやるが…」
その場を去ろうとした蒼血鬼は、何かを思い出したのか、その場に立ち止まる。
「前に申した“鬼の資質”…ってのは、並の人間よりも力に優れている事。そして、鬼の気配を感じ取れる能力を持つ事を指す」
「!!」
この時、某の表情は一変し、冷静な表情をした曳手も眉を一瞬だけ動かす。
そんな我らの動揺を目の当たりにした狩辞下は、満足そうな笑みを浮かべながら、さらに話続ける。
「俺達側につくなら、歓迎するぜ?…犬飼現八信道!」
不気味な笑みを浮かべた奴は、その台詞を残して、あっという間に姿を消してしまう。
敵が去った後…しばしの間だけ、我らの間に沈黙が続く。
「…明日、貴方様も含め、朝早い出発となるでしょう。…今は兎に角、お体を休めてください。見張りの方は、我ら双子が致します故…」
「あ…ああ…」
冷静な口調で促され、某はその場を後にする。
“鬼の資質”…。一体、奴はどういうつもりで某にあんなことを申したのだ…!?
奴と対峙した事で、狭が襲われていた事を認識する事が叶ったが…去り際に残した言葉の真意が掴めぬまま、某達は新たな旅立ちを果たす事となるのであった――――――――――――
いかがでしたか。
さて、今回の現八編は彼の視点から見た物語ですが…。今回は本編では語れなかった彼の持つ”資質”に焦点を当てようかなと思います。
現八は犬士の中でも信乃の次にお気に入りの登場人物だったりするので、番外編を書きたいな~と思いつつ、構成がなかなかまとまらないかんじでした。
今回も、どこで話の区切りをつけるかの判断がしづらく、こんなかんじに…(汗)
基本、本編である「蒼き牡丹」の時系列に沿って話が進みますが…一方で、最初の犬塚信乃編で出てきた場面も少しあるため、随想録1を読んでから読むと、よりわかるかと思われます。
さて、今回の番外編は狩辞下や曳手のように、本編ではあまり活躍のなかった登場人物が少しずつ出るのが見どころかと思います。
番外編ではありますが、ご意見・ご感想がありましたら、宜しくお願い致します(^^