第6話 着物の礼と育まれた友情
鈴茂森で再会を果たした俺と橡は、あれから武蔵国・河崎から舟に乗って海路を進んでいた。俺達の目指す先は、安房国のちょうど上に位置する上総国。ここへ向かうのには理由があった。
船に乗る数時間程前――――――――――――
「着物の礼を返したい…と?」
「ああ!」
俺は自分が身に着けている小袖の裾を掴みながら、話を続ける。
「ずっと礼をしたいと思っていたんだ!だが、あの朱雀炎鬼と何やらかんやらいろいろありすぎて…。今思えば、“先の世から来た”なんて戯言とも言える発言を信じてくれたのは…お前くらいだしな!」
「…先も申したが、俺は…」
「はいはいストップ!!」
不機嫌そうな表情をする奴が何を口にしようとしていたのか大体わかっていた俺は、その先を遮る。
「「人から受けた恩は必ず返す」!!…って、狭子からしょっちゅう言われていたから、そうしなければいけない気が…!!」
「…?」
恩返しをしたい理由で狭子の名前を出した俺は、無意識の内にあいつの顔を頭に思い浮かべていた。
途中で台詞が途切れた俺に対し、不思議そうに見つめる橡。
そうか…俺…は…
狭子の顔が思い浮かんだと同時に、純一は一つの確信を得る。自分は、幼馴染である狭子の事が好きだという事を。しかし、それは死を間近にして初めて、己の気持ちに気が付く…という、何とも皮肉な状況であった。悲しげな表情をした俺を見かねた奴は、ため息交じりで口を開く。
「…して、純一よ。礼をしたいと申すならば…何がしたいのだ?」
「!」
その台詞で俺は我に返る。
「あ…悪い悪い!えっと…」
俺はその後、気を取り直して礼に何をしたいのかを語り始める。
「俺が鈴茂林に向かっていた時、俺はとある娘御に逢った」
「娘…?」
「…ああ。そいつは俺を見た途端、こう言った。“行方知らずとなったあの方の代わりに、その者になってほしい”…と」
俺の話に、首をかしげながら聞く橡。
俺の話はさらに続く。
「要するに…その夕顔…って名乗っていた女は、俺が自分の仕えている男にうり二つだったらしく、それを見込んでとある城の城主をしてほしい…と頼んできたんだ」
「それと俺にしたいという礼…とやらと、如何なる関わりを持つというのだ?」
奴がその台詞を口にした途端、俺は一瞬だけその場で固まってしまう。
数分程の沈黙が続いた後―――――俺は複雑そうな表情をしながら口を開く。
「その頼みを受けたいと思っても、俺自身には問題があった。それは…病に冒されたこの身体は、もう長くは持たない…という事だ」
「!?」
俺は自分の命が長くない事を己の口から語る事に、幾何かの抵抗があった。
そんな複雑な想いを抱えている一方、橡はこれまで表情一つ変えなかったが、この時だけは物凄い驚いていた。その理由をわからない俺は、とにかく「辛気臭い顔はしないようにしよう」と考え、無理やり笑顔を浮かべながら口を開く。
「で…だ。俺は考えたんだ!その消えた城主に成り代わる…のを受ける。そして俺の死後、あんたが俺の代わりになって城主を務める…なんてのはどうかと思って!」
「俺に…人間共の主になれ…と?」
「そう!夕顔が申すには、その城は上総国にある館山城。国土もそれなりに広くて、豊かな国だそうだ!!」
「上総国・館山城…。という事は、その娘が申していた主とは、蟇田権頭素藤という事か」
「…存じていたのか?」
「…ああ。何やら姑息な手段で城主に成り上がった人間がおると、風の噂でな…」
「そっか…」
大体わかっているのなら…応じてくれるかも…?
