最終話 狭子の幸せを願って
”最終話”とありますが、この章が最後なだけであり、随想録が終わりというわけでもないです。
「はぁぁぁっ!!」
馬にまたがりながら、某は村雨丸を振るう。
神霊・伏姫様が授けてくださった神猪の活躍によって、形勢を一変させる里見軍。某も先陣を切って敵をなぎ倒していく――――――――――――――優勢に変わってきた矢先、某の元に一人の足軽に装った里見の忍びが現れる。
「犬塚殿、一大事でございます」
「…如何した」
「実は…」
忍びによる報せを聞いた某は、急ぎ滝田城へと馬を飛ばす。
国府台を出立する少し前――――――――――――
「狭…否、浜路姫が!!?」
里見軍の陣に戻った某は、狭子と共に滝田城へ向かっていたという政木大全孝嗣からの報せを聞いて驚く。
「はい。義実公の訃報を聞き、某と城へ早馬を走らせておりましたが、不覚にも某は気絶させられてしまい…気が付けば、姫のお姿があられなかった次第でございます!!」
「貴様…そのお方は、殿より御身を預かりし姫!!護衛もできず、何という不始末!!」
「申し訳ございませんっ!!!」
某の側にいた里見家の家臣が、大全を責める。
しかし、彼の口調を聞いていれば、本当に責任を感じているのがよくわかる。
「…過ぎた事は、致し方ない。…だが…」
右手の拳を強く握りしめながら、某は重たくなった口を開く。
「姫の救助には、某が向かう!!大全、お主はそれを現八や親兵衛に伝え…けが人への尽力を頼む!」
「御意!!」
落ち着いた口調で彼らを宥める一方、某の胸中は慌てていた。
大全は連合軍方の忍によって、狭が連れ去られたと申していたが…。だが、成氏公や管領殿は彼女の顔は知らぬはず…。故に、これは…!!
馬を走らせながら、某の頭の中には妙椿なる者の名が浮かんでいた。
…里見家を恨み、処刑された玉梓が怨霊…。忍を差し向けたのがそやつならば、彼女の連れて行かれた場所は…!!
連れ去られた狭や敵の事を考えながら、某を乗せた馬は山道を駆け抜けていく。
「狭…。よく…よくぞ頑張ったな…!」
これは、滝田城に向かった某が狭を助け出した時に述べた台詞。
あれから滝田城へ参った某は、狭から放たれた蒼き光と村雨丸の力によって、敵である玉梓の怨霊を滅する事ができた。しかし、荘助から受け取った狭の身体には無数の切傷があった。玉梓によって怪我を負わされた彼女は、多く血を失ったためか意識を失っていたようだ。
女子が鎧を身にまとう事さえまれなのに…狭はこの小さき身体で痛みに耐え、ましてや敵である玉梓をも説得しようとして…
この華奢で小さき身体に、如何なる程の強さを持っているのか―――――――――――狭の身体を抱きかかえながら、某の胸中はそんな想いでいっぱいになる。
その後、薬師の元に送り届けた後、祈るような想いで眠る彼女を見つめ続けた。
やはり、狭が助からないのではないか…と思うと、誠に胸が痛くなるものだな…
義実公の家臣として戦の講和条約が結ばれる場におった時も、某は狭の事で頭がいっぱいであった。
先の戦いで足利成氏公や扇谷定正らと戦い勝利した里見軍は、領地や賠償金は求めずに条約を締結させる。それは、「安房国を争いのない平和な国にしたい」という義実公たっての願いであった。
こうして、狭が後に申していた大戦・“関東大戦”が終わり、安房国には平和が訪れる事と相成る。しかし、某には未だ燻ぶっている想いと、未だ明かされていない狭子の前世なるものという問題が待ち構えていたのであった―――――――――
狭…。某は…!!
