第5話 不忍池で得た手がかり
あれから音音の庵を去った俺は、荒芽山麓にある人里まで単節に送ってもらい、そこから一人の旅路は始まった。別れ際の際、音音から賜ったという関東八州の簡易的な地図らしき物を俺はこのくのいちから受け取ったおかげで、向かうべき大体の地理などは把握できた。
しかし、一人旅とはやはり危険が多く、刀を持っていたからといって安全が保障されるわけではない。案の定、ここ数日で野盗紛いの連中に何度か襲われた。剣道をやっていたとはいえ真剣を使うのは初めてだった俺。しかし、運がよかったのか…これまで自分に襲いかかってきた連中はかなりの素人腕だったため、峰打ちで終わらせらる連中が多かった。
こうして俺は荒芽山のあった上野国を南下し、現代では東京都にあたる武蔵国に入る。結核にかかっている俺は本来ならば静養していなくてはならない身だったが、今はそれについて考えないようにしていた。そこには、「何もしないで死ぬのは絶対にいやである」という強い想いを崩さないようにするためである。
そしてある日、不忍池という池の辺で休息を取る事にした。人里で、この池の辺にて茶屋を営む風変わりな者がいるという噂を聞いたのもある。
「茶と団子を一つ」
「へい、おおきに」
「…」
俺が茶屋にある腰かけに座って注文すると、男は商人みたいな笑顔を含めながら答えた。
”風変わりな者”って、この関西弁を話すこいつの事みたいだな…
俺はここが関東であるにも関わらず、関西弁を口にする店主に苦笑いをしながら考えていた。
「それにしても…奴は一体、何処にいるのだろうか?」
ポツリと独り言を述べる。
俺が探している男―――――――橡は、人里にはあまり現れない者。だから探すのが容易ではないのはわかっていた。
「ゴホッゴホッ…!」
咳き込んだ口元を右手で押さえる。
忍び寄る病魔…荒芽山での咳き込み以来、吐血は起きていないが、このむせたような咳は今まで以上に増えたのだ。
だが…このまま犬死はご免だ…!
鋭い視線で上を見上げ、今成し遂げようとしている事への意思を改めて確認する。
「…あんさん、どなたはんか探しておるんやろか?」
「!」
気がつくと、俺の目の前に茶屋の店主がいた。
その両手には暖かい茶と団子がある。
茶と団子を俺の右側に置いてくれた店主は、それらの横に座り込む。
「…何ゆえ、俺が人探しをしている…と?」
俺が不思議そうな表情をしていると、店主は顔をにんまりとさせて答える。
「ちびっと前に、一人で呟いていたよね?それに、わいはここでいろんな旅人を見てきたが…あんさんはなんぞ訳ありのように見えるちゅうワケや」
「ふぅん…」
俺は、この男が動物並に耳が良い事に少し関心を覚える。
たくさんの旅人を見てきたという事は…こいつなら、何か知っているかも…?
話のペースには合わせられないが、何かしら情報を知っているかもしれないと考えた俺は、団子を食べ終えた後に口を開く。
「…なぁ。この周辺で、白銀色の髪と金色の瞳を持つ色黒な男を…見かけた事あるか?」
「!?」
その台詞を口にした途端、店主の笑顔が瞬時に固まった。
「…」
何か知っている事を期待していた俺は、そのあとはあえて黙り込み、相手の出方を待った。
この沈黙が続いている間、俺は茶をゆっくりと口にする。
「…そない"人"は見かけておらへん」
「…では、"人"じゃない者なら見たと?」
少しだけ深刻な表情になった相手に、更に掘り下げた質問をする純一。
再び沈黙が続く。しかし、先ほどと比べてあまり長くは続かなかった。
「旅人から聞いた噂なら…ある」
「噂…?」
「…ちょうど、昨日に会うた旅人の話じゃが…」
店主はため息交じりで語り始める。
「不忍池から丁の方角…関東管領・扇谷定正の主城たる五十子城より更に午に、鈴茂林という林がある。そこで、白銀色の髪をした者を見かけたという話や」
「鈴茂林…。そこに行けば…!」
「…あくまで、噂やけどな。けど、あんさん…何ゆえ、そんなん奴を…」
「ありがとうな!」
いい情報を得た俺は、すぐさま残っていた茶を飲み干し、身支度をする。