俺はそんな淡い期待を抱きながら、話を続ける。
「ちなみに、その夕顔って女には俺の亡き後、お前が城主になる事への了承を得ている!城主になれば、今より良い暮らしができるだろうし、何より城の人間をどうしようかは、お前が決める事ができるんだ…。煮るなり焼くなり好きに…な。それを、俺からの礼として受け取ってほしいんだ…!」
俺はわざと意味深な台詞を添える。
ただ、その真意は「人のいない所で人間を襲い、血を食らう必要がなくなる」という事であった。血を食らうという行為は決して許される事ではない。だが、生きるために仕方のない事でもある以上、人目のつきやすい所で血を食らい、人間に忌み嫌われるのは本人もあまり望んではいないのでは…と、独りよがりの考えだが、そんな思いが俺の中にあった。
「ふ…。人間の餓鬼が、生意気な事を…」
俺が言った言葉の真意を理解したのか、橡は皮肉った笑みを浮かべながら口を開く。
「…お前がそこまで申すのならば、恩を受けてやろう。着物ごときで…というのは可笑しなかんじだが、今後の暇つぶしに向けて、拠点を持つ事は…悪くはなかろうしな」
「ん…?」
奴の台詞の後半部分は聴こえなかったが、何やら橡には考えがあろうように感じた。
そんなやり取りがあって、現在に至る。
今思えば…俺をこの時代に飛ばした張本人も“蟇田権頭素藤”だったな…
俺は舟から見える海を眺めながら、物思いにふける。
自分が今いるこの世界は、“里見八犬伝”の時代であって少し違う…パラレルワールドみたいな世界ではないかと。そして、自分をここに無理やり連れてきた男との身代わりになるという事が、何とも不思議な縁だと感じていた。
「海を見つめ…何を考えておる?」
「橡…」
海を眺めていた俺の元に、白銀色の髪をした鬼がゆっくりと歩いてくる。
夕日に染まった白銀色の髪は、キラキラと輝いているようでとても綺麗に感じた。
何故だろう…橡って、どこか自分と似ている所があるような…?
そんな不思議な感覚に陥りながらも、俺は口を開く。
「ん…まぁ、ちょっとな。そういえば…」
「…?如何した」
「お前の髪って白髪というより、白銀色ってかんじで綺麗だな!それ…地毛なんだろう?」
「?」
その言葉を皮切りに、俺は舟の上で海を眺めながら奴としばしの間語り続けていた。
橡が持つ髪の色の話から、奴にも好きな女がいたという事。そして、俺も狭子という幼馴染が好きだという事…。長く一緒にいたわけでもないのに、俺達は互いのいろんな事を語り合った。まさかこの時、奴が冗談ぽく口にしていた事が、本当に現実の事となりうるとは知る由もない俺であった。
そして長い船旅を経て、俺と橡は上総国・館山城に到達する。そこには、俺に城主の代わりを務めてほしいと頼んだ張本人・夕顔の姿があった。
「…お待ち申し上げておりました、純一殿。では、早速お召かえを…」
そう申す夕顔や城の侍女達によって直垂姿のような装束を着せられ、その姿はまさに「一国の城主」のような見た目に変貌した。
小袖と違って…着なれないなぁ…
着なれぬ装束を身にまといつつ、素藤の家臣とされるいろんな連中から、何をすべきか等をたくさん教え込まれる事となる。
そうして目まぐるしい忙しさにあっていたこの時は、一時でも病の事を忘れずに過ごすことができた。しかし、病魔が去ったわけではなく、限りなく限界まで病は進行していたのである。
「純一…否。今は、素藤…であったな。何をしておるのだ?」
「ああ…橡か」
城主として周囲を欺く事が落ち着いてきたある日…筆をとって何かを書いている俺の近くに、橡が現れる。
「時折戻る」と約束し、俺が忙しくしている間は何処へと赴いていた橡。何をしていたのかは訊かなかったが、相変わらず謎の多い男だなと一瞬思った。
「この書物を…書き写しているんだ」
「これは…?」
俺は小さな咳をしながら、紙の横に置かれている本――――――――高校の図書館にあった『南総里見八犬伝』の現代語訳本を指さす。