とある晩、某はいろんな事を考えていたため、なかなか寝付けなかった。というのも、今から少し前、狭子が蟇田素藤によって攫われたからである。
怪我が治った後、狭は姉君にあたる静峯姫が入手した特殊なお香によって、前世の記憶が蘇る。「内なる何かを思い出す」という逸話が誠であるとは誰も考えておらなんだゆえ、その場にいた里見の姫君達や、報せを聞いた八犬士も驚いた。そして、気を失って眠っていた彼女を、素藤が富山へと連れ去ってしまったのである。
ん…?
眠るに眠れなかった某は、突然何やら変わった気配を感じ始める。
「…誰かおるのか?」
周囲を見渡しながら、その言葉を口にする。
しかし、人という気配は全く感じられない。部屋の外から聴こえる風の音しか周囲にはなかった。
気のせいか…
そう思った某は、再び床に就こうとしたその時であった。
『信乃…』
「!!?」
聞き慣れぬ声が聞こえた途端、某は目を見開いて驚く。
そんな己の名を呼んでいたのは――――――――――柿のような色の髪をし、所々ちぎれた着物を身に着けた男子がいた。しかし、その姿は神霊のごとく透けて見える。
「そなた…何者だ?」
疑惑の瞳でこの者を見上げる。
『俺の事はいい…。それより、あいつ…狭子を…』
「狭を知っておるのか!!?」
考える間もなく、この霊らしき者が狭を知っている事によって、ますます頭が混乱してくる。
…だが、この顔…。もしや…?
「そなた…染谷純一…なる若者か…?」
恐る恐るその名を口にする。
あまり詳しくはないが、狭から聞いた事がある。彼女は幼き頃から本当の親の顔を知らず、孤児院なる場所で育ったと…。そして、その孤児院とやらから共に飯を食い、親しくしていた男子がおった事を。そして、犬士探しの旅の道中にて、素藤が申していた“染谷純一”なる者であった事を知る事となる―――――――
「じゃが…何故、某の名を?」
『…』
そう問うた瞬間、染谷とやらの霊は複雑な表情をしながら遠くを見つめる。
『それよりも…だ。お前、狭の前世が、あの蒼血鬼の想い人だったって事は知っているか?』
「しって…?」
聞き慣れぬ言葉に、某は首をかしげる。
しかし、“あの蒼血鬼”が蟇田素藤である事だけは理解できた。
『俺は、あの鬼…今は蟇田素藤という俺の名を継いだ奴の事を知っている。…奴がどれだけ、琥狛って女子を想っていたのかも…』
「!!」
狭が申していた、前の世を生きていた女子の名…!
“琥狛”という名を聞いた途端、某の表情が強張る。
『あいつに世話んなった俺としては、幸せになってもらいたいと願っている。…だが…!』
「…だが…?」
某は、彼が申す事を静かに聞いている。
…妙椿の事もあり、素藤を敵としてか見ていなかったが…このように、気に掛ける輩もいようとはな…
彼の話を聞きながら、某はそんな事を考えていた。
「最終的には、狭子にも幸せになってほしい…と願っている。しかし、あいつは今、“琥狛”としての己も思い出した…。きっと、今の自分の事もあって悩んでいる…!」
「純一…お主…」
彼の口調は、冷静そうに見えてとても必死そうな眼差しを持っていた。
おそらく、狭の事を好いていたのだろう――――――――だが、霊として現れたという事は、もうこの世の者ではないという証。恋い慕っていても、触れることすら叶わない身となっている事実がひしひしと感じられる。
『だから、犬塚信乃!あんたも狭の事が好きならば、あいつが何を望んでいるのか…どう在りたいのかを確かめてほしい!狭にとって、お前と蒼血鬼のどちらと共にあるのが幸せかを…!!』
「狭の…幸せ…」
『俺にはそれはできない…。あいつの事を見つけたかったのに、あいつより先に死んでしまったから…』
そう言って俯く純一を見た途端、胸が締め付けられるような気分となった。
その後、幾何かの時を沈黙が続く。
「…相わかった。染谷純一の霊よ…」
『!』
最初に口を開いた某は、己の両手を見つめながら話を続ける。
「某とて…もう、あの娘が悲しむ顔は見とうないからな…。それに、何があっても守り、幸せにするとこの命に誓った…!」
狭の前世とやらについてであったり、素藤をどう見ているのかなど…揺れ動く想いがあったが…
いろんな想いが交差していたが、今目の前にいる霊との対話で、某の決心がついた。その表情を見た純一は、安堵したのか、少しだけ微笑みの色を見せる。
『…頼むぜ、八犬伝のヒーロー…!』
意味不明な台詞を告げた彼は、その場から姿を消した。
染谷純一の霊が何故現れたのか、いろいろと残る疑問はあったが…この時の某は、狭の事で頭がいっぱいであった。
待っていてほしい…狭…!!