「それに、仮に会うたといっても、あまり近づかない方がえぇで…って、おい!!」
俺に対して釘を指そうとした店主だったが、彼が気がついた頃には俺は茶屋を去っていたのである。
その後、再び旅路につく純一。これまで有力な情報がなかったので、ここで得たものは大きかった。とにかく、早く会って礼を言ったり、訊いていない事を訊きたい…そんな想いを強くしながら、俺は進んでいく。
鈴茂林へ向かう途中、純一は一つの村を通り過ぎた。特に栄えているわけでもないその村は、宿すらない小さな村落。村の中を通り抜けた際、村の外れにある叢で木刀片手に手合わせをしている2人の青年を目撃する。
…そういえば俺もガキの頃、あんな風に本気で剣の練習をしていたなぁ…
彼らを見て幼い頃を思い出していた俺は、物思いにふけった後――――――ゆっくりと村を後にしていった。
俺はこの時に全く気がつかなかったが…この手合わせをしていた青年達こそ、後に里見の犬士として活躍する事となる、犬塚信乃戌孝と犬川荘助義任だったのである。
「ここ…か」
俺はその翌日、茶屋の店主が言っていた鈴茂林に到着する。
到着した頃には既に戌の刻――――現代で言う所の夜20時くらいになっていた。そのため、林道を含む全体が暗い。
…まぁ、どうせ今日は野宿の予定だったから…ちょうど良いかもな
俺はとりあえず目的地に到達ができたので今宵はゆっくり休もうと思い、叢のある木の側でしゃがみこむ。その後、持っていた学校のカバンの中から、一つの風呂敷を取り出す。
…本当に、俺は現代へ帰れるのか…?
風呂敷に包んでいた物――――――――――それは、荒芽山で朱雀炎鬼・跖六から返してもらった、高校の制服がだった。俺はその感触を手で確かめながら、ため息をつく。現代へ帰るのに必要だろうと思って持ってきたこれら。だが、本当にこれを自分が再び着る時がくるのであろうか…純一の頭の中はその事でいっぱいになっていた。
「…ん…」
「!?」
座り込んでいた俺の後方から、何かの音が聴こえる。
周囲は純一以外誰もいないはずなので、静まった鈴茂林で生まれる音は全てがよく響いていた。
…こんな時間に、誰かいるのか…?
一瞬聴こえた音が人が何かを飲む音に聴こえたため、不審に思った俺は、音をたてないようにしてゆっくりと立ち上がる。
俺が座り込んでいた場所は、林道から少し外れた木々や草が生い茂った場所。音が聴こえたのは自分の後方――――――――林道を挟んだ反対側の叢の方だった。夜目に慣れてきたのか、何かに躓く事なく進んでいく純一。
人…?
ボンヤリと見える視界の先には、人らしき物体が見える。目を凝らしてよく見ていると―――――――雲に隠れていた月が少しずつ姿を現し、月光が周囲を照らす。
「…!?」
月の光に照らされて見えてきた人影。
それは、俺が探していた人物・橡だった。しかし…
…何…を…!?
俺はその光景を目の当たりにして、身体が硬直してしまう。
奴の逞しい腕の中に見知らぬ女が抱きかかえられ、その女の首筋に蹲っている。女の小袖は無理やり脱がせたのか、襟先が乱れ首周りの肌が顕になっていた。
「!!」
俺の存在に気が付いたのか、奴は顔を上げ、俺の立っている方に振り向く。
その時、俺の体は全身に鳥肌が立つ。虚ろな表情でこちらを見た橡の口元には、赤黒い血がこびりついていた。だが、何より俺が恐怖したのは、普段は金色である奴の瞳が…血のように真っ赤であった。
「お前は…」
自分の目の前にいたのが、己が目撃した“先の世から来た少年”である事に気が付いた橡は、抱きかかえていた右腕を離す。ドサッという音と共に地面へ崩れ落ちた見知らぬ女は、意識がないのか身体を動かす気配がない。
「何故、お前がこのような場所におるのだ?」
唇についた血を袖でふき取った奴の瞳は、再び金色に戻っていた。
「そ、それは…」
青ざめた表情をした俺はこの時、音音が言っていた奴の呼称―――――“蒼血鬼”という言葉を思い出す。おそらく、鬼の部族名を現すその言葉。蒼き血の鬼」と書くそれを思い描いた途端、これが何を意味するのかを唐突に理解する事となる。
血を食らう…鬼…!!?