「…以前、お主にも申したが…。この世は、この紙の物語にある世界と似ているようで似つかぬ…そんな摩訶不思議な世ではないか…と」
「これがその…“物語”…とやらか?」
不思議そうな表情をする奴は、机に置かれていた八犬伝の本を手に取る。
しかし、漢字が多く散りばめられていても、平成の人間が読めるように書かれているため、この時代の者である奴にとっては理解不能な書物に過ぎない。
「このような物を書き写しても…誰も読めぬのではないか?」
「…まぁ、そのままではな。でも、俺は…」
その先を口走ろうとした瞬間、ふらっと眩暈が俺を誘う。
「!」
青ざめた顔をし、地面に倒れ伏す純一。
それとほぼ同時に、大きな咳をする。口を手で覆ったが…やはり、手には血がこびりついていた。それが危険な状態である事は、誰が見ても明らかである。
「貴様が何処で果てようが勝手だが…。何故、そこまでしてその書物を写す事にこだわるのだ…?」
少し冷ややかな眼差しで俺を見下ろしながら、橡は尋ねる。
俺は…
頭上から聴こえる声に耳を傾けながら、俺はゆっくりと起き上る。
「俺は…俺がこの1年近くを、この“戦国となりし世”で過ごしたという“証”をただ遺したい…その一心さ」
「…それによって、死が早まっても…か?」
「ああ…。犬死するよりはましだ…!」
ゆっくりと起き上って白髪の鬼にそう告げた時…己の表情は見えなかったが、おそらく強い信念を感じるような瞳をしていたのであろう。
「お主という人間は…まことに俺の想像し得ない事ばかりする…」
皮肉そうな笑みを浮かべながら、橡はそう口にした。
こうして、体調が安定してきたと感じた俺は、再び書物を写し始める。橡が言っていた問いについてだが、今俺が書き起こしている「これ」は、ちゃんとこの時代の人でも読めるような古語を交えて書いている。先ほど、「何かを遺したい」と述べたが、理由はそれだけではない。それは、これから自分以外にもタイムスリップする人間が現れても対処できるように…そんな思いがあったのである。
「次は、甲斐物語…か」
俺は現代語訳本をチラチラと読みながら、ボソッと呟く。
俺が今書き写しているのは、荒芽山で犬士達が散り散りになった後、一人甲斐国に赴いた犬士・犬塚信乃が死んだ許嫁の霊と再会する―――――という物語だ。
「…っ!!?」
この甲斐物語の内容について順を追って書き写していると…俺の中に、一つの仮説が生まれる。
八犬伝をよく知る幼馴染・狭子。彼女が以前純一に話していた事や、彼女の体には耳の所に黒子があるという事。そして、八犬伝に出てくるとある登場人物の事―――――――
もしかして…もしや、狭子は…!!?
この時、俺の頭の中に思い描いた仮説が本当か否かを知る術はない。でも、もしかしたら…そう思うと、今の作業を止める事ができなかったのである。
こうして俺は、血反吐を吐きながらも『南総里見八犬伝』の写し本を完成させた。こうして役目を終えた現代語訳の本は、俺の知らぬ間に蒼き光を放って消えて行ったのであった―――――――――――
いかがでしたか!
今回からラストまで、一気に書き上げた!!ってかんじがします。
本当は純一が素藤になるまでの過程を存分に描きたかったですが…話の収集がつかないのと、思えば純一自身の身体が長く持たないという事もあって、少し簡略させて戴きました。でも、今回によって、後に語られる「純一の最期」のつじつまがあうのではないでしょうか。
ちなみに、船の上で2人が語り合っていた内容の詳細は、随想録3をご覧ください★
さて、物語の構成上ここで終わりのように見えますが…引き続き書いた次回が、本当の最終話です。また、次回は純一編が終わりであると同時に、この外伝集の最終回にも当たります。短い文かと思いますが、最後までおつきあい願います。
それでは、ご意見・ご感想がありましたらよろしくです。