強い想いを胸に抱きながら、某は夜を過ごす。そして、“始まりの地”とも言える霊山・富山へ向かう事となるのであった――――――――――――――――
「信乃…どうしたの?」
己の住まう場所となった東条城の本丸から安房国を眺めていた某は、後ろからやってきた狭に声をかけられる。
「いや…。これまでの事を少し…思い返していたのだ」
「そっか…」
すっかりこの時代の服装を着なれた狭が、某の隣に立つ。
「本当に…いろいろな事があったよね…」
「ああ…」
某の隣に立った彼女もまた、安房国の景色を眺めながら呟く。
富山では、思わぬ事実を聞かされて困惑したが…素藤との戦いがあって、今の暮らしがあるようなものだからな…
あれだけ敵対していたのに、今にして思うと…ただの悪人ではなかったのかもしれないと某は無意識の内に考えていた。
「狭…」
「ん…?」
彼女の名を呼び、これまでに起きた出来事が走馬灯のように蘇る。
「父・番作の死から今まで…まことにいろいろな事があったが…今、これだけははっきりと言える」
「信乃…?」
某が真剣な表情をしているのに気が付いた狭は、何を言われるのか待っているような表情をし始める。
己の心臓が強く脈打ってはいるが…心からそう思える言葉を口にしようとする。
「この先、如何なる事が起きようとも…某が、そなたと共に生きていきたい」
「信乃…!」
「…愛している」
狭が口を開くのを遮るようにして、彼女の華奢な肉体を抱きしめる。
某は、彼女が教えてくれた“先の世”で使われている想いを告げる言葉を口にした。抱きしめる腕を少し緩めた時…頬を真っ赤に染めながら、照れているような表情を狭が見せる。そんな彼女を見た某は、心から愛しく想い――――――――彼女に接吻をした。それは、後で気恥ずかしくなるくらいに強く、厚いものであった。
その後の詳細は、文面で書くのも気恥ずかしいくらいな出来事であったため、あえて記さないでおこう。こうして、狭との出会いから今日までの事を書き綴った書物を、棚の奥底にしまいこむ。それは、彼女に「これ」の所在を知られないようにするためであった。
里見の犬士として戦の世を生き、生涯の伴侶ともいえる女子と出逢えた事―――――――それが、この書物に記した某の随想録であった―――――――――――――――
如何でしたか。
ここで出てきた染谷純一とは、「蒼き牡丹」の主人公・三木狭子の幼馴染で、作者によるオリジナルキャラ。彼についての詳細は、「蒼き牡丹」をご覧ください★
さて、とりあえず犬塚信乃編はここでおしまいです。
第2章も犬士の話といきたいですが…信乃ほど話が続く人物は少ないので、どうしようか試行錯誤中です。
「犬鬼人」というタイトルにある「鬼」と「人」の話は浮かんでいるのですが、登場人物順で書きたいので、もう少し後に…
とりあえず、考え付いた構成を今はまとめている最中だったりします!
外伝ですが、ご意見・ご感想があればよろしくお願い致します(^^