俺はその確たる物を見た途端、奴も只の人間ではない事を悟る。
「おい…」
「!!」
気が付くと、奴がほぼ目の前の位置まで移動してきた。
あれ…?
恐怖の余り、一歩後ずさりした俺を見た奴は…一瞬、悲しげな表情を浮かべていた。だが、その悲しげな表情もすぐに元のポーカーフェイスに戻ってしまう。
「あ…えっと…」
気を取り直して俺は口を開くが、訊こうと決めていた事がなかなか頭に浮かびあがってこなかった。
「む…村にたどり着けなかったから、今宵はここで野宿しようと思って…」
「他言は許さぬぞ」
「…?」
ここにいた理由を話そうとする俺に対し、橡は突然その話を遮ってしまう。
「っ…!?」
気が付くと、俺の首筋には奴の右手があった。
触れられた感触は冷たく、このまま奴が力をこめれば首を絞めてしまえるだろう――――――そのくらい、奴の手が密着していた。
「…は……を、指していた…んだな…」
「…?」
今にも消えてしまいそうなか細い声で、俺は呟く。
この状況なら、そのまま首を絞められる可能性が高い。そんな状況にも関わらず、何かを口にしようとした俺に、奴は不思議がっていたのかもしれない。
「お前の“蒼血鬼”の“蒼”の所以は…身体が冷てぇ事にあったん…だな…」
何とかしぼり出た声で、先ほど述べた事を再度俺は口にする。
その台詞を聞いた橡は、不可思議そうな表情で俺を見下ろす。
「お前…先ほどの光景を目の当たりにしたのだろう?…血を食らう鬼の姿を…」
その問いに対し、顎を少し動かして縦に頷く。
「怖くはないのか…?」
「あ…」
この時、奴は再び悲しい表情を一瞬見せる。
言っている台詞と感情が全然違うじゃないか…
何故、こんなにつらそうな表情でそう口にするのか―――――――――――――俺は恐怖というよりも、そういった疑心の方が強かった。これはおそらく、病魔に蝕まれた己だからこそ、「死」に対する恐怖があまり感じられなかったからであろう。
「別に…。それに、今の俺は“死”に対する恐怖がない。…だから、無駄に余裕なのかもな」
「何…?」
“死”という言葉を聴いたせいか、奴の表情が少しだけ固くなる。
しかし、奴は俺の台詞の意味よりも、「血を吸う鬼を目の前にしても、恐怖しないのは何故か」という疑心の方が強かったのであろう。
そうして、この時代に来てから幾日が過ぎたのかは覚えていないが、俺は探していた白髪の鬼と再会を果たす。時代という大きな流れからすれば、今という時はほんの一時に過ぎない。しかし、俺の命が尽きる日と、後に狭子の物語が始まる日は一刻一刻と近づいていたのであった――――――――――――
いかがでしたか。
今回は、「蒼き牡丹」及び原作の「南総里見八犬伝」に出てくる登場人物を書けて結構満足な回です♪
原作でもある通り、手合せしていた信乃と荘助。前者はまだ、仕官するために村を出ていない頃だろう…と時代的に考えて、こんなシーンを入れてみました。
また、もう一つ登場した人物は…直接ではないのですが、不忍池で茶屋を営んでいた店主が「蒼き牡丹」に出てきた登場人物・政木狐が人間に化けた姿…だと言えば、おわかりになるでしょうか?
なぜ、茶屋の主人をしていたかを書くと長くなるので…詳しくは、「蒼き牡丹」or政木狐の人物紹介をご覧ください★
また、今回出てきた"鈴茂林"も原作及び「蒼き牡丹」に出てくる林。しかも、後者では…「因果は巡る」ってかんじですよね。笑
さて、次回ですが…。
橡と再会を果たした純一。「探す」目的を果たした彼は、今後どうなるのか?
「命尽きる…」の文面は終わりが近い事もさしてますが、まだ純一編は続きそうです★
そんなこんなで、ご意見・ご感想がありましたら宜しくお願いします(^^